様々な感情を 6
次の日。
カレルはラウドとともに、クライスが用意してくれた幌無しの荷馬車に乗っていた。
「乗り心地はどうですかな、ラウド坊ちゃま」
荷馬車の横に馬を並べた老騎士クライスが、ラウドとカレルを見て声を上げる。
「傷は、痛みませんか?」
「大丈夫です、クライス」
クライスが用意した柔らかな敷物の上にちょこんと座ったラウドは、それでも不安を隠せない顔色で微笑んだ。今日初めて、ラウドは父母から離れて一人で遠くに行く。その不安が、顔に出ているのだろう。少しだけ俯いたラウドの手を、カレルはそっと握った。
「セナ殿の砦までは一日で着きますから、幌は要らないでしょう」
そのラウドを元気づけるように、クライスが大きく笑う。
「領地が東西に細長いから、イル兄が拠点とする町までは、そこから更に二日掛かるけどな」
クライスの言葉を引き継いだのは、まだ少年にしか見えない、騎士。イルの弟、レットだと、王都を出る前に名乗っていた。
「大丈夫ですよ、ラウド」
不意に、カレル達と一緒に荷馬車に乗っていたレギが、カレルが掴んでいない方のラウドの手に自分の手を乗せる。
「レーヴェが、王太子殿下が落ち着きを取り戻し次第、王都に戻ることができますから」
そして。レギの小さな声に、カレルははっとして俯くラウドを見つめた。そうか、ラウドが不安そうに見えるのは、王都を離れて見知らぬ場所に行くから、だけではない。敬愛する兄、レーヴェから離れてしまうことに対しても、悲しみに似た想いを持っているから、だ。
もう一度、ラウドをそっと見やる。
「はい」
レギに対して頷いた、震えるラウドの、それでも毅然とした返答に、カレルはほっと息を吐いた。
「そう言えば、ルチア様が何か食べるものをたくさんくださいましたね」
ラウドの気分を変える為に、殊更元気な声を出す。ラウドの側にあった袋に手を突っ込むとすぐに、堅い塊が指に触れた。布にくるまれたその塊を、そっと引っ張り出す。清潔な布包みを開くと、黄金色の平たい塊が、カレルの膝の上に現れた。
「母上のビスケットだ」
その塊に、ラウドが歓声を上げる。
「これすっごく美味しいの」
そう言って、ラウドは荷馬車側を馬に乗って走るクライスにその包みを差し出した。
「クライスは、これ、知ってるよね」
「もちろんですとも」
ラウドの守り役であるクライスは、ラウドが生まれる前はラウドの母である副妃ルチアの配下として、戦場を駆け巡る戦乙女であったルチアを戦場で守護していたらしい。懐かしいですな。包みからビスケットを一つ取って食べたクライスの声に、ラウドはにこりと笑った。
「レットも、どうぞ」
ラウドは更に、手の中の包みを、荷馬車を御すクライスの従者に差し出してから、荷馬車を挟んでクライスの反対側を走っていたレットの方へ差し出す。
「レットの従者さんも、どうぞ」
しかしラウドの声が聞こえなかったのか、レットの後ろを馬で走る、レットと同じくらいの年格好の従者は前を向いたまま、馬を走らせていた。
「遠慮しなくて良いぞ、ジェイ」
その従者に、首だけを後ろに向けたレットが気安く声をかける。
「たくさんあるし、堅いけど旨いし」
「はい」
そのレットに頷いた、レットの従者ジェイが、馬車の側までそっと馬を近づける。ラウドから受け取ったビスケットを一口かじったジェイの瞳が丸くなる様と、そのジェイを見て微笑むラウドとを、カレルは嬉しく見つめていた。そして。
「あの、……もう一つ、いただけませんか?」
遠慮がちなジェイの声に、ラウドは笑って布包みを差し出す。ラウドの手から受け取ったビスケットを、ジェイはそっと、鎧の上に身に着けたポーチにしまった。
「食べないの?」
そのジェイに、ラウドが首を傾げる。
「あ、の」
ラウドの問いに、ジェイは訥々と、答えた。
「妹、に、食べさせて、あげたくて」
「なら」
ジェイのその言葉に、ラウドは口の端を上げ、減ったビスケットが乗る布包みを包み直した。
「これ全部あげる」
「え、良いのですか?」
「うん。また、母上に作ってもらえばいいし」
ラウドの言葉に、ジェイが大きく笑みを浮かべるのが、見える。そのまま、ジェイはラウドが持つ布包みの方へと手を伸ばした。
その時。
「坊ちゃま、伏せて!」
急に止まった荷馬車の揺れに、背中が荷馬車の床に落ちる。クライスの強い声とともに、起きあがったカレルの右頬を鋭い風が薙いだ。矢だ。そう認識するより早く、街道の左側にある森から汚れた服装をした影が次々と、カレル達の方へ向かってくる様が見えた。
「盗賊?」
「こんなところに!」
馬腹を蹴ったレットとジェイが、向かってくる盗賊に剣を向ける。再び飛んできた複数の矢が、レギが作った魔法の防御盾に阻まれるのをカレルが見る前に、荷馬車の中に置いてあった弓を掴んだラウドが鋭い矢を放った。
「ラウド様!」
傷が痛みだしたのか胸を押さえて頽れるラウドの手から、弓を奪い取る。クライスのものらしく弦は固いが、このくらいの固さなら。自分自身の落ち着きに驚きつつ、カレルは弓に矢をつがえると、木々の影に見えた射手の方へその矢を飛ばした。
カレルの矢を受けた敵方の射手が木から落ちる様が、カレルの視界にはっきりと映る。ラウドを守る為とはいえ、行いの結果に恐ろしさを感じてしまい、カレルは荷馬車の床に尻餅をついた。
「カレル」
そのカレルを支えるラウドの身体の温かさに、ほっと息を吐く。
「何とか、退治できましたな」
荷馬車の横にクライスが現れたのは、それから少し経ってから。
「レットとジェイは?」
荷馬車の床から起きあがったラウドに、クライスが森の方を見つめる。すぐに馬を森の方へ進めたクライスに、ラウドも荷馬車から降りた。
「ラウド様、何処へ!」
慌てて、カレルも荷馬車から降りる。胸を押さえながらそれでも走るラウドを捕まえてから、カレルはラウドとともに、馬を下りたクライスが佇む場所へと向かった。クライスの足下に、レットがうずくまっているのが見える。そのレットが抱いているのは。近付くにつれてはっきりと見えてくる光景に、カレルの背は無意識に震えていた。
「坊ちゃま」
見てはだめです。ラウドとカレルに気付いたクライスが、ラウドを制する。しかしラウドはクライスに向かって首を横に振ると、身動き一つしない従者を抱き締めて咽び泣くレットの前に佇んだ。
何も、言えない。ラウドも、レットとその従者を見つめて押し黙ったまま。
「早くセナ様の砦に辿り着かなくては。夕方になればまた盗賊が出てくるでしょう」
そう言って、クライスが自身のマントをジェイの亡骸に掛けたのは、随分と時間が経ってからだった。
森の入り口にジェイの亡骸を葬ってから、再び街道を荷馬車で揺られる。
「レット」
俯いたままだったラウドが顔を上げたのは、木々の間にセナが暮らす砦の円塔が見え始めた頃だった。
「ジェイの、妹さん、知ってる?」
「もちろんです」
ラウドの問いに、赤く瞳を腫らしたままのレットが頷く。そのレットに、ラウドは先程のビスケットが入った布包みを差し出した。
「これ、渡して」
ラウドから布包みを受け取ったレットが、布包みを押し戴いて唇を震わせる。胸が締め付けられ、カレルはそっと、俯いた。
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