一匹狼は意外に 1

 足場の悪い岩山を登り切ってやっと、目的の光景が目に入る。


「まだ、遠いですね」


 そう言って、カレルより一歩先に岩山へ登った主君ラウドの方を見る。カレルの言葉に、ラウドは静かに微笑んだ。


「うん。でも、……近くなった」


 霧に霞んだ荒れた草地と、その荒野の真ん中に唐突に生え出でているように見える峻険な山々が、カレルの視界に映る。その風景の中にある、円状に広がった壁のような山々に守られている小さくも頑丈な街と城に、カレルはふっと息を吐いた。あれが、『古き国』の女王が住まう王都。


 『新しき国』の第二王子であるラウドと、彼が率いる黎明騎士団が前線で戦い始めてから、三年の月日が経つ。その三年の間に、新しき国の最前線は、古き国の王都を臨むことができる位置にまで達していた。二年ほど前に大陸を襲った流行病により、ラウドの父母を含む多くの者が命を落としたが、それでも何とか、ここまで来ることができた。口の端が歪むのを感じ、カレルは静かに俯いた。


「もうそろそろ、戻りましょう」


「うん」


 ラウドも、カレルと似たようなことを感じていたらしい。帰還を促すカレルの方を振り向いたラウドの頬は涙で濡れていた。


「ごめん」


 カレルの表情に気付いたのか、ラウドが慌てたように両手の甲で頬を擦る。その仕草が微笑ましい。


「良いのです」


 そう言って、カレルは静かに微笑んだ。


 危なっかしげに岩山を降りるラウドに手を貸しながら、もう一度、これまでのことを思い返す。総力戦から各個撃破へと作戦を切り替えた新しき国の新王、獅子王レーヴェは、まず、大陸南西に領土を持つ古き国の有力な貴族、隼辺境伯の領土と古き国の王都への道を占拠し、伯と女王との連携を絶った。隼辺境伯と女王との関係は上手くいっていないという噂通り、古き国とその支配者である女王と切り離されても隼辺境伯ローレンス卿は平然と自領に籠もったままであったし、女王側の勢力も減少したとは言えなかった。だが、隼辺境伯領と古き国を切り離すという獅子王レーヴェの作戦と大陸を襲う流行病に古き国の騎士達が気を取られている間に、ラウド率いる黎明騎士団や他の小規模な新しき国の騎士団は細々と、レーヴェの命に従う形で古き国の北側にある領土の蚕食を始めていた。その小さな侵攻に対応する為に古き国の騎士達の殆どが北側に集まった好機を逃すことなく、レーヴェは、古き国の王都と新しき国との丁度真ん中にある、鹿辺境伯の広大な領土を謀略で以て占領した。レーヴェが仕掛けた囮に騙された鹿辺境伯と彼が率いる騎士達、そして鹿辺境伯の弟が団長を務める狼騎士団所属の騎士達は、前日の雨で泥濘んだ湿地に誘導され、抵抗する間も無く皆殺しにされたという。


 古き国の勢いは、着実に衰えている。先程見下ろした灰色の王城を思い出し、僅かに口の端を上げる。もう少し。もう少しすれば、レーヴェの身代わりとして女王の呪いに苦しみ続けているラウドを、解放することができる。もう一度、主君であるラウドを見つめ、カレルは静かに微笑んだ。


 そのラウドの、両腕に巻かれた包帯に目が留まり、息を吐く。兄であり、主君でもあるレーヴェに忠実に付き従い、冷徹に戦略を練り、勇猛に戦い、しかしか弱きものへの配慮は怠らない。騎士の鏡であるラウドのことは勿論敬愛しているが、それでも、彼の時折の無謀な行動には、当惑と怒りを覚えてしまう。腕の怪我も、ラウドの完璧な計略を無視した味方の騎士団が窮地に陥ってしまったのを助ける為に無茶をして、傷付いたもの。そのラウドの向こう見ずの行動のおかげで、味方の騎士団は古き国側の大将――女王を守護する『竜』騎士団の副団長であると後で分かった――を生け捕ることができ、主君である獅子王レーヴェから褒美をもらっている。しかしラウドにも、黎明騎士団にも、何も無し。それが、何となく、悔しい。「立てた計略に無理があった」ということでラウドの方は納得しているようなのだが、それでも。少し汚れてしまったラウドの、両腕に巻かれた包帯をもう一度見つめ、カレルは溜息をついた。


 そして。懸念が、もう一つ。初陣の時にラウドが用い、今では新しき国の主要な戦略となっている『各個撃破』に、どうしても違和感しか覚えない。古き国と新しき国では、戦力に多大な差があったことは、理解している。だが、敵とはいえ、一人の騎士に多勢で攻撃を仕掛けるのは、どうなのか? 騎士として、卑怯なやり方ではないのか?


「一匹狼は、意外と弱いんだね、カレル」


 不意に、カレルの耳に、小さなラウドの声が響く。


「何でもない。忘れて、カレル」


 思わぬラウドの言葉に顔を上げたカレルに、ラウドは小さく笑った。


「帰ろう。あまり遅くなると、皆が心配する」


「はい」


 ラウドの言葉に、カレルはこくんと、頷いた。


 その後は言葉も無く、近くの木に繋がれた馬のところまで戻る。


「また背が高くなったね、カレル」


 馬の手綱を解きながらのラウドの言葉に、カレルははっとして、カレルを見上げている灰色の瞳を見つめた。確かに、顎を引かなければラウドの瞳を見ることができなくなっている。この前までは、首を少し動かすだけでラウドと目を合わせることができたのに。カレルの胸に去来したのは、悲しさと、……申し訳なさ。女王の呪いの所為なのだろうか、ラウドの背は初陣の頃から全く変わっていない。いつまでも小さい、少年のまま。胸の痛みを覚え、カレルは無意識に首を横に振った。


「カレル、大丈夫?」


 そのカレルを覗き込むようにして見つめるラウドの、心配を宿した瞳に気付き、再び首を横に振る。気付かれては、いけない。この主君にこれ以上の心労を掛けるわけにはいかない。カレルは無理に笑顔を作った。

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