応援コメント

第47話   波止場」への応援コメント

  • 「波止場」「停車場」「連絡船」って何だかもはや昭和の郷愁をさそう言葉になりましたねぇ。

     昭和の映画や歌謡曲にはよく出て来ましたが、令和の今ではあまり聞かれなくなりました。

     そういえば昭和メロドラマの名作、「君の名は」…生まれる前の映画なので私はレンタルDVDで見ましたが、冒頭は佐渡汽船のシーンから始まるんですよね。

     私の家族は佐渡に行ったことは無いんですが、平成の初め頃、父親サダジの兄弟がまだ元気だったので、竹之高地本家兄弟夫婦らで旅行しようという話になりました。

     そして、何故か私がその旅行の手配を頼まれました。(同行する訳ではありません)

     すると母親フミが私に、
    「サダジがまた何かしでかすと嫌だから、本当に温泉宿の他には何も無い処にしておくれ!…観光だのパワースポットなど、一切要らないからね!」
     と言って来たのです。

     私は思案熟慮して、結果、新潟県村上市の瀬波温泉の宿を手配しました。
     日本海に面した、静かな温泉地です。
     ここならいかにサダジといえども暴走することも無いだろうと思いました。

     しかし、旅から戻ったフミから後に話を聞くと、それは甘い考えでした。

     宿にみんなで泊まって、翌朝早くサダジは近くの海べりを散歩しました。
     すると海の向こうに島影を発見、地元の人に訊けば、「粟島」といって、村上から連絡船が通っていると言う。

     サダジは港で人数分の船券を買い、宿に戻ると、みんなに「面白そうだから行ってみよう!」ということに。

     そして全員で船に乗り粟島に行った訳ですが、船内でサダジが気を失ってしまったのですよ。

     昨晩はゴキゲンで夜遅くまで痛飲し、揺れる船内ではおそらく寝不足&船酔い状態になったようです。

     粟島港に着くと、みんなでサダジの身体を担いで、船着き場のベンチに寝かせました。

     困ったフミが港のスタッフに、
     「島に医者は居るのか?急病人が出た場合はどうしたら?」
     と訊くと、

     「療養所が一軒あるが、今日は日曜で休み。…医師は村上からの通いの者なので今は不在。…急病人はヘリで新潟市の赤十字病院に緊急搬送するしかない」

     と言われたのでした。
     
     どうしよう、困った困った!…
     とみんなで顔を突き合わせて悩んでいたら、少ししてベンチからサダジが消えていました。

     大変だ!何処へ消えたのか?
     とみんながアタフタしてたら、サダジが船着き場の待合室から出て来て、
     「この島って、何にも見るとこ無いんだってさ、帰ろう!」
     と言いました。

     粟島港では、テープではなく、身内のみんなから胸中で石を投げられたサダジだったという話です。



     完

    作者からの返信

    「サダジさん物語」楽しく読ませて頂きました。
    いつもいつも面白い話題を提供して下さるサダジさん。
    源さん達には問題あり、で大変な方だったのでしょうが、読者からすると素晴らしいキャラで、物語には絶対に欠かせない方ですよね。
    次も期待してよきかな?デス。

    「君の名は」小さかった頃、ラジオからよく歌が流れていたのを聞いたような記憶があります。
    映画の冒頭が佐渡汽船のシーンとは知りませんでした。
    尖閣湾には何度か行ったことがありますが、そこでも撮影が行われたようですね。


    皆さんの行き先が佐渡から瀬波温泉になったとか。新潟の人は瀬波温泉へよく行きますよね。海が見えて綺麗だとか。
    新潟の夕日は美しいと言われていますから、眺められたのでしょうか。
    佐渡にも温泉がありますが、私は行ったことがありません。
    佐渡は生まれたというだけでしかない、佐渡愛に乏しい元新潟県民、元佐渡人のローバです。

    源さんの「竹之高地」愛100点満点との差は、富士山と金北山の高さの差ほどです。
    (因みに金北山には登ったことはなく、ドンデン山だけは何度か登りました)

  • こんばんは。今回も深いエピソードをありがとうございます。
    波止場とは縁のない田舎暮らしですが、「岸壁の母」胸に迫ります。
    子を思う母の気持ち、泣けます。

    作者からの返信

    「岸壁の母」をご存知でしたか。
    二葉百合子の歌謡浪曲。本当に胸に迫るものがありましたね。
    海がないとか岸壁に縁がないとか、そんな人にもしっかりと映像が浮かんできますものね。
    あの歌を聴いていた時に姉から、母も岸壁の母をやっていたんだよ、と聞かされて本当にびっくりしてしまいました。
    あの時代、戦争が終わっても故郷に帰る気になれなかった人が大勢いたそうですね。
    お国の為に命がけで戦って来いよ、と言われたからなのでしょうか。
    敗戦の虚無感からどうでもいいや、と思ったりしたのでしょうか。
    よく分かりませんが、「岸壁の母」をやっていた母は、やはり子供命!の固まりのような、私の母らしいなと思いました。


  • 編集済

    @88chama様

    ローバ様、今回も感慨深いお話でした。
    数多くの別れと帰還を見守ってきた波止場には、人々の様々な念や想いが残っているのだろうと思いました。
    波止場にて、お母様が長兄様を待ち続けたお話、そのお母様と次姉様が無言の帰還を果たされたお話、そして多くの人たちの温かな出迎え……涙なしでは語ることも拝読することもできないエピソードです。
    なのに、ラストはいつも読者を笑顔にしてくださるローバ様って……
    もうっ、ほんと! だから、皆に愛されているのですね。
    そんなローバ様がブロ子はだ――――い好きなのです(^^)v
    読ませていただき、ありがとうございました!

    作者からの返信

    ありゃありゃありゃさのブロ子ちゃん。
    って何のこと? えへへ、ちょっとノリで言ってみただけで・・スミマセン。

    岸壁で母が待ち続け、長兄が故郷を思って悶々と・・
    この話を大人になって聞いたときには、私も胸にグッときてしまいました。
    まだ二十歳前の息子ですからね。母には辛い日々だったと思います。

    岸壁のエピソードとして、近所のおばさんが船と岸壁の間に落ちて大けがをした(足を切断したとか)という話も聞きました。
    ガラスに突撃した人のことや、色々なことがあったんですね。

    そんなエピソードの最後に、落語ではあるまいにオチをつけたんでは、ねぇ~え。
    貧乏自慢のような話題の時にさえも必ずといっていいほど。
    でも良かったぁ。ふざけんじゃないよ!って言われなくって。
    ありがとね、ブロ子ちゃん。
    私の方こそ、だーーーい好きですよ。
    (因みに、すっごーーーーく!もつきます)(^_-)-☆

  • ローバちゃん、おはようございます😊

    多くの人の悲喜こもごもをみんな見てきた、停車場や波止場。
    ローバちゃんの人生の中にも色々な思い出ともに波止場があるんですね。
    私は小さい頃から山に囲まれた田舎育ちなので、波止場と言うと一種の憧れでもあります。
    船🚢が出るときに色とりどりの紙テープでの見送りは、なんて素敵な演出だろうと思っています。

    ローバちゃんの産地が分かると懸念されていますが、私なんかすべてさらけ出してます😅
    もっとベールに包んでいたら良かったと思っても今更無理です(笑)
    でも、ローバちゃんのことが分かれば分かるほど身近に感じられて親しみも湧いてきます。
    「ありゃありゃありゃさ」っていいですね。

    作者からの返信

    のこちゃん、今夜もまた深夜に今晩は、になっちゃいました。スミマセン。

    ローバの産地、わかっちゃいましたね。島娘だったんですよ。
    のこちゃんは波止場にちょっと憧れを感じるようですが、波止場の雰囲気はなかなかいいものですよ。
    私はもう何年も船には縁がありませんから、懐かしくてたまりません。
    紙テープでの風景は、昔歌手にステージに向かって投げてたことがありましたでしょ。あれと同じです。いいものでした。
    好きな歌手とテープで繋がっている時ってこんなんだったのかなぁ、って思ったこともありました。

    お互いにベールは脱いだようなものですね。広島産と佐渡産。
    いいですね。これからもよろしくお願いします。

  •  そうですよねぇ。

     波止場は出会いとお別れの場所です。素敵な出会いと、良いお別れ(そんなのあるんですかね?)の場所になればいいですね。

    作者からの返信

    波止場というとTeturoさんにはもしかして、マドロスさんが思い浮かんだりしませんか。
    港港に女あり。そのいい女たちとの切ない別れが・・
    あ、三文小説並みのこと言っちゃってスミマセン。
    ステキな出会いと良いお別れ。
    波止場って、ロマンチックな場所なのにね。🙇

  • こちらにも大きな島がありますので、春別れの季節にはその島を離れる人たちが色とりどりの紙テープで送られる姿がニュースで流れます。
    あんな光景なのかなと想像しつつ読みました。

    港というより、やっぱり波止場というほうが風景に似合っているように思います。

    そんな波止場で送り、送られる。
    心に残る思い出ですね。
    その場所に行かなくても目を閉じて思うだけで、たくさんの光景が浮かぶほどの思い出の場所なのですね。

    作者からの返信

    今はもう紙テープで見送ることはなくなりましたが、あの風景はとてもステキでいつまでもあってほしかったと思います。
    何と言っても別れの情緒が募って、思い出にいつまでも残る風景だと思うんです。
    でももの凄いテープの量ですから、海の汚れはそうとうになり、今のSDGsの精神には反するかも知れません。
    海の水にも影響なければ、旅立ちのとてもよい思い出となるのでしょうけどね。
    こんな年になっても、時折思い出しては懐かしんでいます。


  • 編集済

    おはようございます
    佐渡の両津は昔から北一輝(大先生)の出身地でどんな所か、ずっと行って見たかった所でした
    島全体で土田麦遷、司馬凌海などの有名人や現在でも宮田亮平元東京芸大学長のほか「推しの子」の原作者の赤坂アカさん、女優の中村アンさんのご両親の出身で有名な人がたくさんいますね

    佐渡汽船に乗ると、紙テープはもう見たことないですが、放送でドラの音が流れてます
    この前、船長さんが「邪気を払う」と説明されておりました

    作者からの返信

    佐渡は高校時代まで暮らしていましたが、尖閣湾やドンデン山くらいしか覚えていなく、郷土愛に乏しい人だと恥じています。
    北一輝は湊の出身者で若宮神社(お宮さんと呼ばれていてよく遊んでいました)に碑が建っていたのをうっすらと覚えています。
    家に土田麦遷の掛け軸がありました(多分贋作なんじゃないかと皆で言っていましたが・・)

    以前、高田万由子さんのルーツ?は佐渡と教えて頂いてビックリしましたが、今度は赤坂アカさんも佐渡出身と知り、本当に私は佐渡のことは何にも知らない人、知ろうともしなかった人だと申し訳ない気持ちになりました。

    船のドラの音が「邪気を払う」とか。勉強になりました。
    私には「さあ田舎とはお別れだ、東京で頑張れよ」の気合いを入れられる音でしかありませんでした。
    またまた色んなことを教えて頂きました。
    さすが移住した新潟を広く紹介されてる方、スゴイなと感服致したしました。