第2話 殺戮ゲーム

   断章


 同級生の『復讐のゲーム』の話はちょっと面白かった。もし、そんなのが本当にあるんなら、いや、なかったとしても。私が今望んでいることと、それはよく似ている気がした。

「『復讐のゲーム』が開かれればいいのになとも思うよ。悪いことをしたらやっぱりその罰は受けるべきだし」

 電話越しに小学生からの友人に言うと、「相変わらず葉月は正義感が強いんだね」と最初は笑われたが、私が本気で考えていることに気づいて悟すような口調に変わった。

「葉月が罪悪感を持つ必要はないよ。全部葉月がいない間に起きたことなんでしょ」

 旅行サークルの事故。行方不明になった一年生。私はそのサークルの会員だった。そして、その旅行に参加していた。

「でも、私が船酔いで寝込んでなければ、酔い潰れた一年生が一人で海に行って溺れ死ぬなんてこと起こさなかった。私が何としてでも飲ませるのを止めたのに。」

 友人は押し黙る。考えても仕方ない「もしも」ではあるけれど、回避できる可能性はあったのだ。賢明な彼女はそれを否定できない。しかし、肯定もしなかった。

「『復讐のゲーム』もいいけど、人を殺すのが復讐として一番いいとは思えないな」

 どういう意味か問う。

「まずは罪を認めさせないと。何も悪いと思ってない人を殺しても虚しいだけじゃない」

 こう返す友人は多分善人ではない。でも私のことを一番に考えてくれているのは伝わる。

「もし葉月が何が起こったのか報道以上に詳しく知ってるなら、まずは警察に言った方がいいんじゃないかな」

「……ううん、まずはもう一度話を聞いてみる。話せば分かってもらえるかもしれないもんね」

 友人は何か言っていたものの私は心の中で謝りながら通話を切った。そして、いつもサークルの会員が集まっていた会長の家に向かった。



   第二章


「ねえ、そこのお姉さん。僕とお茶しませんか?」

 一体どんな人間がそのような古典的文句を吐くのだろう。ちらりと声のした方を見ると見覚えのある男がいた。笑みを浮かべて余裕たっぷりといった様子でファストフード店のガラスに寄りかかってるのは、この前出会ったゲームマスター、露日だった。

 夕暮れ時の微かな陽光に照らされた髪はこの前見た時よりも紫色に透き通ったような黒色をしている。そして、夏が近付いたからか服はぐっとシンプルになっていた。探偵もどきのチェックコートの姿はなくシャツとズボンだけ。ただ、そのシャツの色は薄い水色で、ズボンには薄いチェックが入っている。

「……どうも」

「たっぷりと観察したわりに素っ気ないじゃないですか。もっと驚いてくれると思ってたのに」

 確かに、彼には住所も所属大学もバイト先も何も言っていない。ピンポイントに最寄駅から自宅までの道に現れるのは怖いというか気持ち悪くはある。

 けれど、別に驚くほどのことはない。自分と同じように『復讐のゲーム』のマスターをこなす人間ならば、前回のゲーム会場や病院のコンビニでバイトしていたという事実、そして他の参加者の素性を使えば生活圏内くらいは絞れただろう。あの日からもう二ヶ月ほど経つが、手当たり次第に張っていればそろそろ出会ってもおかしくないとは思っていた。それに。

「私はきみの高校知ってるから、普通に生活していても会う可能性はゼロではないなと思ってたよ」

「そうですよね。僕もあなたの反応から意外と近くに住んでいるんだろうなとは思ってました。今は大学帰りでしょうが、本屋にも寄ったようですね。何の本です?」

 私はビニールから題名が見える程度本を引き出して見せた。

「ゲームプランナーの入門書ですか。真面目ですね」

「きみは? 何をしていたの」

「だからあなたを待っていたんですよ。それじゃあご一緒してくれますね?」

「もうこんな時間だからお茶よりは食事がいいけど、ここに入るの?」

「いえいえ、もっといい店をご紹介しましょう」

 まるで仲の良い友達のように私たちはスムーズに歩き出す。実際のところ素性の知らない怪しい犯罪者にお互い他ならないのに。

「話をするならさ、前回聞けなかったことを聞きたいな」

「ええ、なんでしょう?」

 何だったか、心理テストだかサイコパス診断だか忘れたが、「非常に起こる確率が低いにもかかわらず飛行機のハイジャックを恐れた人間がいた。さて、その人はやむを得ず飛行機に乗った際に何をした?」という問題があった。その答えは「ハイジャックが起こる確率が低いなら、ハイジャックが二回起こる確率はもっと低い。そう考えた彼もしくは彼女は自分がハイジャックを起こすことでハイジャックに巻き込まれないようにした」というもの。

「きみはさ、なんのために『復讐のゲーム』をやっているの?」

「それを聞くのが僕がここにきた理由でもありました。本当は前置きを長引かせて言いたいことではありますが、ここから先の話をするために白状してしまいましょうか」

 つまり何が言いたいかというと、私は油断していた。自分という犯罪者がいるのだから、その自分が何かに巻き込まれることはないだろうと頭のどこかで思い慢心していた。

 一本路地に入るとダイニングバーと居酒屋と何をやっているのか分からない雑居ビルが立ち並ぶ。その中を悠々と歩く露日。その後ろ姿を追いかけていると、ぐい、と体が進行方向とは逆に引かれた。手を引くなんて生やさしいものじゃない。体を後ろからはがいじめにされ、声を出す暇もなく口元にハンカチを押し付けられた。露日を呼ぼうと無理に大きく息を吸った瞬間。

「僕が、ゲームを作る理由は」

 ぐらりと視界が揺らいだ。まぶたが落ちる。その隙間で、露日がこちらを振り返って驚きの表情を浮かべるのが見えた気がした。


 自分が柔らかい何かに包まれていることを自覚すると、ふっと意識が浮上し感覚がクリアになるのが分かった。頭に重み、腹部には違和感。これは空腹。体は横になっている。ということはこれは布団だ。うちにあるものより柔らかいかもしれないそれに手をつき身を起こす。パチパチと瞬きをする。そこは見覚えのない部屋だった。左手には小さな丸テーブルと椅子。目の前には引き出し付きの棚。その上には十二時少し前を指すアナログ時計。部屋に窓がないからその時刻が正確なのかは分からない。右手の通路の奥には扉。ビジネスホテルほど素っ気ないものではなく、木でできている重厚なデザインだ。けれど、テレビのような嗜好品はない。シンプルで、高級ホテルのような豪華さはない。ここは、どこだろう?

 ベッドから降りると床にはふかふかとした焦げ茶色の絨毯が敷かれていることに気づいた。人を誘拐したわりにはホスピタリティが高い。靴も、揃えられていた。すぐに命に危険が迫ることはなさそうだと思い安堵する。

 無理に人を連れてくるわりに即刻で危害を与えるわけではないチグハグさに、ある予感がした。それが当たっているか調べるために、とりあえず今置かれた状況を調べることにした。

 通路の姿見で自分の格好を確認する。記憶と同じ洋服。汚れはなし。怪我や傷もなし。

 通路の横にあった扉を開けるとバスルームになっていた。シャンプー、リンス、洗顔料完備。量は満タンと言うわけではない。そういう部分はホテルの客室のようだが、おそらく出口であろう扉にはホテルによくある避難経路の図はなかった。

 バスルームの向かい側のクローゼットを開けてみる。何もないかと思ったが、そこには服が三着掛かっていた。黒いゆったりしたワンピース。下に積まれた下着の上下。どれもサイズは合っているように見える。長期滞在が前提なのだろう。

 ベッドのほうに戻る。丸テーブルに鍵と小さな紙片が置かれていたことに今更気がついた。鍵はルームキーのようで細長い透明の直方体のキーホルダーについている。「1」と刻まれているのは部屋番号だろうか。

「クローゼットの中の服にお着替えいただいてから、部屋を出て真っ直ぐ右手に進んだ突き当たりにある、リビングルームにお越しください」

 紙の方を手にとってまじまじと見ると、掌大の大きさの紙で、文字は印刷されたもの。何者かの計画的かつシステマティックな意思を感じさせるものの、特に情報はなさそうだ。……しかし、その紙の下に更にもう一枚同じ大きさの紙片があった。

「この部屋の者は、引き出しの中の塗り絵を完成させること。このカードは他人に見せてはならない」

 塗り絵?

 ……塗り絵?

 棚の引き出しを開けると、A4サイズのコピー用紙のような触り心地の紙が入っていた。白黒で枠が描かれており、花の形をしていて、確かに塗り絵だった。

 とりあえず紙片も引き出しの中に入れて閉じた。

 探索再開。

 部屋のどこにも自分の持っていた荷物は見つからなかった。この部屋にこれ以上いても特に得るものはないと判断し、指示に従おうと着替えをした。

 そして、私はドアを開いた。

 廊下は大きな正方形の板のモザイク貼りになっていた。自分が出てきた扉と同じものが向かい側にあり、これ一組だけでなく廊下に四組、合計八つの扉がある。指示された右手の先には、また違った大きな観音開きの扉が見えた。そのまま扉に歩み寄る。複数の人の話し声が聞こえたので一瞬躊躇したものの手を掛ける。思ったより軽い手応えとともに、目の前に影がかかった。

「あ、目が覚めたんですね」

 そこにいたのは露日だった。その奥にも数人いる。

 扉の先は円形の広々とした部屋になっていた。ホテルのラウンジのように並んだソファとローテーブル。そして端にはキッチンスペース。ここにも、窓はない。ソファは角度をつけて置かれており、視線の中心には壁があった。上の方に丸いアナログ時計がかけられている。

「彼女が君の連れかい」

 ソファに座っていた男に、露日はうなずく。そして私に手招きをして、空いているソファに腰掛けた。

 いたのは自分を含めて七人。男性が四人。女性が三人。お互いある程度の距離感はあるようだが落ち着いていて殺伐とはしていない。

「じゃあ、あらためて自己紹介をしようか。俺たちはみんなここに連れてこられた被害者だ。そして、俺の名前は松代潔。小学校の先生をしています」

 どうやら私が来るよりも前にお互い同じ立場であることは確認しあったらしい。

 時計回りに、松代の隣に座っていたポニーテールの女性が口を開く。

「私は赤宮花。主婦だね」

 服装は私と同じワンピースだったが、上から白い割烹着を着ている。オプションなのか、自前のものなのか。

「僕の名前は猫村翠。仕事……はモデルかな」

 前の二人とは別のソファに座っている金髪ロングの男だ。奇抜な髪型だが、彫りの深い顔と高い身長に合っていていかにもモデルという感じだ。男性は全員白シャツと黒いスラックスのようだが、この人の私服はきっと派手なんだろうなと思う。

「俺は……O2。ゲームプログラマー」

「大津?」

「O2。ペンネームみたいなものだ」

 O2と名乗った大柄な男はそう言って黙り込んだ。猫村と同じソファに座っているものの、ぎりぎりまで端に浅く腰掛けている。本名を隠しているところから警戒心の強さがうかがえた。

「えっと、弥生。瀬戸弥生です。学生です。よろしくお願いします」

 同世代の女性だ。ひとりでふかふかした椅子に腰掛けている。緩やかにウェーブのかかった茶髪とこの状況に緊張した様子から普通の大学生という感じがする。何だか聞き覚えのある名前の気もしたが、気のせいだろう。

「僕は定原露日といいます。高校生です」

 愛想よく自己紹介をする露日。苗字を初めて聞いた気がする。

「菜柱葉月です。大学生です」

 私が名乗ると、瀬戸さんが弾かれたようにこちらを見た。もしかして本当に知り合いなんだろうか。

「さて、ありがとう。皆さん唐突に誘拐されてここに連れてこられたと思うのですが、何か心当たりはありますか?」

「普通の主婦だし、身代金の類ではなさそうだけれど」

「ドッキリかと思っていたけど、違うのかい?」

「『ゲーム』じゃないのか?」

「……『ゲーム』って、何ですか?」

 瀬戸さんがそう問いかけたところで、ふっと壁に光が集まった。

 壁をスクリーンとして、映像が映し出されている。こちらを向いている人間。顔には仮面舞踏会のような仮面。肩のあたりまで見えている服は白いことしか分からない。

「お集まりいただきありがとう」

 ボイスチェンジャーで変えられた声音。

 この既視感。もしかすると、と思っていたことが確信を持って告げられる。

「突然だが、君たちにはこの館で『ゲーム』をしてもらう」

「いわゆる『復讐のゲーム』ってことか?」

 O2が問うと、仮面は首肯する。

「そう思ってもらって構わない」

「復讐とは、我々に対してのものなんですか?」

 気になっていたことを露日が聞いてくれたが、

「それは気にしないで頂きたい」

 答えはなかった。気にしない、という表現が少し気になったものの話は先に進む。

「君たちがこの館にいてもらうのは三日。その間に君たちが守るべきルールが三つある。一つ、昼の十二時から十八時まではものを取りに行ったりトイレに行ったりする以外は個室の外にいること。二つ、二十四時から朝六時までは個室を出ないこと。三つ、三日間のうちにミッションをこなすこと。これを守れば、少なくともこちらから危害を加えることはない。それぞれ個室の部屋の机にあった紙を確認してもらえたと思うが、そこに書かれたものがミッションとなる」

 それは、塗り絵のことか。別に、三日間で完成が厳しいというものでもない。

「大抵のミッションは穏やかなものだ。音楽なり、絵なり、散歩なり、文化的なものが含まれている。しかし、一人だけ異なるミッションが与えられている」

 そこで一旦言葉を切り、

「予想はつくだろう。人殺しだ。君たちの中の一人は殺す者としての役割、キラーが与えられ、残りは殺されるかもしれない者となる」

 人殺し。その言葉に眉をひそめる一同。

「その、人殺しをしなければならない人は、君の……ゲームマスターの仲間なのか?」

「いや、違う。その人物も立場は君たち全員と同じ、何も知らずにここに連れてこられた人物だ。たまたま入った部屋に人殺しのミッションが与えられていただけ。その点においては、その人物のことを恨まないで頂きたい」

 自分のミッションのことを思いぞっとする。私は塗り絵で済んだのだ。運が悪ければ、自分が「人を殺せ」と命令されていたのかもしれない。特に殺したくもない相手を。

「三日間で君たちにはミッションを達成してもらう。正確なタイムリミットを言うならば、二日後の正午までだから、実質四十八時間ある。もしも達成できなかった場合は、それもまた死だ。キラーは人を殺さなければ死ぬ。逆に言えば、きちんと決められたように殺せば自分が死ぬことはない。それ以外の人間は、殺されないようにミッションをこなせば良いわけだ」

「殺されるかどうかは運ということ?」

「それは正確ではない。完全に運の要素をなくすことはできないが減らすことはできる。その方法は、キラーを推理することだ。誰が殺すのかが分かれば警戒ができる。であるから、キラーは犯人が自分だと分からないように殺すだろう。それでも、何かしらの手がかりは残る。それを使えば良いわけだ。もしも分かったなら、縛るなりなんなりして監禁しておけば他の参加者は安全だ」

 確かにそれは理にかなった説明だった。でも、人を殺すミッションを与えられた者……キラーがどう動くかは本人次第なわけだ。完全に振り切れて全員を問答無用で殺す可能性も無きにしも非ず。

「最後に、キラーになった方に一つアドバイスを。たとえ君がキラーだと他の参加者にバレたとしても、解放された後の君の人生の安全は私が保証する。法律上では死刑になるような行動をしようとも、だ。だから、安心して武器を使って殺してくれ。以上だ」

 言い終わったかと思うとすぐに映像はプツリと切れた。

 はあ、と誰かのため息が聞こえた。ただならぬ状況に巻き込まれて、そうしたくなる気持ちもよく分かる。露日を見ると、苦笑いで肩をすくめられた。

 要するに、これは『復讐のゲーム』で、人を殺すミッションが与えられたマーダーに殺されないように立ち回らないといけない。

 人が、殺される。本当に?

 確かに『復讐のゲーム』が本当に存在しているのは知っている。多くのゲームでは、人が殺されるのが一般的だということも知識の上では分かっている。それでも、自分は巻き込む側だと思っていた。自分は犯罪者になれど被害者にはならないとそう誓っていたはずなのに。

 深呼吸。ワンピースの座り皺を伸ばす。

 焦るのが一番の愚策だ。自分の持つ利点、すなわち『復讐のゲーム』のゲームマスターであることをうまく使えば何とかなるかもしれない。

「と、とりあえず、そのミッションを言い合うというのはどうだろう。もしかするとキラーがボロを出してくれるかもしれないし。あの紙自体を見せてはいけないが、口に出すのはダメとは言われなかった」

 不自然に明るい口調を保ち、小学校の先生である松代が沈黙を破った。普段からそうやって生徒を元気付けているのかもしれない。

 戸惑い考えあぐねている我々を急かすように言葉を続ける。

「俺のミッションは、〝屋敷のどこかにある鍵を見つける〟だ。何の鍵なのかは分からないけれど、もしかするとこれがないとこの建物、屋敷からは出られないような造りになっているのかもしれないね」

 その言葉とミッションは嘘にしては現物が必要という点で本当らしく聞こえた。けれど、彼自身が言い出したのだから、嘘を考える時間は十分あり、見つからなかったと言えばどうにかなるともいえる。

 誰か続くか様子を窺っていると、

「俺は、言わない」

 O2がはっきりと口にした。申し訳なさそうでも、喧嘩腰でもなく冷静な様子。

「うん、強要はしないよ。ただ理由くらいは聞かせてもらおうか」

 小学生の先生らしく、否定をせず個性を認める姿勢を取ることに好感を覚えた。対立は少なければ少ないほうがいい。

「ミッションを行う場所が分かればそれだけ狙いやすくなる。どちらにせよ場所が同じ者はお互いのミッションについてなんとなく把握できるだろうし、今全員の前で言うメリットはないと思う」

「なるほどな。それも一理あるね」

 松代はそのまま引き下がった。「どうする?」と言いたげに周りを見る。

「あの、まずは館の中を見てみない?」

 赤宮が控えめに手を上げた。

「賛成です」

 私も同意する。今度は誰も否定する者はいなかった。ひとり、またひとりとソファを立って、赤宮の先導でたくさんの部屋があった通路に向かった。向かい合わせになった四組、合計八つの扉。よく見ると目線の高さに部屋番号が刻まれているようだ。

 自分がどこの部屋かは誰も言わなかった。いくら鍵があるとはいえ自分の居場所がこれから人を殺す予定の人間に知られるなんてごめんこうむりたい。

 そういえば露日のミッションはなんだったのだろう。唯一の知り合いだ。もし彼がキラーだったとしたら……人を殺したことがあったとしても、減るもんじゃないから二度目以降は気軽だとは言えない。人命は減り余罪は増える。やはり殺人は嫌な行動だろう。ちらりと横目で伺うも真っ直ぐ前を向いていて目は合いそうにない。代わりにこちらを見たのは同世代の女性。瀬戸さん。何か言いたげな様子だが、全員が黙った状況では話しにくいのか俯いてしまう。この子は本当に何者なんだろう。

 通路を抜けると扉。その先には予想もしなかった光景が広がっていた。柔らかな赤絨毯の上に所狭しと並んだゲームの機体。その隙間を縫って進むと部屋の真ん中あたりにビリヤード台があった。壁面にはダーツ台も並ある。角のほうに大きな四角いテーブルとそれぞれの辺に椅子が配置されたものがセットで数組。そのそばには棚があって、ボドゲの類が並んでいた。

 ゲームセンターよりは電子音は抑えられているものの、ホテルのゲームコーナーのような賑やかさはあった。やっと聴き取れるほどの音量で誰かが呟く。

「扉には、遊戯室と書かれていた」

 確かに遊戯室という言葉がふさわしい空間だった。ありとあらゆるゲームがある。遊びができる。それでもちっとも嬉しくない。むしろ怖い。人を殺せと言いながら遊ぶスペースが用意されていることが。その金のかけ方が。

「これも、ミッションで使うのか」

 誰も否定も肯定もせず足を進める。そして、部屋の奥にある別の扉の前に行き着いた。

 倉庫。扉には金字でそう書かれていた。この扉は通路と遊戯室や通路とホールを繋ぐ扉よりは少し薄手で部屋の扉と同じものに見えたが、鍵はかかっていないようで簡単に開かれた。

 遊戯室と同じくらい物が詰め込まれた部屋だった。しかしかなり雑多で、ブルーシート、トング、ゴム手袋といったいまいち用途がつかめないものから、替えのリネンや自分たちが着ているものと同じ服が入ったケースまでよりどりみどりだ。床は廊下と同じ正方形の板のモザイク張りだったが、足の踏み場に困るほど物があってそのデザインはほぼ生きていない。

 部屋の三方の壁には扉の類はなく、ここで行き止まりのようだった。

「……こんなところに鍵があったら困ってしまうね」

 教師の松代が乾いた笑い声を交えて言った。その通りだと思ったが、誰もそれには答えない。ほのかに漏れ聞こえる遊戯室のゲーム音のみが聞こえた。無言で反対方向を向き、元いた場所へと歩き始める。

 ホールの反対にあった扉の前で、モデルの猫村が扉に書かれた文字を読み上げた。

「ガーデン。庭、なのか」

 扉を開けると柔らかな空気の匂いを感じた。その匂いの元に思い当たる前に、答えが目の前に広がった。

 湿った土。色鮮やかな花。

 ラッパ状の黄色い花やベル状の紫色の花が垂れ下がり、白い小ぶりの花や大きな花弁がくるりと巻いた色とりどりの花が咲きほこる。地面の低い位置には淡い紫色をした、花びらが五枚の可愛らしい花が可憐に揺れていた。

 鮮やかな花畑だった。真ん中にはレンガ調のブロックが並べられた通路。その奥には噴水。右にも左にも広がる花畑……。

「外?」

 瀬戸が呟いた。

「いいや、これもまた室内だ」

 猫宮がゆるゆると首を振り、上を指差した。見上げるとそこに広がるのは乳白色の空だった。磨りガラスでできた

天井。上だけではない。左も、右も、正面も。奥に広がるのは霧ではなくガラスの壁だ。

 噴水のところまで近づくと、この空間が花畑だけで構成されていないことが分かる。噴水よりもっと先に広がるのは野菜畑と鶏小屋だ。花畑から浮くこともなくオレンジや緑や赤を晒している。

「自給自足できるってことなのかな」

「かもしれないですね」

 磨りガラス越しの暖かな日差しを感じながらあちこち見て回った後に、再び噴水の前で立ち尽くした。

「少なくとも、この屋敷の持ち主は相当な金持ちなんでしょう。それはいいとして一つだけ問題があります」

「本当に一つだけ?」

「揚げ足を取らないでください。いいですか。この屋敷には外部との出入り口が見つからないんです。誰もここには入れないし出られない。僕らはそんな場所に閉じ込められてしまったんですよ」

 そんなことを言いながら露日は優雅な笑みを崩さない。

「なんだか面白いことになってきましたね。葉月さん」


 ひとまず、現状について話すこと。そして夜以来食事を摂っていない腹を満たすことを最優先とし、我々はホールに戻った。主婦の赤宮さんがキッチンスペースで見つけたレトルト食やインスタント麺を食べることとなった。私はカレーライスを選び、ペットボトルの水をもらって露日の隣に座った。遅い朝食と言うよりはもはや昼食だ。

 豚骨ラーメンを勢いよくすすっている露日は、年相応の高校生という感じでなんだか微笑ましい。

 全員に食事が行き渡った状態で、松代が声をあげた。

「さて、今ある問題を整理しよう」

「……この中に、本当に人を殺さないといけない人がいるんですか」

 瀬戸が囁くように問いかけた。

「いないに越したことはない。単なるドッキリだとか、こちらを殺す気はない愉快犯がゲームマスターをやっているだとか、いない可能性はいくらでもあるよ。でも、警戒して損はないさ」

 松代の諭すような言葉に瀬戸は頷く。

「それなら、複数人での行動が効果的ですかね。推理小説なんかじゃ一人で行動する人が死んじゃいますし」

「そうだね。ミッションの内容にもよるけれど」

「入口も出口も見つからなかった点についてはどうする」

 O2が、問いかけるというよりは事実を示すように言った。

「この建物に複数の部屋があることは分かったが、そこにあるどの扉も外には繋がっていなかった」

「え、出入り口がないって、テレポートでもしない限りここから出られないってこと?」

 猫村が小首を傾げるが、露日が補足する。

「それなら何故僕らがここにいるのかという話になります。何処かには必ずありますよ。隠し扉とかね」

「そっか、それならその隠し扉も探さないとね」

 問題を並べたところで解決の糸口は見えそうになかった。実際に動かなければどうしようもないことばかり。そんな沈黙が場を支配しかけたが、

「でも、いいニュースもあるわよ。食料については大丈夫そうよ。冷蔵庫の中のものがなくなっても、補充してくれるってメモがあったから」

 明るく赤宮が言う。猫村と瀬戸が少しだけ微笑んだ。

 そして食事も終わり、少しずつそれぞれの行動の方針が決まり始めた。

 ゴミを分別していた赤宮のもとに猫村が行き話しかける。O2は一人でホールを出て行ってしまった。そして、松代が「俺は鍵を探しつつ隠し扉がないか見てみるよ。誰か一緒に来るかい?」と言ったものの誰も反応をせず、寂しそうな顔をして行ってしまった。

「僕も一人で行動します」

 そう宣言して露日も消え、ソファには私と瀬戸のみが残された。

 気まずい。結局みんな単独行動をしているし。

 手持ち無沙汰に水を飲む。

「あ、あの。葉月ちゃんだよね?」

 勇気を振り絞って発せられただろう声の真剣さに気圧されるように私は頷いた。

「私、弥生。S小学校で一緒だった瀬戸弥生。覚えてる?」

 S小学校。その単語でようやく思い出した。同じ六年二組だった瀬戸弥生。穏やかな図書委員の少女。

 同じ暦の名を持つ同士として最初に声をかけてきた少女。

「覚えてるよ。そっか、弥生ちゃんか。こんなところで会うなんて偶然だね」

「うん! 中学生の時一回会った以来だよね。すっかり大人っぽくなっちゃって、本物かドキドキしちゃった」

 弥生はふんわりと笑った。確かにその笑顔は小学生の頃の彼女の面影を残していた。

「ずっと会いたいと思ってたの。なんてことに巻き込まれたんだろうと思ってたけど、葉月ちゃんと会えたのは本当に嬉しい」

 引っ込み思案で、でも仲良しな相手にはよく笑いよく話す彼女の性質は今も変わっていないようで、つられた私もほんのり笑った。

「私はもうS小から離れたところで一人暮らしをしながら大学に通ってるんだけど、弥生ちゃんは?」

「私もそう。H駅が最寄り」

 H駅は私の最寄りでもある。どうやら私と弥生は大学は違うもののずいぶん近くに住んでいたらしい。

 昔話に花を咲かせたそうな気配は感じたが、私は強引に話を現実に戻す。

「弥生ちゃんはこれからどうする? 私はとりあえずどこかで落ち着いてミッションをやろうと思ってるけど」

「……よかった。葉月ちゃんは人を、その、殺す人じゃないんだね。それじゃ、私もついていこうかな」

「それはいいけど、弥生ちゃんのミッションは大丈夫なの?」

「うん」

 少し恥ずかしそうに弥生はうなずき、指先で廊下の方を指した。キッチンには二人がいるから聞かれないところに行きたいのだろうと思い、連れ立って廊下に出た。

「私のミッションはね、バイオリンできらきら星を弾けるようになることだったの」

 バイオリン。いくら簡単な曲とはいえ、練習が必要ではないか……そこまで考えたところで思い出す。

「ああ、弥生ちゃんはバイオリンを習ってたもんね」

「うん。今もサークルで弾いてるんだ」

 小学校の頃から習い事としてバイオリンやピアノをやっていると聞いていた。大学生の今でも続けているならその実力はなかなかのものだろう。それなら練習するまでもないだろう。

「だから大丈夫。葉月ちゃんのミッションはどういうものなの?」

「私は塗り絵。部屋にあるから取ってくる」

 弥生は部屋の前までついてきたものの部屋に入ることはなく通路で待っていた。

「確かに塗り絵だね」

 ぺらりとした紙を見てうんうんと頷いた。

「ただ、色鉛筆がなくて。ちょっと探しに行かせてほしい」

 色鉛筆があるとしたら倉庫だろうか。遊戯室に置かれていても驚きはしない。そういうわけで、一部屋ずつ見ていくことにした。

 遊戯室には露日がいた。扉から扉への導線上にある筐体でゲームをしている。六角形の大きな機械のそれぞれの辺に座席が置かれてそれぞれでプレイするメダルゲームのようだ。

「なんで遊んでるの」

 まさかそういうミッションなんだろうか。

「いや、無料でできるみたいでしたのでつい。カウンターからいくらでもメダルを取っていいと張り紙がされていました」

 扉近くにあったカウンターを見ると、本当に「今回のゲームではご自由にメダルをお使いいただいて構いません」と書かれた張り紙があった。

「なるほど、気前がいいんだね。露日はここで一人でいたの?」

「いえ。奥の方にO2さんがいます。真剣な様子だったので特に話しかけない方がいいと思いますが」

 露日の指し示す方に筐体の隅を縫って進むと、ビリヤード台のところにO2がいた。キューを手にし、構えている。ボールが並びちょうど最初の一突きをするところらしい。真剣な表情は確かに邪魔してはいけないと感じさせる。

「……なんだ」

 気づかれる前に退散しようとしたが、その前にO2は構えを解いた。

「すみません。お邪魔するつもりはなかったんです」

 弥生が言うと、O2はボールから目を離さずに肩をすくめた。

「君たちは『復讐のゲーム』なんてアングラなもの知らなかったと思うが、興味を持って変に嗅ぎ回りすぎない方がいい。こういうとき殺されるのは大抵反抗的な奴か、ゲームマスターにいっぱい食わせようとする奴だ。大人しくやり過ごすのが一番生存率を上げる」

 無愛想でぼそぼそと呟くような声音だが、こちらを慮ってることが伝わってきた。この人もゲームを作る側の人間。ゲームのお約束というものは身をもって知っているのかもしれない。

「『復讐のゲーム』に参加したことがあるんですか?」

 O2は首を横に振った。

「知り合いのプログラマーの噂程度にしか知らなかったよ。まさか本当にあるとはな」

 こちらを振り向きほんの少し口角を上げた顔は親しみやすく、諦めも感じさせた。そして向き直ると再びキューを構える。会話は終わり、のサインだった。

 露日の元に戻ると「よかったら一緒にやりません?」と誘われたものの、ミッションをやる必要があるからと断った。

 壁側の棚に色鉛筆があったりしないかと一つずつ見ていると、弥生がこそこそと話しかけてきた。

「あの、定原露日さんでしたっけ。あの人は何者なんですか?」

 何者か。それは難しい質問だった。『復讐のゲーム』のゲームマスターであるということが一番端的だが、そうなっては余計不安にさせてしまう。それに、出会いを話してしまえば私がゲームマスターであることもバレてしまう。

 弥生には知られたくなかった。

 小学生の頃の、〝優しくて真面目で頼りになる葉月ちゃん〟のイメージを崩したくない。今の自分がそれとは遠く離れた存在だとしても。

「バイト先の後輩、だよ」

 当たり障りのない嘘をついた。弥生は「そうなんだ」と納得をする。人を疑うような子ではなかったが、その純粋さは健在らしい。

 棚にはボドゲやパズルの類があるばかりで色鉛筆は見つからなかったので、そのまま倉庫に向かうことにした。

 倉庫には松代がいて、床に膝をつき這いつくばっていた。

「松代さん……」

 見てはいけないものを見てしまったかもしれないと思ったのか、おずおずと弥生が声をかける。松代は首だけこちらを振り返り、私たち二人を確認すると恥ずかしそうに照れ笑いした。

「床と衣装ケースの隙間を見ていたんだ。俺のミッションは探し物だからね」

 倉庫の入って左側はキャスター付きの衣装ケースやクリアケースに溢れていて、その隙間に鍵があるのだとしたら見つけるのも取り出すのも相当大変そうだと思った。

「見つけたらお知らせしますね」

 微笑む弥生に邪気を抜かれたように松代も穏やかな笑みを浮かべた。

「そういう二人は何をしているんだい?」

「その、色鉛筆を探していまして」

 何故そんなものが必要なのだろうと怪訝な顔をされると思いきや、松代はパッと顔を明るくした。

「ああ、やはり色鉛筆もどこかで使うものだったんだね。この辺にあるケースの中から透けてて何用なんだろうと思ってたんだ」

 左手で示されたあたりにはクリアケースが二段重ねや三段重ねになって雑然と置かれていた。

「手当たり次第探してみよう」

 弥生は嫌な顔一つせず頷いた。ケースを寄せて作ったスペースにしゃがみ込み、一つずつ中身を見ていく。大量の変換コード、楽譜の束、キーボードやマウスといったパソコンのアクセサリー。箱ごとに整理されているものの中身に統一感がない。ミッション用に使われるものなのかもしれない。

「二人も、もしかして知り合いなのかな」

 手は動かせど頭は暇だったのだろう。松代は自然に世間話を始めた。

「小学校の頃の親友なんです。数年ぶりに会えたんですよ」

 よくぞ聞いてくれましたというように弥生が言い、松代は微笑ましそうに口角を上げた。

「へえ。それは幸運なのか不運なのか分からないね」

 殺し殺される相手になるかもしれないのだ。会えて嬉しいと一言では片付けられない。こんなに穏やかな子が人殺し役を与えられて平然としていられるはずないと思うから、ほぼ疑ってはいないものの。

「ここに集められた人たちには共通点があるのかと思ったんだけど、もしかして全員接点があったりするのかな」

 ミッシングリンク、みたいなものだろう。『復讐のゲーム』の人選をするにあたって関係者を集めるのはよくあるパターンだ。本人同士が隠していたり気付いていなかったりで露見しないこともあるあるだ。

「なんてね。俺の知り合いは一人もいないから違うと思うよ」

 さて、今回の人選は私から見ても意図がよく分からない。たまたま一緒にいた露日と自分を拉致したこと。たまたま弥生がいたこと。深読みしようと思えばいくらでもできるが証拠はない。

「松代さんは、この『復讐のゲーム』というものには詳しいんですか?」

 ゲームについて冷静に考察するからには、なんらかの前情報を持っているのかもしれない。そう思って尋ねたが、松代からの返事は意外なものだった。

「いいや、聞いたことがなかった。まさかこの日本にこんなおぞましいゲームがあるなんてね」

「でもさすが先生って感じですね。状況を見極めてみんなを先導してくれましたし」

 弥生が褒め言葉を口にすると、松代は気をよくしたようで口調が明るくなった。

「……俺ができることをやったまでだよ。昔からみんなをまとめあげられるような存在になりたいと思っていてね。それに、さっきは警戒して損はない、と言ったけど、俺自身この中に本当に人を殺す人間がいるなんて信じたくないんだ」

 そう言う松代の瞳には疲れも見えたが、何かに突き動かされているような色も感じられた。これは、使命感だろうか。

「それでも、どうにかすればこの状況を打破できるかもしれない。これを主催した人だって話せば分かるかもしれない。そう考えればなんだってやる価値はあるだろう?」

 穏やかな表情と前向きな姿勢。伸びやかな声と相まって酷く正しいことを言っているように聞こえる。それでも職業病というやつなのか、この人が心からそう言っているのか疑念は拭えなかった。

「あ、色鉛筆あったよ。葉月ちゃん」

 考え込みかけたところに服を引っ張られてハッとした。弥生を見ると自慢げに二十四色鉛筆のケースを振っている。

「ありがとう。それじゃこれから……どうしようか」

「よかったらここにいるかい? お互い一人でいるより安心できるだろうし」

 良くも悪くもない提案だ。二人より三人の方が危険は少ない。色塗りがしやすい環境ではないが、適当な隙間に座ってケースを台替わりにすればどうにかなりそうだ。受けようか、と弥生に目で問いかけようとしたところ、

「いえ! 私たちがいると探しにくいと思いますから移動します。ね、葉月ちゃん」

 そう言って弥生は立ち上がり、私の手を引いて扉へと向かう。ふわふわした笑顔に包まれた言葉からは拒絶は感じられない。本当に善意で断ったと思える響きで、松代は「しばらくはここにいるからいつでもおいで」と言って気を害した様子もなく手を振ってきた。

 けれど、弥生に強く握られた私の右手は、そこにはっきりとした強い拒絶の意志があることを伝えてきた。

 遊戯室で相変わらず遊んでいる露日を横目にホールに戻ると、弥生は手を離してソファを指差した。

「ここでやろうよ。ここなら開けてるしキッチンスペースにも人がいるから安心じゃないかな」

「……そうだね」

 もしかすると、松代のことを警戒していたのかもしれない。二対一よりも三対一の方がリスクは低く互いに監視もしやすいと思ったのだろう。小学生の頃は能天気なイメージもあったものの、冷静な一面を持つ大学生に成長したようだ。

「赤宮さんと猫村さんは何をしてるんですか?」

 そう思った矢先に無邪気な笑顔でキッチンスペースに向かっていく。うーん、つかめない。

 キッチンスペースでは猫村が左手を猫の手にして右手で包丁を握り、キャベツを一センチ幅で切っていた。

 目があった赤宮はにこりと微笑むだけで何も言わない。

「千切り」

 猫村が答える。赤宮はにこりと微笑むだけで何も言わない。

 千切りはもっと細いはずだが……。

「何が言いたいかはわかってるよ。初めてなんだから仕方ないだろう?」

 ムッとした顔で猫村がこちらを向いた。モデルをしているだけあってそんな表情をして下手な千切りをしていても絵になるものだ。

「猫村くん。よそ見しない」

 赤宮が微笑んだままぴしりと言うと、猫村は大人しく視線をキャベツに戻した。トン、トンとゆっくりと包丁を動かす。

「猫村くんのミッションは『生存している全ての参加者に食事を提供する』らしくてね。食事なんて作ったことないから教えてほしいと言われたから、教えてるの」

 なるほど。そんなアットホームなミッションもあるのか。

「赤宮さんはミッション大丈夫なんですか?」

 弥生が心配そうに首を傾げると、赤宮さんはグッと親指を立てた。

「うん。私のはパズルを組み立てるってやつでね。きっと夜寝ないでやってたら終わるから安心なのさ」

 落ち着いた包容力のある声だが、その内容はつまりこういうことだった。どうせ今日は寝られやしない。それなら暇つぶしがあった方が気が紛れる。

 弥生は気付いていないようで、「寝た方が良いですよ」と言いたそうに赤宮を見つめている。なんとなく赤宮の口から不安を言わせたくない気がして、私はこう問いかけた。

「メニューは何を予定してるんですか?」

「肉野菜炒めと、ご飯と、お味噌汁。りんごも剥く練習をさせたいかな。ああ、このキャベツは付け合わせだよ」

 赤宮は料理上手かつ人に料理を教えるのが好きなようで、猫村の手つきを見ても嫌な顔一つしない。

「モデルだなんだって言っても、料理の一つくらいできないと自分の体を守れないからね。これは猫村くんにとっての料理合宿って寸法さ」

「こんな大袈裟なことになるとは思わなかった……カレーとか簡単なのでよかったのに……」

「何か言った?」

「いいえ」

 二人の相性はいいらしい。見た目が三十代くらいの赤宮にとって猫村は子供とは言えないが、出来の悪い弟のようなものなのかもしれなかった。

「豪華なんですね! 食料はレトルトくらいしかないのかと思ってました」

「ああ、実は冷蔵庫にメモが貼られていてね、『必要な食材がありましたら横にある貨物用エレベーターにメモを入れて下にお送りください。なお、人間がエレベーターに乗った場合は命の保証はできかねます』だって。豪華なことだね」

 物騒な部分はスルーして、赤宮は冷蔵庫に貼られたラミネート紙をとんとんと叩いた。

「フォアグラとか、ステーキ肉とか書いて送ったらどうなるか気になりますね……」

 緊張感より食欲が勝っている弥生。冷静な大学生に育ったと思ったのは気のせいだったのか?

「ちょっと、僕から目を離さないでくださいよ」

 猫村の声に赤宮は「はいはい」と笑う。この二人は現在置かれた状況を必要以上に悲観することなくできることをやっている。それがとても好ましく見えた。

 弥生とソファに座り、塗り絵に向き合う。

「これってどのくらい丁寧に塗ればいいんだろう」

「どうなんだろうね。絵として見えればいいのかな」

 緻密な花の絵。花が一面に広がっている景色。あれを見た今ならわかる。これは、あのガーデンを塗り絵にしたものだ。つまり、完全オリジナルの塗り絵。先ほど見た記憶のない向日葵なんかもあるから、全くそのまま同じというわけではないらしい。

 いまいちこのミッションというものの目的が分からない。バイオリンや塗り絵と妙に文化的だが、ミッションを達成したところでゲームマスター側に利益はない。何かに人を集中させることで殺しやすくするギミックといったところだろうか。

 今は考えたところで答えは出そうにない。とりあえず草と葉の色を塗ろうと黄緑の鉛筆を動かしていると、弥生がこちらをじっと見ていることに気がついた。

「弥生ちゃん? 見られてるとやりにくいんだけど」

「あっごめんね。久しぶりの葉月ちゃんだなと思って、つい」

 照れ臭そうに弥生ははにかむ。

「世間話っていうか、近況報告聞きたいんだけど、塗り絵しながらおしゃべりしてくれる?」

「いいよ」

 色鉛筆を動かしながら頷く。

「中学と高校が地元なのは知ってたけど、大学はどこにしたの?」

「あれ、高校も知ってたんだ」

 最後に会ったのは中学生の時に行った、母校の小学校の運動会だったはず。誰かと高校の話をする機会があったのか。

「高校からうちの学校に来た子がいてね。弥生ちゃんは葉月ちゃんと仲よかったよねって教えてくれたの」

 なるほど。続けて大学の名前を言うと、弥生は「頭がいいのは知っていたけど、すごいね」とベタ褒めしてくれた。学科の話を少しして、小学校から大学まで同じ子もいるのだと話した。

「へえ、すごい偶然だね。いや、偶然じゃないのかも。確かその子は小学校の頃から葉月ちゃんのこと好きそうだったもん」

「そうかな、しばらく話してないから違うと思うけど」

 弥生はうふふとこちらをからかうように笑った。

「なあに、恋バナ?」

 気づけばキッチンスペースから手をプラプラ振りながら赤宮がやってきた。

「そういうのじゃないですけど。猫村さんを一人にして大丈夫なんですか?」

「ああ、今は調味料を計ってもらっててね。さすがに怪我のしようはないだろうからちょっと休憩」

 赤宮は隣のソファに勢いよく腰掛けた。

「顔はいいのに料理についてはうちの八歳の子供より出来が悪くてびっくりだよ」

 キッチンスペースでうつむき作業をしている猫村を見ながら、赤宮はニヤニヤ笑う。

「お子さんいらっしゃるんですね」

「うん。今が生意気盛りだけどね。夫と子供と三人暮らしさ」

 カラッとした物言いだが、その顔には優しげな表情が浮かんでいて、家族が大切だということが伝わってきた。

「だから、ちゃんと帰らないとね。二人も気をつけるんだよ」

 私たちを心配しているというより、自分自身に言い聞かせているようだった。その瞳は私たちを通り越して別の何かを見ている。

「赤宮さん。来てくれ。なぜか大さじがないんだ」

「はいはい」

 赤宮は大きく返事をしてパタパタと慌ただしくキッチンスペースに戻っていった。

「さっきの話の続きだけどね。私、あの子のこと実は好きじゃなかったんだ」

 弥生が、すっかり手を止めていた私の目を見て、秘密を漏らすように小声で言った。

「あの子って、私と同じ大学の?」

「うん。あの子は小学校の時からただ葉月ちゃんについて回ってただけだったから」

「でも、害のある子ではなかったと思うけど……」

 急に過去の人間に対して敵意、憎悪の感情を剥き出しにした弥生に、どう言葉をかければ良いのかわからない。

「害はあったよ。あの子は私のことを助けてくれなかったもの」

 小学校のことなんてあまり覚えていない。それでも、「助けてくれなかった」という言葉が当てはまる記憶はすぐに思い出せた。

「鈍臭いっていじめられてた私を助けてくれたのは葉月ちゃんだけだったもんね。先生だって助けてくれなかった。あの子は、私が除け者にされれば自分が葉月ちゃんを独り占めできるって思ってたから、嫌い」

「……そう本人が言ってたの?」

「ううん。でも分かるの」

 弥生は感情的になっている。それだけは分かった。小学校の時の確執なんて、もう今から客観的に確かめるすべはない。

「弥生ちゃん……」

「あ、ごめんね。葉月ちゃんにそんなこと言っても困らせるだけなのに」

 弥生も自分の言葉の強さに気づいたようで、慌てたように距離をとった。

「ううん。こういう環境だし、不安になる気持ちは分かる」

 弥生は、今度こそふんわりと笑った。

「こんな変な場所だけど、葉月ちゃんがいればなんだかどうにかなる気がするんだ。本当だよ?」

 そんな、人をお守りのように言われても。弥生が知っている小学生の時の葉月と今の私は違うのに。

「バイオリン、聴かせてよ。聴きながら塗り絵したい」

 会話が嫌なわけじゃない。でも、「小学生の頃の葉月ちゃん」から逃げたくてそう頼むと、弥生は嬉しそうに頷いた。

「分かった。バイオリン持ってくるからついてきて」

 弥生の部屋の前までついて行き、バイオリンを持ったことを確認してホールに戻ると、ちょうど赤宮さんと猫村さんも廊下に出ようとするところだった。

「あれ、お二人ともどうされたんですか?」

「大さじがどこを見ても見つからなくてね。ちょっと倉庫の方まで探しに行ってくる」

 ミッションの障壁として塗り絵に必要な色鉛筆がすぐには見つからなかったように、大さじもそのような意図で隠されているのかもしれない。

 二人を見送って、私たちは先ほどまでいた場所に再び陣取った。弥生が松脂を弓の毛に塗り、バイオリンの調音をするのを繁々と見ていると、「恥ずかしいから塗り絵に集中して」と言われてしまった。確かにそれはそうなので、色鉛筆を握り直す。

 手を動かしていると、横からゆったりとした柔らかな音が聴こえてきた。これは、パッへルベルのカノンだ。穏やかかつ華やかで、作業BGMにちょうど良い音色。それでもやはり気になって、手を止めて弥生の方を見てしまう。滑らかに動く指や腕。口角の上がった唇。とても楽しそうで、美しい。

 いつの間にか、ソファの後ろに露日が来ていた。

 私が気づいたことに気づいていないようで、純粋に音楽を楽しむかのように目を閉じて聴き入っている。

 最後の一音をビブラートたっぷりで弾ききったところで、後ろから拍手が聞こえた。

「素晴らしい演奏をありがとうございます」

 声を聞いてようやく露日がそこにいたことに気づいたらしく、弥生は目を丸くしつつもはにかんだ。

「……ありがとうございます」

「バイオリンの曲で好きな曲があるんですが、よかったらリクエストしてもよろしいですか?」

「ええ、私が弾ける曲であれば」

「オペラ座の怪人はいかがですか?」

「オケで1stバイオリンを弾いたことがあります。ソロで聴きごたえのあるものになるかは分かりませんが、やってみます」

 凛と胸を張って、弓を振るう姿はさっきまでの大人しく穏やかな彼女とは思えない気迫に満ちていた。今度は初めから色鉛筆を握ることは諦めていた。音色を全身で聴き、動きを見守る。さっきまでの落ち着いたクラシックとは違い、感情のこもった激しい曲だった。

「ありがとうございました。こんなところで綺麗な演奏を聴かせていただけるなんて光栄です。では、僕はこれで」

 そう言うと、露日は弥生の返事を待たずガーデンに通ずる扉のほうに歩いて行った。

「あの人もバイオリン弾くの?」

「さあ、どうなんだろう」

 露日のプライベートは何も知らない。知っているのは彼もゲームマスターであり、犯罪者であるということだけだった。

「あれ、葉月ちゃん全然塗り絵進んでないよ?」

「ごめん。聴き惚れてた」

「ふふ、嬉しいな」

 長時間弾くのが苦ではないようで、そのまま弥生は何か知らない曲を弾き始めた。

 私は、塗り絵を進めながら、やっと落ち着いてきた頭で考える。

 このゲームは私たちに一体何をやらせようとしているのだろう。そもそものゲームの趣旨が分からない。まず、『復讐のゲーム』のわりに復讐の意思が見えにくいルールであること。誰が殺されるかはキラーにかかっていて、そのキラー自体も、スピーカーからの声が正しければ作為的に選ばれたわけではなさそうだ。死人、もしくは殺人者となって割りを食う人間はゲームマスターの意思では決まらない。それなら一体誰に復讐したかったのだろう。ここにいる全員に心理的負荷を与えるのが目的なのだとしたら多少は納得できるが、その場合二つ目の引っ掛かりが生じる。

 それは、何故たまたま一緒にいた私と露日がここにいるのかだ。露日が、赤の他人である私に接触を図ることを他の誰かに言うとは思えない。だからゲームマスターが私と露日が共にいるタイミングを狙い撃ちできるはずはなく、二人ともターゲットだったとは思いにくい。これは完全なる偶然だ。可能性があるのは、どちらかが真のターゲットだったがたまたま一緒にいた邪魔者を連れ去ったということ。二人とも、誰からも恨みを買ったことがないとは死んでも言えないので、まあありえる。

 この集められた参加者全員のバラバラの素性と年齢から、松代の言うようなミッシングリンクが導けるとでもいうのだろうか……。

 考えとは言っても、穏やかな思考遊戯にすぎずバイオリンの音色に溶けて次第に霧散していった。この限られた人数と場所で、本当に人が殺されるとも思えず、どれも机上の空論に感じられた。

 こうして、穏やかな午後が過ぎていく。

 本当は『復讐のゲーム』なんてドッキリだったのではないか。そう思うくらい穏やかな数時間だった。


 肉の焼ける良い匂いが漂ってきた。

 弥生がバイオリンを弾き終えてちょっと経ったくらいに大さじを携えて戻ってきた二人は、着実に料理を進めていった。大勢で食べる食事なんて久しぶりで、なんだか変な感じだ。

 そんなことを考えていた時。

「うわああああああああああ」

 遠くから叫び声が聞こえた。耳をつんざくというほどではない、音量で言うなら同じ部屋の中の普通の声量と同じ。けれど、明らかに切羽詰まった叫び声だった。

「誰の声?」

「行ってみましょう」

 キッチンにいた二人と連れ立って、廊下に飛び出た。声はどこからのものだったのだろう。個室だとしたら、マスターキーがないと入れない。みんなそう思ったのか、個室の並びはスルーして遊戯室の扉を開けた。

 見通しの悪い遊戯室を左右に分かれて誰かいないか探す。私の足は自然にビリヤード台の方に引き寄せられていた。

「…………」

 ビリヤード台。その近くにしゃがみ込んでいる人がいた。松代さんだ。そして、その視線はビリヤード台の脚の部分にもたれかかっている人間に注がれている。

 白シャツに咲いた赤い染み。なんとも分かりやすいワンポイントだった。俯いていて、その最期の表情は見えない。

 顔は見えないものの、その場所と体格から誰かは分かった。

「O2さん……」

 横に来た弥生が小さく名前を呼ぶ。

「何があったんだ?」

 私たちを押し除けて猫村さんがO2の体をそっと床に寝かせた。眼球は見開かれ、何も映っていない。

「残念だけど……」

 左右に首を振る様を見て、やはり死んでいるのだと理解した。

「始まってしまったんですね」

 いつの間にか来ていた露日が呟いた。悲観的なニュアンスはなく、あくまで事実を告げる厳かなものに聞こえた。

 何が起こったのか理解できず目を白黒していた人たちも、その言葉で自分が今見ているものが何を意味しているのか認識したようだ。

「あ、ああああ……」

 誰かが膝をつく音。

「松代さん、誰がこんなことをしたのか見ていませんか?」

 茫然自失としていた松代はびくりと震えたのちにふるふると首を横に振った。

「倉庫から戻ろうとして、ちょっとここの中も見ようと思って、そしたら、そしたら、ここに倒れてて、血が……」

 唇を震わせ、立ち上がろうとするも体が持ち上がらないようで再びぺたりと尻餅をついた。

 仰向けになったO2の体を観察する。血の染みは左胸を中心にして広がっていた。もう血は固まっている。手にもべったりと血がついているが、これは怪我ではなく傷口を押さえたからだろう。死因は分からない。失血死にしては血が出ていないように思える。心臓を貫かれているのかもしれないし、肺に穴が開いて血が流れ込んで窒息死したのかもしれない。凶器の類は見つからなかった。

 O2の隣にしゃがみ込んだ露日が手が汚れるのも構わずボタンを外して白シャツを脱がせた。傷口があらわになり、松代は目を背けた。

「小さい穴が一つ開いている。血の匂いが強くて分からないけれど、火薬臭い気もするから、もしかしたら銃かもしれません」

「現実的じゃない気はするけど、こんな設備を用意するくらいだから、本物の拳銃の一つや二つ持っていても驚かないよ」

 猫村が綺麗な金髪をくるくると指先で弄びつつ呆れた様子で言った。

「銃声を聞いた記憶はないけど、誰か心当たりはありませんか?」

 私の問いに一人だけ手を上げる人がいた。

「本物の銃声を聞いたことがないから自信はないけど、なんだかそれらしき音は聞いた気がする」

 松代だった。

「それはいつ、どこでだったの……」

 青ざめた顔をしてしゃがみこんでいた赤宮が問う。

「いつかは分からない。だいぶ前だ。倉庫に入って探し物を始めて出るまでの間のどこかのタイミングで何かが弾けるような音が聞こえた。てっきりゲームでも始めたのかと思って気にしなかったんだけれど、もしかしてその時に……」

「気づかないなんてこと、あるんですか?」

 強い口調で弥生が問うも、松代は「本当なんだ。信じてくれ」とうなだれた。

「もしかして、あなたが殺したんじゃないですか?」

 弥生は同情する様子はなく、質問を続ける。毅然とした態度を取ろうとしているものの、私からは怯えが滲んでいるのが見て取れた。そしてその言葉は周りにも不安と不審を引き起こす。

「そんなわけ、ないだろう!」

「でも! 私と葉月ちゃんはずっと一緒にいましたし、赤宮さんと猫村さんも二人で行動していました。一人で行動していたのはあなたと定原さんで、怪しいのはあなたなんですよっ」

 感情的な発言ではあるものの誰もそれを否定することはなかった。というより、犯人を特定しようとするほど頭が回っていなかった。状況を理解し整理している段階で、私も否定できるほどの考えは持っていない。

「とりあえず明らかなのは、この中に人殺しがいる、ということです。自衛が必要なのは言うまでもありませんが、落ち着くのが一番ですよ」

 立ち上がってポンポンと手の汚れを払い、露日が言った。

「この、O2さんをここに放置するのは、よくないですよね」

 赤宮がそう言うと同時に、天井から声がした。

「一人目の死体を確認しました。死亡された方の部屋のロックが解除されましたので、死体はそちらに収納し、死亡現場は必要に応じて掃除道具で清掃してください」

 ぷつり、とスピーカーの音声はそこで切れた。

「なるほど……」

 赤宮が頷いた。

「それなら、運ぼうか。定原くん、手伝ってくれ」

 猫村がO2のズボンのポケットを探って鍵を取り出したのちに、上半身を持ち上げる。露日も足を持ち上げた。そしてそのまま通路の方に行った。

 絨毯には少しだけ血痕が垂れており赤黒い染みになっていた。

「掃除道具なんてあったっけ」

 ブルーシート、トング、ゴム手袋。何のために使うのか分からなかったものの意図を今理解した。

「多分、倉庫にあるんだと思う。絨毯の染みを取るのは難しいと思うけれど」

「確かにそうだね」

 清掃しろ、と言われたわけではない。これ以上ここで何かできる気はしなかった。

「戻りましょうか」

 憔悴している赤宮と松代もよろよろと立ち上がり、四人でホールに向かった。

 猫村と露日もしばらくして来たものの、お通夜のような空気になっていた。

「あの、ご飯、猫村くんが作って……よかったらみんなで、どう?」

 赤宮が努めて明るい調子で言った。血の匂いが残っていた鼻腔が再び肉の匂いを感じたが、食欲は戻ってこなかった。

「でも、その中に毒が入ってたとしたら?」

 松代がボソリと呟いた。先ほどまで小学校の教師らしく明るく人を先導しようとしていた姿勢は消え失せ、疲れ切った男の姿しか残っていない。

「…………」

 赤宮も猫村も否定しなかった。二人はそうしたところで無駄だと気づいていたのだろう。「もう十八時だ」と呟いて松代は無表情のままホールから出て行った。

「みんな食欲ないよね。じゃあ各自お腹が空いたら食べようか。私も部屋に戻るよ」

 赤宮さんも緊張の糸が切れてしまったようで、力なく笑って行ってしまった。それに露日も続く。弥生がこちらを見て肩を竦め、通路の方に体を向けた。

 私も、そろそろ一人になりたかった。

「初めて上手に作れたんだけどな」

 そんな声が背後から聞こえた気がした。

 部屋に戻り、鍵をかけるとようやく緊張が解けてどっと疲れが溢れてきた。

 時刻は十八時。寝るには早いが、少し頭を休めたい。

 鍵をかけたとして、もしキラーが合鍵を渡されていたら? 今なんて殺し放題じゃないか。どうしよう。どうしたものか。バリケードになりそうなものなんてない。

 いや、でも。夜に部屋に侵入して殺せばいいのにわざわざ初日から遊戯場で人殺しをしたということは、もしかしたらそれが禁止されているのかもしれない。それなら、それならいいか。

 無理やり安心できる理屈をこね、ベッドに転がる。三日三晩起きていたところで生き残れるとは限らない。とりあえず、今のうちに、休息を。


 ふっと意識が浮上し、すぐに時計を見た。時刻は二十時。思ったより寝てしまったらしい。私はまだ生きていた。

 シャワーを浴びると多少はさっぱりした気持ちになり、食欲はないものの空腹は感じた。ホールから食べ物を取ってこようと思い、恐る恐る部屋を出た。明るい通路に人影はない。隙間から中の様子を伺いながらホールの扉を押し開ける。

「露日」

 ソファに人影を見つけて一瞬びくりとしたものの、いたのは露日だった。

「ああ、葉月さん」

 平然と豚肉の生姜焼きを食べていた。

「毒はなかったんだ」

「そうですね。さっきまで猫村さんが洗い物をしていて、僕の前で全部食べて見せてくれました。米も野菜炒めもキャベツも味噌汁も、毒を仕込めば全体に行き渡るようなものですから、まあ大丈夫かなと思っていただいてます」

 確かに、全体に毒を仕込めば作った本人も危険に晒される。その本人が全部食べる所を見せたというなら問題ないだろう。

 作りつけの食器棚から平皿、茶碗、お椀を出してそれぞれをよそって自分もソファに座って食べ始めた。

 初めて作った食事。美味しいや不味いという感想を超えて、ほっとする温かみがあった。

 無言で食べ終え、二人で分担して食器洗いと拭き仕事を完了したところで、露日が口を開いた。

「葉月さんは、キラーに心当たりがついていますか?」

「と言うことは、露日はキラーじゃないわけね」

「さあ、どうでしょう」

 露日はおどけて肩をすくめたが、すぐに真顔に戻った。

「僕のミッションは、『合計一万歩以上歩くこと』です。だから今日は周りを見がてら歩いていました。葉月さんのミッションは……」

「塗り絵だよ。昼間見た覚えがあると思うけど」

「ですよね。あの塗り絵は館のガーデンを元にしていましたし、他の部屋にも似たようなものは見つからなかったので、葉月さんのミッションは本物だろうと思っています」

「と言うと?」

「僕はあなたのことを信用しています。ですから、僕と手を組みませんか?」

 露日の瞳は真剣で、自分が少しでも生き残る確率が上がる行動をしようとしているのが見て取れた。

「じゃあ、一つ私からも質問だけど、歩く必要があるのに何故遊戯室で遊んでたの?」

「ああ、あれはあなたと一度話す機会がないかと思って待っていただけです。しかし、瀬戸さんとやらが常に隣にいて諦めました」

 なるほど。それでもいまいち露日が私を信用する理由が分からない。一応知り合いとはいえ、信頼がずば抜けて高いわけではないのだ。

 それに、もしこの誘いが罠だとしたら? 露日がO2を殺し、私も殺そうとしているのではないか?

 そんなわけないと言い切れるほど、私は露日のことを知らない。むしろ、簡単に人を殺せるくらい非情な人間に近いと思っている。

「納得できないという顔ですね。それじゃあ過激なことはなるべく言いたくないですけど、言いましょう。僕がただ人を殺せばいいと言われたら、その場で殺して終わらせますよ」

 最悪の無実証明だった。

「まあ、いいです。僕の部屋は五号室ですから気が向いたら来てください」

 そう言って露日はあっさりとホールを出て行った。残されたのは選択を押し付けられた私だけ。

「よく分からないけど、行きますか……」

 なんだか毒気を抜かれてしまった。もしかすると露日は私のことを警戒する必要はない存在だとあのゲームで考えたのかもしれないし、ゲームマスター側からの推論を話し合いたいのかもしれなかった。どちらにせよ、殺せばいいなら殺してる、という弁明がしっくり来てしまったので、私は自室に一度戻って歯磨きをしてから、五号室に行くことにした。

 周りに悟られないか心配で控えめにノックをしたが、何も反応はない。諦めて強く扉を叩くと、すぐに扉は開いた。

「来てくれると思ってましたよ」

 露日はちょうど風呂からあがったようで、備え付けのシャンプーの香りを漂わせていた。風呂に入ってるときに私が来たらどうするつもりだったんだろうと思い、もしかして来ないと思って風呂に入ったのではないかと思ったものの、何も言わなかった。

 部屋の内装は私のものとほとんど変わらず、至ってシンプルな作りだった。椅子がないのでベッドに横並びになって座る。

「いやはや、面白い展開になってきましたね」

「ゲームマスターが何をしたいのかさっぱりだけどね」

「どこまで考えたのか聞かせてもらえます?」

 昼頃考えた、目的が分からないことと参加者の人選の意図が分からないことを話すと、「確かに大学生、主婦、サラリーマン全員に恨みがあるというのはなかなか想像しにくいですよね」と頷かれた。

「けれど、葉月さんのゲームだって、一見関係ない人間に繋がりがありましたし、属性だけで決めるのは早計です。例えば、大学生はいつも朝の挨拶を返さないのかもしれない。主婦はゴミ捨て場のルールを守らないのかもしれない。サラリーマンは毎朝同じ満員電車で邪魔なのかもしれない。……いくらでも恨みは持てます。それにいくら僕らがゲームマスターでも、他人の復讐の意味を十全に理解できるとは思えません」

 確かに、そうだった。私が究極の『復讐のゲーム』を作るために何度も予行練習のゲームを行なっているのも、万人から納得される理由なわけがないのだ。独善的な狂人が二人いたところで狂人が狂人の気持ちを分かるわけではない。

「それでは、僕のお願いを聞いてもらいましょう。僕は、ゲームマスターの助言通り生き延びるためにキラーを探すのが最重要だと思っています。けれど、僕は今日歩き回って一人でいる時間が多く情報が把握できていない。ですから定点固定のあなたの話が聞きたいんです」

 確かに定点固定ではあるものの、見たものはいたってシンプルだ。

 遊戯場で露日と会ってから倉庫で色鉛筆を探し、松代を残して遊戯場を通ってホールの方に戻ったところまでは露日も知っている。

 ホールで赤宮と猫村が料理を作っているのを見てから塗り絵を始めたが、しばらくしてバイオリンを取りに弥生の部屋まで行った。ホールに戻る道で大さじを探しに行った赤宮・猫村とすれ違ったのちに演奏を聞いた。途中で露日もホールに来たが、その後は庭に行った。いつの間にか赤宮・猫村が戻ってきて、それからは弥生と連れ立ってトイレに行くために数分自室に戻った以外はホールにいた。赤宮と猫村も知る限りではずっとホールにいたはずだ。

「要するに、私視点では、誰にでも殺しに行ける時間はあった」

 私が弥生と共に行動していたとはいえ、トイレに行くために自室に入ったふりをし、もう一人が入ったのを確認してから抜け出して遊戯場に行くのも絶対に不可能だとは言えない。そして、赤宮と猫村も私が見た限りでは二人で動いていたとはいえ、絶対に一人になる時間がなかったとは断言できないのだ。

 露日は顎先に手をやり、考え込むそぶりを見せた。

「僕が見たものもそうたいしたことありません。あなたがたと別れてもしばらく遊んでいましたが、赤宮さんと猫村さんが倉庫の方に行くのを見てそろそろ歩き始めなければと遊戯場を出ました。ホールで少し演奏を聞き、ガーデンを歩き回り、途中昼寝もしましたね。遊戯場を出るときのO2さんの生死は確認していませんが、僕があの場を離れるまでO2さんに接触した人はあなたがたしかいないと断言できますよ」

 結局のところたいしてキラー特定の手がかりにはなりそうになかった。自室とホール以外に時計がなく、時間感覚がはっきりとは分からないのもそれに拍車をかけていた。殺しやすそうなのは単独行動をしていた露日と松代で、露日の言い分を信用するなら最有力は松代となるが。

 いや、何か見落としているのではないか? 本当に私たちはいつでも殺せたのか?

「それでは、誰が殺したかは置いておいて、次にキラーがどうするのか予想しましょうか」

 頭の中で何かの記憶が光ったような気がしたが、露日の声で消えてしまった。

「どうするかって、まだ人を殺すのかどうかってこと? 殺すだろうね。ゲームマスターが自衛のためにキラーの推理を推奨するくらいなんだから。殺さなければいけない人の数が複数決まっているのかもしれない」

「でしょうね。でもあときっと一人ですよ」

 露日は指を一本立てた。ただ事実をさらりと口にしたようで、彼の頭の中では一人というのは確定事項のようだった。

「何を根拠に?」

「ゲームマスターの発言ですよ。〝たとえ君がキラーだと他の参加者にバレたとしても、解放された後の君の人生の安全は私が保証する。法律上では死刑になるような行動をしようとも、だ。だから、安心して殺してくれ〟。日本では大抵の場合、成人は三人殺せば間違いなく死刑です。未成年の場合はまた勝手が違いますが……それはさておき、それでもゲームマスターは、死刑にならない可能性もあるような話し方をしていた。ということは、予定人数は二人なんでしょう」

「…………」

 物知りだ、と素直に褒められる気はしなかった。彼はこういうことを常に意識しながら生きているのだろうか。

 人を殺す身として。

 同じ『復讐のゲーム』を作る者同士だとしても、彼は人を殺し、私は殺していない。これは私の覚悟が足りないということなのか。私が持っている不殺の美学は単なる甘えなのか。私は、殺さず一生罪の意識に苛まれるようにすることこそが復讐だと思っていた。しかし、目の前で人の死を見て、初めてその考えが揺らぎかけた。死は生と決定的に違う。

「葉月さん?」

 急に一人で考え込んでしまったことに気がつき、私は「なんでもない」と首を横にふった。関係ないことに意識を飛ばす程度には思考が散漫になっている。

「さすがに疲れましたね。そろそろ寝るとしましょうか。大丈夫ですよ。夜殺しに来るのはマナー違反ですから、安心して眠りましょう」

 露日は優しく笑って立ち上がり、優雅な手つきで扉を開けてくれた。

「お互い、生き抜きましょう」

 不安げな様子は一切なく、希望に満ちたことを口にする。こちらを元気付けてくれているはずなのに、やっぱりそれは、普通の高校生の行動には思えなかった。

「ありがとう。おやすみ」

 それだけ言って、私はふらふらと自室に戻って鍵を閉め、ふーっと息をついた。

 きっと、露日はゲームマスターとしての自分と完全に折り合いをつけている。自分の行動が社会にばれたときにどうなるのかを把握している。自分が殺す側にいるなら、自分が殺される側になることもきっと想定している。だからあんなに平然としていられるのだ。

 それなら、私は?

 コンコン、とノックの音が聞こえて、再び思考が中断された。露日が何か言い忘れたことがあったのか、と思いつつスコープを覗くと、泣きはらした目をした弥生がいた。今日ほぼ一緒にいた相手。おそらく一番安全な相手。そんなことを考える間もなく鍵を開錠して扉を開けた。

「どうしたの」

「ごめんね。ホールからお水取って戻ってきたら葉月ちゃんが部屋に入るのが見えて、ちょっと話したいなと思っちゃって」

 泣いたことを隠そうと平静を装っているものの、彼女の動揺は見て取れた。

「どうやったら生き残れると思う? 葉月ちゃん」

 もし自分が誰かに拳銃に狙われたとして、どうやったら避けられるんだろう。多分無理だ。反射神経も動体視力もないから、狙われたらどうしようもない。

「一人で行動しないで、複数人で行動するのが一番かな」

「……そうだよね。明日も、一緒に過ごしてくれる?」

「うん」

「ありがとう。葉月ちゃんはやっぱり葉月ちゃんだ。いつも私を助けてくれる」

 弥生は力なく微笑んだ。それから数秒目を見つめていたが、ふっとそらした。

「そろそろ日付が変わっちゃう。じゃあ、また明日ね」

 そのまま扉を開けて弥生は出て行った。

 きっと、彼女は一緒に夜を明かそうと提案されることを期待していたのかもしれない。あの数秒はそれを待っていたのかもしれない。確かに、そう言い出してもよかった。けれど、夜には殺しに来ないであろうという推測と、弥生と一晩過ごす気苦労を鑑みて何も言わなかった。

 私はそういう利己的な人間だ。

 完全なる犯罪者で復讐者の私が、どうやって人を助けられるというのだろう?

 そもそも、いつもは他人に復讐しているのに、人を救うなんて善行が許されるのだろうか。

 そんなことを思いながら布団に入り、眠りについた。


 生きていた。問題なく朝を迎えられた。時計は八時を指していた。眠気覚ましにシャワーを浴びてホールに向かうと、コーヒーの香りが漂ってきた。

「おはようございます」

 松代がキッチンスペースで立ったままコーヒーを飲んでいたようだ。昨日のこともあってか、少し気まずげに目を伏せられた。

「コーヒー、小包装のドリップがあったのでよかったらどうぞ。水はご自分で沸かしてもらって」

 昨日までの愛想の良い笑顔は無くなってしまったけれど、松代は親切に教えてくれた。どれも毒が介入しそうな要素はなく、警戒を続けていることが伺えた。

「ありがとうございます」

 私もミネラルウォーターを一人分沸かしてコーヒーを淹れた。淹れ終わってもまだ誰も来なかったから、松代から離れたソファに座って少しずつ飲む。

 徐々にホールに人が集まってきた。

 赤宮、弥生、露日、最後に猫村。

 全員が無事朝を迎えられたことに一人安堵した。

 朝食は各自で食べたいものを食べる形となり、元々あった菓子パンやパックサラダを中心として、赤宮はスクランブルエッグを作り、私と弥生は茹で卵を用意した。

 それぞれが無言のままソファで食事をつつき回していると、隣のソファから声をかけられた。

「菜柱さんは、誰がキラーだと思っている?」

 もう他の人とは関わりたくないんじゃないかと思っていたから、松代から話しかけられたのは意外だった。松代の方に少し体を傾ける。

「誰にでも殺すことができるタイミングはありましたから、誰とは言えません」

 無難な答えを返す。松代は、ははっと声を出してわざとらしく笑った。

「それじゃあ、一番そのタイミングが多かったのは?」

「……失礼ですが、それは松代さんですね」

「ああ、そうだろうね」

 松代は、自分のことを最有力容疑者だと思っているようだった。

「俺はずっと倉庫にいたから何も分かっていないけれど、いつでも遊戯場に行けたという点で一番怪しいのは分かっているつもりだ。でもね、俺が犯人なら自分から死体を発見して叫んだりしないし、銃声が聞こえたなんて言わない。そうだろう?」

 饒舌に話す様は授業中の教師を思わせたが、どこか不気味で相槌を打つのが躊躇われた。

「俺は殺していない。でも、疑われるのは別にいいんだ。例えば人狼ゲームであっても、怪しい人物ほどスケープゴートにするために真犯人から残される。生き残れるならそれで十分だよ」

「そ、そうですか……」

 反応しにくい。昨日の明るくリーダーシップを発揮しようと頑張っていた姿と比べても、精神が不安定になっているように見える。そして、私に何が言いたいのかも分からない。

「うんうん、こう言っても疑いは晴れないだろうね。分かるよ。ただね、俺は一つ大きな発見をしたんだ。それだけは君たちに伝えたくてね」

 松代はもう私だけに話しかけていなかった。松代は笑顔に固定された顔のまま、ぐるりと全員を見回しこう宣言した。

「昨日、俺は隠し通路を発見したんだ。俺を信じられる人だけ案内してあげるよ」

 誰かが息をのむ音が聞こえた。

「その隠し通路を通れば、もしかしてここから出られるの?」

 猫村からは期待や疑いというものは感じられず、純粋な質問のようだった。松代は首を横に振る。

「いいや、分からないんだ。存在を確認しただけで、俺は自分の作業に戻ってしまったから。猫村くんも一緒に行かないかい?」

「うん、いいよ」

 二つ返事で頷いた。赤宮が「危ないんじゃない?」と言いたげに顔を見つめるも、猫村はひょうひょうとしている。

 もしも罠だとしたら。そう考えるとついて行きたくないが、猫村と松代が二人きりになるのはお互いにとって危険すぎる。

「他には誰か行くかな?」

「……私も」

 二人きりにならないようにしなければ。そんな使命感で名乗りをあげる。もし隠し通路という名の吊り天井で全員一気に押しつぶす作戦だったらどうしよう、なんて思ったが、それなら初日にそうすればいい話だ。きっと大丈夫。と言い聞かせる。

「では、面白そうなので僕も」

 露日が手をあげた。

「わ、私も行きます」

「……一人きりにはなりたくないから、ついてくよ」

 結局全員で行くことになった。

 朝食を片付けてから、松代を先頭に私たちが訪れたのは倉庫だった。雑多に積み上げられたケース類や木でできた衣装ケースをよそに、彼はブルーシートに歩み寄ってそれを持ち上げた。雑に横に放り、床にひざまずくと、モザイク状の床材の隙間に指を突っ込んだ。くいっと指を曲げると、小さくガタリと音を立てて板が持ち上がった。四つの隣り合う板を取り外して現れたのは、取ってのついた灰色の扉。

「ここが、入り口だ」

 扉を開けると、ひんやりとした冷気と埃っぽい匂い、そしてツンとするシンナーのような化学的な匂いがほのかに立ち込めた。人間一人が入れるほどの広さ。深さは分からないが、金属製の梯子が側面に取り付けられて降りられるようになっている。

「どのような順番で降りようか。きっと誰も一番手にはなりたくないだろうから、まずは俺が行こうか」

 何となく、ついていくといった順番に降りることになった。慎重に冷たい梯子を握りしめて床を目指す。……が、思ったよりもすぐに地階の床に降り立った。

 見上げると、天井……私たちまでさっきまでいた床からはさほど離れていない。建物のまるまる一階分くらいの高さで、ここは地下一階と言っていいように思えた。スペースの広さは倉庫と同じくらい。奥には上階と同じデザインの扉が見える。けれど、上とは対照的にすっからかんでほとんど物がないがらんとした空間になっていた。存在感を示すのは中央に置かれた折りたたみ式の台車。隅には回収を待つゴミのように四角い板のようなものが重ね置かれている。そのうち一枚を表にすると、それが油絵であることが分かった。描かれているのは豊かな白髪と髭のおじいさん。どこかで見たことがあるような顔に思えるのは、よくいそうな好々爺だからだろうか。でも、それは失敗作なのか表面には鋭い傷がいくつかついていて痛々しい。

 それにしても、あのツンとした匂いは油絵具の放つものだったのか。目を凝らすとコンクリートが剥き出しの床には絵具のこぼれた痕がある。もしかしたら以前は絵を描くスペースとして使われていたのかもしれない。

 全員が降りてくるのを待ってから松代がノブに手をかけたが、扉はうんともすんとも言わなかった。

「鍵がかかっている」

 露日がどこからかヘアピンを取り出して鍵穴に鍵開けを試みたものの、開く様子はない。

 これ以上先に進めないことが分かり、私たちは大人しく地上に戻った。

「とりあえず、出口はあるんだね。よかった……」

 心底ほっとしたように赤宮が言い、弥生も頷いた。

「あの鍵は、きっと俺がミッションで探さなければいけないものなんだろうね。ということは、俺が鍵を見つけなければ共倒れで脱出できないというわけか」

 歌うように松代が言った。

「そして、仮に鍵を見つけたとしても、俺が隠したら誰も脱出できない」

 自分の言葉の効果を見るように一同を見回し、一段と笑みを深くする。

「は、はは。みんな俺の言葉に従えば悪いようにしませんから。頑張ろうね!」

 熱血教師のようなことを血走った瞳で言う姿は明らかに精神に異常をきたしていた。けれど、誰もそれを指摘できない。弥生は顔を引きつらせ、露日は少し口角を上げ、猫村は無表情のまま。

「松代さん、その、落ち着いて? 出口は逃げないから」

 赤宮が恐る恐るそう言うと、

「それもそうですね。でも、そんなに猶予はないよ。ほら、今日の行動の方針を決めようか」

 ほんの少しだけ声のトーンがクールダウンしたが、主導権を譲るつもりはないようだ。精神状態は心配なものの、別段すぐに困ることはなさそうだから特に気にしないことにした。

「複数人で行動するとしてどういう組み合わせにしましょうか」

 私がそう言うと松代は少し考えるそぶりを見せた。

「ここにいるのは六人だから、三人と三人に分かれるのが一番いいと思うけれど、どうだろう?」

「確かに、それが一番合理的だと思うよ。でも僕は反対だな」

 金髪を揺らめかせて、猫村が即座に首を横に振った。

「昨日僕は赤宮さんと二人で行動していて安全だった。安全な人を分かっているのにそれを今日は別の人と一緒というのは安心できない」

 赤宮も同じくうなずき、弥生もその論理に感じるものがあったようでこちらを見た。

「……赤宮さんは猫村さんと、瀬戸さんは菜柱さんと行動したいと、そういうことですか。困ったね。定原さんはどう思う?」

「僕のミッションは歩くものなので、その二組のどちらとも一緒に行動するのは難しいです。いっそのこと、僕と松代さんで組みましょうか。二人ペアが三つという形になりますが」

「なるほど、致し方ないか。意見の押し付けはリーダーとして望ましくないからね。ただ問題は、定原さんと俺の間の信頼関係だけど……」

「別に二人きりでも気にしませんよ。そのシンプルな服装じゃどう見ても拳銃は持ってなさそうですし」

「それはよかった。じゃあこれでいいね?」

 賛成を示す沈黙。松代と露日が倉庫を出たのを契機にして私を含めてみんな動き出した。

 一時はどうなるかと思ったが、松代の不安定さがネガティブな方向に働くことはなさそうだ。ほっと一安心して横の弥生を見ると、

「…………」

 彼女は松代の背中を睨みつけていた。

「弥生ちゃん?」

 目をぱちぱちとさせてからこちらを見た顔はふんわりとした笑顔に戻っていた。

「何かな?」

「……行こっか」

 深入りしたところで、どうしようもない。そう思って何も見なかったように言葉を返すと、弥生はくすくすと笑った。

「やっぱり、小学校の先生は頼りにならないよね。葉月ちゃん」

 やはり彼女は、私たちの小学校の先生を松代に重ねているようだった。いじめを見て見ぬふりをしてクラスをまとめようとした担任の先生と、不安定な心を持って人をまとめることに執心する松代。

 でも、世の中には良い小学校の先生がいることも事実で、私は安易に頷くことはできなかった。

「さあ、行こ」

 前を向き表情が見えなくなった弥生に手を引かれて、私も倉庫を後にした。


 昨日と同様に私たちはホールのソファで塗り絵。猫村・赤宮ペアはキッチンスペースにいたりソファで休憩したり。露日と猫村はガーデンのほうに行ったようだった。

 途中で各自昼食を取ったり、バイオリンの演奏を聞いたり、遊戯室から持ってきたボードゲームで休憩したり、飽きはしない時間が過ごせた。

「葉月ちゃん、花弁の部分まで緑色に塗ってるよ」

 それにしても、塗り絵にこんなに集中して時間を割いていると疲れる者は疲れる。弥生に柔らかく指摘されるくらい私は注意散漫だったようで、塗り絵は着実に完成に向かっていたものの雑さが見えた。

「これ、完成したらどうなるんだろう。価値なんてないだろうけど、やっぱりゴミに捨てられるのかな」

「うーん、もしかしたら記念品としてゲームマスターさんがとっておいたりしてね」

 弥生は冗談まじりに言ったが、何だか真実味があって納得してしまう自分がいた。何回も行ったゲームの証であり記念である塗り絵が額に入れられて飾られているイメージが浮かぶ。

「もしかして、このゲームマスターさんはゲームがやりたいからやってるだけなのかな。いわゆるサイコパスみたいな」

 迷惑な話だね、と微笑む様子からは昨日の取り乱していたときのような不安は見えなかった。

「それなら『復讐のゲーム』じゃなくてただの『ゲーム』と言えばいいのにね」

 やっぱり、このゲームマスターの目的は普通に生きている弥生からも、ゲームマスターである私の目からも見えそうにない。

「それにしてもお金持ちだよね。わざわざお屋敷を貸し切って、服や食べ物も用意するんだもん。これのために建てられたのかな」

「どうだろう……」

 そうであっても驚かない気がした。でも、何かが引っかかる。色鉛筆で花の輪郭をなぞり思い出そうと試みる。

「さっき見た倉庫の下にあったスペース。あそこは隠し部屋だったけど、油絵を描く場所として使われていた形跡があった。参加者がミッションのためにあそこで一回描いただけにしては汚れが多いし、ブルーシートを引けばいいだけの話だし、もしかしたらこの屋敷の人間が昔は自由に使っていたのかも……なんて、こじつけ気味かな」

「んん、私は見てないからなんとも言えないけど、つまりこのお屋敷はお下がりをゲームに使ってるってことだよね。そっちの方が納得はしやすい気もするな」

 弥生は否定はしなかったものの、はっきりとした肯定もしなかった。まあ、証拠が足りなすぎるし、しょうがない。

 グリグリと複数の花びらを一気にピンクに塗りつぶしていく。分からないことが多くて焦っているのを他人事のように感じた。

「飲み物でも飲む? コーヒーとか紅茶のペットボトルもあったと思うから、取ってくるよ」

「うん、なんでもいい。ありがとう」

 弥生にも私が冷静さを欠き始めているのが伝わったのか、キッチンスペースに行ってミルクティーのペットボトルを二本取ってきてくれた。

「ちょっと休憩しようよ。この調子ならもうちょっとでおわるでしょう?」

 塗り絵は、花や草、花壇の木目といった細々したものは終わっていた、残りは舗装された地面や空のみで、空白は多いものの単色を広げればいいという意味で楽ではある。

「赤宮さんと猫村さんが今晩はカレーを作るって。楽しみだね」

 そういえば弥生は給食がカレーの日はいつもよりニコニコしていたような気もする。好物だったのか。弥生は昨日、夜ご飯は結局どうしたのだろう。毒が入っているかも、なんて言葉についてはどう思ったのだろう。それは、聞けなかった。

「カレーか。大鍋なら、安心だな。昨日は結局菓子パンで済ませてしまったからね」

 気づけばガーデンに続く扉から松代がこちらに出てきた。続いて露日も来る。弥生の手が強くペットボトルを握り込んだ。松代はきっと毒の混入の可能性のことを言っているんだろう。「なるほど」と私がとりあえずの相槌を打ってみた。

「ああ、定原さんとはやっぱり別行動をすることにしたんだ。どうにも鍵が見つからなくて、このままじゃゲームオーバーになってしまうかもしれないから、彼に遊戯場は任せて俺は引き続き倉庫を見てみるところだよ」

 ちょっと固くなった空気を唐突にホールに戻ってきたからだと思ったのだろう。松代はそう説明し、特に返事を求めることなく水のペットボトルをキッチンスペースから一本取り出すと歩き去ってしまった。露日も特に会話することなく行ってしまった。

「あの人、キラーだと思う?」

 完全に扉がしまったことを確認してから弥生が囁いた。

「一番自由に動ける時間が多い人だとは思うけど、あんなに情緒不安定なのが演技だとは思えないな」

「ね。人を殺して不安定になってる可能性もあるけれど」

 弥生は口元を歪めながらも肯定した。

「葉月ちゃんにはすごく申し訳ないんだけど、私は定原君が怪しいと思ってるの。単独行動してた中で一番落ち着きがあるから。人を殺すのに抵抗がなくて、自分が殺されないことを分かってるからじゃないかなって」

「…………」

 一部は真実を突いている。でも、露日のあの落ち着きは多分全てを割り切っているからで、彼自身がキラーじゃないからではないのだ。

「赤宮さんと猫村さんは本当にいい人って感じだし、二人で行動してたし、疑いようがないよね。赤宮さんはサバサバしてて優しいお母さんだし、猫村さんはモデルなのに親しみやすそう。……まあ、私はモデルさんは結構好きだけど、猫村さんのことは知らなかったからどのくらいすごいか分からないんだけど。きっと高級ブランドを扱ってるんだろうね」

「僕がなんだって?」

 今度は後ろに猫村本人がやってきた。弥生は本当に驚いたようで、ボトルを床に落としてしまった。幸い、蓋はしまっていたが。猫村が身を乗り出してそれを拾ってくれた。生え際まできれいな金色の髪がさらりと揺れた。

「猫村さんって、ハーフなんですか?」

「違うよ。この髪色は趣味」

 確かに、モデルには外人っぽく髪を染めた日本人はいくらでもいるような印象がある。私も全く詳しくないけれど。

「あ、あの、猫村さんってどんな雑誌でモデルをしてるのかなって」

 弥生が正直に話すと、猫村は気を悪くした様子はなく、

「雑誌はあまり出てないよ。もっぱらブランドの服着てランウェイを歩くだけだから」

「すごいですね!」

 無邪気に褒める弥生。私もまじまじと猫村の顔を見つめているうちに、なんだか見覚えのあるような気がしてきた。

「やめてくれ。恥ずかしい」

「モデルなのに?」

「モデルは服を美しく見せるための道具だ。顔を見つめられるためのお人形じゃないんだよ」

 そう言ってむくれてみせる様は茶目っけがあって、年上の男性なのになんだか可愛らしく見えた。

「そういえば、赤宮さんを放っておいて怒られないんですか?」

「いやね、スパイスの調合は自分が一からやりたいから邪魔するなって言われちゃって。僕に料理教えるはずじゃなかったのかな」

 そう言って猫村は近くのソファに腰掛けた。

「それで、君たちは犯人当てをしてたの?」

「根拠も何もないものですけど……」

 会話はキッチンスペースの方まで聞こえていたらしい。弥生と二人目を合わせて肩をすくめる。

「猫村さんは何か考えがあるんでしょうか?」

 猫村は意外そうな顔をしたものの、はっきりと首を横に振った。

「それよりも僕はね、復讐するってどんなことなのかなと考えていたんだ。復讐したところでその原因は解消されない。自分の気が晴れるかも分からない。それなのに復讐を続ける理由はなんなのかなって。こんな大がかりなことをするなら準備が必要で、いくらでも冷静になるタイミングはあったはずなのにやり遂げるなんてどういうことなんだろう」

 まるで私に聞かれたように思えて、何かを言わねばと口を開いたが、すぐにこれは答えを求めていない問いだと気づいて口を閉じた。

 何故復讐するのか。

 私の場合、それは相手に痛みと苦しみを味わわせたいからだ。普通の手段じゃ反省させることはできない。反省したところで、それを良い経験として語られてしまうかもしれない。そんなことは許さない。

 自分がしたことを本当に後悔するのは、自分が不利益を被るときだ。その不利益として一番手っ取り早いのが痛みと苦しみ。

 じゃあそれで私がどんな得をするか? 特に何もない。ただ気持ちが晴れる。ずっとくすぶっていた思いが祓われる。それだけでいいのだ。

「復讐するモチベーションとして僕が思いつくのは三つ。一つは怒り。一つは目的意識。一つはけじめ。相手が憎くて行動するのか、自分自身に使命を感じて自分なりの理屈に沿って動くのか、全ての感情から逃げ出すために最後の手を打つのか」

 彼が言うことに納得させられた自分がいた。自分のは、怒りでもありけじめでもあるかもしれない。では、このゲームマスターのモチベーションは? そして露日は?

「何度もゲームをやっていることを考えると、けじめではないように思える。怒りか、目的意識かな、とは思うが、それにどれだけの意味があるんだろうね」

 猫村の瞳は凪いでいて、どこかにいる愚かなゲームマスターというものを天から監視しているようにも見えた。

「胸はスカッとするんでしょうね。きっと」

 弥生は噛み締めるように頷く。彼女も憎む相手はいるから、それを思い浮かべているのかもしれない。

「でも、自分の人生を賭けてまでそんなことをやるのはもったいないような……そんな気もします」

 …………。

「ね、僕もそう思うよ。ゲームマスターはそこをどう折り合いつけてるんだろうね」

 …………。

「菜柱さんもそう思うでしょ?」

 私はやっとの思いで唇を動かした。

「それにしても、関係ない人に人を殺させるという手段は最悪ですね」

「それは僕もそう思うよ」

 猫村は目を細め、眉を下げ、悲しそうに微笑んだ。

「じゃ、僕はそろそろ赤宮さんの様子を見にいくよ。今日こそは全員に食べてもらえるといいんだけどね」

 そのまま猫村は立ち上がり、軽い身のこなしでキッチンスペースまであっという間に行ってしまった。

「葉月ちゃんも、復讐なんてよくないと思うよね?」

 弥生から再度問われた。

「……そうだね」

 正答はそれしかなかった。

「だよね、葉月ちゃんならそう言うと思った」

 弥生はニッコリと笑う。

「……ちょっと、トイレ行ってくる」

 私はよろよろと立ち上がり、弥生の返事も待たずにホールを出た。

 静かな廊下を歩き、問題なく自室についた。水で顔を洗い深呼吸。

 何かが破裂するような音が聞こえたような気がしたが、精神的な幻聴だと思った。

 別に、自分が否定されたわけじゃない。

 多分。

 落ち着け。

 落ち着いた。

 そのまま外に出る。

 ホールの方に体を向ける。

 そこには、黒い布を頭から被った人がいた。

 その手には、鈍く光る包丁が握られていた。

「……っ」

 方向転換して逃げる。走る。

 殺される。

 嫌だ。

「うあああああああああああああああ」

 叫ぶ。見栄なんてどうでもよかった。

「何があった!」

 こちらに向かって前から走ってくる人影。

 足元でガタガタと床板が外れるような音がしたが、構わずに走る。

 前にいたのは露日だった。

 あ、このままではぶつかる。

 そう思った時には一歩遅かった。

 正面から露日にタックルをかまし、私たちは床に転がった。

 殺される。

 ギュッと身を縮めるも、それ以上足音や気配が迫ってくることはなかった。

「葉月さん、葉月さん。大丈夫ですか?」

 露日に今までで一番真剣そうな声をかけられてハッとした。慌てて体を起こして後ろを振り返る。

 誰もいなかった。

 露日も上半身を起こし、私と目が合うと動揺を隠せない表情で、ふうと息を吐いた。

「怪我は、ないですね」

「うん」

「ならよかった」

「追いかけられた。包丁持った人に」

「そうですね。僕を見て床板を外して下に逃げました」

 あのガタガタという音は本当に床板を外した音だったらしい。そういえば、床板が外れる倉庫もモザイク貼りで、この廊下も同じくモザイク貼りのデザインだった。地階があるのも分かっていた。それなら何も驚くことはなかったのだ。

「あの人、誰だったんだろう」

「いや、とっさのことで分かりませんでした」

 座っていてもしょうがないので二人して立ち上がると、ホールの方から人々が走ってやってきた。

「菜柱さん、大丈夫?」

「何があった?」

 説明をしようにも、情報量が少なすぎて困った。

「自室から出ようとしたら黒い布をかぶって包丁を持った人が立っていて、逃げたら露日とばったり会って、黒い布の人は床板を剥がして何処かに逃げて行きました」

「それって、キラーってことかな」

 猫村が首を傾げる。赤宮は「とりあえず無事でよかった」と言った。

「誰か叫んだような気がしたけど、どうしたのかな」

 倉庫にいた松代も心配して来てくれたようだ。同じ説明をすると

「まあ、何もなかったならよかったけれど」

 そう言って、倉庫に戻っていく。

 そして、私は気づく。

 一番自分を心配してくれるはずの人間がここにはいないことを。

「あの、赤宮さん、猫村さん。弥生ちゃんは……」

「あれ、そういえばいないね。僕たちが部屋を出る時はホールにいたような気がしたけど」

「特に気になった記憶はないから、多分まだホールで待ってるんじゃないかな」

 なんだか、すごく嫌な予感がした。

 一人でホールまで早足で進む。足がもつれて、走れる気はしなかった。

 扉を押し開けて、「弥生ちゃん」と名前を呼ぶ。

 返事はなかった。

 ソファに人影があった。

 白い顔。ふわふわとした茶髪。

 そして、丸い額の真ん中に開いた穴。

 赤色。

 瀬戸弥生が死んでいた。


 露日は言った。

「ホールに行こうとしたら、走ってくる葉月さんに会ったんですよ」

 猫村は言った。

「悲鳴が聞こえてきたから駆けつけたら菜柱さんと定原さんがいたよ」

 赤宮は言った。

「瀬戸さんがその時どうしてたのかは分からない。慌てて駆けつけたものだから」

 松代は言った。

「なんだか騒がしいから足を運んだら、俺と瀬戸さん以外の全員が通路にいて驚いたよ」

 誰も、弥生を殺したことと、私を追いかけたことについて口にする者はいなかった。

「キラーが瀬戸さんを殺してから葉月さんを追いかけたのか、葉月さんを追いかけてから瀬戸さんを殺したのかがまずは問題になりそうですね」

 弥生の死体を片付けた後、ホールのソファに集まって私たちは話し合いをすることになった。雑巾で拭いたものの弥生の血の匂いがまだソファに残っている気がして、なんとも言えない気持ちになった。

 露日の言葉に、私は手をあげて発言する。

「私が自室に一瞬戻った時に、銃声が聞こえたような気がした。もしかしたらその時弥生を殺したのかもしれない」

 ということは、その時ホールにいた赤宮と猫村の二人が怪しいのではないか。と思ったものの、銃声が本当に聞こえたのか幻聴なのか断言できる気はしなかったので言わなかった。

「私はホールにいたけれど銃声は聞こえなかった。それは気のせいなんじゃないかな」

「僕も聞き覚えはないよ。それに、銃を撃ってから菜柱さんの部屋の前で待つというのは非効率に思えるけどね」

 露日も松代も銃声を聞いた記憶はなかったようだ。やはり私の幻聴なのだろうか。

「こういうのはどうだろう。まずキラーは菜柱さんを追いかけて悲鳴を上げさせて、途中で床下に逃げて食料品エレベーターを使ってホールに上がった。そして悲鳴を聞いて通路に人が出て行ったタイミングを見計らって瀬戸さんをサイレンサーつきの銃で殺し、再び地階に戻って今度は倉庫の下の梯子から上に戻った。そして何食わぬ顔で通路にやってきた……」

 猫村が松代の顔を真正面から見て言った。

「なっ……俺が犯人だと言いたいのか?」

「うん。O2殺しも今回もアリバイがないのはあなただけだから」

「違う! そもそも床下はそんな自由に出入りできるのか? 倉庫の下のドアは開かなかっただろう」

「僕と定原さんが確認したところ、床板を外すことは簡単にできたけれど、通路から床下に出る隠し通路も鍵で封鎖されていて入りようがなかった。確認はできないけど、キラーがその辺の鍵を渡されていたなら話は別だよ。あなたは元から持ってる鍵を探すのがミッションだと偽って、本当は地階から自由にどこにでも行けたのかもしれない」

「ボディチェックでもなんでもすればいいじゃないか。俺はまだ鍵を見つけてないんだから」

「あなたが疑われることを見越してすでにどこかに隠しているのかもしれない。調べたところで可能性は消えないよ」

 明白にならない部分を根拠に松代を追い詰める猫村の主張を誰も否定できなかった。

「それは、お前たち二人にも言えることじゃないか! 二人で結託したんじゃないのか?」

「仮に僕らのどちらかがキラーだったとしても、どうして参加者がキラーを助ける必要がある?」

「言わなければ殺さないでおいてやる、なんて言われたんじゃないのか? きっとべらべらしゃべるお前がキラーだな? 赤宮さん、本当のことを話してくださいよ」

 赤宮は俯いて首を振る。

「……もう、こんなところにはいられない。俺はこれから引き続き鍵を探すから、邪魔しないでくれ」

 松代は怒りを押し殺したような低い声でそう宣言すると、通路の方に行ってしまった。

 沈黙。

「もう僕も、はっきりとキラーに追いかけられていた葉月さん以外信用できません。お二人のことを疑っているわけではないんですけど、もうみんな怖いんです……」

 突然露日が頭を抱えて弱々しい声を漏らした。

 〝葉月ちゃんがいればなんだかどうにかなる気がするんだ〟

 〝葉月ちゃんはやっぱり葉月ちゃんだ。いつも私を助けてくれる〟

 弥生の言葉がフラッシュバックする。

 私は結局、何もできなかった。

 露日のことくらいは、守らないと。一応、年上なんだし。

「露日、行こう」

 私は驚いた表情の露日の手を引いて、ガーデンに出た。

「あの、葉月さん、どうしたんですか」

 扉が閉まり、ガーデンの優しい空気が頬を撫でたところで、露日が困ったような声をあげた。露日の顔を見ると、本当にぽかんとしている。

「え、あれ、あそこにいるのが嫌だったんじゃないの?」

「……」

 露日は、一瞬笑ったもののすぐに表情を消して真顔になった。

「……すいません。気を使わせてしまって。本当に怖いと思ったわけじゃなくて、僕なりに思うことがあっての振る舞いでした」

 確かに、昨日あと死ぬのは一人だ、と言っていたのに怖がる姿を見せるのはおかしいなと思ったんだ。なるほど、無害さをアピールしたかったのかもしれない。

「なんだ、よかった」

「…………」

 露日は気まずそうに黙り、奥にあるベンチまで歩いて並んで腰掛けた。

「その、瀬戸さんのこと、ショックでしたよね」

「うん、まあね。数年ぶりに会ったとはいえ幼なじみだし」

「身近な人が死ぬのは悲しいことです。そういうことをする悪い人間は、生きているべきではない。そうですよね」

 露日は、同意を求めるように強い口調で言った。

 どうやら気を遣わせてしまったようだった。あんなに私のゲームを引っ掻き回して批評した彼が。躊躇なく人を殺した過去を告白した彼が、一友人をなくした私を心配している。それを嬉しいと思う前になんだか不思議に感じて、私は露日を見返す。

「……僕が、ゲームマスターをやっている理由、結局あの時言えませんでしたよね」

 露日は私の考えていることが分かったように、言葉を紡ぐ。

「僕はね、この世から悪人をなくすためにゲームマスターをやっているんです。人を殺すような人間に、人を傷つけるような人間に生きている価値はない。だから、僕が殺すんです。要するに、全ての悪人への復讐ですね」

 露日は、柔らかく笑んでいた。夕暮れの赤い光が、髪をきらめかせた。

「じゃあ人を殺す自分は裁かれなくていいのかって思いますよね? 別に、自分を例外にする気はありません。全員殺したら僕も責任を取って自殺しますから」

 それは、高校生が言うような言葉ではなかった。自分に酔った響きはなく、淡々と、こちらを納得させるために事実だけ言っている。そう思えた。

「そんな顔しなくていいんですよ。葉月さんも、分かってくれるでしょう? あなたも同じ人間だ。目的のためにゲームを続けているんだから」

「……なんで、そうしようと思ったの?」

「秘密です」

 優美な笑みを返し、逆質問をする。

「それじゃ、僕からも質問です。葉月さんは、なんのためにゲームを続けているんですか?」

「友達の仇をうつため。一番相手を苦しめられるゲームを作るために何度も練習している。殺さずに、あいつらに生きている間永遠に後悔させるために」

 露日は何度も、私を肯定するように頷いた。そして、立ち上がって花壇の方に一人歩み寄る。私はそれをぼーっと見ていた。

 やがて、戻ってきた手には紫色の小さな花が握られていた。根っこからちぎったようで、土がついていた。

「これ、イソトマという花です。」

「……ありがとう」

 まるで小学生みたいだ、と思いながらも受け取ると、露日はくすくすと子供のように笑った。

「それ、汁に猛毒があるんです。気をつけてくださいね」

「えっ、なんでそんなものを」

 私は花を取り落とし、イソトマはふわりと地面に落ちた。

「この花壇の花はどれも毒があります。持ち主の趣味なんでしょうね」

 そうじゃなくて、なんでそれを私に渡したのか聞きたかったのだが。

「もし、その仇の方の名前を教えていただけたら僕が始末すると言ったらどうします? ずっと復讐を志すのは辛いでしょう。出会ったよしみで僕が肩代わりしましょうか?」

「言わないよ。私が自分でやることに意味があるんだから」

「当然ですよね、すみません」

 おどけて舌を出す露日に、私はこう言う。

「それに、君が肩代わりしたら、私のことも殺すんでしょう?」

 私も、他人を傷つける存在だから。

 露日は、肯定も否定もしなかった。すっと真顔に戻る。

「そろそろ戻りましょうか。夜は冷えますから」

 そう言ってくるりと後ろを向いた。

 その後ろ姿はどう見ても華奢な高校生で、なんだか寂しげに見えた。

 ホールに戻ると、カレーのいい匂いが漂ってきた。毒のある花云々を聞いて食べるか否か悩んだが、やはりそれならもっと早い段階からやっているだろうと考えて四人で食べることにした。

 猫村が先に食べて毒がないことを示したのちに、私たちも食べ始めた。給食のように甘いカレーで美味しかった。

 私も薄々と感づいていた。この中にキラーがいるということを。明確な論理はないけれど、松代の行動はあまりに白く見えたから、赤宮か猫村のどちらかがキラーで、片方は従っているという松代説が正しいように思っていた。それでもキラーの作ったカレーを食べてしまった。

 何故だろう。毒見済みだから。食べ物に罪はないから。どれもそれらしいけどピンとは来なかった。私はそこまで合理的な人間ではないから。

 きっともう、私は考えるのに疲れているのかもしれなかった。

「ご馳走様でした。僕らは今晩同じ部屋にいることで自分たちの身を守るので、くれぐれもお二人もお気をつけて」

 皿洗いを引き受け、自分の部屋に戻ろうとする赤宮、猫村に向けて露日はそう言った。

 聞いていない、と横を見たが本人は涼しげな顔をしている。二人は茶化すわけでもなく、「お気をつけて」の方に反応したようで真剣な表情で頷いた。そして、扉を開けてホールを出て行った。

「今晩同じ部屋にいるの?」

 流石に二人が部屋に入ったであろう時間を見計らって、スポンジで皿を擦っている露日に問うと、「ええ」と肯定された。

「まあ、これはブラフみたいなものなんですけどね。念のため」

「どういうこと?」

「後で説明しますよ。夜は長いですから」

 露日は洗っていた最後の皿を布巾を持つ私にパスしてタオルで手を拭いた。

「では、九時に僕の部屋でお待ちしています」

 そして、そのまま行ってしまった。


 シャワーを浴びて、時間を潰し約束通り九時に五号室をノックすると、露日はすぐに開けてくれた。

「ようこそ」

 昨日はなかった歓迎の言葉。部屋に入ると、ベッドには大袋に入ったお菓子がたくさん並んでいた。ベッドを支える足の横には魔法瓶とコップもある。さながらお菓子パーティでもするようだった。

「どうしたのこれ」

「キッチンのエレベーターにリクエストを出しました。魔法瓶の中身はホットココアです」

「そうじゃなくて、なんで用意してるのか聞きたいんだけど」

「嫌だなあ。皆まで言わせないでください。……どうせ、寝られないでしょう?」

 否定はできなかった。その様子を見てか、彼の薄い唇は満足げに弧を描いた。

「別に、お菓子パーティで終わらせる気はありませんよ。これから始めるのは僕の推理ショーですから。さあ、お座りください」

 芝居がかった物腰で彼にベッドまでエスコートされ、昨日と同様に隅っこに腰掛けた。

「推理ショーって、何が分かったって言うの? キラーが赤宮さんか猫村さんなのはなんとなく察しがつくけど」

「何が分かったかって、全てですよ。きちんと理屈をつけてキラーが誰で、何をしようとしたのかを示しましょう」

 そう言って、露日はポテトチップスの袋を開けた。

 ポンっと軽い破裂音がする。

「もし、この袋を隣の部屋で開けたとして、葉月さんは果たしてそれに気づくでしょうか?」

「無理だよ。銃声ならまだしも……」

 銃声と無意識に口に出してハッとした。露日は会話の流れを予想していたように、滑らかに喋り続ける。

「では、銃声はどのくらい離れていても聞こえるんでしょうか。これがまず最初のポイントです」

 二回の殺人。二回の銃声。

 一回目の殺人は遊戯室で起き、その一つ離れた倉庫では銃声が聞こえたらしかった。けれど、ホールではそれらしき音を聞いた記憶は誰もなかった。

 二回目の殺人はホールで起き、自室にいた私は銃声を聞いたような気がした。しかし、通路にいて聞こえなかったという人も、遊戯室や倉庫にいて聞こえなかったという人もいた。

「まず、銃声が聞こえた人の話に注目しましょう。まず、松代さん。彼が犯人だとしてもそうじゃないとしても、聞こえなかった銃声を聞こえたと言うメリットはありません。信用されないでそうし、悪あがきと思われるのが関の山ですから。というわけで、松代さんは本当に銃声を聞いたという前提で話を進めます。そして、二回目の銃声を聞いた葉月さん。一応伺いますが、あなたは何故気のせいだと思ったのですか?」

「……聞いた記憶は確かにある。でも他の人が誰も聞いていないと言うから自信がなくなって」

「自信はどうでもいいです。聞いた記憶があるなら十分。銃にサイレンサーがついていたにせよ聞いた人と聞かなかった人がいる。その違いは距離です。ある程度の距離までは聞こえたけれど、それより離れた場所やうるさい場所では銃声は聞こえなかった。これからその境界を求めます」

 距離という話をしなくても、私が聞こえたなら他にも聞こえているだろう人が嘘をついていると指摘すればすぐに怪しい人物を絞ることは可能だ。けれど露日はそうしない。

 周りくどく、一つ一つの穴を埋めて回る。

「音の伝わる過程というのを真面目に考えてもいいのですが、今回は単純に空間を隔たり障害物を隔てれば聞こえる音は小さくなるとして、簡便に足し算を用いて考えてみましょうか。扉を一点、空間を二点として、様々な距離を数字で表してみましょう。

「倉庫と遊戯室。ここは扉で接しているので一点。これは聞こえる距離ポイントです。遊戯室とホールは通路という空間と二枚の扉が間にあるので四点で、これは聞こえない距離ポイント。倉庫とホールは空間が二つと扉が二つで合計五点。これも聞こえない距離ポイント。では、ホールと個室の距離ポイントはいくつでしょうか。

「ええ、空間一つと扉二つで四点です。これは聞こえる距離ポイント。……矛盾が生じたの、分かりました?

「距離ポイントが四点でも聞こえる場所と聞こえない場所がある。これの理由が分かりますか?

「いくら音が聞こえてきても、その室内自体がうるさければ外からの音は聞こえません。例えば遊戯場のような場所ではね。ですから、遊戯場にいた僕はホールでの銃声に気がつかなかった。では、遊戯場でO2さんが殺された時は?

「ホールは静かで、銃声は届くはずだった? その計算が間違っている? そんな顔をする前に、思い出してください。ホールの中で大きな音が聞こえた時間はありませんでしたか?

「そう。瀬戸さんの演奏。僕たちがそれを聞いていた時に犯行は行われたんです。

「さあ、まとめに入りましょう。一回目も二回目も犯行が可能で、尚且つ嘘をついている人間は誰か? それは赤宮さんと猫村さんです。松代さんの感情的な指摘が実は真実を指していた。どちらかがキラーで、どちらかは参加者で、自分の命惜しさに協力していたと考えればいいでしょう。さて、キラーはどちらだと思いますか?

「言い換えましょう。拳銃を持ち歩けたのは、誰ですか?

「この支給された洋服。男性のものはいくらかゆったりしているとはいえ体の線にあっていて、拳銃をどこかに固定したとしてもくっきり見えてしまいます。しかし、女性の服はワンピースです。内腿にバンドを巻いてホルスターに入れておけば、問題なく持ち歩けます。

「ここまで言えば分かりましたね? キラーは、赤宮花です。実に初歩的な推理でしたね」

 確かに、初歩も初歩だった。凶器を使える人間は、凶器を持ち運べる人間。それに気づいた時点で三択、二択、いや一択だったのだ。

 主婦であり母親である明るいあの人。猫村に楽しそうに料理を教えていたあの人。それと、淡々と抜け目なく人を殺し、脅して仲間を作った手腕が結びつかない。けれど、その性質はどれも矛盾するものではない。無事に帰るために、家族との確実な未来を取った彼女は心を鬼にしたのかもしれなかった。

「…………」

 もしかすると、私があのタイミングで自室に戻らなければ弥生は死ななかったのだろうか。それか、私が自室に行くより前のタイミングで弥生が個室に戻ったら、私が死んでいたのだろうか。

 命の価値なんて考えても仕方がない。

 弥生の死が悲しいのかもよく分からなかった。

 ただ、また守れなかったことだけが心臓に重くのしかかる。

「僕たちは生きて帰れます。それでいいじゃないですか。復讐ができる未来が待ってるんです」

 露日が魔法瓶のココアをコップに移して差し出してくれたので、ありがたく受け取る。

 ゲームマスターという要素を除けば、この人は気遣いができる優しい人間なんだろうなと思った。きっと、好きな教科も嫌いな教科もある普通の高校生なのだ。

「露日……」

 結局君は何者なんだろう。どんな人間なんだろう。何を質問すればいいのか分からなくて、そのまま言葉は途切れる。

「さて、この話はこれくらいにして、別のことでも話しましょうか」

 相変わらず優美で隙のない笑みを浮かべて、露日は私を見る。

「何がいいですかね。そうだ、僕の最初のゲームの話なんてどうですか?」

 結局、自分と彼はゲームマスター同士でしかない。好きなものや普段の生活なんて、話す必要がない。そう、ラインを引かれたような気がした。いやきっと考えすぎだ。もともとゲームマスターとしての話をゆっくりするために会ったのだから、本来の目的を果たす誠実な行いだろう。

「うん、聞かせて」

「最初のゲームは、二年前……中学三年生の時の一月に行いました。集めた人間は、とある殺人の遠因となった大人たちです。僕はその大人たちの罪を知っていて、たまたまネット掲示板で会った『復讐のゲーム』のゲームマスター経験者にばれない場所を教えてもらい、手を貸してもらって初陣を飾りました。あまり綺麗で優雅なゲームではありませんでしたが、歳上相手でも意外とどうにかなるという経験にはなりました。それからは、月に一回ゲームを開くことを目標に一人でコツコツと研鑽を積みました。振る舞い方を考え、バイトをし、いざというときに素手で戦う方法を身に付け、情報収集をする。学校裏サイト、SNS、個人情報が晒されている匿名掲示板、情報屋。色々利用しています。おかげで性格も当時とは変わってしまい……おっと、話が逸れましたね」

 露日は芝居がかった仕草で頭をかく。

「性格、昔はどんなだったの?」

「ふふ、普通の中学生男子みたいなのですよ。今の僕は格好つけで気障ったらしいでしょう?」

 ……自覚があったのか。

「全部後付けです。舐められず、雰囲気を出すのに一番良かったから。なんとなく髪を染めてみて、それが習慣になったこともありました」

 その紫がかった髪色も、染められた人工的なものだったのか。デスゲームのプロみたいな風格を漂わせた彼にも無垢な初心者時代は確かにあったのだ。定原露日であろうとする名前も知らない少年、青年はどんな笑顔を浮かべていたんだろう。

 考えても仕方ないことだけど。

「ゲームを始めた理由は教えてくれないんだよね」

 箸でつまんだキャラメルポップコーンを頬張りつつ露日は頷く。咀嚼して飲み込んでから、

「あなたが復讐の目的としている友達の仇について詳しく話してくれたら僕も話してもいいですけどね」

「……ごめん、話せない」

「ですよね」

 サクサク、と小気味よい咀嚼音。

「話したら何かが変わるものでもないですし、その点を考えれば断る理由もないんですけど、やっぱりどちらにせよ何も変わらないなら自分のうちにしまっておきたい。そうでしょう」

 同意の代わりにココアのマグを両手で握り込んだ。

「結局、自己満足だもんね。他人に言う必要も知ってもらう必要も何もない。ゲームの相手が苦しめばそれでいい」

「違いないです。悲しい記憶を人に話したら軽くなる、なんてあれは嘘ですよ。わざわざ口に出して思い出して他人にも知らしめて、何の解決にもなりやしない。自分の納得できる方法を探して一人でどうにかするしかないんです」

 露日はポップコーンの袋を一人で空にしようとしていた。

 二人とも根本を明かす気はなかった。けれど、同じ選択をした身として、多少の傷の舐め合いはできた。

「もし、あなたが復讐したい相手がきちんと法に裁かれたらどう思います?」

「嬉しいけど、残念だな。罪が罪として認められるに越したことはないけれど、罪になったら贖えるものだと思われてしまう。実名が報道されるのは痛いことだと思うけれど、お金を払うか何年か引きこもって許しを受動的に待つだけの身になるなんて許せない」

 加害者と被害者はどちらが楽なのか、選べるならどちらがいいか、みたいな話は究極の二択としてたまにあげられる。自分に明確な傷がつかない加害者と、自分以外は誰も傷付かないように受け入れる被害者。加害者は許しを待つだけ。被害者は一生忘れない。

 加害者に罪を償うという概念があることを、私は認められない。時間が経てば、一定のことをすれば許される。そんなことがあるわけがない。

 永遠に苦しんでほしい。

「だから、私は……」

 口に出そうとして、口調がなんだかふわふわして舌が回らないことに気づく。

 眠い。

 上体がふらつく。

「寝ていいですよ。さすがにいろんなことがありすぎて疲れているんでしょう」

 優しくそう言って私の顔を覗き込む露日。せっかくたくさんお菓子を用意してくれて話せる機会だったのに、なんてもったいない。そう思うも睡魔には勝てなかった。

 ぼんやりとした意識で、どうでもいいけれど大きな問いが残っていることに思い至る。そういえば何故ゲームマスターはこの『復讐のゲーム』を行ったのだろう?

「やっぱり、僕もあなたも悪い人なんですね」

 囁き声。そして意識がフェードアウトした。


 パチリと前触れもなく目蓋が開き、目が覚めた。電気は消えていたがすぐに目が慣れた。体をひねって時計を見ると八時を少しすぎていた。健康的な起床時間に思えたので二度寝はせずに体を起こす。昨日はそのまま寝てしまったから、膝は直角に曲がって床に足をつけている状態のままだった。本来寝る方向とは直角な向きだったから申し訳なくなった。

 横を見ると、私と同じ寝方で露日も眠っていた。紫がかった髪が目元を覆っている。薄い唇はほのかに開いていて、楽しい夢を見てほころんでいるようにも、悪夢の恐怖にあえいでいるようにも見えた。起こすのが忍びなく何となく顔を見ていたが、未成年の顔を凝視する成人女性というのは事案のような気がしたので慌てて目を逸らした。余罪が増えてしまう。

 手持ち無沙汰でゴミをまとめて起きるのを待っていると、眠りが浅いたちなのかすぐに露日は目蓋を開いた。

「おはよう、ございます」

 眠そうな年相応の声だった。が、数秒で彼は定原露日になった。

「よく眠れたようで何よりです。すっきりした顔をしてますよ」

 自分の顔はまだ見ていないから分からないけれど、皮肉じゃないならそうなのだろう。

「さて、じゃあ皆さんの無事を確かめにホールに行きましょうか」

 露日は服のしわを軽く引っ張ってから部屋を出るべく扉に向かった。自分の服を見て露日の物よりもしわが多い気がしたが、気にしないことにした。そして特に異論はないのでついていく。誰も死んではいないと思っていたので軽い気持ちでいた。

 ホールにはまだ誰もいなかった。

「最終日なんだしミッションのやり残しがあったら大変だ。モーニングコールに参りますよ」

 そう言って露日はぐんぐん引き返し、生者の部屋をノックする。死者の部屋や私たちの部屋を除外すれば消去法で分かった。

 一部屋目。ノックすると、少しだけ扉が開き、隙間から声がした。

「何? まだ朝の支度中なんだ」

 赤宮さんだった。昨日や一昨日と変わらないカラッとした明るい声音。いや、むしろいつも以上に明るいようにも思える。今日で解放されるから当然だろう。そのために犠牲を払ったのだから。顔が見えず、うがった見方だけが自分の中に広がっていく。自分に彼女を責める資格なんかないのに。彼女は加害者になることを強要された被害者であって、生きるために行動したことは余程の聖人以外は石を投げられない。自分だって、そうしたと思うから。

「いえ、モーニングコールです」

 爽やかに露日が返す。隙間から笑い声が聞こえて、扉は閉じた。

 二部屋目。ノックをしても返事がない。シャワーを浴びてるのかもしれないと思ったが、なんとなくドアノブを引いてみると、

「開いた……」

 顔を見合わせて、そっと扉を開く。

「おはようございます。モーニングコールです」

 露日が一歩踏み入れ、私もそれに続いた。

 ふわりとなんだか嫌な匂いがした。その正体に気づく前に私たちはベッドの前にたどり着き、それを発見した。

 金髪の男。ベッドに横たわり、目は見開かれ、腹部に棒が突き出ている。いや、突き出ているのではなく突き刺さっているのだ。根本に銀色の鈍いきらめきが見えて、これが包丁か何かなのだと悟る。

 露日が彼の目の前に指をかざして動かし、瞳孔の反応がないことを確かめると短くため息をついた。

「駄目ですね」

 ……三人目の死体。包丁の向きからして自殺とは思えない。

「本当は三人以上殺すミッションだったのか、もしくは……」

「殺人狂にでもなったか、ですね」

 露日は猫村の目蓋を優しく下ろしながら言った。

「松代さんが心配だ。行こう」

 私たちは早足で最後の生存者である松代がいるはずの部屋に向かった。

 三部屋目。ノック。ノック。チャイムはないから鳴らせない。返答はなかった。ドアノブを引くと当たり前のように開いた。何が起きたのか分かったような気がして、扉を開く手が重くなる。

「行きましょう」

 露日の声に従い中に入る。鼻はもう麻痺していて何も分からなかった。けれど、奥に入るまでもなくそれは見つかった。ベッドまで続く通路に丸まって倒れ伏している体。背中には包丁が刺さっている。

 露日はその体に触れ、「冷たい」と呟いた。

 四人目の死体。

 急に二倍になった死者。

「全部赤宮さんがやったっていうの?」

 私の独り言に律儀に返事がくる。

「相討ち殺人なんてものもありますが、この状況では考えにくいでしょうね」

 それ以上部屋の奥には入らず外に出ようとする露日を見て、「これからどうする?」と尋ねた。

「僕のミッションはコンプリートしました。なので、食事を取りつつホールであなたの塗り絵を完成させ、赤宮さんを待ちましょう」

 十二時のタイムリミットまではまだ時間がある。それに、赤宮を下手に刺激したくはなかった。私は、あと空の色を塗るだけの塗り絵を持ってホールに向かった。

 コーヒーと未開封のバターロールを食べながら鉛筆を斜めにして面を大きく使って空を塗り広げる。その様子を露日はしげしげと見ていた。

「ミッションというわりになんとも簡単そうなとは思いましたが、ある程度は理にかなっていたようですね。一箇所に留まって集中せざるを得ない人と、僕のように歩き回らないといけない人を用意して、獲物を探すキラーのカモフラージュにする。大きいミッション一つより日毎にミッションが変化した方が面白みと混沌さはアップするような気もしますが、制御の難しさを考えるとこんなものなんでしょう」

 塗り絵自体を見ているわけではなくその目的や効果を批評する。彼自身は一体どんなゲームを作っているんだろう。昨日聞いておけばよかった。

「……でも、罪のない人の手を汚させるというスタイルにはあまり好感を持てませんね」

 所々荒いが塗り終わったと言っていい絵を持ち上げて照明に透かしながら、彼は誰かに聞かせるような大きな声をあげてそう言った。

「ね、そう思いませんか、赤宮さん」

「……こんなゲーム自体私は好感を持てないけどね」

 赤宮がやってきた。ワンピースに割烹着。拳銃を持っているのかは分からない。目の下にははっきりとしたクマが刻まれ疲れ切っていた。

 スッと人差し指を伸ばし、露日はこう宣言する。

「キラーはあなたですね。赤宮さん」

「うん。そうだよ」

 苦々しげに笑い、赤宮は肯定した。

「それで、どうするの? もうそろそろゲームは終わりだ」

「もし、ここを出た後に通報すると言ったら?」

 赤宮の顔から笑顔が剥がれ落ちた。ひらりとワンピースの裾を跳ね上げて流れるように太ももに手を伸ばす。こちらに伸ばされたその手には、拳銃が握られていた。

「通報はさせない。それじゃ全部が水の泡だからね。私は、私は、生きて夫と子供に会うんだ。そしていつもどおり平和に過ごす。何も悪いことなんかしていない。邪魔しないで」

 銃口は露日を向いている。それなのに、露日は優雅に一歩一歩赤宮に近づいていく。

「く、来るな! おとなしく通報しないことを約束すればいいんだよ」

 露日の胸が、銃口に当たった。

「分かってますよ。ないんでしょう? 弾」

 かちりと引き金を引く音が聞こえたが、それだけだった。赤宮は小さく呟いた。

「…………誰か、助けて」

「今だ!」

 露日の声を合図に通路側の扉が開いて誰かが飛び込んできた。そして、目を白黒させている赤宮の頭に何かを振り下ろす。鈍い音。ぐらりと床に崩れ落ちる赤宮。

 そして、ホールは静まりかえった。

「赤宮さん……」

 私は誰にも聞こえないくらい小さな声で彼女の名を呼んだ。彼女は恐ろしいキラーというだけではなく、助けを求める側の人間だった。ゲームの枠に沿って動いた私たちには助けることができなかった。これで、私たちは安全。でも本当にそれでよかったのだろうか。

 …………。

 例えばゲームに反逆したら?

 ゲームを進める側でしか見てなかった。ゲームをどうにかして壊すという選択もあったはずなのだ。結果死んでしまうようなものしかなかったとしても。

 彼女は生きている。生きてはいるが、本当に元の平和な生活に戻れるのか。強いられて人を殺した記憶は、罪の意識は、誰も救えず誰も救わなかった彼女は、今後何を思って……。

「これで、俺たちは安心なんだよね? 定原くん」

 闖入者の声で思考は打ち切られた。それは死んだはずの松代だった。「ええ」と露日が頷く。

 確かに死体があったはずなのに、と一瞬混乱したものの一つの可能性に行き当たった。あれはもしかして別人の死体に包丁を突き立てたものだったのではないか。その死体はきっとO2のものだ。それにしても、

「油断させて襲撃する作戦を立てていたなら、私にも言ってくれたらよかったのに」

「すみませんね。でも、顔に出たりチラチラ扉を見られたりしたら嫌だったので、死んだことにさせてもらおうかと。万が一赤宮さんも一緒にモーニングコールすることになったら嫌でしたし」

 そんなに顔に出るタイプではないのだが……。まあ、そういうことにしておこう。

「死んでないよね、赤宮さん」

 松代はそわそわと心配そうに赤宮の呼気を確認していた。振り下ろした鈍器はビリヤードのキューだったらしいが、特に血はついていなかった。

「うまく加減できたようでよかったです。では、個室に運んで閉じ込めておきましょう。これで完全にゲームセットです」

 私が赤宮の懐を探り、鍵を取り出した。松代が部屋のベッドまで運ぶのを二人で見守り、最後には鍵をかけた。

 それぞれが個室に戻って私服に着替え、ホールに戻ってお茶を飲みつつ十二時まで時間を潰すことにした。

「いつ露日と松代さんは結託したんですか?」

 松代はつきものが落ちたかのように冷静な表情のまま、回想するように遠くを見つめながら説明してくれた。

「昨日の夜だ。八時かそこらの時に、俺の部屋を突き止めてやってきて、鍵を差し出してこう言った。『自分の作戦を手伝えばこの鍵を渡しましょう』と。遊戯室を探した時にすでに見つけていたらしいよ。全く若いのにとんでもない人だ」

 露日は私を見ていたずらっぽく舌を出した。

「なんていうか、定原君は危なっかしいことばかりするね」

「そうですか?」

 きょとんとした顔。危なっかしいという表し方がなんだか新鮮で面白い。

「だって、銃を持っている人にあんなに接近して挑発もしたじゃないか。そんなに絶対的な確信があったのか?」

「……今までの死体は一発ずつしか撃たれてなかったから、殺す人数分の弾しかなかったからじゃないですか。合ってる?」

「よくできました」

 私が答えると、露日はパチパチと拍手をする真似をした。

「初めて銃で人を撃ち殺すなら、保険のため何発も撃ちたくなるのが心情です。それを一発で終わらせたということは弾不足の可能性があったからでしょう。それで、足りなくなっても猫村さんのことだけは殺したかったから最後はナイフを使った。そんなところでしょうね」

 松代は頭をガシガシとかいてソファの背もたれにもたれた。

「確かにそうなんだろうけど、どうしたらそんなに冷静に分析できるのか分からないよ。普通の高校生だろう?」

「ミステリが好きなんですよ」

 口角をほのかにあげて、いつも通りの笑顔の仮面を被った。そして、懐から取り出した何かを松代に放る。

「鍵か」

「もうそろそろ十二時です。ゲームセットといきましょう」

 高らかに宣言し、先陣を切って歩き出す。私たちもお茶を飲み干してそれに続いた。

 倉庫の床下の扉を開き、梯子を降りて地階の空間に入る。松代が鍵を開くのを待つ間、何とはなしに隅に置かれた絵画を見ていた。結局これはただのゴミだったんだろうか。

「その絵、誰が描かれているのか分かります?」

「ううん。何だか見覚えがある気はするんだけど……」

「そうですよね、僕も分かりません」

 カチャリと鍵の開く音がした。そして、重いものが落ちる鈍い音がした。

「嘘つきだな。定原さんは」

 扉を振り向くと、キラキラした金髪が目に入った。

「猫村さん……?」

 死んだはずの猫村が、脱出口であろう扉の外からこちらを見ていた。後ろには仮面をつけたスーツの男が二人控えている。猫村の紫色のシャツと緑のスラックスを履いた姿は、もはや参加者としての格好ではなく相手が何者か分からない不気味さを増長させた。

「何で、猫村さんがここに?」

「嫌だな、菜柱さん。冷たいことを言わないでよ。僕もこのゲームの関係者だからね、いるのは当然だよ」

「で、でも、猫村さんは死んで」

 尻餅を着いたらしい松代が言葉をつまらせながら問うと、猫村さんは「あはははは」と声を出して笑った。

「うん。あの猫村翠は死んだね」

 状況が何一つ分からなかった。こちらの混乱を楽しんでいる猫村。死んだということを肯定する猫村。じゃあ、今目の前にいるのは……?

 唯一何も言葉を発していない露日を見る。これも彼の策略なのかと希望を持って見つめるも、彼の瞳は猫村を捉えて揺れていた。明らかに彼は動揺していた。

「とりあえず、まずは自己紹介といこうか。初めまして、僕の名前は猫村翠。このゲームのゲームマスターだ。どうぞよろしく」

 茶化すような口調ではなく。至極真剣な調子で猫村はお辞儀をした。こちらがポカンとした表情をしているのに気づいたのか、困ったように眉を下げて咳払いをする。

「ええと、もつれた糸を解いていこう。まず、ゲームに参加していた猫村と名乗る男は僕の影武者だ。彼は、顔のパーツを僕に似せて整形してもらった男のうちの一人でね。髪の毛はカツラだけれど、振る舞いなんかはある程度似せて行動できる優秀な人だった」

 影武者? そんなの偉い人や貴族の世界の話じゃないのか?

「まあ僕はお金はたくさん持っているからね。そういうことができるんだ」

 お金を持っているとは言うものの、嬉しそうではなく苦々しげな表情だ。

 絵画、金、見覚えのある顔、絵画、影武者……。

 それらが頭の中でこじつけられて、推理とも呼べない妄想が練り上げられる。

「猫村さんのお金というのは、もしかして猫村さんの親のお金なんですか?」

 猫村は首肯する。

「この屋敷も、親のもの?」

 肯定。

「じゃあ、ここにある絵に描かれていた男性は……」

「僕の父だ」

 松代が絵を見てあっと驚いたように大声を出す。

「これ、貴金属貿易で有名なH社の社長じゃないか?」

 聞き覚えのある有名企業の名前だった。

「うん、正解だね。そういうわけで、お金を持っている僕は屋敷を使ってゲームを開き影武者を投入した。そして、その影武者は殺された。君にね。定原さん」

 露日の顔色は変わらない。けれど、彼は否定しなかった。

「あの猫村さんを殺したのは、君なの?」

 私は露日の目を見た。そこに笑顔の仮面はない。私を映し返す黒々と光る闇。

「ええ」

 返ってきたのはやはり肯定だった。

「何で」

「彼がゲームマスターだと思ったからです。ルールを三つ設定し、守らないと死だと言ったわりにそれを監視する方法も執行する方法もなかったこと。いくら殺すのがルールと言われても、普通一人の一般人があんなに早く覚悟を決めて要領よく殺せないこと。そんなことを考えれば、この参加者の中にゲームマスター側の人間がいるのは明白でした。キラーである赤宮さんに常に付き添っていた猫村さんを怪しむのは当然でしょう」

 確かに、その通りだった。〝一つ、昼の十二時から十八時まではものを取りに行ったりトイレに行ったりする以外は個室の外にいること。二つ、二十四時から朝六時までは個室を出ないこと。三つ、三日間のうちにミッションをこなすこと〟二つ目と三つ目には明確な尺度があるものの、一つ目は判断が難しいルールだ。監視カメラなどで外部から見るのなら分からない内容にわざわざするということは、初めから中に監視要員が入ること前提だったのだろう。

「そして、ここの絵を見て、何となく猫村さんの素性に察しがついた。この絵と、目鼻や耳の形がそっくりだったから。そういうわけで猫村さんを黒と見なした。だから殺しました」

「それは、他の参加者を守るために?」

 ゆっくりと立ち上がった松代が、頷くことを期待しているのがはっきりとわかる口調で聞いた。

「いいえ」

 けれど、それを丁寧に否定する。

「僕が人を殺すのは、悪人を減らすためです。それ以上でもそれ以下でもありません」

 松代から得体の知れない怪物を見るかのような目を向けられても、露日は意に介さない。猫村を見て、それから真っ直ぐに私を見つめる。

「いつ、殺したの」

「あなたが寝た後、朝の六時になった瞬間に」

「じゃあ、夜に話してた時に、すでに殺すつもりだったんだ」

「そうです」

 挑むような笑みは、全て私に向けられていた。いつもの上品な口角より引き上げられ歯が剥き出しになった口元。こちらを睨む鋭い眼差し。私は、間違いなく試されていた。

 僕は簡単に人を殺せる人間だ。お前の覚悟はいかほどだ?

 言ってくれればいいのに、と思うのは何かが違う。言われたところで協力したかは分からない。けれど、睡眠薬を入れてまで私を眠らせて隠す必要はあったのだろうか。

 これがきっと彼のプロ意識なのだ。すべての責任を自分で背負うやり方。その気持ちは分かる。でも、即座に殺す必要が果たしてあったのか、と思ってしまう自分もいた。

 いつの間にか露日の気迫は消えていて、笑みの残滓が残った寂しげな表情になっていた。

 ……私は何か間違えたのか。

「しかし、殺したのはある意味僕の被害者である影武者だったんだね。さすがに、影武者がいるという伏線は示さなかったから気づかないのも無理はない」

 猫村の口調は尊大ではあるものの悪気はないらしく、露日を健闘する響きが感じられた。けれど露日の唇は読みきれなかった悔しさに歪んだ。

「……カツラ」

「うん?」

 私の呟きに猫村が反応した。

「カツラをかぶっていたというのは気がついてもいいはずだった。昨日しゃがんだ時猫村さんの頭頂部は綺麗な金髪で、根元に数ミリも黒い部分なんてなかった。もし染めていたのなら、仮に屋敷に来る当日に染めたんだとしても一日経つだけでちょっとは地毛が見えていたはずなのに、それをおかしいと思えなかった。カツラに気がつくことができれば、影武者説にたどり着ける可能性もゼロではなかったのに」

 ボトルを拾ってもらった時に見えた生え際まできれいな金色の髪を思い出す。あれも、ヒントになり得たのだ。

 ヒントを手に入れたところで、何ができたのかは分からないけれど。

「何で君たちは冷静に話しているんだ。それに簡単に人を殺すだの何だのなんて、俺には意味が分からない……何で俺には考えられない理屈でばかり動くんだ。おかしいじゃないか……!」

 松代が爆発した。ゲームマスター三人と一般人一人という誰も理解者のいない状況で耐えきれなくなったのだ。

「菜柱さん、君は違うよな? 君は呆気に取られてきょとんとしているだけでこちら側の人間なんだよな? こんな奴ら置いて逃げよう!」

 私の肩を強い力で掴み今にも泣き出しそうな顔で迫る大人の姿に、言葉を言い淀む。彼が指導者になるには器が足りなかったのか、異質が紛れ込んだのがいけなかったのか知る術はない。

「何でかと言われても、そういう風になってしまったので、すみません」

 露日が答えた。

「別に簡単にはやっていないよ。準備にはお金も時間もかけたし、犠牲も払った」

 猫村が答えた。

「ごめんなさい。先に帰ってください」

 ひっと息をのみ、ブルブルと震えた松代はそのまま猫村のいる扉に向かって疾走する。猫村がひょいとそれを避けて、松代は空いた道を走り、そして見えなくなった。

「数の暴力というわけだね。彼には気の毒だったけど」

 猫村は真顔でそう言った。

「定原さん、君は面白いね。僕のことを今でも殺したいと思ってる?」

「はい。そのうち殺しに行きます」

 一方はのんびりとした声。もう一方は穏やかな表情。それでもどちらも真剣だった。

「今度は影武者と間違えないでね」

「もちろん。商売に明け暮れて自分を見てくれない金持ちの親に|復讐しよう<振り向いてもらおう>と必死な猫村翠さん」

 屋敷も、金も、使用人も与えられている。でも親は彼の凶行に気付かないくらいには彼に興味がない。自分のしたことが世間に知らしめられて親の名誉が墜落することを望むのか、その前に気づいて止められることを望むのか、それは誰にも分からない。

「……お前」

 猫村の眉間に深いしわが刻まれた。モデルを名乗る美しい顔が歪み、醜悪なものへと変わる。

「ふふ、この反応が本物ですね、覚えましたよ。では」

 露日は颯爽と猫村の前を通りまだ見ぬ出口に向かった。私もそれに続く。

 長く細長い通路にはいくつかの扉があり、その奥にはエレベーターホールがあった。特に飾り気のないそこに私たちが持っていた荷物が安置されていた。

「他人のゲームに参加するのは二回目でした。みなさん、目的も方法も違うものの他者への復讐という形のみは共通していて興味深いですね。学びを得ることができました」

 露日はしばらくスマホをいじった後カバンを持ってエレベーターのボタンを押し、こちらを見ずに語りかけた。

 確かにそうだ。他人のために復讐する者もいる。自分の使命のために世界に復讐する者もいる。はたまた、関心を買うために復讐する者もいる。どの目的も他人が理解できるようなものではなく、道理を持って否定することも叶わない。

「気に食わない方法も、頑張れば理解できそうな理念もありました。僕は、自分の復讐に無辜の人を利用するのは好みません。復讐の方法は相手の死しかないと思っています。そして、やはり僕を最後の悪人として、それ以外の悪人は殺すしかないと思っています」

 それが露日の理念だ。

「葉月さんとはもしかしたら手を組めるのではないかと思っていました。あなたの人を殺さない方法は新鮮で、目的のあるもの同士共に協力してより良いゲームを作れるのではないか、と考えていたんです」

 それは、知らなかった。

「ええ、言っていませんから」

 ふふ、と露日は微笑む。ガーデンでの話でも、あの夜の話でも、彼はそのことを念頭に置いていたのか。それを過去形で語るということは、彼はもうそう思っていないという証。

「あなたのゲームの最後で、僕が言ったことを覚えていますか?」

 〝人を集めて脅す意思はあるのに罰を与えるのは他人に任せて自分の手を汚さないなんて、その程度の覚悟でしかないのではありませんか〟

 私の覚悟を疑う、そんな言葉だった。

「はい、そうです。あなたにはあなたなりの理念があるというのは聞きました。しかし、僕はここでもう一度その言葉を繰り返しましょう。あなたには僕ほどの覚悟はない。猫村を殺した僕にあんな表情を向けたあなたは、理念のため殺さないのではなく、単に怖いから殺さずに他のそれらしい方法を取っているだけです」

 頑としてこちらを見ようとはせず、顔にはもう笑みを浮かべていなかった。強い圧のある言葉には感情さえ乗っていた。私を非難し、決めつける態度は彼らしくなくムキになっているようにも見えた。

 私は、否定しようと思ったものの、黙って聞く。言いたいことは言い切れていないが、彼の感情の奔流の行く末を見てみたかった。私に何を告げたいのか最後まで聞こうと思った。

「ですから、次に会った時、僕はあなたを殺します。中途半端な覚悟のあなたに最後の復讐はできません。あなたを殺して、僕がそれを肩代わりしてさしあげます」

「それは困るよ。君と分かり合えないんだとしても、私は自分のやり方でやる。殺されないし復讐も譲らない」

「残念です」

 露日は肩をすくめる。彼は本気だった。

 私は、もう定原露日と友達にはなれないことを悟る。

「私は、初めて別のゲームマスターと話せて、どんな気持ちでやっているのか共有できて嬉しかったんだけどね」

 できれば、彼自身がどんな人間なのか、どうしてゲームをし続けているのか、深いところまで聞きたかった。だけどそれは自分ができないことを他人に要求しているのに他ならない。

 エレベーターが地階に到着したことを告げる音が鳴った。

「最後に、あなたの本名を聞いておきたいのですが」

「ん? 菜柱葉月だけど」

 私は、少し首を傾げて答える。

「本名と言いました」

「…………今調べたの?」

「はい」

 何だ、それがバレるなら、やっぱり全部言えば良かったのかもしれない。私が誰なのか。何に対して誰のために復讐しようとしているのか。でも、もう遅い。

「もっと調べれば、きっと分かるよ」

 最後の置き土産としてそう言うと、「そうですか」と呟いて露日は扉の開いたエレベーターに乗り込んだ。

 そして、こちらを振り返る。

「それでは、次会う時までお元気で」

 歯を出して、目を細めた、明らかな作り笑いだった。それがほんの少し慰めになる。だって、彼は身に染み付いた優雅な笑みを浮かべるほどの余裕がなかったということだから。

 エレベーターの扉が閉じ、階数表示が増えて止まるのを私は見送った。それから自分のカバンを持つ。記憶よりずっしり重かった。

 中を開けると、そこには分厚い札束が入っていた。

 きっと、ゲームの口止め料だ。

 露日は人を殺すことは覚悟の現れだと言っていたが、猫村は覚悟の上でずっとゲームを行なっているのだろうか。デスゲームとしては絶対に人死にが起きる点で優れているが、復讐としては無関係な者を巻き込む乱暴なシステムだった。彼にあったのは覚悟ではなく、破滅願望じゃないだろうか。

 ……どちらにせよ、私が望む究極とは違うのだけれど。

 ラッキー。これでまた新しいゲームが作れる。

 そう呟いた私はエレベーターを呼ぶボタンを押した。



   *


 嫌な報告をするときはどうしても足取りが重くなる。それは物言わぬ相手に対しても同様だった。個室の扉を開けて声を掛け、持ってきた花を生ける。引き出しに日記を入れておく。いつものように丸椅子に腰掛けても、なかなか私は話し始められなかった。

「弥生ちゃんが死んだよ」

 果たして、これを聞いた彼女は悲しいと思うだろうか。誰だったっけと首を傾げるだろうか。いやでも、いつも優しく正直者な彼女は、覚えていた上できちんと悲しむのだろう。

「私も殺されかけたし、殺すって言われたよ。まあでもそれは心配しないで。やり遂げるまでは死なないからね」

 目を閉じた彼女にこの声は届いていると信じて語りかける。

「だから心配しないでね、葉月ちゃん」

 清廉潔白な葉月がやりたかったことを、私が代わりにやり遂げて見せる。

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