第17話 狙われた蓮香
ちょうど職人が仕事を終え帰り仕度を始めた頃、春鸞が兼悟と離れにやって来た。
「あら、若様。どう致しました?」
静が出迎えると
「補修の様子はどうかと思って。あれ、蓮香は? いないのか?」
「えぇ、井戸と屋根の補修は終わって、皆さんがお帰りになるところです。蓮香は、
街へ茶葉を買いに出かけました。」
「茶葉を買いに? 一人で?」
「えぇ、一人で行きたいと言って。そういえば、随分ゆっくりね。他にもあれこれ見て回っているのかしら?」
「そうか・・・ これは?」
春鸞が卓の上の荷物を見て聞いた。
「あぁ、これは今朝、緑光薬舗の孝永さんが届けてくれた物です。でも・・・ これは何かしら? こんな物は頼んでないわ。」
静が小さめの木箱を手に取り蓋を開けてみると、中からほんのり好い香りがした。
若様にも見せると
「お茶のようだなぁ・・・ 茉莉花か? 好い香りだが、黄色い花か・・・」
春鸞は嫌な予感がした。
「そういえば昔、母上が言っていた。〈茉莉花はどれも好い香りだけど、全部がお茶に出来る訳ではないのよ。黄色い茉莉花には毒があるの。決して口にしてはダメよ。〉と。」
「まさか。若様。緑光薬舗さんが、それを知らない訳がないわ。」
「そうですよ。若様。」
「いや違う。兼悟、今朝、栖榮の所にも薬舗の者が来ていたんだ。その時、何やら話し込んでいる様子だった。もしかしたらこの茶は、栖榮が渡すよう頼んだ物かもしれない。兼悟、悪いがすぐに医生の所に行って中味を調べてもらってくれ。」
「若様、分かりました。すぐに行って参ります。」
「あぁ、頼む。内密にな。頼むぞ兼悟。」
兼悟は急いで通用門を出て行く。
「若様、どう致しましょう。もし、若様の勘が当たっていたら・・・ 奥様は蓮香を・・・」
「あぁ、許せん。蓮香はどこまで行ったのだ。何をしている。なぜ、まだ戻らぬ。」
二人が落ち着かぬまま待っていると、兼悟が先に戻って来た。
「若様、若様。大変です。」
「どうだった? 兼悟、中味は?」
「はい。中味は、茶葉に紛れて君影草の葉と黄茉莉花が・・・ これを飲んだりしたら、めまいや嘔吐が起き、呼吸が出来なくり最悪・・・」
「分かった。もうよい。ご苦労だったな、兼悟。この事は内密に。静さんも。」
春鸞は立ち上がって離れを出て行く。急いで兼悟が後を追う。
「若様、どちらへ?」
「栖榮を問いただす。」
「いけません。今は、怒りのままに向かってはいけません。」
「もう、構わぬ。こんな残忍なやり方は我慢できん。怒りも納めようがないわ!」
春鸞が部屋に着くと、栖榮の姿はなかった。お付きの侍女の姿も見当たらない。
「栖榮は何処にいる?」
部屋付きの侍女に問うと
「奥様は、お出かけになられました。」
「何処へ出かけた?」
「いえ、存じ上げません。特に仰せではありませんでしたので・・・」
「そうか。分かった。今、私がここへ栖榮を探しに来た事は黙っておれ。他言するなよ。よいな。」
春鸞は侍女に鋭く釘を刺すと、また離れへ戻って行った。
渡り廊下まで来た時、門番に支えられた蓮香の姿が見えた。
「香、蓮香。どうした? どうしたのだ?」
慌てて駆け寄ると門番が
「どうやら足を痛められたようで、私が門から支えて参りました。」
蓮香は痛みに耐えながら、申し訳なさそうな顔でうつむいている。
「よし、代わろう。さぁ、肩に。兼悟、そちらを。」
春鸞は門番と代わると、反対側を兼悟に任せ二人係りで蓮香を八角堂の中に入れた。
「まぁ、まぁ。一体どういう事? 蓮香どうしたの?」
中に入って来た蓮香を見て驚いた静は、蓮香の手から荷物を取ってやり椅子に座らせた。
「一体、どういう事だ。何があった。」
春鸞が声を荒げた。蓮香は、泣きそうになりながら話し始めた。
「ごめんなさい。どうしても今日、茶葉を自分で買いに行きたくて。今日は満月だから、夜に茉莉花を摘んで茶葉を仕込みたくて。その為に、香りが優しくて柔らかい茶葉を自分で選びたかったの。
それと、茶屋の近くに青凱寺があるから大奥様のお力を借りようと偲んでお参りをしたかったの。それで・・・ 青凱寺の門を出たところで後ろから誰かがぶつかって来て、それで石段を踏み外して転んでしまって・・・ そうしたら、足を痛めてしまったみたいで・・・」
「何で助けを呼ばない! 何でそんな足で一人で帰って来たんだ! 君は何を考えているんだ!」
春鸞がひと際大きな声で叱った。
「ごめんなさい。ごめんなさい。若様・・・」
蓮香は泣き出してしまった。
「若様、そんなふうに叱っては・・・」
たまらなく兼悟がなだめた。春鸞の怒鳴り声で物々しい空気の厨房に、一瞬の沈黙が生まれた。
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