第13話 誕生祝い
三人が乗り込んだ馬車を兼悟か綱引く。馬車は街を抜けしばらくすると山道へ入った。そして、懐かしい蓮香の生まれた村に着いた。
「さぁ、最初に行きたかった場所に着いたぞ。その姿を母上と父上に見せてあげなさい。」
春鸞はそう言うと、静と蓮香を馬車から降ろし生家へ向かわせた。
蓮香は、懐かしい家の中にゆっくりと入って行く。
「父さん、母さん。隆生。ただいま。戻って来たわ。」
声をかけると奥から母が出て来た。
「まぁ、蓮香なの? まぁ、きれいな衣を着せてもらって。どうしたの?」
「母さん、父さんと隆生は? 今日は私の誕生日だからと若様が、こんなにきれいな衣を着せてくれたの。それで若様が、行きたい所があるからと一緒に馬車に乗ったら家に着いたのよ。」
蓮香は言いながら涙ぐんだ。その蓮香の手を取って母は微笑んだ。
「まぁ、まぁ。それは好かったわ。若様もご一緒なの?」
「えぇ、今は馬車の中でお待ちです。母さんや父さんにこの姿を見せてあげなさいと、降ろしてくれたの。」
「そう。父さんも隆生も、今は薬草採りに行っているのよ。もうすぐ戻ると思うけど・・・ 父さんもすっかり好くなってね。若様が届けてくれたお薬のお陰よ。よくお礼を言っておいてね。あなたもしっかりと真心で尽くしなさいね。」
「えぇ、母さん。しっかり離れを守っているわ。静さんには、読み書きや計算も教えてもらい、若様には箏も教えて頂いたの。だいぶ弾けるようになったのよ。」
「そう。それは善かった。あなたを若様に預けて善かったわ。あの時のお約束通り、まるで養女のようだね。勿体ないくらいね。」
母は、蓮香の後ろに控えている静に向かって頭を下げた。静もじっと母親を見つめ大きく頷いた。
「そうだ蓮香。今日はあなたの誕生日だから皆で祝って、代わりに食べようと麺を打ったの。少し食べていくかい?」
母の問いに蓮香は静を見ると、小さく頷いている。
「えぇ、少し頂くわ。」
「そうかい。じゃぁ、ちょっと待ってて。今すぐ茹でるから。」
母は湯を沸かし麺を茹で始めた。
そこへ、父と隆生が戻って来た。
「姉ちゃん? 姉ちゃんなの? 帰って来たの?」
「あぁ、隆生。おかえり。若様とのお出かけの途中で、少し寄らせてくださったのよ。大きくなったわね。」
「蓮香、見違えたぞ。立派な令嬢のようだ。若様に頂いた薬のお陰で、すっかり好くなったよ。今日は若様もご一緒なのだな。」
「えぇ、外の馬車でお待ちなの。」
「そうか。ならば早く戻りなさい。あまりお待たせしてはいけないよ。」
「えぇ、母さんの麺を少し頂いたら、すぐに戻るわ。」
蓮香は、茹で上がった母の麺を食べ涙を滲ませた。そして、半分食べたところで箸を置いた。
「母さん、ありがとう。美味しかった。もう行くわ。隆生、ごめんね。姉ちゃん、食べ切れなかった。後は隆生が食べてくれる?」
「うん。任せといて。僕、たくさん食べられるようになったんだ。だから後は、僕が食べておくから。」
「うん。お願いね。母さんと父さんの事も、お願いね。」
蓮香は弟の頭を撫でた。
まるで若様のようなしぐさに静は、はっと驚いたがすぐに微笑みが浮かんだ。そして二人は、家族に見送られ馬車へ戻って行った。
蓮香と静が馬車に戻った後、家に残った家族三人は、蓮香の誕生日を祝う麺を食べた。その卓の上に父は、そっと縁龍の根付を置いた。その根付には、龍が尾をくわえるように丸くなった姿が彫られている。円満と欠けることのない隆盛を表す縁起紋で、裏には‘玄’の文字が刻まれた玄家を表す根付だった。
「さっき山から戻って来た時に玄家の馬車が見えてな。近くまで来たら中から若様が降りて来られた。そして、これを私に。もし、何か困った事があったら、これを持っていつでも玄家の若様を訪ねて欲しいと。」
「そう、若様が・・・ 何というお人でしょう。」
「私たちは、よい方に出逢ったものだ。これは大事に預かっておこう。」
「えぇ、そう致しましょう。隆生、もし父さんと母さんに何かあったら、この根付を持って街の玄家へ行くのよ。姉ちゃんと若様の居る玄家を頼るのよ。」
「うん。分かった。」
姉に比べ無邪気な弟は、麺を頬張ったまま笑顔で答えた。
再び走り出した馬車は、山道を更に上り永慶寺に着いた。この寺は、玄家が懇意にしている寺で、ここに大奥様も眠っている。四人は馬車を降りると大奥様の墓参りをし、隣の別荘へと歩いた。大奥様が亡くなられてからの七年。静がひっそりと暮らし墓守をしていた家だ。生前の大奥様も時折ここを訪れ、祈りと静かな時を過ごしていた。
静が玄家の離れへと移った後は、永慶寺の小坊主たちが世話をしてくれている。そのお陰でそれほど荒れてもおらず、きれいになっていた。
「さぁ、こっちだ。こちらへ来てくれ。」
若様が先を行き別荘の西側の斜面まで来ると、梔子がびっしりと斜面を覆っていた。
「まぁ、好い香り。すごい数の梔子だわ。」
蓮香が駆け寄ろうとした。
「危ないわ。蓮香、いつもの作業着と違うのよ。」
すかさず静が止める。
「あっ、いけない。そうでした。」
慌てて立ち止まった蓮香に、皆が笑った。
「ここは母が生前、大事にしていた別荘だ。最期の日々もここで過ごしていた。母がここに居を移した時に、屋敷の離れで育てた梔子の一部をここに植えたのだ。長い年月が過ぎ、今ではこんなに大きくなった。さぁ、この花を摘んで帰ろう。皆で手分けして、たくさん摘んで帰ろう。」
そう言って春鸞は、真っ先に花弁を摘み始めた。
「蕾も摘んで帰ったら、離れの水鉢で開くかしら?」
蓮香の問いに春鸞が答える。
「どうであろうな。少しばかり摘んで持ち帰ってみたらいい。」
「はい、若様。そう致します。」
四人は甘い香りに包まれながらそれぞれが籠いっぱいに摘むと、街へ戻り酒や野菜、菓子を買い込み離れへと戻って来た。帰り道、馬車の中は梔子の香に溢れ皆がうっとりと酔い穏やかな心持ちになった。その香と幸せな再会に、朝の悲しい光景はすっかり消し去られてしまった。
厨房で袖をまくり前掛けをした春鸞は、麺を打ち始めた。しっかりと桃花酒の宴の約束を覚えていたのだ。少し離れて見守る兼悟らに
「私は約束したはずだ。私の誕生日には桃花酒を仕込み、それを蓮香の誕生日に飲む。そしてその日は、私が長寿麺を作るとな。」
春鸞は張り切って粉まみれになりながら最後まで生地を練り上げ、時をかけ丁寧に切り茹で上げた。素朴に塩だけで整えられた長寿麺は、意外にも美味しかった。村で蓮香の父からもらった薬草が、よい薬味となって風味を添えた。
「若様、ありがとうございます。今日の麺のこと一生忘れません。」
蓮香が嬉しそうに言うと
「来年は、もっと上手く作るぞ。楽しみにしていなさい。」
と、得意気な春鸞の笑顔を横目に兼悟と静はにんまりした。とても穏やかで幸せな時間に蓮香は嬉しさでいっぱいだった。
それから皆で鯉雛に願いを書き入れ、それぞれの鯉雛の口元に糸を通し黄金色の龍雛の下に吊るした。この鯉雛が願いを背負い川を上り滝を昇り、やがて黄金色の龍となって願いを天に届けると云われている。水神雛は毎年この時季に行われる習いで、この鯉雛を七夕節には近くの川に流し願いが叶う事を祈る。それまでの間は、家の中に飾っておき鯉雛に願いを乗せるのだ。
鯉雛を作り終えた蓮香と春鸞は、庭に別荘から持って来た梔子の花弁をまき、兼悟と静は小さな祝いの宴の準備を進めた。
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