一章 再会(3)

    ◇ ◇ ◇


 星宮の住んでいる家は、二階建ての木造アパートだった。

 壁が黒ずんでいてボロついた雰囲気が漂っている。とてもギャルが暮らしている家とは思えない。と思ったが今の星宮はギャルじゃなかった。どこからどう見ても完全無欠の地味子。人ってこんなに変わるんだなー、と不思議な気持ちになる。

「こっちだよ」

 自転車置き場に自転車を止めたオレは、星宮の案内でびた階段を上がる。

 星宮の部屋は二階の一番右端だった。ここで一人暮らしか。

「どうして星宮は一人暮らしをしてるんだ?」

「んー? お母さんがさ、お父さんの出張についていったんだよねー」

「そっか。星宮は残ったんだな」

「うん、友達も居るし。でも一年もしたら帰ってくるそうだけど」

「それでも寂しいだろ」

「そうだけど、再会できるのがわかってるから……」

 うつむき、暗い声音で言う星宮。オレの事情を思い出したか。

「あまり気にしなくていいぞ。ご覧の通りオレは元気だからな」

「さっきまで死のうとしていた人のセリフじゃないかなぁ……」

 そんなこと言われても困る。人間、いつだってその場の気分やノリで生きているものだ。

 ただオレの場合、ちょっと振れ幅が大きいかもしれない。

「黒峰くん、よく言われない? 見た目は大人しそうだけど、中身は少し変わってるって」

「いや全然。見た目も中身も真面目で地味な男子生徒というのが周りからの評価だ。星宮もそう思っていただろ」

「うん」

「…………」

 オレから言ったんだけど、もう少し誤魔化すなりしてほしかった。

「やっぱり人は実際に話してみないとわからないね。あたし、黒峰くんは人と話せない人だと思ってたもん」

「それはひどいな。普通に傷つく」

「あはは、ごめんごめん」

 星宮は茶目っ気に溢れた笑みを見せてから頭を下げる。

 場合によっては腹立つかもしれないが、むしろ星宮は可愛く思わせる魅力があった。

 この軽いノリがちょっとギャルっぽい。

「ただいま」

 ドアを開けた星宮が玄関に踏み込む。もちろん中は真っ暗で誰も居ない。

「おじゃまします」

「どうぞー」

 優しくほほむ星宮が返事をしてくれた。少しドキッとする。

「黒峰くんごめんね。ちょーとだけ、玄関で待っててくれる?」

「わかった」

 玄関で靴を脱いだ星宮は台所を通り過ぎ、ドアを開けて部屋に入った。掃除するのだろう。見たところ1Kか。玄関のすぐ近くに台所。やトイレにつながるドア。星宮が入った部屋は日常的に過ごす空間だろうか。

「ごめんねー。お待たせ」

 十分もしないうちに星宮が戻ってくる。部屋の電気で星宮の顔がはっきり見えたのだが、頰には涙の跡がくっきりと残っていた。……自分の顔に気づいてないのか?

「どうぞーあがってー」

 星宮に導かれて台所を脇目に部屋に上がる。ピンク色を基調とした女の子らしい部屋だ。広さは八畳ぐらい。床はフローリングではなく畳だが、カーペットを敷いて洋室っぽくしている。カーテンやベッドは派手過ぎない薄いピンク色で、かべぎわのクローゼットは汚れのない真っ白な色をしている。その他、机といった家具も含め、部屋の狭さを感じさせないような上手な配置になっていた。

「…………?」

 とある一点にオレは目を奪われる。机に置かれた家族写真だ。

 優しそうな両親と笑顔を浮かべる中学生っぽい星宮が写されていた。

 ……このときの星宮も地味子だな。それも髪が黒色だ。

 ひょっとして星宮は高校デビューした人だろうか?

「…………」

 なんだろう、この違和感。頭の中の何かがうずく。

「どうかな? あたしの部屋……変?」

「変じゃないけどフルーティな匂いがする。なるほど、これが星宮の匂いか」

「そういうの、普通は思っても言わないことだと思うよ」

 星宮のジト目から放たれた視線がオレの頰に突き刺さる。

「本当に泊まって良いのか?」

「もちろん」

「彼氏とか大丈夫? 割と問題になると思うんだけど……」

 そう言うと、星宮はブンブンと慌てて首を振った。

「い、いないって! あたし、彼氏いないから」

「まじか。告白されたことはあるだろ?」

「ないない! 告白なんてそんな……」

 驚いたように否定していることからウソを言っている感じではない。

 信じられないな。星宮のような女子はモテる星の下に生まれた存在だろう。

 実際モテているはずだ。友達0人のオレだが、星宮のうわさくらい何度も聞いている。

 少なくとも星宮に告白しようとした男が何人もいたのは事実だ。

「この部屋に男を上げたことは?」

「一度もないよ。黒峰くんが初めて、かな……」

 そんなこと言われると意識してしまう。

 ……星宮の家に入ったことがある男はオレだけなのか。ちょっとした特別感を味わった。

「ギャルなのに男を誘わないんだな」

「ギャル関係なくない? なんかそれ偏見っぽい」

「でも学校での星宮は遊んでそうな見た目をしているぞ」

「オシャレだよ、オシャレ。あたしなりに可愛さを追求してるのっ」

 ムッとした感じで星宮が言ってきた。どうやら男との付き合いはからっきしらしい。

「余計なお世話だろうけど、簡単に男を家に上げない方がいいぞ」

「なんで?」

「なんでって…………襲われるからだ、性的に」

 オレの言葉の意味がわからなかったらしく、星宮の目がメガネ越しにパチパチとするのが見えた。しかし、すぐに理解したようで────。

「な、なに言ってんの!? この変態!!」

「いやオレのことじゃなくて────」

「言っておくけど、そんなつもりで黒峰くんを家に誘ったんじゃないから! や、やめてよね!」

「…………」

 キッと目つきを鋭くさせた星宮が、身を守るように自分の体を抱きしめた。……ひでぇ。


    ◇ ◇ ◇


 女子の家でシャワーを浴びるというドキドキイベントを終えたオレは、脱衣所で星宮のお父さんが着ていたという紺色のジャージに着替えていた。意外といい匂いがする。オッサン臭くない。ずっとタンスの奥にしまっていたような匂いだ(カビの匂い?)。

 星宮いわく、引っ越しの際にお父さんのジャージが荷物に紛れ込んでしまったらしい。

 ありがたく今夜は借りることにした。

 頭を拭き終え、洗面所から出て星宮の居る部屋に戻る。

「お風呂ありがとう」

「うん。じゃ、あたしも入ってくるね」

 そう気楽に言った星宮は何の躊躇ためらいもなく浴室に向かった。

 …………え、お風呂? お風呂、入るの?

 入るのは当たり前なんだけど、ここに男子居るぜ? それも彼氏でも何でもない男子。

 クラスメイトなのに、今まで会話をしたことがなかった程度の関係ですよ?

 ザーッ。程なくして、シャワーの音が聞こえて来た。

「…………」

 これはオレを異性として意識してないのか、信頼しているのか……。たぶん前者。

 そういえばおさなじみから『リクちゃんて、子犬みたいでわいいね!』と言われたことがある。ひょっとしたらオレは、女性から人間として認識されない生物なのかもしれない。

「────ひらめいた!」

 人間ではなく犬として見られるなら、星宮が居るお風呂に入っても問題ないのでは?

 きっと『きゃー可愛い!』と言いながら頭をなでなでしてもらえる──わけがない。普通にぶん殴られた上で警察を呼ばれるだろう。

 ピンポーン。部屋内にインターホンの音が鳴り響く。来客か、こんな時間に。

「どうしようかな……」

 オレが出てもいいのだろうか。星宮の知り合いだったら面倒なことになる。

 かといって無視もできない。なら星宮を呼びに行くか?

「いやいや、無理だって。入浴中の女子のとこに行けるわけないって」

 ピンポーン。再び鳴らされる。すまない、また今度来てくれ。

 今のオレにはどうすることもできないんだ。

 ピンポーン。ピンポーン。ピンピンピンポーン。

 ピーンポーン。ピンピンピンピンポーン。

「うるせっ!」

 めちゃくちゃ鳴らしてくるじゃん! くそ、もう出るしかないか。

 覚悟を決めたオレは玄関に向かい、ゆっくりとドアを開ける。

「彩奈ちゃん! ────誰?」

 そこに居たのは、伸ばしっぱなしのボサボサの髪の毛をした女性だった。目の下には笑えそうなほど真っ黒なクマができている。見たところ年齢は大学生……を少し超えたくらい、か? ダボッとしたシャツに、短パンを穿いている。部屋着だな。全体的に不健康な雰囲気がするが、顔立ちはれいに整っているので美人と呼べるだろう。

「オレは黒峰リクです」

「ここ、彩奈ちゃんの部屋なんだけど……あ、ひょっとして彼氏?」

「違いますよ」

「じゃあ誰? え、不審者?」

「不審者に見えますか? え、こんな人畜無害みたいな見た目をしているのに? オレは星宮のクラスメイトです」

「ふぅん」

 どこか怪しむような目つきで、オレの頭から足先を眺める謎のお姉さん。

「ただのクラスメイトが、どうしてこんな時間まで女の子の部屋に居るの?」

「……オレ、家出しているんですよ」

「家出?」

 思わずウソをついてしまう。こうなったら続けるしかない。

「はい。ちょっと家族とけんして……やけくそになって山にまで来たんです。それでコンビニに寄ったら偶然星宮と会って、家に泊めてもらえることになったんです」

「へー。彩奈ちゃん、相変わらずおひとしだなー。警戒心なさすぎ」

「そうっすね」

「……やっぱり、アレしちゃう気?」

「は?」

 ニヤッと笑みを浮かべる謎の女性。

「アレと言えばアレでしょ、アレ。健全な男女が一つ屋根の下……何も起こらないわけがないでしょうよ」

「なんか急にキャラが変わったっすね」

 ニヤリとする謎のお姉さん。変態の匂いがする。……いや、決めつけるには早いな。

「あ、私の名前はもんはる。職業はエロ漫画家です」

 堂々と胸を張って言うじゃん。いや自分の仕事を誇りに思うのは素晴らしいことだ。

「気軽に私のことは『もんもんちゃん』て呼んでねー」

「やらしい意味に聞こえるのはオレの考えすぎですか?」

「え? エロ漫画家のもんもんちゃんがもんもんしてるって? やだリクくんのすけべ〜」

「帰れ」

 門戸だから、もんもん。そしてエロ漫画家……。うん、まずいだろ。色々な意味で。

「ねね、すこーし相談があるんだけどさ」

「なんすか」

「アレをやるときは、なるべく壁に寄ってくんない? 私、隣の部屋だからさ」

「はぁ……アレってなんすか」

「それはセッ────」

「帰れ」

 セッの時点で全てを察した。アレの時点で気づくべきだったと後悔。

 やばい、この人、コンビニ強盗よりごわい……!!

「家出男子とギャルが一つ屋根の下で織りなす純愛ストーリー。そして最後には……あ、やばい、閃いた。ストーリーのネタ、思いついちゃった。ごめんリクくん、家に帰るわ」

貴女あなた、ほんと何しにきたんすか……」

「ん〜? 久々に彩奈ちゃんの叫び声が聞こえたから様子見に来たんだよ。んじゃね〜」

 軽く手を振り、門戸千春さんは隣の部屋に姿を消した。はんねえな。嵐みたいな人だ。

 コンビニ強盗を正面から捻じ伏せたこのオレを、こうも簡単に振り回すとはな……!

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