その少女は 1
空きっ腹に響く、夕餉の匂いに、息を吐く。
〈規則正しい騎士団だな〉
閉じ込められている部屋の、格子付きの天窓から落ちてくる夕刻の光を確かめてから、リュングは思わず微笑んだ。
ベッドの横にある棚の上に乗ってやっとリュングの指が届く高さにあり、逃走には向かない天窓だが、それでも、入ってくる光や音で大体の事は分かる。朝はまだ暗いうちから鍛錬に精を出す足音が聞こえ、すっかり明るくなってからは辺りを掃き清める音と埃が入ってくる。掃除の後は少しだけ静かになるが、食事の後は再び鍛錬の音で騒がしくなる。そして夕食の後は、次の朝まで何も聞こえてこない。リュングの所属する、『古き国』の『狼』団も、鍛錬の厳しさでは群を抜いている。しかしここまで規律が行き届いていただろうか。ある程度の怠惰さは、あったように思う。そこまで考え、リュングは一人、笑った。もう、あの場所へは、帰れない。リュングと狼団、双方で裏切ってしまったのだから。
リュングが今、緩いながらも囚われている場所は、古き国に敵対する『新しき国』に新しくできた『黎明騎士団』の本拠地。古き国と新しき国との国境近くにできたその騎士団について調査するよう命じられ、リュングは自分の隊を率いて国境近くのこの地に来た。だが、不意を突かれ、黎明騎士団の騎士達に追われる間に、隊はばらばらになってしまった。いや、国境を越える時には既に、隊は精神的に崩壊していた。その理由は、呪いを使う女王に、リュングが異を唱え続けていたからだろう。そこまで考え、リュングは薄く笑った。前の女王が新しき国の王を呪った時には、王ではなくその弟が倒れた。現在の女王リュスの呪いは、王にも王太子であるレーヴェにも、殆ど何の影響も及ぼしていない。そんな呪いに頼るのではなく、もっと別の方法を模索すべきだ。そう言いたかった、だけなのに。
考えることが面倒になり、転がっていたベッドから上半身を起こす。
「失礼します」
不意に濃くなった夕餉の匂いを嗅ぐ間も無く、朝夕の二回、食事を持ってきてくれる細身の少女が、リュングを見て僅かに腰を屈めるのが、見えた。
普段と同じように、ベッド側の棚の上に食事の乗った盆を置く少女を、見るともなしに見つめる。茫洋としているように見えるが、目は、油断していない。細身だが俊敏そうな身体も、鍛えれば伸びる。少女を見る度に脳裏を過ぎっていたその思考のまま、ベッド側に用意していた、箒の柄を加工した短い棒を、リュングは素早く手にするなり少女の胸を突くように押し出した。突然の攻撃を、少女は身を屈めるようにして躱す。そして驚いた大きな瞳を、リュングの方に向けた。その少女に、もう一度、手の中の棒を素早く繰り出す。その攻撃を軽々と避けた少女に、リュングは笑って棒の軌跡を変えた。
「痛っ!」
リュングの予測通り、方向を変えた棒は少女の左肩を強く突く。突かれた左肩を押さえた少女は、それでもリュングの方を向いてにこりと微笑むと、何事もなかったかのようにリュングが閉じ込められている部屋を去っていった。
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