梔子の香の夜

第11話 早朝の屑拾い

 いつもより早く目覚めてしまった蓮香は、差し込む朝日に嬉しくなった。今日という日の始まりが待ちきれず、昨夜はあまり眠れずに過ごした。晴れやかな好い天気にたまらず蓮香は、素早く起き上がり窓を開ける。


 目に飛び込んで来た光景は、一瞬で蓮香から嬉しさを奪い凍り付かせた。愕然とした蓮香は、凍り付いたまま動かない。しばらくして思い出したように瞬きをし息を吐き出すと、慌てて作業着に着替え部屋を飛び出した。


 ちょうど厨房に出て来た静も驚く慌てようで、蓮香は庭へと駆け出して行く。


「蓮香、どうしたの? こんなに早く何を慌てているの?」

静も後を追って慌てて庭に出て行く。


 すると、梔子の香に交じって悪臭が漂い紙屑やら鶏の骨、野菜くずが庭に散らばっていた。

「どうして? どうしてこんな事に? 誰がこんな酷い事を・・・」

泣きながら蓮香は、庭に散らばった屑を拾い集めている。


 静は厨房へ戻り大きめの竹籠を持ってくるとその中にぼろ布を敷き、蓮香が集めた屑を入れさせた。


「今日は、若様も離れにいらして蓮香の誕生日をお祝いするのに・・・ こんな状態じゃ、梔子の香も台無しだわ。とにかく早く片付けましょう。若様がお見えになる前に。大丈夫よ。蓮香。」

泣きながらおろおろと屑を拾う蓮香を、静はぎゅっと抱きしめた。蓮香は一瞬手を止め泣きながら頷いた。


 そこへ一人の青年が渡り廊下からやって来た。


「どうしたんです? これは一体・・・ 何があったんです?」

青年は庭にいる二人に駆け寄った。


「あぁ、孝永シャオヨンさん。私たちにもよく分からないの。朝見たらこの有様で。でも、孝永さんこそ、こんなに朝早くどうしたのです?」


「えぇ。私は若様に頼まれていたお茶を朝一番でお持ちして、そのまま蓮香さんに頼まれていた茶葉もお届けしようとこちらへ寄ってみたらこの様子で・・・」

「孝永さん、ありがとうございます。茶葉を頂きます。」

まだ泣きべそ顔のまま蓮香は茶葉を受け取った。


「蓮香さん、大丈夫? 私も少し手伝うよ。まだ薬舗が開くまでには時間がある。それまで少し。」

「ありがとう。でも、悪いわ。茶葉を届けて頂いて、その上屑拾いだなんて。」

「いいんだ。蓮香さん。手伝うよ。助けになりたいんだ。早く拾ってきれいにしてしまおう。」


そう言って孝永も屑拾いに加わり、三人で庭に散らばった屑拾いをしていると、春鸞が大きな箱を抱え兼悟と渡り廊下からやって来た。


「兼悟、あれは誰だ? この庭はどうしたと云うのだ?」

春鸞は驚いて立ち止まった。見知らぬ青年が離れの庭に立ち入り、蓮香や静と散らばった屑を拾い集めている。


「一体どうして・・・ あの青年は、緑光薬舗の孝永さんですね。そういえば先程、若様が頼んでいた薬を届けに来ていました。」

「そうか・・・ とにかく行ってみよう。」


二人は急いで離れの庭に出た。春鸞は抱えていた箱を兼悟に預けると、蓮香に駆け寄った。


「蓮香、一体どうしたというのだ。何があった?」


「あぁ、若様。申し訳ございません。若様がお見えになる前に片付けてしまおうと思ったのですが・・・ 朝起きたらこんな事になっていて・・・ 庭がこんな事に・・・」

蓮香は泣き出した。


「なぜ君が謝る。蓮香、君は悪くないのであろう? 私も手伝おう。早く拾って片付けよう。あぁ、緑光薬舗の方だとか・・・ お手を汚させてしまい申し訳ない。後は私共で致します。どうぞ薬舗へお戻りください。兼悟、手水をお持ちしてお見送りを。」

春鸞がそう言うと、兼悟はすぐに手桶を取りに行く。


「あぁ、若様。私は大丈夫です。お気遣いありがとうございます。まだ、薬舗が開くまでには時間がありますから、もう少しお手伝いを・・・」


孝永は手伝いを申し出たが、

「いえいえ。御用で来られた他家の方に、このような事をさせる訳にはいきません。もう、お戻りください。」

と、春鸞は譲らない。


 そこへ兼悟が手桶を持って来たので、孝永は仕方なく手を洗い蓮香に言った。


「蓮香さん、元気を出してね。また何かあったら遠慮なく、いつでも声をかけてね。」

蓮香も立ち上がり

「ありがとうございます。孝永さん。お気をつけて。」

と見送った。


「さぁ、蓮香。早く片付けて出かけよう。兼悟、急いで竹炭を手配してくれないか。これに半分ぐらいの量を。」

春鸞は、側にあった大きな竹籠を指差し兼悟に指示した。

「分かりました。若様。今すぐ集めて参ります。」

兼悟は急いで通用門から出て行った。


 庭に残った三人は黙々と屑を拾い集める。


 ふと、春鸞の手が止まった。その手の先に、赤い香袋が落ちている。君影草が美しく刺繍され、小さな鈴が付いた香袋だ。


〈これは確か・・・ 栖榮が侍女にあげたものだ。〉

春鸞はその香袋を拾い上げると帯の間にしまい、再び屑を拾う。


〈どういう事だ。なぜここにあの香袋が? まさかこれは、栖榮の侍女の仕業なのか? だとしたら指示したのは栖榮・・・なのか?〉


春鸞の動揺は止まらない。胸の中をぐるぐると激しく渦巻く感情は、怒りも悲しみも失望もあった。屑を拾い集める手が震える。顔が青ざめてゆく・・・ そして混ざり合った感情は、一つの怒りにまとまり渦を巻き始めた。


「若様―。お待たせいたしました。」

兼悟が竹籠を抱え戻って来た。


「何だ!」

立ち上がって春鸞が叫んだ。


 その強い語気と鋭い表情に、三人は驚いて春鸞を見た。自分に向けられた皆の驚きの視線に、我を取り戻した春鸞は、

「あぁ、すまない。少し考え事をしていた。大きな声を出して申し訳ない。」

と謝った。


「あぁ・・・ 若様、竹炭を持って参りました。」

兼悟が場を和ませるように明るく言うと、


「ありがとう。兼悟。その竹炭を出来るだけ細かく、砕いてもらえるか?」

春鸞はいつものように穏やかに言った。


「はい、かしこまりました。若様。」

その様子に兼悟も笑顔で答え、竹炭を砕き始めた。多量の竹炭を不思議に思った蓮香が

「若様。あんなにたくさんの竹炭を砕いてしまって、どうするのです?」

と問う。


「まぁ、蓮香。見ていなさい。」

と、にやりと笑った。

















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