様々な感情を 7

 イルの言葉通り、静養先であるセナ所有の砦には、本が天井まで収められた本棚を持つ図書室があった。そして、砦に到着した日から、ラウドはずっとその図書室に閉じ籠もった。


「少し外に出ないと身体に毒ですよ、ラウド様」


 根を詰める様子が気になり、守り役であるクライスが口にしたことをそのまま使ってラウドを諭す。しかしながら。ラウドが図書室に籠もる理由を、カレルは薄々察知していた。


「見て、カレル」


 ある日のこと。少し古ぼけた小さい本を手にしたラウドが、何時になくきらきらした瞳でカレルにその本を示す。


「ちょっとした魔法呪文の本」


 ラウドがカレルに見せた、革表紙の薄い本には、大きめの字で細々とした魔法が記されていた。


「子供用の魔術練習本ですよ」


 ラウドが気儘に本を漁るのを、図書室の閲覧机の向こうから黙って見ているこの砦の主、セナの静かな声が、カレルの耳に響く。


「大人にも、使えるでしょうね」


 魔法を使うことができるかどうかは、その人が持っている適性による。しかし適性の少ない者でもレベル1の魔法ならば使えるように工夫された方法が、この本には記されている。セナの言葉に、カレルはラウドが開いたページをまじまじと見つめ、そこに載っていた、怪我を回復させるという呪文を小さく口にした。だが、期待に反して、カレルが翳した掌からは小さな光すら出てこない。


「適性が全く無い。そういうことですね」


 はっきりと事実を述べるセナの言葉に、カレルは肩を落とした。回復の魔法を使うことができれば、レギのように、ラウドの怪我を治すことができるのに。カレルと同じ呪文を唱えたラウドの掌がぼうっと光ったのを見て、カレルは大きく息を吐いた。


「魔法の盾は要るよね」


 そのカレルの気持ちには全く気付いていないラウドの方は、次々と、ページをめくってはそこに書かれている呪文を片端から試している。


「鍵の開け閉めとかも、面白そう」


 呪文を確かめる為だろう、そう言いながら、ラウドは本を手に、図書室の扉へと向かった。


 扉の鍵に手を翳し、呪文を唱えるラウドを見つめる。扉ではなく、その隣から聞こえてきたカチャリという音に、カレルははっとして音の方へと首を向けた。


「何?」


 同じ音を、ラウドも聞いていたらしい。きょとんとした顔で、音がした方向を見つめる。そしてすぐに、ラウドは床にしゃがみ込むと、扉横の本棚の隙間にその太い指を引っかけた。ラウドの指が、隙間をぐいっとこじ開ける。その隙間に入っていた小さい本をラウドが取り出すなり、知らぬ間に二人の側に立っていたセナがラウドの手からその本を取り上げた。


「これは、だめです!」


 初めて聞く、セナの鋭い声に、思わずたじろぐ。


「何故ですか?」


 しかしラウドは、その真っ直ぐな灰色の瞳で、セナをじっと見つめた。


「……この、本は」


 一つ息を吐いてから、セナは本をラウドに渡す。


「あなたが探していた本ですよ、ラウド」


 セナの言葉に、ラウドの瞳は大きくなった。


 急いた様子で頁を開くラウドの横から、その本を覗き込む。呪いの掛け方、悪しき感情を相手に向ける術とその感情を躱す術、そして。


「あ、あった!」


 ある頁を開いて微笑むラウドに、心の痛みを覚える。ラウドが開いた頁に書かれているのは、呪いを肩代わりする、術。王太子レーヴェの為に、ラウドが必死になって探していたもの。


「呪いを掛けられている人の持ち物、は、レーヴェにもらった真珠貝の欠片があるから、あとは……」


 羊皮紙に刻まれた文字を指でなぞりながら、小さな声でラウドが呟く。


「この呪文は、……強い魔力を持つ者にしか使えない」


 次に出てきたラウドの溜息に、カレルはほっと胸を撫で下ろした。だが。


「セナ、さん」


 そこで諦めるラウドではない。


「手伝って、もらえませんか」


 手にした本をセナの方に向けたラウドに、カレルは再び溜息をついた。


「今は、できません」


 期待に満ちた目をセナに向けたラウドに、セナは小さく首を横に振る。


「古き国を打ち倒さない限り、女王の呪いはずっと王家に付いて回るのですから」


 セナの言葉を理解できず、思わず首を傾げる。カレルと同じように首を傾げたラウドは、しかしすぐにセナを見つめ、そしてうなだれた。


「私が呪いを肩代わりしたとしても、無駄だということですね」


 震えを帯びた、ラウドの小さな声が、カレルを俯かせる。


「古き国を、打ち倒さない限り、叔父上と、同じ道を辿る、だけ」


「そうです」


 そのラウドを諭すように、セナが言葉を紡いだ。


「あなたに必要なのは、古き国を打ち倒す力。その力を得た時に、呪いの肩代わりの件はまた考えましょう」


 セナの言葉に、渋々ながら頷くラウド。そのラウドに、カレルは胸を痛めながらもほっと胸を撫で下ろした。

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