一章 再会(4)

    ◇ ◇ ◇


「それは大変だったねー。千春さん、結構クセがすごい人だったでしょ?」

「すごいどころかぶっ飛んでる。あの短い間に強烈なインパクトを残してくれた」

 がりの星宮が「あはは……」と苦笑をこぼす。

 今の星宮はピンク色のパジャマを着ていた。頰にベッタリと貼り付いていた涙の跡も消え去り、ドライヤーでしっかりと乾かされた髪の毛は艶を帯びて照明を反射している。

 もっさり感があまりないせいか、かなりの美少女に見えた。

 メガネを外しているのも大きいかもしれない。星宮の整った顔立ちがはっきり見える。

「ごめんね。あたしの彼氏と勘違いされて嫌だったでしょ?」

「嫌ではなかったけどな。少し驚いた」

 星宮には門戸さんと何を話したのか伝えている。

 と言っても、アレのくだりは伝えていない。伝えられるわけがない。

「さて黒峰くん」

「はい星宮さん」

 改まるオレたち。星宮はベッドの上で正座している。オレは床で正座した。

「どこで……寝る?」

「オレは玄関でもいいよ」

「そ、そんなのダメだよ。ちゃんとした場所で寝ないと体が痛くなっちゃう」

「じゃあどうするんだ。そのベッドで一緒に寝るか?」

「…………い、いいよ」

「まじか」

 爆発寸前の爆弾くらいに顔を赤くした星宮が、そっぽを向きながら自分の髪の毛をいじり始める。……やっぱり遊び好きのギャルか?

 いくらなんでも、何の関係もない男と同じベッドで寝るのはちょっと……。

 だが雰囲気から恥ずかしがっているのは明白。

 純粋にオレを心配して、ベッドで寝ることを提案しているのか。

「く、黒峰くん? あたしを……見つめすぎ……」

「あ、あぁ、悪い」

「ほ、ほんとにあたし……そんなつもりないから。えっちなことしようとしたら……本気で、怒る……」

「安心してくれ。オレにそのつもりは一切ない。何があっても星宮には手を出さないと誓う。手を出したいとも思わない。星宮に手を出すという考えがなかった。まじありえん」

「……そこまで言われると逆にショックだなー」

 念押しで言ったら逆効果になったらしい。星宮は不満そうに唇をとがらせた。

「玄関──はダメなんだよな。オレはここで寝るよ」

「ここって……床?」

「うん」

「体、痛くならない?」

「大丈夫だろ、カーペットで柔らかいし……」

「う〜ん……でも」

「そんなに男と寝たいのか?」

「あたしをビッチみたいに言うのやめてくれる? これでも、まだしょ──そういうの、経験ないから」

「なるほど、星宮は処女か」

「なんで言っちゃうのぉ!? あたし、濁したのに!」

「大丈夫だ。オレも未経験……童貞だから」

「この変態!」

 本気で星宮から怒鳴られた……。これまでのやり取りでわかったことがある。

 星宮は──うぶだ。

 今の大人しい見た目からは簡単に想像できるが、学校でのギャルモードを考えると信じられない。

「じゃあ寝るよ。おやすみ」

 オレは星宮の返事を待たずして床に寝転がる。

「……わかった。でも無理しないでね」

「んっ」

 星宮は「じゃあ明かり、消すね」と言いながら部屋の照明を消した。

「おやすみ、黒峰くん」

「おやすみ星宮」

 とんをかぶる音を耳にする。ぼんやりとした暗闇の中、星宮が横になる輪郭が見えた。

「…………」

 まさか星宮と同じ部屋で寝ることになるなんてなぁ。

 あぁ、おさなじみになんて言い訳しよう。いや言い訳の必要はないのか。

 もう振られた後だし。そもそも言い訳をする必要すらない。

 明日から、どうしようかな。幼馴染と顔を合わせることになるのは絶対だ。

 オレ、どんな顔をしていればいいんだろう。

 これはオレの予想に過ぎないが、あの幼馴染のことだから……いつものように普通に接してくる気がする。そう考えると、なんだか悔しくなってきたぞ……!

「すぅ……すぅ」

 安らかな寝息が聞こえてくる。寝るの早いな。オレもさっさと寝よう。

 今、うだうだ考えても仕方ない。もし幼馴染が何食わぬ顔で『おっはよー!』と挨拶してきたら、『うるせえ! この思わせぶり女め!』とキレてやるか。うん、そうしよう。

 と、できるはずもない計画を企てながら、意識が徐々に薄れていくのだった。


    ◇ ◇ ◇


 耳元で鳴るスマホのアラームで強制的に意識が覚醒する。

 手探りでスマホを手に取り、アラームを解除すると同時に時刻を確認した。4時だ。

 これから自転車で三時間走るので、早めに起床する必要があったのだが……ねむい。

 星宮から借りたジャージを脱ぎ、昨晩まで着ていた制服に着替える。

 黙って出て行くのも防犯的によろしくないと思い、ベッドでスヤスヤと眠る星宮に寄った。……決して女子の寝顔が見たいというよこしまな思いがあったわけではない。

「……お母さん……お父さん……」

 驚くことに星宮は──ほろほろと目端から涙をこぼしながら、小さな声で両親を求めていた。……本当に両親が好きなんだな。

 居なくなったことを想像するだけで号泣していたくらいだ。

「星宮」

「……んぅ?」

 名前を呼びかけ、肩を優しく揺する。ぼわぁとまぶたを開け、星宮はトロンとした目でオレを見上げた。現実を認識できていない様子。

「黒峰くん……なんで私の家にいるの? 夢?」

「夢じゃない。昨日、オレを泊めてくれただろ?」

 なんとなく違和感を持ちながら話を続ける。

「んん……そうだったね。今、何時ぃ?」

「4時だ。早くに起こしてごめん。出て行く前に、声をかけておきたくてな。ドアに鍵をしないとダメだし」

「ふわぁ……おはよう〜」

「会話がワンテンポ遅れてるんだけど? でもおはよう」

 寝起きの星宮はこんな感じなのか。幼くわいいって印象だった。


    ◇ ◇ ◇


 星宮の意識が覚醒するのを少し待ち、それから玄関まで見送ってもらう。

 オレは自転車に乗り、早朝のサイクリングを開始した。

 それは三時間に及ぶ過酷な旅だった。

 朝のひんやりとした風を全身に受けながらも汗をダラダラと振りまき、ついに辿たどく我が家。十五階建てのマンションだ。オレの家は五階で、間取りは4LDK。

 家族がくなった後も住み続けている。

 一人暮らしするには広く感じるが、今となっては慣れたものだ。

 家に帰ったオレは軽くシャワーを浴び、再び制服に着替える。

 そんなこんなで登校時間となってしまった。

「学校、行きたくねぇ」

 本音が漏れ出る。星宮と同じクラス。これは構わない。

 だが、幼馴染とも同じクラスなのだ。これは気まずい。

 そして────。

 ピンポーンと部屋内に鳴り響くは、地獄のメロディか、死神が訪れた合図か。

 ……普通にインターホンだけど。問題は誰が押しているのか。

 それは──幼馴染だ。直感でわかる。出たくない。とはいえ出ないわけにもいかない。

 カバンを手にしたオレは、床にへばりつこうとするバカな足を動かして玄関に向かう。

 一度だけゴクッとツバを飲み込み、おもむろにドアを開けた。

「おっはよーリクちゃん! 今日もいい天気だね!」

「…………」

 本当に能天気で活発的な挨拶をしてきたよ。

 はるかぜはる──まごうことなきオレの幼馴染である。

 その悪意を一切知らなさそうな明るい笑顔は、見る者全てを幸せにするだろう。

 肩まで伸ばされたれいな髪の毛が風で揺らされ、シャンプーの匂いだと思われる花の香りがかすかに漂ってくる。

 平均よりも小さな体をしている陽乃だが、そのキラキラとした雰囲気で存在感は強烈だ。

 性格は嫌味がなく明るくて優しくて……校内で陽乃が嫌いな人は存在しないと思う。

 陽乃は誰とでも仲が良いし、中学の頃……いや、小学生の頃からモテていたはずだ。

 ちなみにオレは陽乃のオマケとして扱われてきた。ていうか金魚のふんまで言われていた。

 糞でもいいから陽乃のそばに居たかった。それが昨日までのオレだった。

「昨日はどこに行ってたの? 連絡はつながらないし、家にも居なかったしさー」

「昨日は用事で遠くに行ってたんだ。携帯は家に置き忘れてた」

「用事? 用事ってなに?」

「秘密」

 陽乃に振られたから自殺しに山へ行ってましたー!

 とは言えなかった。今にして思うと、本気でオレはバカだった。

「幼馴染に秘密って良くないよ!」

「そう言われても。つーか、昨日、オレから告白されたの……覚えてる?」

「うん。あ、でも、幼馴染として今後とも仲良くしたいとは思ってるよ」

 ……残酷すぎね? ウェブ小説で言うなら18禁レベルで『残酷描写あり』になるぞ。

 しかも陽乃は悪意をもって言っているわけじゃない。純粋な気持ちで、これからもオレと楽しく過ごしたいのだ。……悪意がない分、よりたちが悪い。

「だめ、かな?」

「結構つらい」

「でもさ、私と付き合いたいってことは、一緒に居たいってことでしょ? 付き合わなくても私とリクちゃんはおさなじみで、ずっと一緒に居るんだから何も問題ないと思うなぁ」

 本気でそう思っているらしく、陽乃は不思議そうに首をかしげた。

 なんかもう幼稚園児を相手にしてる気分になってくる。彼女に恋愛感情はないのか?

 それでも悔しいことに、陽乃を前にするとオレの心臓はトクトクと高鳴るのだ。

「なあ陽乃。これからはオレたち──」

「ほら! 早く学校に行くよ! 遅れちゃうってば!」

 何事もなかったかのように、今までの関係が当たり前のように、陽乃はオレの手を握りしめ、通学に誘ってくる。もし陽乃を嫌いになれたら……と思った。

 振られてもいまだに、この幼馴染が大好きなのだ。

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