茉莉花の想い出

第15話 風流な求婚

 梔子の甘い香の中で目覚めた蓮香は、寝台に居る春鸞に驚いた。


「おはよう、香。目が覚めたか?」

「若様・・・ あっ、そうだわ。昨夜はだいぶ酔われて・・・ 私も大事な衣のままここで・・・」


「あぁ、悪かったね。酒が過ぎ、君の寝台を借りてしまった。私が手を放さなかったから、衣もそのままで。さぁ、静さんと兼悟が心配しているだろうから厨房へ行こう。」

春鸞は寝台から起き上がると、一人で先に部屋を出て行った。蓮香は、一目鏡を見て身なりを確かめると後を追った。


 案の定、静と兼悟は心配顔で厨房の卓に座っていた。二人は部屋から出て来た春鸞の姿を見ると立ち上がり心配顔を向けた。黙ったまま春鸞が微笑んで頷くと、二人は安心して腰かけた。


 そして、蓮香が厨房に現れると

「おはよう、蓮香。さぁ、さぁ。お粥が出来ているわ。皆で食べましょう。」

静は立ち上がって用意を始め、兼悟も声をかける。


「おはよう、蓮香。初めての酒は残っていないかい? 大丈夫か?」

「えぇ、兼悟さん。大丈夫よ。昨日は、皆でお祝いしてくれてありがとう。とても嬉しかったわ。あんなに楽しい誕生日にしてくれて、ありがとう。」

満面の笑みで礼を言った。


「さぁ、さぁ。温かいうちに食べましょう。」

卓に粥が運ばれ、皆で賑やかな朝食となった。



「昨夜は久しぶりに、本当に楽しかった。そのせいか酒が回り、皆に迷惑をかけてしまったな。すまない。すっかり眠ってしまった。申し訳ない。」


「いいえ、若様。私たちも楽しかったわ。久しぶりに若様の龍笛を聴けたし・・・ 素敵な夜だった。梔子の香も、あと数日が盛りかしら・・・」

「そうだな。次は茉莉花だ。静さん、まだ慌てなくてよいが、香りの優しい茶葉を用意しておいてくれるか?」

「はい、若様。今度、街へ行ったら買っておきます。」

静が約束する。


「そういえば若様。茉莉花は、大奥様と大旦那様の想い出の花なんですよね。」


「あぁ、兼悟。覚えているのか? そうだ。二人の想い出の花だ。」

「えぇ、私も聞いた事があるわ。大奥様がその話をされる時はいつも、とても嬉しそうに懐かしんでおられたわ。大旦那様に初めてもらった花だそうよ。」

「あぁ、静さんの言う通り。父上が初めて贈った花だと云ってたな。しかも父上は求婚のつもりで一鉢贈ったらしいが、ずっと幼馴染みで過ごしてきた母は、その真意が分からず困惑したと・・・」


「そうそう。大奥様は書もお好きで、趣味の幅の広い方だったわ。だから博識で花言葉にも詳しかった。大旦那様から贈られた茉莉花が‘長すぎた春’という別れの意味なのか、‘あなたは私のもの・幸福です’という求愛の意味なのか戸惑ったと仰っていた。」


「なるほど。じゃぁ、大奥様は贈られた茉莉花の鉢を見て、大旦那様に別の縁談があったかもと考えたんですね。それで大奥様は、どうされたんです?」

兼悟が興味津々で乗り出して聞くと、静が笑い出した。


「新しい茉莉花の鉢を一鉢買い求めて、大旦那様に贈ったのよ。枝先に紅い糸を結んでね。」

「えっ。それはどういう意味なの?」

今度は蓮香が、ぐっと手を握って聞いた。


「大奥様は、半分はどう転んでもよいと思って贈ったの。大旦那様の真意が分からな

かったから。でもね、大奥様は大旦那様の事がお好きだったから、本当は‘あなたに付いて行きます。幸福です’という意味で贈ったそうよ。」


「そうしたら父上は、自分が贈った鉢を受け取ってもらえずに戻って来たと思って、慌てて母上の所へ行ったそうだ。」

「その時、大旦那様は真意をお話になられたのですね。」

「あぁ、兼悟。それで目出度しめでたし。姉上と私が、無事に生まれたという訳だ。」

「まぁ、善かった。風流なのも時に考えものですね。」

「はははっ。蓮香、そうかもしれないな。」

春鸞は楽しそうに笑った。


「それから大奥様が玄家に嫁いで来て、この離れをお造りになられた時に、想い出の二鉢の茉莉花を今の場所に植えたの。そして少しずつ苗を足して、今のようにたくさんの茉莉花になったのよ。」


「まぁ、そうだったんですね。素敵なお話。大奥様がどんな方だったのか、会ってみたかったわ。」

「そうね。蓮香、あなたとなら話が合ったかもしれないわ。」


春鸞は嬉しそうに、二人の会話を黙って聞いていた。その春鸞の様子に兼悟も、とても嬉しそうに微笑んでいる。



 和やかな朝食を終え、春鸞と兼悟は母屋へ戻って行った。春鸞が部屋に戻ると、栖榮が待っていた。


「あっ、若様。今お戻りで?」

「あぁ、昨夜は酒が過ぎたようで、離れでそのまま眠ってしまったようだ。」

「そうでしたか・・・ 何か召し上がりますか?」

「いや、着替えてすぐに出かける。何もいらないよ。」


春鸞はすぐに着替えを済ませ、兼悟と共に出かけて行った。


 残された栖榮は、恐怖と怒りで体中がいっぱいになった。血の気が引き体中が震える想いに押しつぶされそうだった。


「どうして・・・ どうしてこんな事に? こんなはずじゃなかったのに!」


叫ぶような栖榮の声を聞き、侍女が駆けつけた。


「お嬢様、どうなされました? お嬢様、昨夜は一睡もされていないのですから少し休みましょう。」

床に崩れ落ちた栖榮を抱き起こし、寝台へ連れて行こうとする。


「休んでなど居られないわ。何とかしないと。何とか・・・」

栖榮は、怒りを宿した目で言った。













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