第136話 一人称の話と、二十年前の鬱アニメ

 私の執筆中の小説『黄泉月の物語』に『黄泉姫』なる高慢な姫が登場します。

 この人の一人称は『此方(こち)』です。


 登場した時は『妾(わらわ)』にしようかと思いましたが、語源を調べると「武家女性の言い回しで、へり下った言い方」とのことで却下。


 よく高慢な姫君や奥方の一人称として使われている記憶がありますが、語源を考えれば明らかな誤用です。


 『私(わらわ)』と書くことも出来るようですが、字面を見るとやはり違和感ありです。

 ルビを振っても、高慢なキャラには相応しいと感じません。


 と言う訳で、『黄泉姫』には『此方(こち)』を採用しました。


 言葉とは『誤用』であっても、定着すれば「それも有り」になってしまうのが悩ましいところです。


 

 男性の「僕(ぼく)」も「僕(しもべ)」の転用ですし、漢字は難しいものです。


『黄泉月の物語』でも、通常は「俺」と言うキャラが、相手によっては「僕」に変えています。



 昔にちょっとだけ観たアニメの『WOLF'S RAIN』のヒロインの一人称が「これ」でした。

 漢字だと「此れ」でしょうか?

 非常に珍しい言い方だったので、覚えています。


 調べたら、もう二十年前の作品でした。

 ラストは全滅・転生ってことで合ってると思うのですが……転生したとしても、全滅オチは観ていてツラいものがあります。

 『黄泉月の物語』では、過去世全滅エピを私自身が書いていますが(大汗)。



 ところで、同じ年に放送された(調べたら、そうだった)石ノ森章太郎先生原作のアニメ『Gilgamesh』についてです。


 こちらも全滅オチでした。

 救われなさは、『WOLF'S RAIN』より上。

 主人公と仲間たちは殺され、戦いが終わり、遥かな未来――

 ひとり覚醒した主人公の姉?が、近寄って来た幼女?を刺してエンド。

 姉?は、対立していた伯爵夫人の念である幼女?を刺したって解釈でしょうか。


 「解釈は視聴者に委ねる全滅オチ」が流行っていた時期だったのかも知れません。

 

 そういえば、この作品には男の娘が出ていました。

 最後は、敵の手で呆気なく死亡。

 彼に好意を抱いていた少年はそれを目の当たりにして、敵に立ち向かって死亡。

 ひどいよ……。

 BLなんて意識していない年齢でしたが、二人が自然と接していた感じが良かったのに……。


 そして、主題歌は倖田來未さんの『Crazy 4 U』。

 この歌、今も大好きです!



 この記事を書いて、思ったのですが――

 『全滅オチ』は極めて作りやすいのではないか、ってことです。

 全滅を回避させる方が、よほど手間が掛かって難しいです。


 全滅なんて、特攻させれば済みます。

 それまで仲間たちの戦いを描き、死に様を描いて盛り上げれば感動させられます。


 仲間全員生存はご都合主義かも知れませんが、『全滅オチ』アニメを思い出すと、やはり苦い思いが込み上がります。

 その苦さゆえ、強烈な印象を残すのかも知れませんが。

 


 でも……『Gilgamesh』は、主人公の最期がさっぱり覚えてません。

 男の娘と彼氏の最期が印象に残っちゃったからなあ……。


 そして主人公の姉を愛した敵のリーダーが、「君の姉さんを愛していた」と言って落下していくシーン(この後に死亡?)も覚えています。


 見直したい作品ですが、そこに回す時間が無いのが残念です。

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