第7話 離れと母屋

 翌朝、離れの柔らかな寝台で目覚めた蓮香は、ふと寂しくなった。しかし、聞こえてきた静の明るい声に心を救われた。


 作業用の地味な衣服を着た静と蓮香は、庭の草取りから始めた。二手に分かれ黙々と作業を進めていく。朝から始めた作業もじわっと熱い日差しを感じ、そろそろ休憩に入ろうかと顔を上げた静は、渡り廊下に人の気配を感じ目を向けた。するとそこに、玄家の主の妻とその侍女の姿があった。


「若様が離れの手入れを命じたそうですが、あなた方がその係りの者ですか?」

向こうから声をかけられ静が立ち上がり歩み寄る。


「まぁ、静さんではないの! 懐かしいわ。若様が命じた者というのは、あなたの事だったのね。」

春鸞の妻、栖榮セイロンは言った。


「はい、奥様。お久しぶりでございます。私とあの娘が、この離れの管理を任されました。ご挨拶が遅れ申し訳ございません。」


「いえ、いいのよ。私も少し気になって様子を見に来ただけだから。相変わらず私は、立ち入らないように云われているわ。

 若様にとってこの離れは、何処よりも大事な場所なのよ。あなたにとっても、きっと大事な場所よね。静さん。」


「えぇ、亡き大奥様が大事にされていた処ですので。精一杯、心を込めて管理させて頂きます。」

「そう。お願いね。あの娘は、まだ子供のようだけど・・・」

そう言って栖榮は、奥にいる蓮香を見た。


「蓮香、こちらへ。奥様にご挨拶を。」

静が手招きをして蓮香を呼んだ。


「初めまして。蓮香リエンシャンと申します。」


「まぁ、幾つ?」

「はい、十一歳です。」

それを聞き栖榮は、少し驚いた様子で静を見た。


 静は蓮香の肩を抱きながら

「えぇ、まだ子供です。家には、まだ幼い弟と体を壊した父親が・・・ 母親が一人で薬草を取り頑張っているそうです。」

「そう・・・ 大変ね。離れの事をよろしく頼むわね。」

栖榮は、蓮香の顔を見て微笑むと母屋へ戻って行った。


〈誰が来るのかと案じていたけれど、静さんとまだ子供だったわ。しかも貧しい家の平凡な顔立ちの娘。私の気にし過ぎだったのね。

若様が急に言い出したから何かあるのかと思ったけど、本当にただ離れを美しく整えたかっただけなのね。よかったわ。こんな心配も、私たちに子がないせいね・・・〉


渡り廊下を歩きながら栖榮は、胸をなで下ろしていた。



 母屋へ戻って行く栖榮の後ろ姿にほっとした静は、蓮香に微笑み

「今の方が、この玄家の奥様よ。覚えておいてね。さぁ、少し休憩しましょう。」

と、離れの中へ入って行った。


 二人が厨房の卓に着きお茶を飲みながら談笑していると、蓮香は先程の光景を想い出して呟いた。


「奥様は、お綺麗な方ですね。」

「そうね。街で林家と云えば、そこそこの名家でね。その林家のお嬢様だったのよ。大旦那様と林家の旦那様が古くからの知り合いでね、玄家の大旦那様がまとめた縁談だったの。

 それで栖榮様は、玄家に嫁いで来たのよ。若様も奥様の事を美しく優しい方だと話していたわ。でも、ずっと子供が出来なくてね。お二人も口にはしないけど、気にされ寂しい想いもおありだと思うわ。栖榮様が嫁がれて、もう九年になるかしら? 若様より二つくらい下だったはずよ。」

静は玄家と奥様の事をかいつまんで教えてくれた。


「そうだったんですか。まだお若く見えましたが・・・ 若様はお幾つなんですか?」

「えっ? 若様のお歳? 確か・・・ 今年で二十九歳だったと思うわ。二十歳で栖榮様を迎えて、翌々年に大奥様が亡くなられて・・・ だったから。」


「そうなんですね。兼悟さんも同じくらいですか?」

「あら、今日は質問が多いわね。兼悟は、若様と同じ歳のはずよ。でもまだ独身。興味がある?」

「いえ、そういう事ではないんです。ただ、お幾つくらいなのかと思って・・・」

蓮香は顔を紅らめてうつむいた。


「あははっ。いいのよ。いいの。興味があって当然だわ。あなただって、いつかは恋をして誰かに嫁ぐ日が来るかもしれないわ。」

静はにんまりして言った。


「静さんは、誰かに嫁がなかったんですか?」


「えぇ、私は誰にも。大奥様がこの玄家にお嫁に来た時に、私もついて来てしまったのよ。大奥様の事が大好きで離れるのが寂しかったから。だから嫁ぎそびれたわ。」

「だから若様の子供の頃も知っているんですね。」


「そう。兼悟だって十歳の頃から知っているわ。兼悟は、大旦那様の侍従の子供なの。それで小さい時から若様に会っているのよ。

このお屋敷で正式に勤めるようになったのは、十五歳の時だったかしら? それからずっと、若様のお世話係になっているわね。」


「だから二人は、あんなに仲良しなんですね。」

「そうね。私たちだって母娘ほどに歳が離れているけど、きっと仲良しになれるわよ。」

「はい。そう思います。静さんと仲良しになれると思います。」

満面の笑みで蓮香は答えた。


「さぁ、休憩は終わり。草取りの続きをやってしまいましょう。午後からは草餅の準備をしましょう。若様が来るかもしれないから用意しておきましょう。」

二人は立ち上がって庭へ出ると、草を取りを続けた。


蓮香は黙々と草取りをしながら、少しずつ静と仲が深まり若様や兼悟の事も知っていく暮らしに嬉しくなっていた。
















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