第8話 それは運任せ

 髪を切ることを決めたがここは裏路地。

 はさみもなければ刃物すらない。

 強いて言えば落ちているガラス片くらいだろうが、流石に素手でガラス片を握りたくはない。

 どうしたものかと颯太は悩んでいるとエレオノーラが口を開いた。


『まずは髪の毛を切らないといけませんが切る手段がありませんわね……』

「(どうする? 足元にはガラス片が落ちてるけど、流石に素手じゃ触りたくない)」

『そんなことはしなくても結構です。そもそも、ガラスで指を切ったら血が出るでしょう。血の着いた手で髪の毛に触れば、血が付着してしまい、価値が下がりますわ』

「(あ、はい……)」


 反論すら許されないほどに言いくるめられた颯太は生返事でエレオノーラの言葉に従う。


『とはいえ、ここに留まっていても仕方がありませんわ』


 シーツ一枚の上に薄暗く、小汚い裏路地。

 いつまでもここに留まっていては何も進展はしない。


『移動しますわよ』

「(え、どこに?)」

『少々、お待ちなさい。私が先行して周囲を確認してきますから』


 今のエレオノーラは幽霊だ。

 彼女の肉体には颯太が宿っており、元の持ち主であるエレオノーラは背後霊のようにすぐ傍に浮かんでいる。

 幽霊という利点を利用してエレオノーラは建物の壁をすり抜け、周囲の安全を確かめた。


 エレオノーラがいなくなり、心細くなった颯太はその場にしゃがみ込み、小さく身を丸めて周囲の様子を窺う。

 町は相変わらず賑やかで多くの人々が行き交っており、活気に満ち溢れていた。


「(…………)」


 ぼんやりとした目で遠くにある光景を見ていたら、エレオノーラが戻ってきた。


『戻りましたわ』

「(あ、おかえり)」


 声色が少しだけ違う颯太に勘付いたエレオノーラは何かあったのかと尋ねる。


『どうしましたの? 先程よりも声が沈んでいるようですが?』

「(いや、なんでもない)」

『何かあればいつでも言ってくださいませ。私と貴方は一心同体なのですから』


 何かが遭ったことは容易に分かるエレオノーラは気遣うように優しい言葉をかけた。


「(わかった。そうするよ)」


 自分よりも年下の女性に気を遣われていることを察した颯太は己を情けないと罵った。

 三十路にもなる大人が子供に気を遣われているのだ。

 自分を情けないと思うのも当然の事であろう。


 周辺の様子を探っていたエレオノーラの指示に従い、颯太は表通りから見えないように身を潜めて裏路地を進んでいく。

 しかし、シーツ一枚に裸足というのは辛く険しかった。

 元々、先日の夜から裸足で動き回っていたせいもあって足の裏側が酷く痛み出した。


「(ッ……)」


 我慢をしているがあまり長い時間、耐えられそうにないと颯太は額に汗を滲ませている。

 先導しているエレオノーラは颯太が苦しんでいるとは知らず、先へ先ヘと進んでいく。


 エレオノーラは目的の場所に辿り着いて、後ろにいる颯太へ振り返る。

 そして、颯太の状態が非常に危険なものだと理解し、すぐさま駆け寄った。


『ちょっと! 怪我をしているじゃないですか! 何故、言わなかったのです?』

「(いや、我慢できるからいいかなって……)」

『そのようにじっとりと汗をかいておきながらよく言いますね! まずは足の洗浄、それから何か巻くものを……』


 足の皮が剥けて血を流している颯太にエレオノーラは応急処置を施そうとするも彼女は幽霊のために何も出来なかった。


『ッ……。水魔法は使えまして?』

「(試してみる……)」


 自分が出来ないのであれば颯太にやらせるしかない。

 エレオノーラは颯太に足の洗浄を最初にやらせようと水魔法の発動を確かめた。

 颯太は火魔法の基礎となる灯火は出来たので魔法自体は使える。

 ならば、水魔法の発動も不可能ではないだろう。


『水魔法の基礎は水を生み出すことです。灯火と原理は同じですので水生成ウォーターと唱え、しっかりとしたイメージを描いてください』


 簡単な説明を受け、颯太は大きくゆっくりと息を吸って吐いた。


「すう……ふう~……」


 イメージは万全。

 真っ直ぐに伸ばした手の平を上に向けて魔法の発動準備を整える。

 灯火を発動した時と同じ感覚を掴んだ颯太は心の中で呪文を唱えた。


「(水生成ウォーター!)」


 手の平には魔力が集まり、颯太のイメージ通りに水が生み出される。

 プカプカと手の平に浮かんでいる小さな水の玉。

 神秘的な光景に颯太は目を奪われたがエレオノーラの言葉によって我に返る。


『その水で足を洗い流しなさい。それから、シーツの端を破って包帯代わりに巻きなさい。そうすれば多少はマシになるでしょうから』

「(そ、そうだな! すぐするよ)」


 言われたとおりに颯太は擦り切れて皮がむけてしまった足の裏に水をかけて消毒を行う。

 痛みに顔を歪ませたが、こうなってしまったのは自分が言い出さなかったせいであると言い聞かせ、歯を食い縛るのであった。


 足の洗浄が終わり、近くにある段差に腰をかけて颯太はシーツの端を破った。

 手際よくシーツの端を怪我をした足の裏に巻いて一息吐く。


「ふう……」


 これでしばらくは問題ないだろう。

 出来れば早く医者に見せたい所だが、無一文な上に追われている身だ。

 流石にそれは難しく、颯太も諦めるしかなかった。


『さて、これからどうしましょうか……』

「(正直、今は歩きたくないというより歩けない……)」

『普段なら何を情けないことを、と怒鳴りつけていたでしょうがその怪我では仕方がありませんわね……』

「(でも、ここにずっとはいられないんだろ?)」

『ええ。ここに長居していてはいずれ誰かに見つかってしまいます。ですから、どこか身を隠せる場所にと思っていたのですが……』

「(すまん。俺のせいで)」

『気にしなくて結構ですわ。私の不注意でもありますので。今は動けるようになるまで待ちましょう』

「(それは……)」


 エレオノーラの発言は運に任せるということだ。

 それを理解した颯太はそのことを口にしかけたが、彼女の気遣いを無下には出来ないと口を閉ざした。



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