第8話 よみがえる離れ

 夕方になると、静の予想通り若様が現れた。


「離れのお二人さん、様子はいかがかな? 作業は進んでいますか?」

静は蓮香に〈ほらね〉と云わんばかりに目配せをした。そして二人は肩をすくめ微笑み合った。


「おや? どうした? 何かおかしいかな?」


「いいえ、若様。なんてよい時にお越しでしょう。ちょうど草餅が出来たところです。お召し上がりになりますか?」

出来たばかりの草餅を静が見せると


「おぉ、これは善い時に来た。だが、私にも土産があるのだぞ。生姜糖蜜だ。これなら日持ちもするし、蓮香が飲みたい時に湯を足して飲めばよい。料理にも使えるぞ。どうだ?」

と得意気に小さな瓶を見せた。


「わぁ、若様。ありがとうございます。大事に飲みます。」

蓮香は瓶を両手で大事に受け取り、こぼれ落ちそうな笑顔を見せた。


「うん。うん。たくさん飲みなさい。今日は一日、作業を頑張ったのであろう? 甘い物は疲れが飛ぶぞ。」

そう言って春鸞は、蓮香の頭を撫でた。


 それから春鸞は、草餅を二つ食べると満足そうに母屋へ戻って行った。


「ほらね。若様はいらしたでしょう。」

「はい。静さんの言う通りでした。すごいですね。」

渡り廊下を行く春鸞の後ろ姿を、二人は並んで見送った。


 草餅は、春鸞が幼い頃からの好物だ。毎年この時季になると離れで、静の作った草餅を母と父と食べていた。春鸞にとっての幸せの味だったのだ。




 庭や外回りから始めた離れの手入れも、残すは一番小さな八角堂の書庫のみとなった。気づけば庭は藤の花が散り消え、梔子の花が芳しく咲く頃となっていた。


「さぁ、今日からいよいよ最後の場所、書庫の手入れよ。大まかな掃除は一緒にするわ。だけど書の整理や分類ごとの並べ方とか、細かい事は蓮香に全て任せるわね。

これだけの量だから相当時間のかかる仕事よ。何年かけてもいいわ。これからは、この書庫の整理があなたの一番の仕事よ。」


「はい。分かりました。それにしても、すごい数の書ですね。大奥様は、本当に書がお好きだったのですね。」

「えぇ、大好きだったわ。一日中書庫にこもって読まれる事もあったわね。大奥様は、草花や料理、経や雅楽、いろんな事に興味がおありだった。

ほら、そこに箏があるでしょう。それだって整えればいつでも弾けるのよ。あなたが使っていいのよ。若様は箏の音がお好きだったわ。ご自身も龍笛を吹かれるから、時々、大奥様と演奏されていたわね。」


少し昔を懐かしむように静が話す。蓮香は呟くように言った。


「そうなんですか・・・ 私も箏を弾いてみたいです。」


「あら、初めて自分からお願いをしてくれたわね。嬉しいわ。では、箏の調整をしてくれるよう兼悟に頼んでおきましょう。でもまずは、書庫の整理よ。その合間に箏は覚えなさい。確か、大奥様が見ていた箏の書もあったはずよ。」


「はい。静さん。ありがとうございます。ですが・・・ 私、あまり文字を読む機会もなかったので、少し苦手です。」

「そうなのね。書庫の整理の為には、読めないと困るわね。これから街へ買い物に行くにも不便よね。それに若様は、ここの書を全部読んでもよいと仰っていたわ。

 いいわ。明日から毎日、昼前までの時間は、私と読み書きと計算を習いましょう。」


「はい。ありがとうございます。読み書きに計算まで教えて頂けるなんて幸せです。静さん、本当にありがとうございます。」

「いいのよ。若様にとって離れの管理は名目。あなたの才を見込んで、養女のように預かる約束をしたはずよ。だから仕事をしながら、しっかり習いましょう。それが若様や玄家の為にもなるわ。」


喜び一杯の顔で見つめる蓮香を、静は愛しく抱きしめた。


〈若様がこの娘に惹かれている訳が、分かるような気がするわ。私がこの娘をしっかり守り育てましょう。〉

静は、そう心に誓った。


 それからというもの静と蓮香の暮らしに、決まった流れが出来た。読み書きの習いに庭の手入れ料理に書庫の整理と忙しく、一日が飛ぶように過ぎて行った。

















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