様々な感情を 8

 その夜。


 うとうとと眠りに落ちようとしたカレルは、しかし、隣のベッドから抜け出す影に気付き、ぱっと飛び起きた。


「どこへ行くのですか、ラウド様?」


 小さな窓から入ってくる月明かりが、ラウドの青白い顔を静かに照らす。カレルに止められたラウドは、カレルを見、静かに首を横に振った。


「眠れないんだ」


 少し、外の空気を吸ってくる。そう言って、寄宿している砦の客用寝室から抜け出したラウドに、ただ静かに従う。眠れない理由は、分かっている。敬愛する兄を苦しめる、古き国の女王が放つ呪いを肩代わりする術を見つけたにもかかわらず、その術を実行することができないやるせなさ。しかしまだ幼いラウドには、古き国を打ち倒す力は無い。もう少し大きくなれば、父王から一隊を預かることがあるのかもしれないが、それは、今すぐのことではない。砦の廊下を蹴るラウドを、カレルは悲しく見つめていた。


 闇雲に歩くうちに、古ぼけた小さな扉の前に出る。ここは、確か。


「塔、だね」


 ラウドの口の端が、僅かに上がる。


「入ってみる? カレル」


 カレルが頷く前に、ラウドは昼間覚えた鍵開けの呪文を扉の錆び付いた鍵に向かって唱えた。


 かちゃりという小さな音とともに、立て付けの悪い音を立てて扉が開く。扉の向こうに見えた空間の暗さをものともせず、ラウドとカレルは埃の積もった螺旋階段を上り、塔の一番上に設えられたテラスまで辿り着いた。


「うわぁ」


 塔壁に穿たれた狭間から外を見たラウドが歓声を上げる。


「森、広い」


 ラウドの隣の狭間から、ラウドと同じ風景を見る。砦の周りを囲む森は、暗闇と同じように静かに佇んでいた。


「イルの拠点だと言っていた町も、王都も、見えないね」


 ラウドの言葉に、こくんと頷く。昼間ならば、森の中を走る街道や、森の端にある、砦に食料を供給してくれる村々が見えるのだろう。しかし星明かりでは、時折思い出したように風に揺れる木々の梢しか、見えない。それでもラウドには物珍しいらしく、カレルが狭間から顔を離しても、ラウドは狭間に顔をつっこんだままだった。


 そしてそのまま、時が過ぎる。星空は少しずつ白み、そして東の空に、明るい輝きが見えてくる。夜明けだ。狭間から差し込んでくる温かな光に、カレルはほっと息を吐いた。


「綺麗だね」


 昇り来る太陽に、ラウドがほうと息を吐く。


「もうそろそろ、ここを出ておきませんと」


 まだ狭間に顔をつっこんだままのラウドの腕を、カレルは強く引いた。


「勝手に塔に登ったことがばれたら、セナに怒られるかもしれません」


「……そうだね」


 カレルの言葉に、ラウドは渋々、狭間から顔を離す。だが。


「あれは!」


 鋭いラウドの声に、カレルもラウドとともに狭間をのぞき込む。丁度森から出てきた、ぼろぼろの小さな影に、カレルは思わず息を飲んだ。

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