残痕の先へ 4

 その、二、三日後。いつもの通り、ラウドは母とともに摘んだ薬草を持って一人で村へ、件の老婆の許へ出掛けた。


 だが、村に足を踏み入れた途端、異変に気付く。村の小さな広場にあった、各家の家庭菜園で余った作物を交換する為の小さな屋台が壊されている。屋台だけではない。屋台の後ろの、畑と広場を区切る質素な柵も、壊されて無残な姿を晒している。そして村人の姿は、何処にも無い。誰が、こんなことを。ラウドが首を傾げるより早く。


「誰だ?」


 後ろから伸びた手が、ラウドの持っていた薬草の入った籠を掴む。饐えた匂いが鼻腔に広がる前に、ラウドは籠を持っていた手を強く振り、籠から毛むくじゃらの手を振り落とすと同時にくるりと身体を捻り、ラウドの方へ短刀を向けた大柄な影の腹にその籠を叩き込んだ。


「うぐっ」


 思わぬ攻撃に蹲ったならず者から離れて逃げる。とにかく何処か、隠れることができる場所へ。手近の、扉が壊れた家の中に飛び込むと、ラウドは壊れた扉の影に身を小さくして隠れた。ならず者の襲撃に、村人達は皆何処かに隠れているらしい、広場の傍にあったこの家には、人が居る気配は無い。そっと首を伸ばして、外を見やると、ラウドに腹を叩かれたならず者の傍に二つ、人影が見えた。


「しけた村だぜ」


「何も無いな」


 ならず者達の野卑た言葉に、唇が歪む。何も無い村で、村人達は静かに暮らしていたのに、こいつらは、その生活を破壊した。怒りが、渦巻く。だがラウドに何ができる? 怒りを、ラウドは何とか飲み下した。今は、無事に母の許に帰り着くことが、最優先。幸い、ラウドがここに隠れたことに、ならず者は気付いていない。このままやり過ごすことができれば、大丈夫だ。ラウドはぎゅっと手足を縮めた。


 その時。


「止めて! その子は!」


 耳を劈くような泣き声と、懇願する母に似た声が、ラウドの心を平静でない方向に引き戻す。もう一度外を見ると、どうやら逃げ遅れた村人らしい、見窄らしい服を着た華奢な女性と、まだ小さい女の子が、別のならず者三人に引きずられるように広場に現れたのが、見えた。泣き喚く女の子の腹に、ならず者の一人が短刀を押し当てた、その光景が、ラウドの怒りに火をつける。衝動のまま、ラウドは手近にあった煉瓦の欠片を掴むと、石投げに興じていた影が投げたのと同じ技でその煉瓦を、女の子に短刀を向けていたならず者に向かって投げた。


「痛っ!」


 ラウドの投げた煉瓦の欠片は、ならず者の額に当たる。ならず者が、女の子の腹に当てていた短刀を取り落とすのを、ラウドは心の中の喝采とともに見た。続けて、周りにあった重そうなものを、ならず者の方へ次々と投げる。ラウドが投げた物が身体に当たったならず者達が呻き声を発し、女の子が母親の元へ駆け寄る様子が目に映ると同時に、ラウドの視界を塞いだ影が、ラウドの腕を強く掴んだ。


「見つけたっ!」


 怒りに満ちた、汚い髭面が、鼻先に迫る。暴れても、藻掻いても、ならず者の手を振り切ることができない。あっという間に、ラウドの身体は広場に居るならず者達の前に引き出された。


「こいつかっ!」


 額に煉瓦の欠片が当たったならず者が、鋭い瞳でラウドを睨む。額から頬へ流れた凄惨な血の跡に、ラウドは全身の震えを抑えることができなかった。


「やっちまえ」


 横からの鋭い気配を感じ、身を捩る。ラウドの鼻先ギリギリを、鈍く光る刃が掠めた。


「この」


 無意識に避けた、ラウドのこの行為が、ならず者達の怒りに油を注いだようだ。掴まれた腕が、後ろに捻られる。


「大人を馬鹿にすると、酷い目に遭うことを、教えてやる」


 地面に押し付けられた身体の痛みと、喉元に押し付けられた刃の冷たさが、ラウドを絶望へと追い込んだ。


「母上」


 小さく、呟く。母も、妹も、守ることができずに、死んでしまうのか。母がまた、泣いてしまう。そんなことを思いながら、ラウドはゆっくりと目を閉じた。


 だが。身体に掛かっていた重みが、急に消える。目を開くと、緋色の上着に黒のマントを身に着けた隻眼の男性が、ならず者達を次々と殴り倒す様子が、ラウドの瞳に確かに映った。


「……大丈夫か?」


 その、古き国の騎士らしい、大柄で赤い髪をした髭面の男が、ラウドを地面に立たせてくれる。ラウドを殺そうとしたならず者達は、皆、地面に倒れて呻いている。これだけのならず者を、僅かな時間で、たった一人で倒すなんて。呆然と、ラウドは自分を助けてくれた男の、眼帯を身に着けた髭面に見入った。しかし、この人は。ラウドの中の冷静な部分が、警告を発する。服装から察するに、彼は古き国の騎士だ。ラウドの出自を彼が知れば、ただでは済まない。だから。


「ありがとう、ございます」


 殊更丁寧に、目の前の騎士にお礼の言葉を述べる。そして騎士に背を向けると、ラウドはふらふらと、森の方へと歩いて行った。

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