蓮華の先へ
第21話 輪廻する蓮華
栖榮は、自室で一人眠れぬまま一夜を過ごした。朝になって自分がしてしまった事が恐ろしくなって、少しでも曇った心を晴らそうと青凱寺へ行く事にした。
栖榮にとって青凱寺は、子供の頃から慣れ親しんだ寺。これまでに自分が蓮香へしてしまった事を悔い、祈ろうと考えたのだ。仕度を整え出かけようとした所で、離れから戻って来た春鸞と鉢合わせた。
「あっ、若様。お戻りでしたか。」
「あぁ、戻った。出かけるのか?」
「えぇ、ちょっと。青凱寺へ。」
「そうか。」
春鸞は青凱寺と聞いて、昨日の怒りが再燃しそうになった。そこをぐっと堪え書斎へ向かう。その後ろ姿を見送りながら栖榮は、自分のしてしまった事を深く後悔しつつも蓮香への嫉妬と春鸞と離れへの疑いが一層強くなった。
栖榮は青凱寺へ向かう道すがら、これまでの一連の嫌がらせが誰の仕業なのか? 春鸞は分かっているに違いないと感じ苦しくなった。自分への春鸞の態度は、このところ明らかにそっけなく冷たさが感じられる。
〈こんなはずではなかったのに。蓮香さえ玄家に来なければこんな事には・・・ どうして私ではないの? なぜ若様と心が通い合えないの? 私たち努力して歩み寄って来たのに・・・〉
ただただ同じ想いが、ぐるぐると渦巻き涙が滲んだ。
青凱寺に着くと、参道の両脇に在る池の蓮が見事な花を咲かせていた。立ち止まってしばらく見とれていると住職が通りかかった。
「おや、栖榮ではないか。久しく会わぬうちにすっかり大人になって。名家のご夫人の風格だな。」
「いえ、
「あぁ、実に見事だ。だが、その花の命は短く三日程だ。そうして花開いている時は、さらに短くほんのわずかの時だ。朝早くに開き、昼過ぎには閉じてしまう。それを三度繰り返せば花としての生涯を終える。
人の一生も、この蓮華の如く短いものだな。それでも花の後には、葉が残り根が残る。花は実となり種を残す。その種がまた新しい命となり、いずれ花開く。新しい命は、泥の中から生まれ泥にもまれ次第に澄んだ水を浴び地上の空を仰ぐ蓮華となる。巡りめぐっているのだな。」
「えぇ、そうですね。美しく見事な花の下には、厚い泥が詰まっている。」
「そうじゃ。その泥の中は、玉石混交。養分もあれば害もあり清濁が混ざっている。あの花は、そこから選び取って身の力としてきたのじゃ。
ほれ、あの茎だけになった花を見よ。あれはもう花弁を落としてしまった花の名残。そなたとは縁がなかった故、美しく咲く姿を見る事も、見せる事もなかった。だが、今咲いている花は、そなたと縁があった。だから互いに姿を見せ合う事となっている。
同じ花という種であっても、美しいと想って見つめてしまう花もあれば、形が気に食わぬ色が気に食わぬと一目見て視線を違える花もある。最初は善いと想っても、他により縁の深い花が現れれば、否応なくそちらに心は惹かれてしまうものだ。縁の深さというものは、そのようなもののようだよ。」
「凱霧様。えぇ、そのようなものなのでしょうね。きっと・・・」
「あぁ、そのようだ。私にもまだ、はっきりとは分からぬ。私とてまだまだ、縁の輪廻の内で修業の身じゃ。はははっ。」
「ありがとうございます。本日、凱霧様にお目にかかれ、お話が聞けてよかったです。このご縁に感謝致します。」
「いや、私もだ。凱風が霧を晴らすこともあろう。ありがとう。栖榮。ではまた。」
凱霧は手を合わせて挨拶すると、門の外へ歩いて行った。
栖榮は寺の奥へと向かった。そして、写経をし経を納めお参りを済ませると清々しく軽やかな心持ちになった。だが、怒りや嫉妬が完全に消えたわけではなく、自分がしてしまった事への罪悪感がほんの少し薄れただけだった。
それでも少し霧が晴れたような気持ちで門を出て石段を下りた所で、寺の中から駆け出して来た子供にぶつかられた。子供はそのまま走り去っていったが、勢いよく飛ばされた栖榮は、目の前の馬車の車輪に強く体を打ちつけた。痛みと衝撃に声を上げ、その場にうずくまっている。
「お嬢様、大丈夫ですか? お嬢様。」
一緒に来た侍女が驚いてすぐさま声をかけた。
「えぇ、大丈夫。ぶつかっただけだから。大丈夫よ。すぐに痛みも引くでしょう。さぁ、帰りましょう。」
栖榮は薄い微笑みを浮かべ侍女をなだめると、馬車に乗り込み屋敷へ戻った。
離れでは、兼悟が蓮の葉を数枚刈り取っていた。蓮香は太鼓橋に腰かけてその様子を見守っている。
「蓮香、葉を刈り取って何に使うんだ? 傘にでもするのか?」
「嫌だわ、兼悟さん。傘だなんて。子供のおとぎ話じゃあるまいし、干してお茶にするのよ。体に善いのだと大奥様の書にあったの。」
「へぇー。そうなのか。どんな味がするのかねぇ・・・」
「どうでしょうね。私も楽しみだわ。」
蓮香は兼悟から蓮の葉を受け取ると、紐でくくり軒下へ干した。
「若様が見たら、何事かと驚きそうですね。」
「えぇ、本当に。何を始めるのかとびっくりするでしょうね。そのお顔を見るのも楽しみだわ。兼悟さん、内緒にしておいてね。」
蓮香は笑って言った。
すっかり夏らしくなった日差しを受け、吊るされた蓮の葉はよく乾きそうだ。
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