様々な感情を 9

「……盗賊が、村に居座っているのですね」


 カレルとラウドが塔の上から見つけ、支えるように砦に運び込んだのは、まだ幼い少女。ミトと名乗ったその少女から、少女の暮らす村が盗賊に襲われたことを聞いたセナが小さく息を吐く様を、カレルはじれったく見ていた。カレルの横に立っているラウドの身体は、明らかに震えている。息を吐いて気持ちを落ち着けようとしているラウドの腕を、カレルはそっと掴んだ。


「盗賊を追い払うことは、できないのですか?」


 そのカレルの方を見ることなく、ラウドが急いた言葉でセナに尋ねる。


「この砦には、戦力は無いのですよ」


 帰ってきたセナの言葉は、ラウドとカレルを落胆させるに十分だった。


 少女の村に居座る盗賊は、十名。セナの砦にいる者の中で、戦うことができるのは、ラウドの守り役であるクライスとその従者、そして見習い騎士であるレットのみ。武術訓練を受けているラウドとカレル、そして多少の戦闘系魔術を嗜んでいる、今は薬を取りに王都に戻っているレギを含めても、圧倒的にこちらが不利。唇を噛んで俯くラウドを、カレルはそっと見やった。


 その時。


「国境沿いに不穏な動きがあるようですね」


 傲岸な声とともに、立派な鎧を身につけた人物が、ラウドとカレルがいるセナの執務室に入ってくる。


「イル」


 その鎧の人物の後ろに従う、鎧を着た戦士達を認めるや否や、ラウドはイルに頭を下げた。


「お願いです、イル、この子の村を助けてあげてください」


「頭を上げてください、ラウド様」


 丁寧だが、傲慢さを崩さない声でそう言うと、イルはラウドを見、そしてセナの側にいた少女を鋭く睨んだ。


「助けるのは、良いのですが」


 少女を睨んだまま、イルが言葉を紡ぐ。


「その村は、古き国の領内にあるようですね」


 イルの指摘に、カレルははっとして震える少女を見た。


「いたずらに騎士達を連れて行って、面倒なことにならなければ良いのですが」


「そんな!」


 古き国の領内にあるとはいえ、古き国を支配する騎士達は国境沿いの寂れた村を訪れない。古き国に助けを求めるよりも、敵ではあるが新しき国に助けを求めた方が、助かる可能性は高い。そう判断した村長は、ミトを、新しき国に通じる森の方へ逃がした。助けを呼んでくるよう、諭して。泣きながら訴えるミトの声に、カレルの全身は震えた。何とか、しなければ。しかし、今の自分には、……何もできない。


 と。


「そうですね」


 おもむろに部屋を横切ったイルが、セナが座る机の上に置かれていたチェス盤を持ち上げる。


「ラウド、あなたが私に勝ったら、騎士達を貸してあげましょう」


 そう言って、イルはラウドの側にある応接用のテーブルの上にチェス盤を置いた。そして。


「その代わり」


 イルの言葉に頷き、テーブルの側に腰を下ろしたラウドに、イルが嫌な笑みを浮かべる。


「私が勝ったら、あなたに一つだけ、私の言うことを聞いてもらいましょうか」


「何、ですか?」


 そのイルをただ静かに見つめたラウドに降ってきたのは、傲慢な言葉。


「あなたに、王になっていただく」


「イル!」


 無表情になったラウドの代わりに、セナが鋭い声を上げた。


「あなた、は」


「良いではないですか、兄上」


 青白い顔に血の気を這わせたセナに、イルはあくまで傲岸に笑いかける。


「少なくとも、戦を終わらせることすらできないあの無能な王と、従者達を理由無く苛める王太子にこの国を委ねるよりは、ましでしょう」


 主君を貶すイルの言葉に、部屋がしんと静まりかえる。その静けさに満足したのか、イルはおもむろにラウドの向かいに腰掛けた。


 不気味な静けさの中、駒をチェス盤に置く音だけがやけに大きく響く。表情一つ動くことのないラウドの、何時になく青白い手が駒を動かすのを、見ていることしかできない。無力感に囚われながらも、カレルは主君であるラウドを見守った。


「わざと負けて、王になっても良いのですよ、ラウド」


 不意に、イルが、やけに大きな声を出す。


「あなたの母の出自では、本来なら、あなたが王になることは不可能なのですから」


 イルの言葉に、ラウドの手は一瞬だけ、止まった。


「あなたの母は、王に仕える戦乙女、といえば聞こえが良いのですが、まあはっきりいえば、騎士達に自由にその身を任せる娼婦でしてね」


 それでも、表情を変えることなく、駒を動かしたラウドに、残酷なイルの言葉が降り注ぐ。


「しかも、あなたの母は、王弟殿下を騙して婚約を取り付けた上に、王弟殿下が亡くなると現王に鞍替えした。二人の王族を手玉に取った妖婦なのですよ」


 イルに飛びかかりそうになったカレルの腕を、知らぬ間にカレルの後ろに立っていたセナが強く掴んだ。


「だめです、カレル」


「しかし」


 王や王太子殿下のみならず、ラウドの母である副妃をも侮辱するイルを、許しておけというのか。身体中を支配する怒りに、カレルはセナの腕を強い力で振り解いた。


「ラウドを見なさい、カレル」


 しかしながら。あくまで冷静なセナの声に、はっとしてラウドを見る。先程よりも血の気が失せたように感じるラウドの顔には、何の表情も無かった。ただ静かに、チェスの駒を動かしているだけ。そのラウドを見ているうちに、カレルの中でくすぶっていた怒りは少しずつ消えていった。


「ラウド様……」


 今は、ラウドとイルの勝負の行方を、見守ろう。心の中で、独り頷く。イルの顔が上気し始めたのは、そのすぐ後、だった。


「こ、これは……」


 立ち上がり、チェス盤に指をかけたイルを、ふわりとイルの横に立ったセナが制する。


「負けたからといって、チェス盤をひっくり返すのはみっともないですよ、イル」


 静かな空間に響くセナの声に、カレルはほっと息を吐くなりラウドの胸に飛び込んだ。


「ラウド様!」


 冷たくなってしまったラウドの身体を、ぎゅっと抱き締める。


「うん」


 ラウドは小さくそれだけ言うと、顔を上げ、傲岸さを崩さないイルを見つめた。


「約束です、イル。騎士達を、貸してください」


「良いですよ」


 投げやり気味のイルの声に、ラウドとカレルは同時に安堵の息を、吐いた。

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