復讐のゲーム

神浦七床

第1話 カードゲーム

   断章


「そういえば、結局誰もおとがめなしなんだってね」

 いつも通りの駅で降り、変わらない道順で学校に向かう。それだけを考えればまるで普通の平日のようだった。同じ電車に乗っていたらしい学部の同期に声をかけられ、世間話をするのも、同じ。でも、やっぱりあの話題は出てきた。

 なんのことか分かってはいたけれど、悪あがきのように尋ねる。

「いやいや、それだけじゃなんの話か分かんないって」

「旅行サークルの事故だよ。知らないわけないよね。ニュースでも放送されてるんだから。一年生が旅行先の海で行方不明になったっていうやつ」

「ああ、あれね。知ってるよ」

 仕方なくそう答えた。知らないと言って知っている話を聞かされるのも嫌だったから。

「ひどい話だよね。事故って言ってるけど実際は殺したようなもんだよ。サークル旅行でお酒飲まないわけないし、絶対酔い潰れた一年生が海に行って溺れ死んだってことでしょ。そりゃ責任はサークルにあるって」

 信号待ちで、身振り手振りを用いて彼女は世間の憶測を語る。手元のトートバックが動きに合わせてゆらゆらと揺れた。

「まあでも、法律では裁かれなくてもゲームには招待されちゃうかもね」

「……ゲーム? 何それ」

 今度は本当に文脈がよく分からなかった。

「『復讐のゲーム』。知らない?」

 聞いたことがないけど物騒な言葉だと思った。首を振ると、彼女は嬉しそうに解説してくれた。

「『復讐のゲーム』はね、民間人による私刑なんだって」



   第一章


 安物のカメラではあったものの、映像は鮮明だった。

 申し訳程度の淡いオレンジ色の光が照らす中、一人の女性が中央の机に歩み寄る。円形の机は大きく、鈍い黒色をしていて、光を反射することはない。女性は机の上に何もないことを確認すると、手持ち無沙汰なように部屋の中をぐるりと歩く。たいして広い空間ではない。学校の教室より少し広いくらいの部屋はコンクリート打ちっぱなしになっていて、一切の飾り気はない。まるで地下駐車場のようだが、もちろん車は一台もない。

 ガチャリ。

 扉の開く音に反応し、女はびくりと音のした方角を向いた。重そうな灰色の扉を開けて入ってきたのは、大柄な男だった。伸びた髪を茶色に染めた男。派手な刺繍のほどこされたブルゾンを羽織っているのを見て、女は関わりたくなさそうに顔を逸らして、再び歩き始める。一方の男は女をまじまじと見つめていた。肩まで伸びた茶髪と、黒いスーツというなんの特徴もない格好。特に注視する必要はないと思ったのか、男は数秒で視線を机にやり、先ほどの女と同様に何もないことを確認して腹立たしげに頭をかいた。そして、机の周りに並んでいた四つの椅子の背もたれを確認したのちに一つを引き出して、乱暴に腰を降ろした。

 部屋を一周観察し終えた女は、出入り口の他にもう一つあったドアに気づきノブを引くも、鍵がかかっていることに気がついた。振り返ってから自分も椅子に座ろうかと逡巡したのか動きを止めたが、やはり男に近づきたくないようで出入り口の扉を見ることができる部屋の隅に行き、壁に体重を預けた。

 ガチャリ。

 女はもう驚かない。男は新たな来訪者を見定めようとするように、扉の方を見つめる。

 現れたのはメガネをかけたスーツ姿の男だった。銀行員のようにカッチリとした見た目で、女性やブルゾン男よりは若そうだ。女性は安堵したように少し肩の力を抜き、ブルゾンの男はつまらなそうに唇を曲げた。

「……あの、きみたちもここに呼び出されたのかい?」

 メガネの男は二人の視線を浴びてたじろいだように、そう尋ねた。

「ええ。そうみたい」

「ああ、脅しのような手紙をもらってなァ」

 二人とも律儀に答えた。メガネの男は胸元から紙を取り出し、自分も同じだと言うようにひらひらと振る。

「『私はあなたの重要な秘密を握っています。警察や被害者の方にあなたの素性をばらされたくなければ、ぜひお越しください』なんて、馬鹿げてやがる」

 ブルゾンの男もポケットから取り出した紙を見つめ、そのまま片手でぐしゃりと潰した。

「それで、きみたち二人は知り合いなのかな」

「いいや」

「あら、私はあなたに見覚えがあるような気もしたんだけど気のせいだったみたいね。何にせよ、こんなところに知り合いがいなくてよかったと思う」

「なんでだよ。いた方が安心しねえか?」

「あなた気付いてないの? これって、最近噂になっている『ゲーム』よ。『復讐のゲーム』」

「……」

 理解したように、ブルゾンの男は黙りこくった。

 復讐のゲームといえば、街に生きる人間でSNSをよくみる人間はよく知っている概念だった。ゲームという名の私刑。警察を頼りにしない民間人による復讐。

「それならゲームマスターはどこにいるんだろうね」

 あたりを見渡した三人は、ついに私を見た。

「あれが監視カメラだな。いるんだろう、ゲームマスター」

 モニター越しに目があった。こちらの顔はまだ見えていないだろうが、私は自然と微笑み、スクリーンとカメラのスイッチを押した。

「うおっ」

 扉と反対側の壁に降りてきたスクリーンにブルゾン男はびくりと反応した。スクリーンに映るのは、顔に白い垂布を結んだ人間。すなわち、私の顔。ゲームマスターの素顔は見せないのがお約束だ。

「あなたがマスター?」

 スーツの女性の問いかけに、私は手元のマイクで答える。

「そうですよ。本日はお越しいただきありがとうございます」

「おい。なんで俺を呼びつけたんだよ。俺は何もしてないのに、俺の何を知ってるって言うんだ」

 ブルゾン男が立ち上がりスクリーンを殴る。暖簾に腕押しという言葉は知っているだろうか。

「あなたが隠したいことを知っています。それ以上でもそれ以下でもありません」

「お高くとまりやがって。今すぐに通報してやったっていいんだぞ」

「別に構いませんが、私が二十四時間以内に自宅に戻らなければあなたたちの秘密が警察と被害者諸々に届くことになるので道連れですよ」

「……それならこんなゲーム仕立てにせずに、警察に通報すればいいのに」

 メガネ男が困ったように笑う。

「私にも目的はあります。快楽のためではないとだけ言っておきましょう」

「あなたの目的が何かは聞かせてもらえないんですね」

「ええ」

「一方的に仕切りやがって。せめて姿を現せよ」

「この建物の中にはいますよ」

 中身のない答えに苛立ったように、女は頭を振った。

「そんな会話しても無駄よ。それより、早く始めましょう」

「ああ、勿体ぶっていたわけじゃないんです。実は、あともう一人がいらっしゃってなくて」

 机の周りに椅子は四つ。人は三人。あともう一人。招待客の顔と名前は一致しているから、誰が誰かは分かる。スーツ女の名前は九重紗季。ブルゾン男の名前は安倍レオン、メガネ男の名前は鳥羽省吾。そして、残るは須藤信という男。SNSに顔を載せているから造詣はきちんと把握している。年齢は六十代のはず。

「びびってトンズラしたんじゃねェか?」

「僕もそうしたかったのは山々だけど、やはり行かなかったときのペナルティも怖いですからね」

 あの重い扉が音もなく開いていた。

「どうもこんにちは。ここが復讐のゲームの会場であっていますか?」

 現れたのは若い男だった。扉の先から入った光が後光のように差し込み、黒い髪の毛先がきらきらと紫色に透けている。逆光で顔の細部は見えないが、それでもなお気づく違和があった。

 おかしい。どうみても須藤信ではない。

 SNSで見た須藤信は、髪が灰色で、がっしりとした体格をしていた。しかし、現れた男の髪は黒く、細身な体をしている。イメージチェンジという言葉だけでは説明できない骨格レヴェル・年齢レヴェルでの違いを感じさせた。

 扉がゆっくりと閉まり、ようやくオレンジ色の光に照らされて男の顔の造りが明らかになる。やはり、自分が呼んだはずの須藤信とは似ても似つかない明らかな別人だった。

「あなたは……?」

 私の問いかけに、青年はにこやかに答えた。

「あなたがゲームマスターですか。僕は須藤の代理です」

 代理。その言葉を聞いて、参加者は顔を見合わせる。

「どういったご関係でしょう」

「依頼主と探偵です。別に、代理の人間が参加したらゲームが無効とは書いていなかったでしょう」

 穏やかな口調だが、相手に断らせる気のない言葉だった。人を従わせることに慣れている人間特有の響き。探偵なんてそんなものなんだろう。確かに、青年の格好はチェックのコートと同じ柄のハンチング帽で、見た目はいかにも探偵だった。

「ええ。構いませんよ。こちらの正体を探るつもりなら遠慮してもらいたいですが」

 ふふ、と笑って否定も肯定もせず青年は空いていた椅子の一つに座った。私は自分がやるべきことを思い出し、扉に電子ロックをかけた。

「これで全員なんですか。もしよければ皆さんの素性もお聞きしたいのですが」

 きょとんとした顔で、あるいは怪訝な表情で青年を見ていた三人は押し黙ったが、「それもそうだ。名前くらいは知らないと話しにくいだろう」とメガネ男が同意した。

「俺は、トバ。サラリーマンとして働いている」

 呼び名は言うものの、細かな情報は伝えない。それもそのはず、見知らぬ相手に言いたくはないだろう。

「私はココノエ。OL」

「……アベ」

 苗字だけではあるものの偽名を使わないのが意外だった。招待状にはきちんとフルネームを書かせていただいたから、それでもう開き直ったのかもしれない。他の参加者は同じ被害者としてしか見ていないのだろう。まあ、偽名を使った方が後々有利になれたはずなのだが。

「どうもありがとうございます。僕のことはスドウと呼んでください」

 この青年は須藤の代理ではあっても本物の須藤ではないと言った。しかしスドウと呼んでほしいと言う。つまりは偽名を使うと堂々と宣言したわけだ。ココノエの眉間にわずかにシワがよった。ここで本名を言え言わないの話になってはかなわないので、先に進めることにする。

「それでは、皆様にはこの四人でゲームをしてもらいます。まずは、お座りになっている椅子の肘掛についているリングをご自身の腕に装着お願いします」

 リングと言ったが要は手錠だ。輪が両端についている鎖で、片方の輪は肘掛にはめられ、もう片方は開いた状態になっている。逃亡防止かつ暴力を禁止するために不可欠なアイテムだ。ゲームが終わりしだい、再び輪を開けるための鍵を渡す。

「リングを付け終わりましたら、目の前にある机の引き出しの上の段を開けて下さい。鍵は皆様の誕生日で開きます」

 参加者は大人しく従った。特に反抗する様子はないようで安堵した。

「何これ、カード?」

 ココノエの手元には七枚のカードがあった。カードの色はバラバラだ。紫、青、赤、黄、白、黒。どれも強い原色だ。今日のために用意した特注……というわけではない。前に似たゲームを開催したときに作ったものに紙を貼って何度も使いまわしているだけだ。繰り返すうちに何枚か紛失したが。

 学生という身分はただでさえ金と縁がないため、なるべく経費は削減したい。バイトを掛け持ちして稼ごうとはしているものの、病院内のコンビニバイトや予備校の試験監督バイトはたいして金にならない。

 閑話休題。

「はい。表と裏がありまして、表は真ん中に大きく数字が書いてある方です。裏についてはルール説明の後半に触れますので今はお気になさらず」

「勿体ぶらないで早く説明しろよ」

 アベが机を掌でバンと叩いた。まだカードを取り出しただけで裏も表も見ていないらしい。裏に何が書かれているか知ったらそんな態度は取れないだろうが。

「そうですね。では、ルール説明を始めましょう。今から始めるゲームは『パーソナルデータバトル』です。お手元のカードに注目してください。表が紫色で、真ん中に一と書いてあるもの、青色で二と書いてあるもの、赤色の三、黄色の五、白色の十が二枚。そして、数字の書かれていない真っ黒なカードが一枚あると思います。数字が書かれた六枚のカードが『得点カード』。黒いカードは『効果カード』です。皆さんには一人一枚ずつカードを場に提出していただき、ご自身の出したカードに書かれた数字を得点に加算していただきます。それを四回行い、合計得点の高い人が勝者となります。勝者の方には二度とこちらから接触しませんし、秘密も漏らさないと誓いましょう」

「敗者はどうなるんですか」

「私からは何もいたしません」

 トバはその答えを額面通りに受け取っていいのか迷ったようで肩をすくめた。

「誓うなんて信用できるかよ」

 カードを手に握り込んだアベが呟く。

「そうでしょうね。ですから副賞を差し上げましょう」

「賞って、金か?」

「いいえ。情報です。ひとつは、勝者以外の参加者の持っている秘密や個人情報。そして、もうひとつは、次にこのゲームが行われる時間と場所です」

「ああ? そんなんもらってもちっとも役に立たないだろ」

「いや、そうでもないよ」

 トバは情報の価値を知っているのだろう。

「他の参加者の秘密を握ることができれば、それを使って敗者を脅すことができる。金の搾取でも、奴隷のように扱っても、相手が秘密をバラされたくないという思いが強ければ強いほど、なんでもできるようになるわけだ。……つまり、ゲームマスターから敗者へのペナルティはなく、あとは勝者のさじ加減次第ということだね」

 トバはにこりとも笑わなかった。冗談ではなく本気でそう思っている顔。真面目で善良なサラリーマンのような皮をしているが、やはり中身はこのゲームの参加者であるようだ。アベは納得したようで。黙りこんだ。

「それに、次のゲームについて知ることは、ゲームマスターを通報することが可能だということです。つまり、ゲームマスターとお互い弱みの握り合いになる。それが誓いの証明になるんでしょうね」

 スドウがトバの説明を引き継いだ。

「一番ポイントの高い勝者が複数いる場合はどうなるの」

 ココノエの興味は別のところにあるらしい。抜け目のない視点だ。

「その場合は勝者全員に情報を与えましょう。勝者同士がお互いの秘密を公開するかどうかはお任せしますが」

「ふうん、ありがとう。シンプルなゲームね」

 何かを確信したようなしたり顔。

「シンプル……というか、これじゃゲームじゃなくて作業じゃないか。まだ言っていないルールがあるんでしょう」

 スドウは何か期待するようにモニター越しに私の顔を見た。

「はい、『得点カード』の裏面をご覧ください」

「……何も書いてないけどいいのかな」

「はい。カードの裏面にはシールが貼ってありまして、それを剥がすと文面を見ることができます。ああ、今は剥がさないで下さい。カードを出すときにお願いします。場に出す際は、ここに書かれた文面をそのまま読んでいただきます。こちらに書かれているのは全て真実です」

 得点の低いカードには大したことは書かれていない。しかし、得点の高いカードほどその人の隠したい秘密を含む。どのカードを出すかは参加者次第だ。

「また、『効果カード』は、手番関係なしに好きな時に出せます。こちらもそれぞれ異なることが書かれており、効果は人それぞれです。手番は、スクリーン近い席に座っているココノエさんを基準に時計回りで、ココノエさん、スドウさん、トバさん、アベさんの順番にしましょうか」

 『効果カード』に目を通す者もいるが、まだ『得点カード』を見つめている者もいた。勝つために高得点を取ろうとすれば秘密の暴露が含まれ、臆病風に吹かれて低いものを出しすぎれば隠したいことの全てが明らかになる。

 ここに集めた者は全員、後ろ暗い過去を、罪を抱えている。無傷で返すつもりはない。

「何か質問はありますか?」

 誰も何も言わない。アベは黙って手元を睨む。ココノエは何を思ったか口元を緩めている。トバはため息をついて目を閉じる。スドウは、私を見つめていたようで、どうして分かったのか目があったのを察知してニヤついた。

「それでは、ゲームを始めましょう。」

「ねえ……」

「それで、ゲームマスターさん。一つ質問いいですか」」

 ココノエが何かを言いかけたが、スドウが軽く手をあげる方が早かった。

「なんでしょう」

「この『効果カード』はゲーム中いつでも使用可能なんですよね。それなら、誰もカードを出していない今でもいいですか」

「ええ。どうぞ」

「じゃあ遠慮なく。『効果カード』の使用を宣言します」

「受理します。カードの読み上げを」

「『効果カード。ラスト』。これを出したプレイヤーの手番は、以後永久に最後になる。……僕にとっては代理のゲームだけれど、他の人にとっては一大イベントです。少しでも空気を読んで合わせるために、先に使わせてもらいますよ」

「へえ、協調性があるのはいいことよ」

 ココノエは満足げにうなずき、「他に『効果カード』を出す人はいないわね?」と聞いた後に、椅子から立ち上がった。パン、パンと手を叩いて注目を集め、一枚のカードを掲げてこう宣言した。

「このゲームには必勝法があるわ」

 トバは目を見開いた。アベは面倒そうにそっぽを向いた。スドウは顔色を変えず笑みを浮かべたままだ。

「聞かせてもらおう」

 トバが神妙な顔になって促す。

「みんな持っているカードの点数と枚数は同じよね。それなら簡単なことよ。暴露する秘密が深刻ではないカードを出して、みんな同じ点数になるようにすればいいの」

 かざしていたカードが、音をたてて机の真ん中に置かれた。これは一点の紫色のカードだ。

「私はこの一点のカードを出す。みんなこれに続いてちょうだい。本当にやばい秘密が明らかになるよりも少ない犠牲で済むならよっぽどいいでしょ」

 自分に秘密があることを認めながらも合理的な最善を提示できるのは確かにこの人だけだろうと思っていた。

「それでは、ココノエ様。カードの読み上げを」

 ココノエはゆっくりとシールを剥がした。

「『得点カード一点。私の大切なものは、自分がつつがなく安定に生活できることである』」

 ふふ、と誰かが笑った。

「小学校の自己紹介かァ?」

 ココノエは肩の力を抜き、椅子に深く腰掛けて笑った。

「……なんだ、大したことないじゃない。こんなの全然秘密じゃないし、みんな思ってることでしょう」

「そうだね。僕も安定は大切に思っていますとも」

「でも、これで安心してゲームを進められるじゃないか。よし、俺もこれに続こう」

 ペリッとシールを剥がす音。そして、トバもカードを机の中心に置いてこう宣言した。

「『得点カード一点。俺の大切なものは、今の生活である』」

「朝の占い番組の方がまだ聞いてて楽しいだろうな」

「そうだね。こんなのは誰にでも当てはまることを秘密と言っているに過ぎないものだ」

「復讐のゲームなんてこんなもんなんでしょうね。秘密を用意しているという言葉が一番の脅しなのよね」

 酷い言われようだ。まあそう思いたいなら思えばいいと思うけれど。

「じゃあさくっと終わらせてやるよ。次は俺の番だな」

 カードを机に置く音。

「『得点カード一点。俺の大切なものは金だ』……これも当然だな」

 一同爆笑。仲間意識が芽生えたらしい。共通の敵を作るのが仲を深めるコツだとはよく言うが、別に彼らは仲を深める必要はないのに。

「最後は僕ですね。『得点カード一点。私の大切なものは自分の地位である』」

 スドウが、本来出席するはずだった人のものの秘密を読み上げた。探偵というからにはこのゲームのマスターである私の素性を調べ尽くして報告するつもりなのか。それとも、もうすでに知っているのか。分からないが、粛々とゲームを進行する他ない。依頼者の秘密を守るために妙な行動は取らないと思うが。

 一巡目、終了。

 なんの躊躇いも無く二巡目が始まる。

「じゃあ、さっきと同じく低い点のものを出していきましょう」

 カリカリとシールの端を綺麗に整えた爪で引っ掻き、めくり上げる。

「『得点カード二点。私が苦手なものは暴力沙汰である』……まあ、そうよね」

「そうか、俺は好きだけどなァ」

 こともなげに、アベが呟いた。ココノエがちらりとアベを見るも、アベはただ思ったことを口にしただけらしく、自分のカードをシャッフルして手遊びしている。アベの激しい柄と色のブルゾンや体格の良い体からは、ひ弱さより血の気の多さが滲み出ていた。

 場に少し不穏な空気が漂う。

 ココノエは不安げでアベから視線を逸せないまま。トバは自分のカードに視線を移した。スドウは、興味深そうにココノエを見ている。

 暴力は分かりやすい力だ。ハッタリは通用せずすぐに相手を再起不能にできる。ルールを無効化し、正しい行動と感性をねじ曲げることができる。

 最悪の力だ。

「それでは、出すよ。『得点カード二点。俺の苦手なものは虫だ』」

 トバがカードを出したことで、ようやくココノエの瞳は机に戻り、今までと同じ流れに戻ってしまった。

「虫か。僕も好きではないかな」

「お花畑とかいるのが辛そうよね」

「ああ、そうだね。蝶のあの模様が受けつけなくて」

「ゴキブリやセミではなく蝶が嫌いとは、あまり聞いたことなかったです」

「いることにはいるんだよ。ここにね。まあ、ゴキブリもセミも嫌いなんだけどさ」

 和気藹々と虫談義をする三人と、それをつまらなそうに眺めるアベ。

「もう、出してもいいかァ?」

 質問系だったものの、アベには許可を得る気はないようで、誰かが返事をする前にカードを置いた。

「『得点カード二点。俺が苦手なものは犬だ』……笑うんじゃねえぞ」

 誰かが反応する前に釘を刺され、三人とも反応に困る……というわけでもなかった。トバが興味ありげな顔で口を開いた。

「小さい頃に噛まれたことがあるとか?」

 気を使ったわけではなく、本心からの疑問のようだった。トバの質問にアベは突っ込まれるとは思わなかったと言いたげな顔をしながらもきちんと答える。

「そんなようなもんだ。すぐ肉の匂いを嗅ぎつけて追いかけてくるからな」

「あら、意外と可愛いところがあるのね」

 先ほどの動揺は制御したようで、ココノエも軽口を叩く。アベが暴力を振るわずともこのゲームは簡単に終わる、なんて思ったのかもしれない。

「じゃあ僕の番だね」

 にこやかにスドウがカードを出した、

「『得点カード十点。安倍レオンは祖母の復讐を企んでいる』」

「……は?」

 アベが間の抜けた声を漏らした。トバはアベをちらりと見て、すぐ目を逸らす。

 ガタン、と大きな音がした。

「ちょ、ちょっと、二点のカードを出そうって話したじゃない」

 ココノエが立ち上がってスドウに詰め寄る。明らかに戸惑っているが、読み上げられた内容については触れない点で冷静さはあるようだ。いや、得点の方に気を取られているだけか。

「ああ、そうですよね」

「あなたもこの案に賛同したわよね。不満? 何か他にいい方法があるって言うの?」

「いや、それは確かにいい考えだと思いますよ」

「じゃあ何が言いたいの」

 苛立ちが抑えきれず、立ち上がってスドウに近寄ろうとするも手錠に阻まれ、忌々しそうに舌打ちをする。

「……僕にとっては少しつまらなく思えてきまして。そもそも、これは僕にとっては代理のゲームです。ここでどんなカードを切ろうと僕にとっては痛くも痒くもない」

 スドウはココノエが睨んでも涼やかな顔を崩さない。自分がしたことに悪びれるそぶりもなく、血色の悪く薄い唇を動かして言葉を紡ぐ。

「でっでも、あんたの依頼主はそれを許可してるの?」

「さあ。でも、秘密を守れとは言われなかったから」

 探偵失格だ。そんな視線が注がれるも気にした様子はない。ココノエは何を言っても無駄だと気づいたようで、よろよろと椅子に腰を下ろした。

 報道される『復讐のゲーム』のほとんどが参加者を殺し合わせるものだから、スドウに代理を依頼した本物の須藤は死を避けることしか考えていなかったのかもしれない。参加者が死ねば悪評は広まらないのは確かだ。

 しかし、復讐が死であるという考え方は些か短絡的ではないか?

「ゲームマスターには想定外のことをしてしまって申し訳ないけど、僕もスリルを楽しみたいので。すみませんね」

 スクリーンを見て私に心のこもらない謝罪。そして、反応をしてしまった男の方を向いて、こう呼びかけた。

「それで、本当に復讐するつもりなんですか? 露骨に反応した、おばあさん思いの安倍レオンさん」

 アベは周りの視線が自分に集まっていることに気がつき、舌打ちをした。アベと名乗ってしまい、安倍レオンという名前に反応してしまい、もうしらばっくれることはできないと悟ったのだろう。

「あ? 復讐するつもりだったとしたらどうすんだよ」

 相手を脅すように睨み付けるも、そこには本来の彼が持っているキレはない。文面に対して肯定しないでおくか、認めて暴力を武器とするか決めかねて中途半端な振る舞いになっている。

「別に? 僕は粛々とこのゲームに参加し続けるだけです」

 あくまで飄々とした態度のスドウに、彼に対しては自分のやり方が通じないことを悟ったのだろう。アベはそれ以上何も言わなかった。貧乏ゆすりは止まらない。

「あの、他のプレイヤーの秘密が書かれたカードがあるなんて聞いてないんだけれど」

 静かになった場に、トバがおずおずと声を上げた。

「そうでしょうね。言っていませんから」

 私の言葉にココノエは「聞いてないわよ」と言いかけたものの、意味のない言葉だと気づいて口をつぐんだ。

「それでは、白い十点カードについての追加説明です。二枚あるこのカードには二つの種類があります。一つはご自身の重要な秘密です。そして、もう一つはこの中の自分以外の誰かの重要な秘密です。どちらがどちらかは裏のシールを剥がして文面を読むまで目で見て確かめることはできません」

「じゃあ、どうすればいいの……」

「ハイリスクハイリターンという言葉をご存知ですか。どちらにせよ十点は手に入りますし、負けるよりはマシではないかと愚考いたします」

 スドウが妙な手を出して今説明をすることになったが、そうでなくともいつかは”必勝法”を裏切って十点のカードを出すプレイヤーがいたはずだ。

 裏切り者には制裁を。勇敢な者にはチャンスを。お楽しみ要素としてはなかなかいいだろう。

「それでは三巡目、よろしくお願いします。現在、ココノエ様、トバ様、アベ様が三点、スドウ様が十一点です」

「……そんな、それじゃ、私も十点を出さなきゃ勝てないじゃない。そんな、どうすれば」

 手番が最初のココノエは先ほどまでスドウに向けていた威勢を失い顔面を蒼白にしている。それを制するかのように声が上がった。

「待ってくれ。俺が『効果カード』を出す」

 トバが立ち上がって黒いカードをこちらにも見えるようにかざした。さて、彼に渡したものはなんだったか。

「トバ様、どうぞ」

 トバは、力強い声で文言を読み上げた。

「『効果カード。ファースト』。これを出したプレイヤーの手番は、以後永久に最初になる。……ということで、このまま俺の番だね」

 手元のカードから黄色いものを引き出して机に丁寧に置く。

「……そうか。『得点カード三点。俺がやったことがある犯罪は、詐欺だ』」

「な、何のつもり?」

 ココノエは目を剥いてトバを見る。スドウは興味深そうな視線をよこす。詐欺という犯罪に驚く者はここにはいない。驚くとしたら、その行動。

「必勝法はまだ破れていない。このスドウという男は代理人です。仮に勝者になったところで優勝商品の秘密を使うとは限らない。それなら、まだこの方法をとる意味はあります。そうじゃないかい」

「まあ、依頼主に報告しないとは言ってませんけど」

「報告するのかい?」

「いや。勝ってこいとも、参加者の秘密を報告せよとも言われてないので」

 その発言も、関わりにはなりたくないけれど不参加の場合のペナルティが怖いから探偵を代理に雇ったという仮説を裏付ける。それとも、彼自身が主催者……私の方に関心があるのか。

「そうだろうね。あんなに自分の楽しさを優先していると宣言しているのなら、依頼主からは参加しろとしか言われてないんだろうと思ったよ」

「そうかもしれないね」

 スドウはトバの言葉を否定せずただ頷いた。先ほどまでの張り付けられていた笑みは不思議と消えていて、無表情だった。自分の行動を読まれるのが新鮮だったのか、トバの言動が彼にとって驚きをもたらしたのか、私には分からない。

「さあ、次はきみの番だよ」

 トバはココノエに引導を渡す。微笑んで、勇気づけるように目線を合わせようとする。しかしココノエは俯いたままだ。

「でも……」

 ココノエはまとまりのない思考を解きほぐすように髪を手櫛で梳かす。梳かし、梳かし、やがてその手は地肌を掻き毟る。

「その、スドウとかいう男の言うことが嘘だったら? なんでトバはそれを信じるの? それに、三点でさえあんな秘密を言う必要があるなら、そんなの、十点と変わらないじゃない。ねえ、ねえ?」

 茶色の髪が手が動くごとに抜けていく。むしりとられる。

「ココノエさん。俺らは仲間だ。そうだろう」

「……何であなたは必死に勝とうとしないの」

「俺は、最善の策を考えているんだ」

「……」

 ココノエの手が止まる。助けを求めるようにゆらゆらとトバの方に動くも、途中で止まった。

「でも、十点なら、他人の秘密が出る可能性もあるのよね。それなら、うん、そうよ。そうよね、ゲームマスター?」

「ええ」

 端的に頷く。余計な助言はしない。

「ごめんなさい。でも、私怖くて仕方ないの。誰も信じられない。ゲームマスター、私、十点のカードを出す」

 ココノエは震える手で白いカードを手にとった。二つあるのに、選ぶのは一瞬だった。

「『得点カード十点。須藤信は地位の高い犯罪者をかばってお金をもらっている』。ああ、良かった……」

 最後は掠れ声のようだった。ココノエは椅子に体を預けてそれきり動かなくなった。

 うん、こういうのが見たかったのだ。自由があるが故の悩み、そして裏切りという選択肢。前回のゲームでは必然的に自らの秘密が明かされるようなルールにした結果、全員が腹を括ってしまい運命共同体としての協力プレイになってしまった。お互いの嘘と隠し事が分かってもなおこの場を凌ぐために共闘した姿は美しかったものの、自由度のないゲームはつまらないと反省したのだった。それを生かした今回の秘密を使ったカードゲーム。シンプルだが、裏切ることも協力することもできる。

 人は完全な不自由を与えられるよりも、部分的な自由を与えられるのに弱い。

「てめえの依頼者はなかなかの稼ぎ上手だったんだな。知ってて依頼を受けたのか?」

 依頼主の秘密が暴露されたスドウにアベが絡むも、スドウは涼しい顔だ。

「そうですね。そもそもこの『復讐のゲーム』自体に興味があったから彼の素性は正直どうでもよかったんです。まあ、羽振りが良さそうで上品な格好はしていたけれど。オーダーメイドのスーツと煙草が似合う素敵な老紳士でした」

「本当にどうでも良さそうだな」

「まあねえ、知っていることを解説されても興醒めってことは分かるでしょう」

 スドウは、淡々と言った。依頼主に対して何の感情も思い入れもないようだ。

「……」

 黙って唇を噛みしめたトバはアベの方を向き「あなたはどうだい」と半ば諦めたような笑い顔をして問う。

「ああ、テメエが思ってる通りだよ。俺もこれを出す」

 アベが出したのも白いカードだった。

「はは、賭けに勝ったぞ。『得点カード十点。鳥羽省吾は銀行を訪れた客を騙して相棒に引き渡していた』。はは、テメエも十分悪人じゃないか。何をやったんだ。仕入れた個人情報を使ってフィッシング詐欺か? 存在しない保険か? 口座の売買か?」

「さあね。そんな大層なことはしていないよ」

 トバは疲れ切ったような表情ではあるものの絶望はしていないように見えた。協調を促し裏切られた人間は大抵廃人のようにぼんやりとするが、彼はまだ何かしようと思っていることがあるようだ。

 一方の賭けに勝ったうちの一人、ココノエはもう自分で考える気力をなくしたようだ。潮流に身をまかせ、長い物には巻かれ、自分の生存を一番に優先させて心を殺す。それは彼女なりの処世術で、同情するところがないわけではないのだが私のやることには関係ない。同情すべき被害者は別にいるのだから。

 スドウはトバとアベのやりとりを真顔で見ていた。どうやら、彼の興味はトバの振る舞い方にあるらしい。協調を頼み、裏切られても怒らない態度は聖人君子のようでもある。しかし、彼は悪人だ。人を騙す詐欺師だ。それらがスドウの頭の中では結びつかず、スドウが何者なのか測りかねている。金のためにやっているのか、善性と悪性を兼ね揃えた性格というだけなのか、理由が振る舞いから滲み出ないか見ようとしていたのだろう。トバが黙ったので、スドウは観察をやめて手札のシールを剥がして机に置いた。

「『得点カード十点。私、須藤信は警視である』。ふうん、これが一番の秘密扱いなんですか」

「警察官で、犯罪者をかばってお金をもらっているなんて分かりやすいスキャンダルだし、意外ではないだろう。自分が見つけたものを告発しないで見逃しているのか、逮捕された重鎮の案件を権力で揉み消しているのか詳しい内容はさておき、名前と階級があれば週刊誌が飛びついて、本格的な捜査が入る可能性もあるだろうし」

「まあそれすらも権力で握り潰せるのかもしれないですけどね」

 それにしても、最初に警察官の代理として探偵が来たときは探偵と警察に本当につながりがあるとはすごいなあと思ったものだが、実際どんな経緯があったのだろう。その若さでお偉いさんと関係があるなんてこと、普通あるのだろうか。

 いやいや、今考えることではない。

「それでは四巡目、よろしくお願いします。現在、ココノエ様、アベ様が十三点、トバ様が六点、スドウ様が二十一点です」

 スドウは、私の言葉に被せるように大きく咳払いをした。そして、自分の手札のうち一枚を抜いて机に置くと、残りをバラバラに破いた。ひらひらと黄色と赤色の紙吹雪が散る。

「僕は、最後のターンでは二点のカードを出すと宣言しましょう」

 スドウの手元に残った一枚は、青色の二点。

「何してるの? それであんたにどんなメリットがあるっていうの」

 ココノエがスドウを化物を見るような目で見た。

「スリルですよ。このまま他のカードを出したら僕が勝ってしまうのが確実だ。でも、二点のカードなら僕は二十三点になる。あなたたち二人が十点のカードを出せば同点になるだろう? 僕は負けはしないが、引き分けになるかもしれないとドキドキすることができるんです。まあ、僕は特に負けた時のデメリットはないんですどね」

「狂ってる……」

「ふざけんなよガキ。おちょくりやがって……これが終わったら無事に帰ってはいオシマイだとでも思ってんのか? あ? テメエの住所突き止めて毎日押しかけてやるよ。覚えとけよ?」

「はは、僕のこともおばあさんの仇と一緒に復讐のゲーム送りにするんですか?」

 スドウは明らかに場を撹乱しようと企んでいる。それを誰もが分かっているのだろうが、希望を出されれば乗らざるを得ない。

「……じゃあ、出しますよ」

「ちょっと待って。『効果カード。オープン』。これを出したプレイヤーは任意のプレイヤーの持っているカードのうち一枚の文面を読み上げることができる」

 ここに来て、ココノエが効果カードを出した。そして、トバの目を見る。トバは少しだけ目を細めた。

「なぜ高得点のカードを出そうとしないの? そんなにバレたらまずい秘密を持っているわけ?」

「あなたたちみんな、バレてはまずい秘密は持っていますよ。そして、さっきも言ったでしょう。俺は最善を目指していますし、あなたがそのカードを俺に使おうと変わりません」

「それでもあなたのことが信用できない。……最初に顔を見た時からずっと」

「それは、残念なことだ。これでも信用してもらえるように動いたつもりなんだけどね」

 トバは肩をすくめた。

「十点のカードを貸してちょうだい」

 トバは、助けを求めるようにスクリーンの私を見た。あなたが守りたいものは分かるが、私はルールを遵守する。それを伝えるようにこくりと頷いた。

 目的の見えない人間は、目的のために全てを犠牲にする人間よりも、恐ろしい。

「貸しなさい!」

 トバは諦めたように笑い、二枚ともカードを渡す。ココノエはそのうちの一枚を抜き取った。

「じゃあ、読み上げさせてもらうから」

 ココノエはシールを剥がし、そしてその手で口を覆った。

「……」

 今度はココノエの目がこちらを向いた。助けを求めるように瞬きをして見つめる。私は何も答えない。ココノエは数秒黙っていたが、おずおずと口を開いた。

「『得点カード十点。九重紗季と鳥羽省吾は相棒同士だった』」

 深いため息。それはトバの口から出たものだった。

「バレたら。きみまで詐欺師だとバレてしまうじゃないですか」

 トバは微笑む。諦めたような乾いた笑みではなく、全てを包み込むような優しさをはらんでいた。

「なるべく自分の素性を明かしたくないんでしょう? 俺に対しても知らんぷりだったし。だから、俺なりに最善を尽くしたのに……」

「………鳥羽くん」

「俺が最下位になれば、きみの一番の秘密は守られるから。安心して勝ちを狙ってください」

 ココノエは顔を歪め、泣くことも笑うこともしなかった。自分が信用せず切り捨てた相手からの優しさ。それの受け取り方が分からず、謝ることもできない。


「何かお困りですか?」

 老婦人は、一瞬びくりとして警戒した様子で振り向くも、スーツ姿にネームカードを下げた真面目そうな男性を見てほっと息を吐いた。

「あのね、振り込みがしたくって。この機械ってどう使うのかしら」

「それではご案内いたします。ご振り込みですか?」

 銀行員は慣れた手つきでATMを操作する。〝振り込み詐欺に注意!〟というポップが画面に大きく表示されるも、すぐにスキップボタンを押した。老婦人は、銀行員の銀縁眼鏡に反射されたポップを見て微笑むも、

「そうね、娘宛てに」

 と答えた。

「承知しました。金額はおいくらでしょう」

「ええと、三百万円よ」

 銀行員は整った眉を数ミリ上げたが、頷いた。

「現金ですと振り込み限度額は十万円になっております。キャッシュカードでしたら一日あたりのご利用金額が三百万円以上であれば可能ですがいかがいたしましょう」

「カードでいいわ。口座に三百万あるし多分大丈夫よ」

「承知いたしました」

 何も詮索せずに銀行員は金額を入力し、カードの挿入口を示すと、老婦人がパスワードを入力するのを見守った。  宛先の口座番号を入れて名前を確かめさせ、最終的に領収書が吐き出される。

「ありがとうね。スムーズで助かっちゃった」

 老婦人はニコニコと笑うも、銀行員は真顔で業務的に返す。

「いえ、ご利用ありがとうございます」

「銀行って最近詐欺がどうとかで、高額を振り込むと沢山疑われちゃうじゃない。あなたは物わかりが良くて良かったわ」

「……いえ」

 老婦人が自動ドアを通り抜けるのを銀行員は頭を下げて見送った。老婦人が見えなくなってからゆっくりと頭を上げると、銀行員は腕時計を確認したのちに外に出た。

 銀行が入っているのは百貨店の一角だ。銀行の外は通路になっており、すぐ奥にエスカレーターがある。男はそれに乗って上に向かう。そして、レストラン街にあるカフェに入った。

「鳥羽くん、こっち」

「紗季さん」

 席に座っていた茶髪の女性に呼びかけられた男は今までの無表情が嘘のようにふわりと笑う。

「うまくいきましたよ」

 女性の前に腰を下ろしながら、男はうきうきとした声で言う。一方の女性は特にそれに釣られる様子はなく、淡々としている。

「ありがとう鳥羽くん。確認したわ。それじゃあ私は行くわね」

「ご飯をご一緒してくれるんじゃないんですか?」

 女性は困ったように笑い、首を振って立ち上がる。

「私はこれから病院にいる方に会いにいくから。これから夜まで他に会う人も沢山いるの。また今度ね」

「そうですか。いえ、紗季さんにご予定があるならいいんです。また次の相手が来る日には教えてください」

「……怒らないのね」

 ぼそりとつぶやかれた言葉にも男は明解な返事を捧げる。

「俺はきみの助けになれればなんでもいいんです」

「……やっぱり、あなたって不気味」

 茶化した口調ながらも、その瞳には理解の色は映らない。そして、ハンドバックを持ってヒールを鳴らし去る。


 銀行員である鳥羽省吾と、九重紗季は優秀な詐欺師だった。トバが客の情報を集め、ココノエが情報を使って騙す。彼女たちの犯行はほとんどの相手が騙されたことに気づかないほどで、警察を含めて彼らに疑いを持った者はあれど、直接疑いを向けたものはほとんどないと思われる。私を除いて。

 ココノエは呆けた顔のまま、頭の片隅に残っている自分のやるべきことを果たそうとカードを机に出した。

「『得点カード十点。九重紗季は老人を騙して金を得ている』」

 トバは少しだけ残念そうな顔をしたものの、すぐに何かに納得したように頷いた。スドウはトバの表情を見て眉を少し持ち上げた。誰もアベの反応に気づくものはいなかった。

「『得点カード五点。俺の夢は信頼できる人と幸せに暮らすことだ』」

 トバは迷わずにココノエのカードに自分のものを重ねた。

 二人がやっていたものはいわゆるオレオレ詐欺というものだった。トバが独り身の老人の電話番号をココノエに渡し、ココノエは孫や子供のふりをして電話をする。そしてココノエの指示に従って銀行に振り込みにきた老人のサポートをトバがする。二人がどんな気持ちをしてやっていたのか、トバの銀行内での振る舞いがどのくらい自然だったのか私には分からない。

 けれど、詐欺は悪だ。だから、ここに呼んだ。

 ココノエは俯いて静かに涙を流していた。本人はそれに気付いておらず、手をぶらりと垂らしている。それをトバは穏やかな目で見つめていた。

「……次はアベさんの番ですが」

 何もなかったようにさりげなくスドウがアベに顔を向けた。にやりと笑顔が返される。なんだか嫌な予感がした。

「俺はカードは出さねえ。出すのはこれだ」

 アベが懐に手を入れて取り出したのは掌サイズの銃だった。

「俺はゲームだなんてまどろっこしい真似はしない。相手を見つけ出したら、これで脅すだけだ」

 銃口は、ココノエの方を向いた。

「……安倍君江って知ってるか? 知ってるよなァ。お前らが騙した相手だもんな?」

 ココノエの瞳は催眠術にかかったように銃口に吸い寄せられ、状況を認識したのかガタガタと震え出した。

「いやっ。違う。騙してなんかない」

「俺は知ってるかって聞いてるんだけどなァ。まあいい、お前らが騙したのは俺のばあちゃんだ。なあ、この意味分かるか?」

 トバが立ち上がろうとするも手錠に阻まれた。

「俺はばあちゃんを騙して金をぶんどったやつに復讐しに来たんだよォ」

 ゆらりと銃口がトバの方に動く。

「……何が望みなんだい」

「金返せ。確か五百万だったよな。それに慰謝料つけて一千万もらおうか」

「渡そうにも、今この状態じゃできないし、手元にお金もないけれど……どうすればいいのかな。ゲームマスター?」

 さて、困ったことになった。被害者の親族が加害者に慰謝料を請求するというのは特段間違っていないし、止めるつもりもない。しかし、この男が被害者面をしているのが気に食わない。

 こいつも立派な加害者なのだから。

 しかし、気に食う食わないの話で行動できるほど悠長な状況ではない。アベは銃を持っている。それがモデルガンだとしてもこの距離から目なんかを狙えば十分な凶器となる。私の持っている武器はスタンガン程度だから、仮に向こうに行ったところで不利であることは否定できない。武闘派がいれば取り押さえてくれただろうに、悲しいかな、手錠のせいで誰一人動けないのだ。

 仕方ない。とりあえず今は対話で凌ごう。

「ただいまゲーム中ですので、進行の妨げになることはおやめください」

 ガツッという硬いもの同士がぶつかる音。聞こえるとしたら銃声かと予想していたので少し拍子抜けする。アベは自分の手錠に銃身を打ち付けて無理やり手錠を壊したらしい。どうやら銃は本物ではないようだ。椅子から立ち上がったアベは、ココノエのもとへとまっすぐ近づき、彼女の腕の手錠目掛けてもう一発打ちつけた。そのままココノエの腕を掴み無理やり立ち上がらせる。

「これから俺ら二人は銀行に行く。それまでゲームの進行は待ってもらおう。さあ、ロックを開けろ」

「通報せず戻ってくるという保証は?」

「仮に通報したらテメエが捕まった後に俺の情報も流されるんだろ? それは嫌だからなァ」

「それなら、ゲームが終わった後にじっくりやっていただけません?」

「終わった瞬間とんずらされたらかなわねェよ。そうだろ」

「……」

 なるほど、私の言葉では止められそうにない。

「なあ、ココノエよ、抵抗しないのか? 全部トバ任せでテメエの意思はないのかよ」

 アベがココノエの腕をぐっと引き寄せる。ココノエは俯いたまま、なすがままにされている。髪に隠れてその表情は見えない。

「おい、なんとか言ってみろよ」

「……じゃない」

「あ?」

「……いいじゃない、寂しかったんだもの」

「寂しい? お前一人が寂しかったら人を騙していいと思ってんのかァ?」

 胸ぐらを掴まれたココノエが苦しそうに咳き込んだ。

 寂しいからといって人を騙していいなんていうことは決してない。しかし、アベは重要な事実を見逃している。

 しょうがない。この混乱を抑えるためにも奥の手を使おう。

『いつもありがとうねえ』

 怪訝な顔がスクリーンを向いた。若い女性しかいないはずの会場に流れたのは老女の声だった。

『この歳になるとね、人に覚えてもらえるだけで嬉しいのよ。もう家族も来ないからねえ』

「何のつもりだよ、知らねえババアの声流すんじゃねえよ」

 スピーカーから流れる録音音声に、アベは不快そうに顔をしかめた。

『いやいやあの子は違うよ。ただよく見舞いに来てくれる子』

 会話調の音声だが、相手の答えている部分は無音だ。そう加工した。

『何でかって、ただの知り合いさね。……納得いってなさそうな顔だねえ。アンタなら深入りしなさそうだし全部説明してもいいんだけどね』

 自動ドアの開く音。独特のコンビニのメロディ。

『おばあちゃん、ここにいたんだ。心配したよ』

『ああ、ごめんねえ、サキちゃん。もうお会計終わるからねえ』

 ビニールの包みが移動する音。

『遠くの親戚より近くの他人ってね。やらない善よりやる偽善なのよ。ありがとね』

 ゆっくりと遠ざかる杖の音。そして、自動ドアの開閉音。

「安倍さん……」

 ココノエが小さくつぶやいた。

「あ? 何だよ」

 アベがココノエを睨みつける。

「あなたのことではありませんよ」

 流石に録音音声を流すだけ流して黙りこくるのはよろしくないので、私は補足説明を試みる。

「だって俺は安倍……」

「先ほどの声はどなたのものか、ココノエさん。分かりますね?」

 ココノエは大きく頷く。

「安倍さん……安倍君江さんよ」

「な、え……ばあちゃん?」

 アベが目を見開く。ココノエの腕を掴んでいた手がぱたりと落ちた。

「ココノエさんは、安倍君江さんのもとに頻繁にお見舞いに来ていたと聞いています。先ほどの音声はその時のものです。間違いありませんか。ココノエさん」

「ええ、そうね。よく会いに行ってた」

「そうやって懐柔して騙したのか? 何で他人のお前が!」

「違う。会うようになったのは、お金をもらった後よ」

「脅してたのか? 金を奪ったと周りには言うなって?」

「それは違うと思いますよ。何も知らない僕でも察しはつきます。安倍君江さんはココノエさんの素性を把握して、それでもなお通報しないで騙され続けることを選んだんです。そうでしょう?」

 それまで静観していたスドウが静かに告げた。

「何も知らないならすっこんでろ!」

「知っているはずのあなたがそんな態度を取るのが問題なんです。詐欺を許容するつもりはないですが、祖母の声にも気づかず会いにいってもないのに孫面をするんですか?」

「何だよ、取られた金を取り返すのが悪いって言うのか?」

 それは正論だ。そして、このゲームにおいてはあくまでも参加者は皆平等で、誰かの所業を取り上げて責めるのが目的ではない。

 全員平等に、後悔してもらう。

「悪いとも悪くないとも言いません。私が求めるのはゲームをつつがなく進行するだけです。アベさん、あなたにはまだ出すカードが残っています」

「っ……くそ!」

 アベが拳銃……モデルガンを握りしめる。

「全員ぶっ殺してやる……」

 弾は打てなくとも鈍器としては十分。

 それを振り上げ、ココノエの頭に目掛けて勢いよく打ちつけようとし——。

「させませんよ」

 アベがつんのめり、振り下ろした手は空を切る。その勢いのままたたらを踏み、耐えきれずに膝から崩れ落ちた。

「っ……何しやがる!」

 いつの間にか立ち上がったスドウがアベの膝裏を蹴り、膝をついて振り返ろうとした背中を更に踏みつけた。

「あなたに裁く資格はない」

 そして、自分の座っていた椅子を持ち上げると躊躇なくアベの頭に打ちつけた。

「がはっ」

 空気を吐き出す音とともにアベは床に無様に倒れ込んだ。

「こ、殺したのか?」

「いや、死なない程度に加減はしたから大丈夫ですよ」

 スドウは動かないアベとすぐ側で震えているココノエには目もくれず、アベが座っていた位置に残されたカードから一枚を中央に置いた。

「『得点カード十点。安倍レオンは上の指示に従って人を殺して金を奪ったことがある』」

 読み上げると、自分の椅子を優雅な手つきで置き直して座った。ココノエはそれを唖然とした顔で見る。トバは、ココノエの元に駆け寄りたいように手錠を揺すっていたが、取れる気配はなく諦めたようだ。

「じゃあ、これで最後だ。僕のカードを出しますよ」

 スドウが出したカードは、黄色。

「『得点カード五点。須藤信が今まで行った犯罪は収賄とその他色々である』……最後にしてはあまりインパクトがなくて悪かったですね」

 スドウの手元に残っていたのは二点の青色カードのはずだ。それなのに出したのは黄色。

「あなたは、二点を出すと……五点と三点のカードは破いたんじゃなかったのかい?」

 トバも気づいたようで、スドウの手元に残っている紙屑を見つめる。

「ええ、破きましたよ」

「……」

 どういう意味か理解ができず黙りこくられて、仕方なさそうにスドウは種明かしをした。

「三点のカードは僕のカードだったけれど、破いた五点のカードは僕のものではない。今出したのが本物です。別にルール違反ではないでしょう。マスター?」

「ええ、でも……」

 そのカードはどこから来たんだろう。それを尋ねようとしたところにスドウの声が重なった。

「さあ、終わった終わった。そろそろトバさんの手錠も外してあげませんか」

 確かに、無理やり手錠を外したアベとココノエ、何故か自由になっているスドウはいいとして、トバのみ一人椅子に繋がれたままだった。

 とりあえず、終わりにしよう。

「四巡目が終わったので、これにてゲーム終了です。最終得点、ココノエ様、アベ様が二十三点、トバ様が十一点、スドウ様が二十六点で、スドウ様の勝利です」

 パチパチ、と一人拍手の音。

「手錠も鍵は机の下の段の引き出しに入っています。ロックは今日の日付です。勝利されたスドウ様以外はお帰りいただいて結構です」

 すぐさまココノエの元に行くトバ。しかし、ココノエは差し出された手を取らず、明後日の方向を向いた。

「結局、同点にするというのは嘘だったのね」

 責めている口調ではなかった。淡々と、事実確認をするようにスドウに問う。

「結果的にはそうですね」

「口に出した時から裏切るつもりだったの」

「いや、あの時はどちらでもよかったんです。でもね、やっぱり僕は勝負事には勝ちたいなと思いまして。ココノエさんは信じる相手を間違えたんですよ」

「……そうね」

 ココノエは頷き、一人で立ち上がった。

「紗季さん」

「……」

「紗季さん!」

 二度目の呼びかけで、ココノエはようやくトバを見る。

「私はあなたの献身が怖い。あなたのことが信用できないし、あなたには恩があるけれど仇しか返せない。他人のふりをすれば止まるかと思ったけれど、あなたはいつだってそうなのね」

 トバは何も言わない。

「あなたは何故見返りがないのに私のことを支えようとするの?」

「……それは、言えません。ただきみは、俺が裏切らない人間だと思っておけばいいんです」

 穏やかに笑って首を振ったトバは優しく言い聞かせる。

「……」

 ココノエの瞳は戸惑いを露わにした。

 虚勢を張って強い態度を取るも、その裏にあるのは弱い精神性だ。人を拒めず、圧力には屈する。不安定な人間というのが九重紗季だ。

 寂しいから人を騙し金を取り、その人本人とのコミュニケーションを大切にする可愛そうな悪党。それならば、献身的な相棒である鳥羽省吾に身を委ねて仕舞えばいいのに。

 けれど、彼女はそれができない。

「理由を言ってくれれば、すぐにでも信用したのに」

 彼女はどうしても、理解できない彼のことが信用できない。

 そして、彼女は会場を去った。トバはそれを追わない。「さて終わったね。それにしてもスドウさんは何故手錠を外せたのか教えて欲しいな。探偵というよりマジシャンみたいじゃないか」

 何事もなかったかのように振り返ったトバにスドウは何事かを言いたげな顔をしたが、きちんと答えた。

「手錠をきちんとはめなかっただけです。ロックがかかったことを遠隔で伝えられる手錠ならうまくいかなかっただろうけど、こういう『復讐のゲーム』はその辺が意外と緩い。あのカメラからは手錠の留め具がきちんとはまってるかは見えないと思ったから保険をかけておいたんです」

 予算の問題だ。

 感嘆の表情を浮かべたトバに、スドウはこう言った。

「僕からもひとつ質問をいいですか」

「……なんだい」

 何かを察したような反応だった。

「なぜトバさんはココノエさんの相棒をしていたんですか?」

「ゲームマスターでさえ俺の動機は分からずカードにできなかった秘密だ。勿体ぶりたい気持ちもあるけれど、せっかくですし言っちゃおうかな」

 恥ずかしげに頬をかき、トバはこう言った。

「俺はね、人としての出来が良くないんだ」

「……それは、自分が悪人だという意味で?」

「いや、それ以前の問題だよ。俺は、何かを支えているという実感、何かを助けているという実感。そういうものがないと生きていけない。生きていていいとは思えない。そういう人間なんだよね」

「自己犠牲主義ということですか? それがあなたのこの行動にどう結びつくのかが分からない。慈善事業やら他にも方法はあるだろうに、どうして犯罪に手を染めた女性を助けたんです」

「慈善事業をやればいい。ごもっともなご意見だ。そこが俺の一番の問題。〝大勢の誰かによる助け〟じゃ駄目なんだよ。俺一人が、特定の誰かを助ける形じゃないと僕は満足できない」

 トバは、銀縁眼鏡を外して目を細めた。

「だから、俺が紗季さんを支えてあげたいのは、紗季さんのためというわけではなく自分のためなんだ」

「それなら、そう言えば良かったんじゃないですか。あなたが自分の利益のために行動していると分かれば、ココノエさんも安心できたと分からなかったわけじゃないでしょうに」

「ああ。でも、言えない。彼女じゃなくても誰でも良いなんて、嫌な話じゃないか。たまたま俺が初めて銀行で見つけた怪しい人が彼女じゃなかったら……なんて、考えても仕方ないのに」

 スドウはため息をつき、椅子に深々と腰掛ける。

 相手にとっての特別な人間になりたいからこそ、相手が特定の相手ではないとは言えない、自分の主義に従った男。たまらなく愚かな行為に、言える言葉は何もない。

「俺たちのこと、通報するのかな」

 今日の天気を尋ねるような気楽さで、トバは問う。

「通報しても、被害者は否定するんでしょうね。全く『復讐のゲーム』に打ってつけの人間です」

 だから選んだのだ。信頼関係が瓦解しお互いを告発するようになればいいと思っていたものの、想像以上に厄介な関係で、目論見は果たせなかったが。

 トバは再び眼鏡を掛け直し、そのお堅い格好には似合わない軽快な笑い声をあげた。

「あなたは俺の十点カードの中身を聞いても驚かなかったように見えたけれど、俺と紗季さんの関係にいつから気付いてたんだい?」

「あなたたちが喋るのを聞いて次第に、ね。あなたはほとんどの人間に対して『あなた』という敬称を使っていたが、ココノエさんが相手の時だけ『きみ』になっていた。失礼ですが、ココノエさんはあなたより年上のようだ。それなのに年下の僕は『あなた』と呼ぶ。それはすなわちそれだけココノエさんはあなたにとって距離の近い人だということだ。このゲームで親密になったとしてはイベントが足りないし、隠してるのかもしれないと思いまして」

「あなたは、そういうゲームにずいぶん精通しているんだね。もしかして、参加するのは初めてではないのかな」

「それは……」

「いえ、聞かないでおくよ。俺もこれ以上巻き込まれたくないからね」

「賢明ですね」

 スドウは優雅に微笑む。

「それじゃあ、俺は追いかけなくちゃいけないのでもう行くよ」

 そう言って、まるで退勤するように軽快な足取りでトバは去った。

 残ったのは、未だ倒れたままのアベと、スドウ。

「ゲームマスターさん。よかったら来ませんか。気になることがあるんでしょう」

「……」

 明らかに乗らない方がいい誘いだ。参加者と直接会えば暴力や連行などのリスクがある。私の身体能力を鑑みれば油断の「ゆ」の字も許されない。

 しかし、私には疑問があった。

 彼が何故か五点カードのフェイクを持っていたこと。

 探偵として依頼主の代わりにやってきた彼の目的。

 私がいかなければ、きっと彼はそれに答えない。

「そうはいってもそう易々と来ない。それはそうでしょうね。じゃあこう言い添えましょうか。僕も『復讐のゲーム』のマスターだ、と」

「……」

 彼が、同業者だと?

 同業者にはあったことがない。テレビでゲームマスターが逮捕された報道を見て存在を確認したり、ネットで自称マスターを見かけたたりしたことはある。でも、生身の存在に出会ったことはなかった。

 本当だろうか。

 この機会を逃したら……。

 私は、スタンガンを握り、部屋を出た。

 暗く灰色の、音が反響する階段室を降り、扉を開ける。

「バーン」

 目の前に、人がいた。

 スドウだ。

 顔を覆う布が邪魔で、額に何か当たった感触しかわからなかった。痛みはない。

「まだ新米マスターなんですか。油断しちゃいけませんよ。せっかくこんな良いものを持ってるんだから」

 ようやく私の頭は、スドウが私の眉間に銃を撃ったフリをしていたということに気がついた。銃口は人差し指の先っちょだった。

「……あ」

「はは、からかってすみません。じゃあ座って話しましょうか」

 部屋の隅にはアベが転がっていて、私はそれに気を取られながらもココノエが座っていた位置に腰掛けた。

「あなたもゲームをやったことがあるんですね」

「ええ」

「じゃあ、探偵っていうのは……」

「嘘ですよ」

 そんな、明らかに探偵チックな服装をしているのに!

「これは趣味」

「マスターだという証拠は?」

「探偵って言った時は信じてくれたのに、今度は信じてくれないのか。なんてね、冗談です。証拠はもうあなたには見せたと思うけれど」

 どれのことだ。カードのフェイクを持っていたから? いや、それはない。あのカードは特注だし、ゲームマスター御用達メーカーなんてものはない。たまたま色も数字も一致したものを持ち合わせていたなんて、手品のタネレベルのマメさがなければ不可能だ。

 私は、スドウの手元に散らばった破片を身を乗り出して集めて、見つめる。

 パーツを合わせるまでもなく、私が作っているものと同じデザイン。文面の方は……これは、以前行ったゲームのものだ。

「私のゲームの参加者と繋がりがあるんですね」

「繋がり、なんて抽象的に考える必要はない。真実は単純なものです。あの人は、あなたのゲームに参加したのちに、僕のゲームに参加したんです。故意か不注意かあなたのゲームから持ち帰ったカードを、たまたま僕が見つけて保管したというわけですよ」

 確かに、〝繰り返すうちに何枚か紛失した〟。まさか、その一枚が他人の手に渡っているなんて。

「この世界は狭い。あなたのゲームに参加した人が僕のゲームに参加したことがあれば、当然僕のゲームに参加した人があなたのゲームに参加予定だったこともあり得なくはないでしょう。僕が須藤の代理として来たのはそういうことです」

 個人がどうにかアクセスできる悪人の情報データベースには限りがある。それなら被ってもおかしいことはない。

「じゃあ本物の須藤さんはいかがされてるんですか」

「僕が、殺しました」

 青年はこともなげに言った。相変わらず優美に微笑んだまま。

「『復讐のゲーム』はそもそも、どうしても苦痛を与えて私刑の死刑をしたかった人間が生み出したシステムだ。敗者に死が与えられるのはそう驚くことではない。そうでしょう?」

 確かに、人を殺さないのは私のポリシーだ。でも、それは危険を伴う。ゲームが終わった後の人間が通報するリスク、情報を共有されるリスク。殺してしまった方がまだ清掃と廃棄だけで済むから楽だとも言える。

 しかし、目の前の青年がそれをやってのけたのか。布面の穴から見えるのは、上品で、暴力とは縁の無さそうな男。私と同世代か、もしくは若いかもしれない青年。

「では、何故私のゲームに参加されたんです」

「人を殺さないゲームを連続して行う人間がどんな人なのか気になって」

 つまり、このゲーム自体の運営で人間性を測っていた?

「こう言うと一方的な裁定者みたいですが、まあもうちょっとざっくばらんに言うとこんな感じですかね。僕も他のゲームマスターという存在が気になっていたんです。それだけのことです」

 同じことを考えていたのか。それは本当なのか。いまいち信用できない胡散くささも感じるがここで嘘をつくメリットは特にない。

「しょうがない。じゃあこれも見せてあげましょう」

 そう言って彼がポケットから取り出したのはプラスチックのカード。何かを指で隠しているものの、その中に四角い写真が嵌め込まれているのが見える。これは……。

「制服?」

 灰色のブレザーと臙脂のネクタイを締めた目の前の青年の写真。確か、隣町の名門私立高校のもの。ということはこのカードは、

「学生証?」

「ええ。現役高校生」

 歳下か。

 自分と同世代とは思っていたが、あんなふてぶてしい態度を取っているのにまだ高校生とは。

 彼はなんのために『復讐のゲーム』をやっているのだろう。高校生という若さで。きちんと人を殺して。

 まじまじと学生証を見つめる。隠している部分はどうやら名前の部分らしい。ここが譲れないラインらしかった。

「あなたも、その布面を外してくれますか。どうです?」

 学生証が偽造だったら? なんて疑いようはいくらでもあるが、私の中ではこの人間ともっと話してみたいという思いが無視できないほど強かった。

 私は紐をほどき、面を外した。

「ありがとうございます」

 青年は満足げな表情をする。

「僕の名前は……そうですな、露日と呼んでもらいましょうか。葉に落ちる露にお日様の日です。あなたは?」

 どうせ本名ではないのだろう。

「葉月。八月の葉月です」

「敬語じゃなくていいよ。僕の方が歳下だろうし」

「そう。あなたの敬語は敬っているというより慇懃無礼に聞こえるね」

「そうでしょうね。敬ってないので」

 年功序列とは相性が悪いらしい。いやまあ、年功序列だと彼の方が先輩の可能性もあるか。

「じゃあ、勝者の報酬の情報をいただくとしましょうか」

「分かった。一人ずつ説明していこう。

「九重紗季は、ほとんど自爆したようなものだけど老人相手の詐欺師で二十九歳。スーツを着ていたけど、有名な保険会社のセールスレディとして仕事をしている。鳥羽と組むようになったのは二年前。詐欺を始めたのは五年前。被害者本人が心から騙されたわけではなく、お互い金で繋がった話し相手みたいな関係で、通報されたことはなくとも知る人ぞ知る詐欺師だったらしい。私も病院のコンビニでアルバイトしていて知ったんだけどね。彼女の特徴としては特に金には困ってなかったってことが挙げられる。ここからは完全な推測だけど、家庭環境が悪かったために家族というものに憧れがあって。親世代の人をターゲットに子供のふりをして擬似家族を感じるのがいちばんの目的だったのかもしれない。それなら鳥羽相手には寂しさをぶつけなかったのも納得がいくのでね。

「鳥羽省吾も、彼本人が大体の動機は喋ってくれたから社会的な立場の話くらいしか残ってないけれど。ああ、もう情報を得た方法だけでいい? 彼に関しては九重を尾行してたらたまたま仲間として見つけられただけ。

「安倍レオンは、さっき流した音源のおばあさんの孫だというのをおばあさん本人から聞いてたんだ。自分にはやんちゃな孫がいるってね。その特徴的な名前がこないだ買った悪人情報リストに載ってたから面白いかなと思って招待してみた。おばあさんはやんちゃなんて可愛く言ってたけど、実際はヤのつく自由業で人殺し。金のために上からの依頼で何人か処分してたみたい。でも実家は金持ちというのがなんとも残念だよね。

「そして、最後、きみが殺した須藤信。ヤクザと繋がりがあって罪をもみ消す警官の存在についてはネット界隈でかなり噂になってた。もしかしたら安倍レオンともつながりがあるんじゃないかと思って呼んだから、反応が見られなかったのは少しもったいなかったかな」

「どうも。まあ大体知っていたことでしたが」

 生意気な。

「僕も情報収集には売ってるリストと自分の足を使ってますからね。じゃあ僕からもお近づきの印に添削をしてあげましょう。いや、ゲームならデバッグっていうのかな」

 露日は片手をスッと上げた。すらっとした指が三本立っている。

「一個目、暴力への対策がされていない。言うまでもなく手錠はもろく、武器を持ち込んでもバレなかった。暴力が前提となるゲームならこの辺は考える必要はないですが、知能に頼りたいなら完全に暴力を排除する仕組みが必要です。例えば武器を隠せないような服装を指定するとかね。

「二個目、良くも悪くも参加者の性質に依存したゲームなので汎用化しにくい。オーダーメイドのゲームは美しいですが、今回は鳥羽の献身や僕の行動がなければ全員が高得点のカードを出して秘密を曝け出して泥沼化して終わり、なんてカタルシスのない展開になっていたかもしれない。そうなると葉月さんの目的である『勝者に情報を与える』という賞品の価値が薄れてゲームが成り立たなくなる。誰がどんな行動を取ろうと安定して賞品に絶対的な価値があった方がいいでしょうね。いや、あなたが一つ一つのゲームをオンリーワンにしたいと言うのならこれは余計な指摘でしたね。どうしても最近は効率を気にしてしまって。

「三個目、これは僕の個人的な感情です。他人が勝手なことをほざいていると思ってくれて構いません。僕は、あなたが何故このように、敗者を殺さず情報のみをテーブルに載せたゲームをするのか分かりません。でも……あなたは、あなたのゲームは、ずるい。人を集めて脅す意思はあるのに罰を与えるのは他人に任せて自分の手を汚さないなんて、その程度の覚悟でしかないのではありませんか」

 確かにそうだと納得できる内容だった。けれど、最後の一つだけには反論しなければいけない。

「私には私なりの考えがある。手を汚すのが、殺すのが怖いなんて、思っていない」

 露日はそれ以上言い返さず、感情的な発言をしたことを恥じたように肩をすくめた。

「……いろいろ言ったけど、僕としては楽しかったですよ。それで、次のゲームはいつやるんですか?」

「実はまだ考えていない。決まったらどうにかして連絡しようと思ってた」

「はは、それなのに優勝賞品と言ってしまうのはなかなか面の皮が厚くていいですね」

「さあね」

 連絡先を教えてくれたらきちんと教えるつもりでいたけれども。まあ、大抵の場合教えるのを嫌がってうやむやにできると思ってはいたが。

「さて、今日のところはこのくらいで帰るとしましょう」

「え、まだ今日のゲームの振り返りしかしてないけど」

 露日は快活に笑い、立ち上がる。

「まあ、またいつか会う機会はありますよ。というか僕から会いに行きますから」

「顔しか知らないのに?」

「はは、特定の人の情報を集めて追いかけるのは慣れてるんです。それにあなたもまだゲームを続けるでしょう?」

「……そうだね」

「僕もそうです。だから、もう二度と会えないわけはない」

 そう断言する露日は明るい高校生そのもので、やはり復讐やら人殺しとは縁遠い存在に見えた。それでも彼は続けてこう言った。

「じゃあ、この倒れている男は僕が片付けるから安心してください」

 そして未だに倒れ伏したままピクリとも動かない安倍の腕を自身の肩に回すことで体を持ち上げ、腕を支えていない手をひらひらと振りつつ、私からの返事も待たずに扉を開けていなくなった。

「ふう……」

 空間は静まりかえった。私は椅子に深く腰掛け直す。

 イレギュラーが参加した今回のゲーム、振り回されはしたものの無事に終わって御の字だ。けれど至らなかった部分も多い。

 頭の中で、露日に指摘された部分の反芻を行う。至らなかった点の反省会を行う。

 まだ究極のゲームには程遠い。

 あいつらを後悔させるにはまだ足りない。

 そのために私はまだ練習を続ける。



   *


 タイムカードを押して制服を脱ぎ、一度病院を出て道の向かいの花屋に行ってから再度病院に戻ってきた。売店を通り過ぎてエレベーターに乗り、目的の階で降りると慣れ親しんだ看護師さんのところで受付を済ませてから個室に向かった。

「来たよ」

 扉を開けて、返事がこないことは分かっているけれど声を掛ける。相変わらず彼女は安らいだ表情で眠っていた。窓際の花瓶から前来たときに生けた花を抜き、新しい花を差す。古い花は通路のゴミ箱に捨てた。

 ベッドの脇に丸椅子を置いて、来ない間にあった出来事をゲームの話も含めて一歩的に話す。そういえば何かのミステリで、意識不明の患者に自分の罪を告白していたら、意識の戻った患者にそれを指摘されるという話があった。彼女にはこの言葉が聞こえているんだろうか。

 まあ、どちらでもいいことだ。

 話し終わった私は椅子を片付けて部屋を後にする。

「じゃあ、また来るから」

 もちろんそれに返事はない。

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