お邪魔します。
今でもラジオっ子です。
ラジオがきっかけで落語にハマり、バンドの追っかけをしたり……
ラジオが無かったら、まったく別の人生だったかもしれません。
それくらい私の好きなものは、ラジオがきっかけで出会ったものが多いです。
ジェットストリームも学生時代は聴いていましたし
音楽の泉は、日曜の朝の家事のお供です。
作者からの返信
小絲さなこさま
ラジオがきっかけで落語にはまったそうで。
「アアタ、良いものにはまって下さいましたねぇ」と落語ファンが揃って言いそうです。
実際に演じているのを見るのもいいですが、ラジオですと自分の想像力で人や景色が浮かんできますから、それも又いいものですよね。
ジェットストリームも、あの声がすっごく素敵でしたよねぇ、って言いたいし、音楽の泉も・・って。
本当に良かったですよね、共感いただけて嬉しいです。
コメントありがとうございました。 楽しいな。
ラジオ聴いてましたよ。中学~高校ぐらいに、セイヤング?だったかな~?谷村新司と、ばんばひろふみがやってたヤツです。下ネタが多くて多感な学生の時は聴いて次の日の学校で話題になってバカ笑いしてました。(笑)
そうそう、昔は録音するのに息を殺してましたね。TVの歌謡番組なんか、咳をしたり小声で話し声なんか、しっかり録音されてました。父親が「煩い!録音しょうるけん、だまっとれ!」と怒った声がそのまま録音されてましたね。(笑)
昭和、あるあるです。(*^^*)
作者からの返信
多くの人が深夜放送を聞いて楽しんでいましたね。
このラジオは青春時代の思い出の一つでもありますね。
そして録音ですが、昔のあるあるで、一度くらいは録音中に余計な雑音が入ってしまった経験があるようで、カクヨムの何方かも書いておられました。
超高齢になってしまった私ですが、まだまだこうして共通の話題を話せるのはありがたいなと思います。
城達也さん、大好きでした!
声優さんですかね? 本当の意味で聴きやすい素敵なナビゲーションでしたよね。
作者からの返信
Teturoさんも城達也さんの声に魅了された方ですか。
上品で歯切れが良くって聴きやすい・・
深夜のジェットストリームにぴったりでしたよね。
私は声のいい人に惹かれます。
この頃は目が疲れるので読む方はカクヨムの作品だけにして、もっぱら朗読で色んな作品にふれて?います。
声の良さ、上手な読み方で作品がいっそう光ります。
余談ですが。
Teturoさん、貴方の「グスコーの伝記」や「遺したもの」「高見半次の回顧録」などがプロに朗読されたら・・なんて想像してみて・・ステキですね。
想像しただけで楽しくなりませんか。
ジェットストリーム、私も聞いてました。
城達也さん、いいお声で、懐かしいです。
受験生の頃は、ラジオの深夜放送は定番でした。
作者からの返信
嬉しいな。
同じ番組を聴いていた人がどれだけいるだろうか、いないかも知れないな、なんて思いながら一方的な発信に不安でした。
麻子さんの他にもジェットストリーム良かったですねとコメント頂いたりして嬉しくなっています。
いい声でしたね、城達也さん・・なんて感想を述べあってみたかったのです。
(やはり一推しの「夜のバラード」は古すぎたかも知れません。)
カクヨムのお仲間には私達世代の方は少ないですからね。
でもでも、麻子さんが城達也さん懐かしいと言って下さって、何だか嬉しいです。
受験生の頃はいつの頃も深夜放送がお供の定番なんですね。
コメント有難うございました。とても嬉しかったです。
ローバちゃん、おはようございます😊
ラジオと共に過ごした素敵な学生時代の思い出ですね。
私は若い時に一人暮らしの経験がなく、ローバちゃんのお話しを聞きながら一緒に楽しませて頂きました。
私は高校卒業後は地元の銀行に就職して自宅から通っていたので大学の時一人暮らしをしてたローバちゃんの事、羨ましいなって思います。
ラジオもあまり聞いてなかったのです。
たまにFM放送で流行歌を流しているのを聞きながら、カセットテープに録音したりはしてましたけど……。
青春時代にもっとラジオを聞いておけば良かったなんて今にして思います。
公開録音に応募されて、当たると実際に見に行かれた経験なんかもいい思い出ですね。
音楽と落語と共に過ごされた青春時代!
充実した日々ですね。
まさに若かりし日のローバの充日ですね(`・ω・´)b
作者からの返信
のこちゃんは一人暮らしされたことはなかったのですね。
私は初めてでしたので、好き勝手に過ごせるぞーととても楽しみでした。
でも何でも人からやってもらっていたので、そんなに都合のいいことばかりでもありませんでした。
いっぱい不都合なことがあって、自己責任という言葉がとても身に沁みたし、家族のありがたさも思い知らされました。
私のような人任せな性格には、一人暮らしはいい勉強になったと思います。
それからでしょうか、人に何かをやってもらうことより、やってあげる方が良くなって、あれれ・自分の中にはこんな一面もあったんだ、と大きな発見?となりました。
東京暮らしでは勉強の収穫は皆無でしたけれど、大人としての自立?の準備期間にはなれたようです。(それだけ他人頼りの情けない子だったのです)
投稿前、ラジオの番組が余りにも昔のことで、皆さんには共感いただける内容ではなかったかな、と思ったのですが・・・
でもカクヨムで詩や小説を書かれている方々には、きっと「夜のバラード」の番組はステキだねって言って頂けるような気がします。
いつか又のこちゃんと共通の思い出話に花が咲く、そんなテーマを探してみたいと思います。
今回もご丁寧な感想を有難うございました。
私は、祖母が大好きだったので、祖母に100歳まで生きてくれと頼んだことがありました。祖母が100歳になった年には、私はその時の祖母の歳であると告げたのを覚えています。残念ながら、祖母は92歳で亡くなりました。
作者からの返信
義母は97才で亡くなりました。私達家族はいつも100才は超えるかもねと言っていました。
最後の十数年は施設にお世話になっていましたが、面会に行く度に「100まで生きるね、太鼓判を押すよ」と言って、義母の手のひらにポンとハンコを押すまねをしました。
義母は嬉しそうでしたし自信ありげな顔をしていました。
あと3年だったのに、惜しかったねと家族みんなで声をかけました。