今回も、心にしんみりと沁みる良いお話でした。
自分自身では、七夕に願いを込めた短冊を竹に付けたのは小学校の低学年までかな~。実家の家の前に竹林があって、1本拝借して短冊を付けてました。翌日家の前の大きい川へ流していたのを朧げに思い出しました。
>「ボケマセンヤウニ」では、ありませんが最近、夫婦共に言い間違いが多いと感じてます。(笑)わざとに間違えたのか?と思う様な感じで、お互いに突っ込みを入れ合ってはバカ笑いしてます。軽いボケなら心の潤滑油になるのでは?と都合のいい様に思っています。(*^^*)
作者からの返信
お婆さんの思い出話にお付き合いくださいまして、甲斐さまをはじめカクヨムの皆様には本当に感謝しております。
楽しい話題をといつも思いながら、ついつい寂しい思い出話になってしまい、申し訳ありません。
思い出とは違って、現状はいつものんびりした毎日を送っています。
辛いこと、悲しいことも後になっていい思い出となれれば幸せです。
物忘れは避けて通れない道のようで、それを楽しめるかどうかが大切だと思います。
甲斐さんのあっしゃる通り、心の潤滑油になれるようでありたいものですね。
お互いに愉快な突っ込みを入れ合って楽しめれば、ちょっとしたボケも恐れるにたりず、といえるでしょう。
うちも皆で揃って大いに笑って、あとは呆けたもん勝ちだ!と居直って、義母のように生きられたらいいなと願っています。
甲斐さん、予定では次回は「かちかち山」の話に因んだ話題を、と考えております。(予告するほどのものじゃぁありませんけど・・)
いつも読んでくださってありがとうございます。
毎度のことながら、夜分遅くにすみません🙇
@88chama様
思い出として語られるローバ様のお話は総じて楽しいことが多いのですが、時折り垣間見られる切なさとほろ苦さと、この何とも名状し難い寂寥感に……じんわり涙が滲んできます。でも最後は笑顔にしていただけるから、やっぱり大好きなんです。
ローバ様、蝶はご先祖様の化身だと聞いたことがありますよ。きっと会いに来て下さったのですね。
鬼籍に入り、もう会える術のない肉親、そして、様々な事情から、生きていても会うことが叶わなくなってしまった肉親……いろいろあります。
お母様の心情を慮るローバ様の優しさに胸が詰まります。
そんなローバ様だからこそ、愛おしい気持ちが湧いてまいります。
どうか、誰よりも長く、ここに書き続けて、そして、いつまでも変わらぬ洒脱なスピリットで私たちを牽引していただけたら幸いです。
作者からの返信
ブロ子ちゃん、またまたご丁寧な、そして愛あるコメントをありがとうございます。
確かに私は落研出と吹聴?宣伝?かな、しているもので、常々エッセーも面白おかしく書きたいなと思っております。
でもよおく考えてみると、思い出話として貧乏話だったり、兄姉達が早くに亡くなったり、夫が病気をしてしまったりと、何か暗い話題が多いように思えます。
40話七夕も書きながら、また今回も辛気くさい話題かなあと、実は迷っていたんです。
七夕はお祭りや花火などで賑やかな筈なのに、姉のことが絡むと寂しい話になってしまいます。
さすがブロ子ちゃんは私の感情をよく分かって下さってるな、観察力(というのかな)が半端ないな、と思えます。
姉が亡くなったのは私が10才頃でしたから、まだまだ子供だった筈なのに、子供ながらに家族の皆の悲しみが心に深くしみ込んでしまったようで、寂しい思い出話となってしまうのです。
そのせいか私は人が亡くなるとか、大事なものがなくなるとか、別れとかをものすごく恐れる人になってしまったようです。
だからかな、笑っちゃうかもしれませんが、コップでもお皿でもそんな高価なものでなくても、もし壊れてしまったら、なくしてしまったら、ともう一つ買ったりする人になりました。
あったものがなくなる、というのが辛いのです(現在はこんな年になりましたから、もうそれはなくなりましたけど)
話が変な方にそれてしまいましたが、
落研出の意識からかオチも気にかけていますので、楽しく締めたいと思い義母の呆けネタでしめました。
おっしゃる通り、最後は笑顔にというところ、ブロ子ちゃんはよくお見通しで、と感心するやら嬉しいやらありがたいやらで。
それでいっぱい感謝の言葉を述べさせて頂きたく思いました。
ブロ子ちゃん、こんなローバの話にも好意的に言っていただけて、本当にありがたいと感謝しております。
サンキュー、ダンケシェーン、謝謝、カムサハムニダ、グラーツィエ、グラシアス、メルスィー、オブリガード・・
まだまだイツパイゴザイマァス・・
いい加減に1000回! スミマセン🙇🙇🙇(つい遊んじゃいました) オヤスミナサ~イ 宵っ張りローバより
ローバちゃん、こんにちは😊
七月六日は、長兄様の命日なのですね。
翌日は七夕で、何か因縁がありそうですね。
実家のお墓が遠くて大変だというと、お母様がここに来たらいいよと言って下さったのは嬉しいですね。
カラスや蝶を見て、会いに来てくれたのだろうと思う気持ち、わかります。
私も、お墓参りしているときにトンボが飛んで来たら、父が会いに来てくれたと思ったことがあります。
七夕飾りの短冊。
今働くようになって職場で七夕飾りを作って飾っていたのですが、そこに私も家族みんな健康で過ごせますように!と願い事を書きました。
ローバちゃん、素敵なエピソードありがとうございます✨✨
作者からの返信
のこちゃん、コメントありがとうございます。
私は母とは30才の時にさよならしましたから、夫や義妹が70才になっても母親に逢えているのがとても羨ましいと思ってきました。
のこちゃんもそうですよね。
例え時々自分の事が忘れられたりしたとしても、お母様とお話しできたり孫を見せて喜んでもらえたりできるのですから、とても幸せだなぁと思います。
いつまでも元気で長生きしてね、と短冊に書けるのは最高ですね。
親が長生きしてくれるは本当にありがたいですね。
のこちゃんも親孝行できますし、お母様も子供孝行なさっているということにもなりますものね。
これからも、もっともっと元気でいていただきましょう。
私が住んでいるところでは、来週末が七夕祭りです。昔に比べて規模は小さくなってしまいましたが、割と賑やかになります。
今年の願い事は、何にしましょうか。
『皆でヘラヘラ笑って、ビールでも呑めますように』
作者からの返信
来週となると、今からもう待ち遠しくってウズウズされてるのではありませんか。
七夕のビールは格別だ~と、皆で笑いながらの宴会を想像しています。
Teturoさん、こんな歌ご存知ですか。
「日本全国酒飲み音頭」
(^^♪ 1月は正月で酒が飲めるぞ 酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞ~
2月は豆まき 3月はひなまつり ・・・
で、7月は七夕で酒が飲めるぞ~ 12月まで続く・・
Teturoさんの短冊は絶対にい~い・・と全国の飲兵衛が言いそうです。
8月の七夕、私の実家でも七夕と雛祭りは旧暦でした。
家族に会いたくなるとお寺にいくといいというのは、いいですね。
確かに魂はここで繋がっている気がします。
また、ボケるのは現世に未練を残さないためというのはとてもいい考え方だと思います。
素敵なエピソードをありがとうございました!
作者からの返信
義母は何でも自分に都合よく物事を考える人でした。
だからか、年中、わたしって幸せって、まるで念仏のように言っておりました。
割とチマチマと考える肝っ玉の小さかった私でしたが、義母に倣ってプラスの方にもっていくように努めました。
ですから呆けても幸せと言い続けていた義母は本当に幸せだったと思えますし、呆けたからこそ未練もへちまもない、って笑えるのかも知れません。
「あたしって幸せ」と同じように、ちょいとややこしいことで悩みそうなときには「オラ知らね~」って言うのも口癖でした。
悩み回避も上手で、呆け加減も上手で、素晴らしい「人生の〆活」のお手本の人でした。
こんな話ですが、素敵なエピソードと言っていただけて、本当に嬉しくなりました。
ありがとうございました。
仙台は月遅れの七夕ですね
夏の大三角はウチの新潟のマンションからよく見えます
私も曹洞宗檀信徒ですので、総持寺と永平寺はいつか行きたいと思います。
曹洞宗のお寺で、私の中越にある菩提寺さんは、御朱印の最初の2ページは総持寺と永平寺からもらうようにお話されて、3番目に入れるようにしていらっしゃるとか
新潟の人はマジメですね
作者からの返信
母が何の根拠で総持寺に会いにおいでと言ったのか定かではありませんが、そう言ってくれたお蔭で総持寺が心の安らぎの場所となりました。
いちどミーハーな気分で、裕次郎のお墓を見に行ったことがありますが、さすがに大スターですね、お花などがたくさん供えられてありました。
裕次郎ファンにとっても、総持寺は安らぎの場所となってるかも知れません。
未練を残さない様に、全て忘れていくのですね。
良い言葉です。
ボケる事を怖れている母に、教えてあげようと思います。
普段から、ちょっとボケボケの僕。
過去に、未練を残さないための自衛術かもしれません。
ただ僕の過去に、未練を残す恋が、見当たりませんが…。
作者からの返信
ramiaさま、これからです、これからです。
未練を残さなくてもいいような、ステキな恋はこれからです。
「雨よ降るなよ、俺姫(織姫とオレ・姫にをかけてみました(^_-)-☆)に会いに行くんだから」という日は、もうすぐかも知れませんよ。
「呆けたもん勝ち」ってよく聞きますが、義母を見てるとそうかも知れないな、ってよく思いました。
呆けない幸せも、呆けて幸せと思えることも、その人にしかわからない事なのかもしれませんね。
ramiaさんのお母様も、きっとちょうどいい忘れ加減になっていかれるかも、ですね。
おはようございます。
人によって七夕への思いはいろいろあるんでしょうね。
短冊に願いを…そんなことをしたのはいつの話か、などと遠い昔を思い出したりも。
ここ数年、いや数十年かもしれない。
特に何も考えずに知らぬ間に過ぎ去ってしまう七夕。
何も七夕に限った話じゃないんでしょうけどね。一年はあっと言う間に去ってしまう。
その昔、織姫はいったいどこにいるんだろう、などと思いを馳せた日が懐かしいです。
作者からの返信
ちびゴリさま まだ6時前ですのに・・早起きなんですね。宵っ張りローバが夜中に更新ボタンをポチッとした後すぐにもう読んで下さったのですね、嬉しいです。
出だしに「七夕が近づくと・・」と書きながら、もうすっかり七夕は過ぎたのに、と思いましたが、私には8月の思い出が忘れられなくて、ちょうど中間のこの時期に、7月と8月両方の七夕の思い出を書いて更新しました。
七夕だけではなく色んな行事がありますが、私にはどれもに大した思い出や思い入れはありません。
姉が早くに亡くならなければ、こんなドラマもなかったでしょうし、七夕が忘れられない思い出になるなんてこともなく、短冊なんて書くこともなく・・といつもいつも思ってしまいます。
今回も読んでいただきコメントもとても嬉しかったです、ありがとうございました。
この時期に七夕?と思ったら、そういう地域があるのですね。初めて知りました!(*^^*)七夕に特別な思い出があるのですね……二人の子どもの話には切なくなりました。
ボケマセンヨウニ!とはうまい願いごとです!ちょっとユーモアありつつ、切実でもありつつ……。
お盆が近くなると亡くなった人に思いを馳せてしまいますね……私も育ててくれた祖父母のこと思い出してしまいます。今でも会いたいです。
作者からの返信
誰もが元気で長生きしてもらいたいものですが、特に母親にはといつも思うのは、姪達の事があるせいかも知れません。
母は孫の話をするたびに「母親は死んだらいけん」と涙ぐんでいました。
ボクちゃんのようなかわいい子に、切ない思いはさせられませんから、カエデネコさんも丈夫で元気でいてくださいね。
私の故郷では七夕もお盆も8月でした。
う~んと小さかった頃には、お正月も旧暦で祝っていたこともありました。
そんなの聞いたこともなかったよ、って言われそうですね。
新潟の、両親の本家は現在、私の従兄姉が当主となっています。
令和の今ではもはや爺婆の年配になりましたが、二人ともまだまだ元気です。
サダジの実家は竹之高地から山裾の平野部に移転し、ミツイが守っていて、自分の長男と何枚かの田んぼで米を作っていますよ。
フミの実家はすでに富次おじが昭和の時代に癌で亡くなり、長男の昇一さんが当主ですが、この人は地元山古志村の中学を卒業すると川崎市の会社に就職しました。
その地で結婚し、娘二人を儲けると、家族で山古志へ戻りましたが、都会育ちの奥さんは豪雪の山の暮らしに馴染めず離婚。…昇一さんは娘二人を新潟で苦労して育てながら小千谷市で働きました。
昇一さんは現在小千谷市に家を建て、自身の作った会社を娘夫婦らに任せて穏やかに暮らしています。
山古志のフミの実家は、昇一さんがリフォームして、別荘として泊まれるように残っています。
庭にはバーベキューが出来るあずま屋が造られ、山古志の旧友らとたまに集まって楽しく過ごしているようです。
昨年、私が昇一さんと会った際には、
「俺ももう年だから、お迎えが来て死ぬのは全く怖くないんだ。…怖いのはボケて娘らの厄介になって暮らすことさ!」
と言っていました。
また、昨年ミツイと会ったときには、
「良いなぁ…げんは子供が居なくて夫婦二人だけで…自由に過ごせるのが羨ましいよ!」
と言われました。
…何か、人生しみじみです。
げん😃
作者からの返信
「たけんこうちの王子さま」が読み終わりましたが、このコメントでその続きを読ませて頂いているような感じになりました。
源さんの王子時代から、もうずいぶんと経ってしまったのですね。
軽トラで産まれたばかりの弟王子を連れて旅した、あの御一行さまのエピソードが可笑しくて、そして懐かしく思い出されます。
大昔の元新潟県民である私は、山古志村の名前は牛の角突きで知っていましたが、そこが相当山深くて、そしてその豪雪地帯で暮らしていくことの大変さを、あの作品で教えられました。
時代が変わって人々も年を取って、守り続けた家もまた変わって行って・・
でも今でもあの地で、源さんが訪ねた時に喜んで迎えてくれる人達が元気でいるって、とっても幸せなことですよね。