第19話 満月夜に茉莉花を摘んで

 それまでの怒りも恐怖も和んだ茶の時間が終わり蓮香を部屋で休ませると、三人はあの黄茉莉花と君影草の入った茶葉を蓮香の目に触れる前に隠した。そして兼悟は、姉が青凱寺の近くで栖榮を見かけた事を春鸞に告げた。


 春鸞は拳を握りしめ、再燃する怒りを必死で抑えながら聞いていた。そして、自分の胸の内でまだ開いていた栖榮への通い路が、固く閉じていくのを感じた。


「二人とも、これからは更に慎重に栖榮に気を付けてくれ。蓮香を一人では街へ出さないように。届け物も十分に警戒を。よいな。」

二人は頷いた。


「若様、蓮香にはどのように致しますか?」

「うん・・・ このまま黙っている訳にもいかぬだろうな。あの娘は賢い子だ。真実を話しても上手く繕って切り抜けるはず。何も知らずにいて警戒もせずに暮らしている方が怖い。」

「それもそうですね。では、いつ話しましょう?」

静がひどく心配そうな顔で聞いた。


「蓮香が目覚めたら、私から話そう。」

春鸞は、蓮香に栖榮への疑いを話す決意を固めた。




 夕方になって蓮香が目覚めた時、窓からは茉莉花の淡い香が部屋に流れて来た。


「あぁ、若様。まだいらしたのですか? ずっとそちらに?」

「うん。ここで書を読んでいた。どうだ? 足はまだ痛むか?」

「えぇ、まだ少し。でも、だいぶ楽になりました。動かさなければ痛みもそれほど。」

「そうか。善かった。もう一度、薬草を替えておこう。さぁ、厨房へ。」


春鸞は、蓮香を支えると厨房へ行き薬草を替えてくれた。静と兼悟も、じっとその様子を見守っている。


「皆どうしたの? 大丈夫よ。そんなに心配しないで。」

蓮香が笑って言うと、春鸞が真剣な顔をして蓮香を見つめている。


「若様まで、そんな顔で・・・」


「香、少し大事な話があるんだ。よく聞いて欲しい。」


そして静に目配せすると、静が今朝の毒草入りの茶葉の木箱を持って来た。


「これは今朝、緑光薬舗からの品と一緒にこの離れに届けられた物だ。」

春鸞はそっと蓋を開け、木箱を蓮香の顔に近づけた。

「あっ、茉莉花のような香りがするわ。」

「そう。茶葉の中に黄茉莉花と君影草の葉が紛れているんだ。その二つには強い毒性がある。もし、これを飲んでいたら嘔吐やめまいが起こり呼吸が出来なくなり、悪ければ死んでいたかもしれない。」

蓮香の顔が青冷めた。


「それに君は今日、背凱寺で誰かに押され石段から転げ落ちた。いいか? 香。君が狙われたんだ。これらを仕掛けたのは、おそらく栖榮だ。これからは十分に注意してくれ。不審な物は口にしない事。栖榮に誘われても一人では応じない事。いいね。私は君を守りたいんだ。」


「でも若様、まさか栖榮様がそんな事をするはずが・・・」


「残念だが今日、姉上が青凱寺から走り去る栖榮を見たのだよ。それに今朝は、薬舗の者と話し込んでいた。前に、庭に屑がまかれていた時だって、屑と一緒に栖榮の侍女が身に付けていた香袋が落ちていたんだ・・・」


「まさか・・・ 栖榮様がなぜ私を?」


「この離れに私が来ることと君の存在を勘ぐっているのだろう。彼女なりの警告のつもりだろうな。」

蓮香は、目に涙を溜めて黙っている。


「すまない。私がもう少し早く気付いていれば、こんな怪我までする事はなかったのに。」


「若様、大丈夫。これからは、私も兼悟も更に気を配りますから。あまり背負わずに。せっかく開かれた離れの意味がなくなりますわ。きっと大奥様も、蓮香を見守ってくださいますから。」

「そうです。若様、静さんの言う通りですよ。茉莉花茶を造るからと青凱寺へ行って、大奥様を偲んだくらいですよ、蓮香は。きっと、大奥様が守ってくれますから。」


「兼悟も静さんも、すまない。これからも香のことを頼む。」

春鸞は、目に涙を滲ませて頭を下げた。


「香、君は何も悪くない。いいね。今まで通り、ここを守ってくれ。この龍箏香堂の主は君だ。これからもここに居て、しっかり守ってくれ。いいね。」

蓮香は黙って頷いた。

 



 すっかり日も暮れ、満月が東の空に浮かんだ。庭からの風が、強くなった茉莉花の香を運んで来る。


「さぁ。じゃぁ、夕餉の仕度をしますかね。あぁ、蓮香は休んでいて。その足では動けないわ。」

「なら、私と碁を打とう。私も今日は、ここで夕餉を食べよう。香が買って来てくれた杯で酒を飲まねばな。」

「でも若様、今日は母屋で過ごされた方が・・・」

「いや、よいのだ。栖榮とて、顔を合わせるのは気まずいだろうから。」




 月が高くなり始めた頃、四人は夕餉の卓を囲んだ。春鸞は、残った若草色の杯で酒をのんだ。とても嬉しそうだったが杯は進まなかった。


 やがて食事を終えた蓮香が立ち上がり、茉莉花を摘むと言い出した。皆がその足では危ないと止めるが、満月の今夜どうしても摘みたい蓮香は、席を立って外へ向かって行こうとする。


「若様、どうしても満月の今夜、茉莉花を摘みたいの。月の光が満ちた花弁でお茶を仕込みたいの。お姉様も同じ想いで今日、離れにいらしたのだわ。私、それが嬉しかったの。だから、お約束もした。明日、お姉様が取りに来られるわ。だからどうしても今夜、満月の茉莉花を摘みたいの」


潤んだ目で話す蓮香を見て、春鸞は胸が甘く痛んだ。


「分かった。分かったよ。香、確かに満月の茉莉花は、幸せに満ちた香だろう。その花弁で仕込んだ茶は、きっと幸せの味がするに違いない。やはり君を離れに呼んでよかった。さぁ、私が茉莉花の処まで連れて行こう。」


春鸞は優しく微笑み蓮香を抱きかかえ、兼悟を伴って庭へ出た。


 茉莉花の植え込みの前に蓮香を下ろしてしばらく花弁を摘ませると、優しくなだめ再び抱きかかえ蓮池の太鼓橋に蓮香を座らせた。そして春鸞は、一人茉莉花の元へ戻ると兼悟と一緒に籠いっぱいに花を摘んで戻って来た。


「来年は、一緒にたくさん摘もう。今年はこれで我慢してくれ。」

と小声で言った。


「うん。」

蓮香は小さく頷いた。
















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