名も無き花 1

 夜明けにはまだ遠い、薄明るい草原に、蠢く影を認める。


 六人、いや、真ん中にいる小さな従者を入れれば七人。ラウドの予想より若干多い。大丈夫だろうか? 草原にぽつんと置き去りにされた岩の影から、薄暗い空間を急くように歩く人々の影をもう一度数え、カレルはふっと息を吐いた。従者を除く六人は皆、きちんとした板金鎧に身を包んでいる。カレル達『新しき国』に敵対する『古き国』の騎士達だ。カレルはそう、見当を付けた。戦闘能力も並より高そうに見える。左を向くと、薄闇の向こうに、どっしりとした感のある建物が見える。その建物、古き国に仕える高位の貴族の一人、隼辺境伯ローレンス卿が守る城の近くから、今カレルが観察している集団が現れる様子を、カレルは岩陰から具に見ていた。おそらく彼らが、カレルが仕える、新しき国の第二王子ラウドが狙っていた『敵』。


 背中右の震えに、そっと首を動かす。カレルの右隣にいる、まだ小さい見習い騎士ディーの歪んだ唇に、カレルは自分の緊張を忘れて微笑んだ。


「大丈夫だ」


 小さな声でそう言って、大きく震える少年の肩に手を置く。カレルの方を振り向いたディーに深く頷くと、カレルはもう一度、岩の向こうの影の集団をじっと見つめた。


 この小さな岩の陰にいるのは、カレルと、見習い騎士ながらも弓の腕に秀でたディー、そして二人を守る為に配置された冷徹な女騎士ミト。小さな岩陰に身を隠すことができたのは、三人だけ。ラウドを含む残りの味方は、ここから少し離れた草原の窪みに隠れている。味方がカレル達のいる場所まで移動する間、あの集団を足留めすることが、カレル達の任務。おそらくカレル達の身を危険に晒すことに呵責を覚えていたのであろう、別れる前のラウドの沈痛な顔を思い出し、カレルは少しだけ、微笑んだ。ラウドの役に立つのなら、カレルの命など、いくらでも差し出すのに。


 風に揺れる丈の高い草の向こうの人影を見つめ、好機を待つ。もう少し、もう少し。集団が射程距離に入るまで、じりじりと、カレルは待った。……今だ!


「撃てっ! ディー!」


 右隣にそう声を掛ける間も無く、岩陰から身を出し、集団の方へ矢を放つ。急きすぎたカレルの矢は集団側方に落ちたが、続いて放ったカレルの矢と、腕前を見事に発揮したディーの矢が集団前方を歩いていた騎士の鎧の隙間に当たるのが、夜明け前の光でもはっきりと見えた。これなら。集団に考える間を与えぬよう、背中の矢筒から引き出した矢を次々と放ちながら、カレルはほっと息を吐いた。


 と。カレルのその油断を見計らったかのように、岩の上に大きな影が現れる。はっと顔を上げ、死を覚悟した次の瞬間、カレルを狙っていた必殺の気は横から繰り出された銀の刃に薙ぎ倒されていた。


「ありがとう、ミト」


 その、銀の刃を振るった張本人、銀色に磨かれた板金鎧を纏った女騎士に頭を下げる。カレルの声が聞こえなかったかのように、ミトはカレルから目を反らし、隠れていた岩を超えて敵である騎士達の方へと飛び込んだ。ミトの動作に釣られるように岩の向こうを見る。カレル達の矢に倒れなかった騎士達がこちらに向かってきているのが、見えた。大柄な騎士の一人が、小柄な従者の腕を引っ張ってローレンス卿の城へと戻る様も。


「ディーはここに隠れてろ」


 叫んで、飛び出す。腰の剣を抜く間も無く、カレルは立ちはだかった騎士の一人を身軽に躱し、騎士の無防備な首筋を殴ると同時に従者と騎士の方へ走った。カレルが追うその二人の前に、味方らしき板金鎧の騎士が立ちはだかるのが、見える。大柄な騎士の方に突きつけたその刃を、大柄な騎士はその体格に似合わぬ俊敏さで躱すと、従者の腕を掴んでいない方の手だけで持ち上げた大剣で無造作に、刃と騎士を叩き切った。


「なっ」


 濃くなった血の臭いと、踏み躙られた夏草の噎せ返るような匂いに、一瞬だけ立ち止まってしまう。その一瞬の間に、大柄な騎士は、目の前に立ち塞がった別の騎士をも、無造作に地面に沈めた。これでは、ラウドが立てた計画がおじゃんになってしまう。堅固な城から彼らを外へ出す為に、ラウドと黎明騎士団は周到な計画を立て、そして少なからぬ犠牲も出している。あの騎士を、止めなければ。カレルは覚悟を決めると、剣を構えるなり騎士と従者の方へ走った。


 その時。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る