様々な感情を 10

 埋み火になってしまった暖炉の炎と、その炎が映し出す暗い空間に、息を吐く。火箸で熾をつつくカレルの肩には、ラウドの少し冷たい頭が置かれていた。


「もう遅いですから、ベッドで休まれた方が良いですよ」


 カレルの言葉に、ラウドが首を横に振る。ラウドの太い髪が服を抜けて皮膚に当たる、そのこそばゆい感覚に、カレルは笑ってラウドの膝に自分の膝のマントを掛けた。


 ミトが暮らす、国境沿いの村。その村の長の家の一室で、カレルはラウドとともに休んでいた。


 イルとのチェス勝負に打ち勝ち、イルの騎士達を無事に借りることができたラウドはすぐに、守り役であるクライスをも伴い、十名の盗賊が占拠したという国境沿いの村へと向かった。村の側の林に辿り着いたラウドは即座に、クライスに村の様子を調べさせ、次の薄明を待って、クライスから厳しく武術指導を受けていたレットと、イルから借り受けた騎士の中で一番俊敏な者に、見張りの盗賊達を掠ってくるよう、指示した。仲間が消えたことで疑心暗鬼に陥った盗賊達を捕らえることは、機を味方につけた騎士達には簡単なこと。ミトを助けてから全ての盗賊を捕らえるまでに掛かった時間は、一日とちょっと。味方の損害は、ほぼ無し。そのような作戦を立てた、主君であるラウドに、カレルは尊敬の念を新たにした。


 と。


「まだ、ここにいたのですか、坊ちゃま」


 クライスの優しい声に、ラウドがカレルの肩から頭を上げる。


「傷に障ります。早くベッドにお入りください」


「うん」


 動きたくないほどに疲れているのか、クライスに諭されても、ラウドは再びカレルの肩に頭を乗せる。そのラウドを抱き上げようとして、クライスはカレル達の側にしゃがんだ。


「セナ殿から、聞きました。イルの奴が、母上様を侮辱したと」


 何時になく怒りを帯びたクライスの声が、カレルの耳に響く。顔を上げると、暖炉の埋み火の方に顔を向けたクライスの、暗い瞳が見えた。


「ルチア様は、……現獅子王陛下の正妃になるお方でした」


 少しの躊躇いの後、クライスが静かに言葉を紡ぐ。


「ですが、現王陛下の兄君が戦死なされたので、現王陛下は兄君の婚約者であった方を正妃に迎えたのです」


 ラウドの母、ルチアは、獅子王を守る近衛騎士の一人だった。ルチアの母も、祖母も、獅子王の側で古き国と戦っていたから、ルチアも何の躊躇いも無く近衛騎士になり、その勇猛で冷徹な戦い方から『戦乙女』と呼ばれるようになった。そして、その戦いぶりを、まだ第二王子であった現王が見初め、前の獅子王の許しを得て二人は結婚の約束をした。だが、王太子であった第一王子が戦場で斃れ、第二王子が王太子となった為に婚約は白紙に戻る。それを哀れんだ前の獅子王はルチアを第三王子と婚約させた。しかし、古き国の女王が新しき国の王家に向かって放った呪いを肩代わりするという決心を固めていた第三王子はその婚約を拒み、レーヴェを産んだ後の正妃の体調不良を理由にして、将来を担う子供を増やす為にルチアを副妃として迎えるよう、兄を諭した。


「ですから、ルチア様が二人の王子を手玉に取ったなど、誹謗中傷でしかないのです」


 セナの砦に戻り次第、イルは成敗しておきます。本気の怒りに満ちたクライスの声に、ラウドは微笑んで首を横に振った。


「イルは、放っておいていい」


「ですが」


「ああいう人は、そのうち自滅する」


 何時になくはっきりとしたラウドの声に、無意識に背筋が震える。そっと首を動かすと、微かに口の端をあげたラウドの顔が、埋み火の小さな光を反射していた。


「分かりました」


 頷いたクライスが、ラウドの身体を持ち上げる。


「もう、眠ってください、坊ちゃま」


 暖炉から少し離れたベッドの上に、クライスはラウドの華奢な身体を置いた。


 その時。部屋に入ってきた小さな影に、はっと顔を上げる。


「ラウド、もう、寝たの?」


 続いて聞こえてきた、小さいが高い声に、カレルはほっとして緊張していた身体を弛緩させた。


「まだ、寝てないよ」


 部屋に入り込み、ベッド横に立ったミトに、ラウドが微笑むのが、見える。


「私を、あなたの側に置いてほしい」


 次に聞こえてきたミトの言葉に、カレルは別の意味で緊張した。


「何故?」


「私と、私の村を助けてくれたから、恩返しがしたい」


 静かなラウドの質問に、ミトの簡潔な答えが返ってくる。


「この者の父は、流れの騎士だったそうですよ、坊ちゃま」


 村を占拠した盗賊と独り戦い、亡くなったそうですが、一人娘のミトに毎日厳しく武術を叩き込んでいたそうです。村長が話してくれたというその言葉を、クライスはそのままラウドに告げた。


「分かった」


 緊張からか、唇をきゅっと引き結んだミトに、ラウドが頷く。


「明日、一緒に砦に戻ろう」


「ありがとう」


 薄い唇を綻ばせたミトに、カレルも自分のことのように嬉しくなった。


 そうか。ふと、ある閃きが脳裏をよぎる。今からでも少しずつ、ラウドの味方を増やしていこう。それが、ラウドが古き国を打ち倒す為の、力になる。そこまで考えた、カレルの心は、微かな、しかし無視できない痛みに呻いていた。

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