対峙の果てに 2
その日の、夕方。
「済まないが、一緒に来てくれないか?」
風が通る回廊にテーブルを持ち出してチェスに興じていたカレルとラウドの前に現れたのは、何時になく青白い顔をしたリュング。どうしたのだろう? カレルが首を傾げるより早く、ラウドは何も訊かずに頷いた。
「分かりました」
リュングの後ろから、並んで王宮を出る。夏の日が残る王都を出、近くにある森の方へと歩いたカレルは、人気の無い木々の間に見覚えのある大柄な影を認め、思わず腰の剣の柄に手を掛けた。
「大丈夫だよ、カレル」
そのカレルを、ラウドの静かな声が制する。
「どうしてここにいるのですか、ローレンス卿」
そして。森に向かって声を上げたラウドに呼応するかのように、顔に走る眼帯を晒した影が、ラウドとカレルの前に現れた。
ローレンス卿が、どうしてここに? ラウドの後ろで、首を捻る。確か、元隼辺境伯領の南の端、竜が棲むという岩山の麓に位置する小さな村に軟禁したと、レーヴェ付きの文官は言っていた、はず。
「あんなちゃちな見張りなど、無いも同然」
カレルの思考を読んだかのように、ローレンス卿は唇を歪める。そしておもむろに、ラウドを見つめ、思わぬことを口にした。
「フェルが、妙なことを報告してきたんで、伝えねばと思ったまでだ」
「フェル、って?」
ローレンス卿の言葉の中に出てきた人名を、傍らのリュングに尋ねる。
「前にラウドを靄の中に投げ入れた奴」
リュングの答えは、単純明快。
「あれでも一応、狼団の団長」
「あ、あの」
リュングの言葉と、ラウドの頷きが、カレルの思考を過去へと飛ばす。ラウドを助ける為に飛び込んだ『靄』の、体力と熱を容赦無く奪う闇よりも濃い黒が視界を過ぎったような気がして、カレルは誰にも気付かれないように首を横に振った。あの靄には、できれば二度と逢いたくない。
「大陸の何処にも『悪しきモノ』が見当たらなくなったそうだ」
ローレンス卿の言葉に、はっと顔を上げる。
「それは、本当のことですか、ローレンス卿」
続いて聞こえてきた、リュングの言葉は、明らかに驚愕に満ちていた。
『悪しきモノ』が、古き国の騎士達にとっては滅ぼすべきものである『敵』が消えた。そのことは、古き国に忠誠を誓う騎士達にとっては驚愕以外の何物でもないのだろう。何とかそれだけ、理解する。そして。
「おそらくそこの第二王子が『歴史を変えた』からだと、フェルは言っている」
ラウドの方へ隻眼を向けてのローレンス卿の言葉に、カレルは口をぽかんと開けてラウドの方を見た。
「どういう、ことですか?」
「フェルに投げ入れられた『靄』の中で、真球の『核』を壊したそうだな」
戸惑いを含んだラウドの声に、ローレンス卿の静かな言葉が被さる。
『悪しきモノ』は、その奥底にある『核』を、古き国の騎士達の血が含まれた剣で突き刺し壊すことによって、滅することができるという。そして、普通の『悪しきモノ』が持つ『核』は、黒曜石のように鋭く尖ったものであるらしい。
更に。
「靄が晴れた後に、白い木肌を持つ黒い森と、白い髪の少女を、見たそうだな」
ともに頷いたラウドとカレルに、ローレンス卿が説明を続ける。
「それはおそらく、昔の、過去の光景だ」
白い木肌を持つ黒い森は、かつてこの地を恐怖で支配した『闇の王』が寄生していた森。そして白い髪の少女は、闇の王と一人対峙する為に森を訪れた、後に古き国の初代女王となるリオンという名の少女だろう。ローレンス卿が紡ぐ言葉に、我知らず全身が震えるのを、カレルは感じていた。と、すると。
「もっと綿密に調査をせぬと分からぬが、おそらくラウドが『闇の王』を滅ぼし、歴史が変わった」
「それで、『悪しきモノ』が居なくなってしまったわけですね」
ローレンス卿と、リュングの言葉が、カレルの震えを酷くさせた。
去年の秋に起きた『事故』と、その時のレギの説明で、ラウドにもカレルにも、古き国の騎士達が多かれ少なかれ持っているという、思わぬ時に過去や未来へ『飛ばされる』力があるということは、理解していた。しかしその『力』が、こんな風に作用してしまうとは。
「とにかく、これで、古き国の存在理由も、新しき国との対立理由も、無くなってしまったわけだな」
軽く聞こえるローレンス卿の言葉を耳にしながら、そっと、ラウドの方を見る。カレルの傍で俯いたラウドも、カレルと同じくらい震えていた。
「……わ、私、は」
そのラウドの口から、小さな言葉が漏れる。
「しては、ならないことを、してしまったのでしょうか」
「むしろ逆だろう」
ラウドの懸念を笑い飛ばしたのは、リュング。
「戦をする理由が無くなったわけだし」
「女王陛下にも、これまでの調査結果と考察を伝えてある」
まだ暫定的な結果でしかないが、新しき国との戦を止めるようにとの、意見を添えて。ローレンス卿の言葉に、ラウドは小さく、頷いた。
倒れそうになっているラウドの、華奢な身体を、そっと支える。柔らかく掴んだラウドの身体は、夏だというのにすっかり冷え切ってしまっていた。
「ならば」
それでも、ラウドは毅然と顔を上げ、言葉を紡ぐ。
「レーヴェに、陛下に手紙を書きます。これ以上、犠牲が増えないように」
本当は、直接会って訴えた方が良いと思いますが。小さく呟かれたラウドの言葉に、ローレンス卿は分かっているというように大きく頷いた。
そして。不意に、ラウドの身体が大きく震える。
「ラウド様?」
ラウドの頬に流れる涙に気付き、カレルは思わず、ラウドを掴む腕に力を込めた。
「だ、だったら」
嗚咽の中から響いてきたのは、切ない言葉。
「あの子、は、殺される、必要は、な、無かった」
やはり、ラウドは、あの凛とした少女を殺してしまったことを、悔いていた。切なさが、カレルの全身を支配する。
「そなたが悲しんだり、悔やんだりする必要は無い」
カレルが何かを言う前に、ローレンス卿がラウドの前に立ち、その肩に優しく触れた。
「アリアは誰も傷付けず、誰にも穢されずに死んだ。女王の血を受けた者としては、僥倖としか言いようがない」
ローレンス卿の言葉に、ラウドが首を横に振るのが、見える。そのラウドの震える髪をそっと撫でると、ローレンス卿はラウドから離れた。
「遅くなれば、他の者が不審がる。もうそろそろ王宮に帰還した方が良いだろう」
普段の軽さが消えた、リュングの促しに、頷く。立ち尽くしたままのラウドの腕を小さく引くと、ラウドは我に返ったようにカレルの方を見、そしてゆっくりと、ローレンス卿に背を向けた。次の瞬間。
「ラウド様!」
ふらりとカレルの方へ倒れ込んだラウドの身体を、受け止める。苦しげに息を吐くラウドの様子に、カレルは悲しく首を横に振った。古き国の、あの残酷な女王は、ローレンス卿の諫言を聞き入れなかった。昔の、国を分裂させたラヴィニス女王と、同じように。
「ラウド!」
カレルの横からラウドを支えたリュングの背に、苦しげに身を捩るラウドを乗せる。王宮に急ぐ前に振り返って見た、ローレンス卿は、ただ目を伏せているだけのように、見えた。
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