一匹狼は意外に 2
「大丈夫です」
帰りましょう。カレルの言葉に、ラウドが頷く。
その時。不意の風に、灰色の靄が混じる。その靄の影に視界を奪われた次の瞬間、乗ろうとしていた馬も、そして主君であるラウドも、カレルの前から消えていた。
「ラウド、様?」
呆然と、辺りを見回す。森の様子も、先程までとはがらりと変わっていた。秋らしい、色とりどりの葉は消え、白い木肌に黒々とした樹冠の木々が、ただ静かに立っているのが見えるだけ。枯れかけていたはずの下草も、風にそよぐことなく青々としている。そして、カレルを包んでいるのは、静寂のみ。
「ラウド様!」
心細さを追い出す為に、主君の名を呼ぶ。しかしその声は、不気味な木々の影に吸い込まれるように消えた。
「ラウド様!」
それでももう一度、主君の名を呼び、辺りを見回す。ラウドの姿は、どこにも見えない。どこに行ってしまったのだろう。狼狽のまま、カレルはそれでもラウドを捜す為に一歩、踏み出した。
その時。静寂を破る風切音に、はっと身を捻る。次の瞬間、左頬を掠り抜けた鋭さと、右足から全身に走る痛みに、カレルは身を捩ったまま地面に倒れた。僅かに顔を上げ、足の方を見る。カレルの右太股に突き刺さり震える太矢の向こうに赤色の服が見え、カレルは唇を噛みしめた。赤色の上着と黒のマントは、古き国の騎士達の制服。知らないうちに何故か、敵方に囲まれてしまっている。
「こんなところにまで、侵入者か?」
弓を持つ細身の従者を二人従えた、黒色のマントを翻す大柄な騎士が、逃げようと腕を動かすカレルの胴に剣の切っ先を突きつける。ラウドは、無事だろうか。それだけが、カレルの心配事。
「小物なら、捕虜にしても仕方無いが」
「しかし何の為にこの森に入り込んだのか、聞き出す必要がありますね」
鎧を着けていないカレルの腹を刺す真似をした大柄な騎士を、弓を持った従者の一人が窘める。
「しかし我々は、食料を狩る為にここに来たのだが」
そう言いながら、それでも、主人らしい大柄な騎士は、従者の一人が肩に掛けていた荒縄を受け取ると、カレルの身体を乱暴に縛った。
次の瞬間。
「痛っ!」
「何だっ!」
幾つもの石礫が、カレル達の方へ飛んでくる。
「くそっ、一人ではなかったかっ!」
そう叫ぶなり、大柄な騎士はカレルの方に唾を吐くと、剣を構えたまま、石礫が投げられたであろう方向に走った。その後に、二人の従者も続く。後に残ったのは、縛られて動けないカレル。
「カレル」
そのカレルの耳に、予想される人物の声が響く。顔を上げると、騎士達が向かったのとは九〇度違う方向に、ラウドの顔が見えた。
「動ける?」
腰の短剣で素早く荒縄を切り、カレルをその小さな背に背負うラウドに、カレルが覚えたのは、怒り。
「ラウド様!」
蛮行としか思えないラウドの行動に、カレルはラウドの背を突き飛ばすようにしてラウドから身を離した。
「こんな無茶をしないで、一人で逃げ……」
尻餅をつきつつそう、叫んだ、次の瞬間。仰向けに倒れるラウドに、息が止まる。何とか腕を伸ばして支えた、ラウドの左肩には、太い矢が震えていた。
「ラウド様!」
左肩に右手を当てて、呻くラウドに、思わず叫ぶ。
「大丈夫」
血の気を失ったラウドの唇が動く前に、尻餅をついたままのカレルの前に複数の影が立った。
「全く、変な計略を使いやがって!」
どこか悔しさを滲ませた声で、大柄な騎士がラウドの襟を乱暴に掴む。
「ラウド様!」
思わず叫んだカレルの言葉に、大柄な騎士は一瞬動きを止め、目を閉じて荒く息を吐くラウドをまじまじと見つめた。
「こいつは、まさか……」
止めるカレルの腕を難無く振り払った大柄な騎士の腕が、ラウドの左肩に刺さった矢を乱暴に抜き、ラウドの上着を裂くように脱がせる。露出した、矢傷から流れる血に染まった左肩に動く、新しき国の王の血を受けた者の証である獅子の痣を確かめるなり、敵方の騎士は低く笑った。
「獅子王の異母弟が、手に入るとは」
この者を人質にすれば、先頃獅子王に捕らえられた『竜』騎士団の副団長を取り戻すことができる。大柄な騎士の言葉に、カレルは身の震えを止めることができなかった。自分の所為で、ラウドの身を危険に曝すのみならず、せっかく削った古き国の戦力も回復させてしまう。そんなことは、させない。しかしカレルが伸ばした腕は、またも大柄な騎士に難無く振り払われた。
「こいつも、……一応連れて行くか」
何もできず、呆然とするカレルに、大柄な騎士が嘲笑を浮かべる。時期を、待つしかない。怒りと、無力さを、カレルは何とか飲み下した。
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