応援コメント

第59話   出来るうちに」への応援コメント

  •  私は旅好きで、休みの日には家の中、というより現在居住している松戸市にいたくない男なんですよ。
     出不精とは全く逆、とにかく地方へフラフラと行くのが大好きなんですね。

     しかし旅行きの手段として、飛行機や大型船はダメなんですね。
     もっぱら鉄道や車利用です。

     飛行機や船は、何かね、地に足が着いてないからね。…景色も楽しめないし、つまらないやね。万一事故でも起きたら生命もまず助からないだろうし。

     あっ、あとバスツアーも嫌いですね。自分の自由が少ないでしょ。

     私の実家は国鉄常磐線の駅前なんで、毎日すぐ近くを通る列車を見て育ちました。

     春先なんかはね、松戸はもう暖かくなってるのに、駅を通過する長距離列車などは屋根に雪を乗っけてたりするんですよ。

     あの列車は何処から走って来たんだろう?…行ってみたいなぁ、こっちから列車に乗って行きたいなぁ…!
     なんて子供ごころに思いながら育った訳ですね。

     令和の現在では東京から新潟はもちろん、北海道や九州、秋田山形福井まで新幹線が走っています。
     それまで主要幹線だった在来線はほとんどローカル線になってしまいました。

     以前は急行や特急列車が停車した、途中の町や温泉地は廃れて行きました。
     私が大好きだった国鉄上越線も、水上温泉、六日町、小出、小千谷などの駅前は閑散としています。

     会いたい人がいて、列車に乗って途中過ぎゆく街や流れる景色を眺めながら移動して行く。
     …それって素晴らしく贅沢な時間だったんだなぁと、しみじみ思う今日此の頃です。



     げん😃

     

    作者からの返信

    源さんは鉄道オタクでしたか。
    どうりで作品中に鉄道のことが詳しく書かれている訳ですね。
    鉄オタにも色々ありますでしょ。
    「車両鉄」「撮り鉄」「乗り鉄」など。源さんはきっと「乗り鉄」なんでしょうね。
    大好きな鉄道に乗って、全国色んな所に出かけて行って見聞を広める。
    なかなか良い趣味じゃありませんか。
    私は「出来るうちに」何もしなかったので、その反省からYouTubeで見て、紹介されている色んな所を旅した気分になって遊んでいます。

    ありがたいもので、家に居ながらでも旅気分。
    お蔭で「竹之高地」も「佐渡島」も行った気になれました。

  • 出来るうちに、やらなくては……。日常生活の中において私も中々出来ないひとりです。^^;簡単な事すら気分的になって、明日か?また今度にしよう。と後回しにしてしまう事が多い、多い。
    昔みたTvドラマの中のセリフに「明日やろうは、バカやろうだ!」って山pが出てたドラマだったようなセリフを覚えてます。林修先生も「今でしょ!」って言ってますからね。
    特に人間関係だと後悔する事も多いです。あの時に、やっておけば良かったとか、言葉をかけてあげれば良かったと……。まぁ、後悔は多いですが、反省が出来るうちがまだ華ではないかと……。反省し次に生かせるようになれば、慢心する事もないかもですね。前向きに生きたいですね。

    作者からの返信

    甲斐さん、元気の出るコメントありがとうございます。

    反省するのは猿でもできる、ではなくて、反省が出来るうちが華だと言って下さいました。
    では私も鼻、いえ洟、いえ華の76才と思ってようござんすのね、うれぴー。ぅん?山ぴーが?ドラマで?言ってた?
    「明日やろうはバカやろうだ!」って?
    じゃあ私は毎日バカやろうだ。えへへ。山ぴーの台詞借りなくっても、バカやろうもいいとこで、あはは。うふふ、です。

    もうここまできてしまっては、次に生かせるほどの時間もないけれど、でもね、甲斐さんのおっしゃる通り、前向きに生きたいとは思います。
    いつもご親切なコメントを、ありがとうございます。

  • ローバちゃん、こんにちは😊

    「出来るうちに」
    のタイトルが身に沁みます。
    これはローバちゃんに限らず誰もが思うことだと思います。
    若くて元気な頃は子育てに忙しく、また仕事でも忙しく、目の前にやらなければならないことが沢山あって親のことまで手が回らないですよね。
    私も、まだ母が元気なうちに親孝行をしておけば良かったと今にして思います。
    今母は幸いにも健在ではいますが、もう、私が面会に行ってもわかっているのかどうかといった感じです。
    まだ畑仕事など元気でしていた時に、一緒に手伝いながらいろいろ習っておけば良かった。
    一緒にやったら母も喜んでいただろうな。なんて思います。
    その頃は自分のことしか考えていなかったなぁ。
    考えるとしても子供のことで親のことは考えてもいなかったなぁ。って。
    でも思うんです。
    こうして心で思うだけでも、その気持ちがあるだけでもいいのではないかと。

    私も孫たちと接するのも今だけだろうなと思っています。
    その今を楽しみたいと思っています。

    ローバちゃんのこのエッセイで私も、出来るうちにやっておこうと改めて思わせて頂きました。
    ローバちゃん、いつもありがとうございます✨✨

    作者からの返信

    のこちゃん、今晩は。

    「出来るうちに」というけれど、出来なくなった時にやっとそう思えてくるのだから、なんだか皮肉なことですよね。
    私も書いていて、やっておけばよかったと思うことが、こんなにもあったんだな、としみじみ思いました。(書いてないのも沢山あるんですよ)

    出来るうちにしなくて後悔していることが、「飛行機に乗る」こと、なんて、本当はどうでもいいことなのかもわかりません。
    充分に乗ることができたのに乗らなかったなんて、でもそれがどうした、という程度のことですからね。

    でもね、出来るうちにやっておかなかったこと「親にちょこちょこ顔を見せに行ったり声を聞かせてやったり、お墓参りしたり・・」ということは、本当に心から悔やまれてならないのです。

    だから、のこちゃんがお母さまの施設を頻繁に訪問して、それこそ自分のことを分かってもらえているかどうかであっても、会いに行かれているのを聞いて、孝行できて良かったと思っているのです。
    そしてこの時間がいつまでも続きますように、って祈ったりもしています。

    義母もね、やってあげられたことを振り返ってみれば、必要最低限のことくらいだったかな、なんて。それも悔いが残っているんです。
    ああすれば、こうしてやれたら、と思うことが沢山あって切ないです。

    今、ワタシ足腰がすごく弱っているけど、自分が努力しないで怠けていたから、筋力が全くなくなってしまって、これだって「出来るうちに」鍛えておかなかった罰でしてね。
    こう考えると「出来るうちに」しておけばよかったと思うことがいっぱいで。
    でも考えると後悔の念で悲しくなるので、ま、しゃぁない、と最後に濁して逃げています。

    のこちゃんはいま出来ることを、何でもやってらっしゃるから、とてもいいなと感心しています。
    これからもどんどん色んな事をやって、悔いなく楽しく過ごして下さいね。
    (夜中にごめんなさいね。まだ起きてる宵っ張りローバなんですよ)

  • こんにちは。

    確かに出来るうちにとは申しますが、いつでも出来そうなのは
    どうしても後回しになってしまったり、いつでも良いになって出来ませんね。
    そうこうするうちに月日が流れて、結局出来なかったなんてのも珍しくありません。

    とは言うものの、コロナ過になって家にいる習慣がついてしまってからは
    出掛けるのもちょっと億劫になってしまいました。

    私はとりあえず飛行機には二回ほど乗ってます。
    そこそこの大きさのものと、小さいもの。
    舟でもそうですが、このセスナ機はまさに飛んでるって感じで面白かったです。

    作者からの返信

    娘の職場に毎月実家のお手伝いに帰っている人がいます。
    農家のお手伝いで、近いうちに退職して戻られるのだそうです。
    行けるうちに実家へ行っていたら、という後悔でいっぱいの私ですが、流石に毎月休みを取って帰るのもどうか・・と思ったりもしています。
    でも、例え親が元気なうちでも必要とされている時が今だとしたら、親の年は関係なく顔を見せに行ったり、故郷にユーターンも大切なことかも知れないと思いました。
    そうすれば、後からあの時ああしてやれば、こうしてやれば、と悔やむこともないですからね。

    私は飛行機に乗った経験がないのも、どこかへ旅行したことがなかったことも、今ではYouTubeを見て「行った気分旅行」で楽しめる人ですからいいのですが、やはり親の生きているうちに何度か顔を見せに行ってやらなかった後悔はどうにもなれず苦しんでいます。

    コロナで会えなくなった辛さから、いつでも出来ていたことが出来なくなる、「出来るうちに」やっておいた方がいい、ということを知らされた人も沢山いたのじゃないかと思いました。

  • 「親孝行したい時には親はなし」は身につまされますね。

    私も中々帰れていない現状にモヤモヤしてしまいます。

    兎に角子供にお金がかかるのよ、トホホ。な現実がうらめしいです。

    作者からの返信

    本当に身につまされ続けています。
    げんさんはまだまだお若いですからいいですけど、親をみてちょっと年とって来たな、って感じるようになったら、出来るうちに、行けるうちに、と心がけるようにされたらいいのではないでしょうか。
    そうでないと私みたいな「悩める老婆」が出来上がっちゃうんですからね。

  • 父は何が原因かは分かりませんが
    全く実家に足を向けませんでしたが
    祖母が亡くなってから なぜか
    年に数回も墓参りに行くようになりました
    墓はすごい坂道を上って行くところにあって
    年老いて どうしても登れない時が来た時
    ふもとで泣きながら手を合わせていたと
    叔母から聞きました

    できる時には やらず
    やりたい時には 出来なくなってる

    人って みんなそうなんですよね
    しょうがない生き物ですね


    (すみません 応援コメントとは ちょっと違ってますね)

    作者からの返信

    いえいえ、正に「出来るうちに」のタイトルに相応しいコメントを頂きました。
    お父上のお墓参りのお話は、何だかちょっとした物語を思わせるもののようでした。
    何があったのか分かりませんが、そこにはドラマがあったのでしょうね。
    坂道の上方をみて涙を流して手を合わせていたなんて、やはりドラマです。何だか胸がジーンとするのは何故でしょうか。


    みんな出来る時にやらず、やりたい時には出来ない、という悔いを少なからず持っているのかも知れませんね。
    同じかどうか分かりませんが、私も懺悔の気持ちいっぱいで、心の中で手を合わせ、時には涙ぐんでおります。
    コメントありがとうございました。

  • あ!そう言えば、GW、墓参りに行くの忘れてた!
    ったく、どうしようもないなあ。もう、GW、終わっちゃったよ~。
    いや~、すっかり、忘れてました。

    今年のGWは、毎日、毎日、父の施設に足を運びました!
    皮肉なもので、母の最期は、コロナで会えなかったんです。
    母が、もう、亡くなる寸前だと言うのに、病院と言えば、タブレット前にしか、面会に行っても、会わせてもらえなかったんです!!
    腹立たしいというか、何と言うか、誰に文句言っても聞いてもらえないし!
    コロナのバカヤローー!
    父もねえ!五年くらい、施設が会わせてくれなかったんです!
    それで、最初、一ヶ月に一回、三十分ほど、会わせてもらえるようになって、その次、二週間に一度になって、最近、やっとこさ、毎日、予約つきで、14:00~16:00まで、三十分会えるようになって、GWになって!9:00~17:00まで、好きなだけ会えるようになりました!!

    コロナで、五年間、会えなくなった父は、最初、なかなか、こころを開いてくれなくなっていて、姉と、とにかく、やれることだけのことはやってあげよう!!と、散歩に連れ出し、三十分の決まりのはずが、二時間くらい、勝手に延長して、散歩に行っていれば、だんだん、父にも、笑顔が戻ってきました!

    ほんと、やれるときにやってあげないと、だめですよね~!母にできなかった分、父だけは、やってあげようと思います!
    それに気付かせてくれた、姉にも感謝です!

    これからも、週三回は、父の面会に行こうと思っています!!!

    作者からの返信

    風さん、何度もコメント読み返しました。
    読みながら風さんの優しさに胸がグッとなりました。
    お墓参りは勿論大切なことですが、お父さんの面会を優先させて、毎日出かけてあげられたことはスゴク良かったと思います。
    お母さんはGWが終わったとしても、いつでも来てくれるのを待っていてくれると思いますから、先ずはお父さんの方ですよね。


    おっしゃる通り、面会の頻度が上がればそれだけ心は開かれていくのですよね。嬉しい気持ちが徐々に高まっていくのでしょう。
    風さん、お父さんと心が通って嬉しかったでしょう。
    本当に良かったですね。
    それにしてもコロナはホント憎らしいですね。面会が出来なくて、辛い思いをした方がごまんといることでしょう。


    思いもしなかったコロナ禍のことを考えても、正に出来ることは出来るうちに、ですよね。
    風さんが毎日お父さんの面会に行ってあげられたことも良かったし、これからも週3回は行こうという気持ちもスゴクいいことだと思います。
    何の関係もないお婆さんですが、こんなお話が聞けて本当に嬉しかったですよ。ありがとうね。


  • 編集済

    私が新潟に来た頃にはすでに佐渡空港がありました。開港はいつだかわかりませんが、新潟空港の横滑走路から佐渡空路がありました。
    佐渡空港は拡張計画があります。
    また現在、新潟空港と佐渡空港の航路は休止中ですが、再開計画があります。
    羽田空港と佐渡空港の航路も計画段階です。
    佐渡空港はバス停に毛が生えたようなターミナルです。多分再開しても、切符切りのような状態かと(笑)

    作者からの返信

    昔、長兄夫婦が飛行機で新潟へ帰って行ったことがありました。
    家族みんなで大いに心配をし、着いたよの連絡に皆が胸をなでおろした、という思い出がありました。
    僅かな飛行時間だったのに、恐怖の時間は大きかったと笑いました。
    どんな飛行機かいな、意味ないじゃん、と今ならバカな話と言われてしまいそうです。

    私はジェットホイルが快適ですけれど、やはり羽田から佐渡まで行けるとなれば、喜ぶ人が沢山いるのでしょうね。
    そうなると切符切りも・・あはは・・な訳ないですよね。

  • 佐渡と言うと、私達夫婦が福岡でお世話になった女性の娘さんが、今、新潟に住んでいます。未だSSNで繋がっています。お世話になった女性は、肺ガンで亡くなってしまったのですが、その娘さんは、釜山へ行く高速フェリーのアテンダントをしていた間に出会った航海士の男性と結婚しました。その後、佐渡の実家に近い所で働きたいと転職した夫と共に新潟市へ移り住み、三児の母として頑張っています。夫は、新潟と佐渡を結ぶフェリーの船長です。彼女も、年に一〜二度しか佐渡の実家には行ってない様ですが、義実家との関係も良い様です。

    毎日、船に乗っている人もいれば、飛行機に乗っている人もいます。日本では、毎日電車に乗っているが、車の運転をしない人も多くいるのでしょう。私の孫は、一歳未満で、飛行機で太平洋を渡りました。息子が6歳になる前に、飛行機で日本へ連れて行った時、私が初めて飛行機に乗ったのが18歳の時だったのにと思っていたのを思い出します。妻はその時、23歳で初めて飛行機に乗り、最初の小型機が揺れた時には、パニックになりかけました。その前に、私の祖母は、生後1ヶ月で、蒸気船で太平洋を渡り、米国から日本へ帰国しています。妻の祖先の大半は、帆船で英国から米大陸へやって来ました。

    逆に、私の孫は、船に乗って少しの長旅をする機会があるのか疑問にも思っています。私は、四国へ行くにはフェリー時代に育ちましたが、今では皆、橋を渡りますよね(私の船旅の最長は、隠岐島までです)?どこへ行くにも、飛行機の方が便利な場所も多いですし。1000年後くらいには、瞬間移動が可能にでもなるのかなと想像もしています(人類が滅んでいなければ)。

    変な話を長々として、申し訳ありません。

    作者からの返信

    昔から息子は飛行機恐怖症?の夫に、飛行機事故は毎日の車の事故から比べれば、皆無と言っていい程なんだからと、一生懸命に説明するのですが、怖いと思った考えは変わらずじまいでした。
    お蔭で?「今どき乗ったことのない珍しい人」と言われたこともありました。
    もし積極的に世界を旅することがあったなら、嬉しがり屋で感激屋の私ですから、自分の人生がもう少し彩り豊かなものになったかも知れない、と思うこの頃です。

    高齢者のわりには、ものを知りたがるという意欲を、子供達は褒めてくれますし、浅学な私も何かを知るとちょっぴり頭が良くなった気になれるので、知りたがり屋は結構良い趣味だと気に入っています。

    百聞は一見に如かずといいますから、もっと早くに気づいてどんどん海外に出かけて行っていたら、とちょっと後悔もしています。
    でも出不精だった自分への「落とし前」として、出来なかった海外旅行に代えて、YouTube旅行と洒落て見聞をひろめて(それ程オーバーなものではないですが)いくのも手かなと考えました。


    博士のお孫さんは今からもう海外へ出かけていますね。スゴイことです。
    私の姉が子供に旅行をさせると、勉強のできる子・頭のいい子に育つと言ったことがありました。
    (行っただけ、の得ることなしの子もいるでしょうが・・)旅をすると地理や歴史や風土風習や色んな事を、直に見聞きして学ぶからだと力説しました。
    お孫さんもきっと頭のいい子、スケールの大きい凄い人になりそうです。
    いつもご丁寧なコメントをありがとうございます。
    (私の返信コメントがズレていましたら、ごめんなさい、デス)

  • 本当ですね。ボクは夜、寝かしつけの絵本読んでます。毎日、めんどくさいなと思いつつ、今しかない貴重な体験を私がさせてもらってるんでしょうね……。
    親とはめちゃくちゃ近い距離にいるので、ほぼ毎日会ってるので、逆に親孝行できる時間は限られてると意識しにくい気がします。気をつけようと思いました。もうすぐ母の日!なにか感謝をこめて、しよう(・_・;)

    作者からの返信

    私は子供は目いっぱい可愛がって一生懸命に育てた、という気になっていますが、後になって考えると、自分の出不精のせいで色んな所へ連れて行って、色んなものを見せたり体験させてやればよかったな、と後悔しています。

    今更どうこう出来る訳でもないので、やはり「出来る時に出来ることを目いっぱい」が悔やまれます。
    ボクちゃんはこれからの人。
    たくさんの出来ることをやってあげてね。
    そして近くに親御さんがいらっしゃるのはラッキーです。
    更に欲を言えば長生きして頂いて、親孝行ができるといいですね。(親孝行と言っても特別なことじゃありません。傍で貴女の幸せな姿を見て頂くことがソレなんですよね)

  • 親孝行したい時には親はなし。仰る通りですね。
    車で1時間も掛からないですが、行けてません、私。
    感謝の念が厚いローバ様。後悔しちゃうの分かります。
    けど、違う世界で親孝行出来るかも。


    作者からの返信

    母は明治生まれの人ですから、親に孝行せよ・夫婦は仲睦まじくあれ、とよ~く言われたものでした。
    私なりに守って、私なりに親孝行の真似のようなこともしてきたようにも思っていました。
    でも、孝行の対象の親は実家の親でもあったことを忘れておりました。

    親の存命中には物心共に貰うことばかりで、与えることは皆無と言っていい程でした。
    まぁ自分に都合よく言い訳がましいことを言えば、娘が不幸になって泣かされることがなかった、ということが親孝行と思ってもらえたら・・と冷や汗タラリで思っているところです。

  • 来し方を振り返るゴールデンウィークでしたね。

    ローバ様がいつの時でも目の前のことを一所懸命に頑張っておられたということですね。

    帰省も交通の便がよくなった今とは違い、以前は家族を引き連れて乗り物を乗り継いでの移動。
    荷物もあるでしょうから本当に大変です。

    今は落ち着いた気持ちで公園の様子を眺めておられるのですね。

    あの世ではこちらの土産話しでよいのではないでしょうか。

    作者からの返信

    いつも、つむぎさんやのこちゃん達の、お嬢さん達がお孫さんを連れて遊びに来られた報告を聞かせてもらって、心の底から嬉しく思っている私です。
    そして、「そうそう、今のうち、来られるときに精一杯顔を見せてあげてね」と、ひとさまのことながら心で呼びかけております。
    今は私の様なヨレヨレと違って、元気な高齢者が多くてあまり心配はないでしょうけれど、それでも親といられるのは限りがありますものね。

    「出来ることを出来るうちに」なんて言っていますが、後にならなきゃ気が付かない言葉なのかも知れません。
    公園で十分に反省をしながら、つむぎさんのおっしゃるように、あちらの世界へ行ったらどんな土産話をしようかと考えることにします。


  • 編集済

    電車も切符切ってましたよね。

    作者からの返信

    あんな感じでパチンパチンと。船に乗る時にもね。
    飛行場でもあるのかと、田舎の子供は思っていたのです。