小さな背中と 2

 次の日。


 カレルは所在無げに、がらんとした修練場に佇んでいた。


 主君であるレーヴェとその従者達は皆、遠乗りに行っている。しかし馬を持っていないカレルには、供は不可能。留守番も、立派な任務。そう思おうとして、カレルは下を向いた。


 カレルは、『新しき国』と呼ばれるこの国の、辺境を守護する騎士に仕える従者の家に生まれた。貧乏人の子沢山で、みそっかすのカレルはまだ幼い頃に、新しき国の王に仕える近衛騎士の従者となっている、子のいない伯父夫婦に引き取られた。そしてその伯父の命で、王太子レーヴェに従者として仕えるようになった。出仕時の服はお仕着せだが、馬までは、支給されない。伯父の家も、当然実親の方も、カレルに馬を用立てる余裕は無い。そのことが、……悔しく、悲しい。自分は、王太子に仕えていて良いのだろうか。俯くカレルの目から涙が零れ、修練場の木の床に落ちた。


 その時。


 外から聞こえてくる、修練場の壁に何か鋭いものがぶつかる音に、はっと顔を上げる。修練場は、新しき国の王宮の、王が政務を行う『表』と呼ばれる場所と、王がその妻妾とともに生活する『奥』と呼ばれる場所との境目にある。不審な音は『奥』の方から聞こえてくる。誰が何をしているのか、確かめねば。留守番の任務を思い出し、カレルは足の震えを覚えながら修練場を出た。


 音のした、修練場の『奥』側の壁に辿り着いて見えた光景に、ほっと息を吐く。件の第二王子、ラウドが、『奥』の中庭の、修練場がある壁に的を置いて弓の練習をしている、だけだ。何も不審な点は無い。


「カレル」


 雪が降りそうに暗い空の下、自分の背丈とそう変わらない長さの弓を何とか操っていたラウドが、現れたカレルの方を向いて顔を綻ばせる。


「いたんだ」


 従者達は全員、王太子殿下と一緒に冬の枯れ野に遠乗りに行ったと思ってた。ラウドの言葉に、カレルは曖昧に口の端を上げた。馬のことを、聞かれるだろうか。カレルの恐れは、しかしすぐに杞憂に終わった


「『ラウドはまだ小さいから、遠乗りは無理だ』って、つまらない」


 弓を持ったまま、ふてくされたように地面を蹴るラウドに、思わず微笑む。だから、というわけでもないのだが。


「だったら、一緒に弓の練習をしましょう」


 そう言って、ラウドの手から弓を取る。


「良いの?」


 カレルの言葉に、ラウドは目を丸くして弓と矢筒をカレルに渡した。


「だってカレルは、王太子殿下の従者でしょ?」


 ラウドの言葉に、再び曖昧に口の端を上げる。王太子レーヴェの従者にする為に、伯父はカレルを王宮に上げた。しかし、主君であるレーヴェや、レーヴェに従う他の少年達よりもずっと年下で、まだ幼い体格しか持たないカレルは、レーヴェや従者達が行っている厳しい武術訓練にも、楽しげに見える日常の言動にも、ついていくことができないでいた。いつも疎外感を感じていたカレルにとって、時折カレル達の中に混じって武術訓練を受ける、年の近いラウドは、唯一親近感を持つことができる、相手。


 そっと、ラウドの弓を引いてみる。弓の弦が持つ意外な固さに、カレルは驚いてラウドを見た。


「『これくらいから練習しないと強くなれませんよ』って、クライスが言ってた」


 守り役である老騎士の名を挙げて微笑むラウドに、唇を横に引く。自分と同じくらいの年格好のラウドがこの弓を引くことができるのなら、自分だって。カレルが引いた弦は、何とか、的近くまで矢を飛ばした。


「カレル、すごい」


 目を見開いて褒めるラウドの言葉に、顔が熱くなるのを感じる。その感情のまま、カレルはラウドと交互に、練習用の弓を引いた。

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