女王、子供と出会う 1

 荒れた草原の中にぽつんと存在する、滑らかな岩の上に、静かに腰を下ろす。顔を上げると、草原に突如生え伸びた岩山とその唯一の隙間を守る門のように聳え立つ二つの円筒形の塔が、普段と同じようにリュスの瞳に映った。塔の間の、馬が二頭並んで通れるほどの隙間からは、少し低めの、都を囲んでいる古びた城壁と、その向こうの、岩山に寄り添うようにして高く作られた、女王リュス自身が住む王宮のバルコニーが、普段通りにそこにある。小さい頃から見てきた、変わらない光景。その光景に、リュスはほっとすると同時に、心の奥底から湧き上がる苛立たしさをも、感じていた。


 無意識に、足の下の地面を蹴る。苛立たしさの原因は、分かっている。今朝の謁見の間で見下ろした、リュスが統治している古き国の、リュスを支えるはずの有力者達、辺境伯や高位の騎士達の顔を思い出し、リュスは再び地面を強く蹴った。自分達の怠惰を棚に上げて、「呪いを使え」だなどと、よく言えたものだ。


 古き国の女王は、強大な魔力をその血の中に受け継いで持っている。初代の女王であり、今リュスが目にしている光景を作り出したリオンという女王は、人の記憶を操作する術を知っていたという。そして、先代の女王であったリュスの母は、人を呪い殺せるほどの力を持っていた。母は、古き国の為に、古き国を滅ぼさんと画策し、古き国を攻撃し続ける新しき国の王を呪い、その弟を呪い殺した。そしてその結果、母は正気を失い、リュスの視界の中にあるあのバルコニーから身を投げた。


 母が使ったものと同じ力を、古き国の有力者達はリュスにも使わせようとしている。今の新しき国の王の子供は、王太子である少年だけ。王の兄弟は既に亡くなっている。新しき国の王が副妃に産ませたもう一人の王子は、その副妃に嫉妬した正妃によって副妃とともに新しき国を追われ、行方不明になっているという噂を聞いた。いや、その王子は、まだ子供であるはずの王太子が彼の才能に嫉妬して殴り殺したのだという噂も、ある。だから、呪いによって王太子を弑せば、新しき国は早晩支配者を失う。謁見の間で聞いた、女王を囲んだ有力者達の言葉が再び耳に響き、リュスはもう一度、地面を蹴った。


 踏み躙られた草の匂いが、足下に広がる。新しき国の侵攻を止める力も無く、ただ呪いだけに頼ろうとする男達など、唾棄にも値しない。彼らは、呪いを使った結果がどうなるのか、知っているのだろうか。バルコニーから飛び降り、自ら命を絶った母の、絶望の表情を、知らないとでも言うのだろうか。どうせ呪いを使うのであれば、新しき国の王と王太子だけではなく、リュスに呪いを使うよう強要したあの男達全てを、呪い殺してやりたい。全身の熱さに、リュスの身体は無意識に細かく震えていた。


 不意に、リュスの側の草が、さわさわと揺れる。草の間からひょっこりと顔を出したのは、濃い色の髪に縁取られた丸い顔。この子供は、見たことがある。女王の記憶はすぐに、二、三日前の謁見の間の光景を引き出した。隼辺境伯ローレンスが連れて来た、武術の腕に見どころがあるという理由で養い子にしたという少年。華奢で小柄な身体の何処に、ローレンスは武術の素質を感じたのか。それが分からず、思わず首を傾げたことも覚えている。名は、確かラウド。リュスが呪いの力を使うことに唯一人反対してくれたローレンスは、皆と反対のことをするのが趣味であるようだ。だから、小柄な少年を養い子にしたのかもしれない。それが、リュスの感想。あるいは、巷に流れる下卑た噂の通り、ラウドの母親の美貌に惹かれ、彼女の気を引く為に少年を養い子にしたのだろうか? それはともかく。突然現れたその小さな少年を、まじまじと見つめる。目の前の少年の、灰色の瞳に怯えの色を見つけ、リュスは思わず口の端を上げた。


「妾が、怖いか?」


 衝動のままに、ラウドの細い腕を強く掴む。突然変わった目の前の光景に、リュスの胸は数瞬、止まった。リュスの目の前にあったのは、不穏な黒色に染まった左右の塔と、その向こうに見える崩れ果てた都。その向こうに見える、かろうじて原型を保っている自分の城の、バルコニーに結ばれて吊り下がっているあの白い糸束のようなものは、リュス自身の髪ではないのか? そして、斜めに見える左右の塔の間に立てられた柱の上に置かれている、崩れた頭蓋に僅かに貼り付いている、濃い色の髪は。


「ラウド!」


 甲高い声に、はっと胸を突かれる。その一瞬で、リュスの視界は元通りになっていた。次に感じたのは、緩んだリュスの腕を静かに外し頭を下げたラウドの、草の間に消える小さな背中。


「何処だっ!」


 小さく揺れる草の音が遠ざかると同時に、ラウドを呼んでいた心配を含んだ甲高い声も遠ざかる。誰もいなくなった草原に、リュスは日が傾くまで呆然と座っていた。

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