The nightmare
いちはじめ
The nightmare
男は毎晩見る悪夢に悩まされていた。それが原因で、仕事や日常生活にも支障をきたしていた。職場の産業医からは、それは『悪夢障害』という一種の睡眠障害で、ストレスが原因ではないかとの診断を受けた。産業医の勧めで、いろいろな心療内科や精神科を訪ねたが、一向に改善する兆しは見られなかった。
今や男はオカルトに頼ろうとしていた。民間療法や祈祷師、果ては霊能力者までもネットで調べ、それらに片っ端から当たってはみたものの、インチキや胡散臭いものばかりで、なんの足しにもならなかった。しかし今日もネットの海で見つけた占い店に、一縷の望みを託して足を運んでいたのだった。
男は重い扉を押して中に入った。内は薄暗く、古臭いデザインのテーブルセットが十卓ほど並ぶ、古風な喫茶店というような店だった。店内には客どころか店主もおらず、男が踵を返そうとしたその時、奥のカウンターから恰幅のいい中年女性が現れた。
「客だね。このところ訳の分からない勧誘員とかが多くて、ちょっと様子を見ていたのさ。ま、客なら大歓迎、そこに座っておくれ」
男は言われるままに示された椅子に座った。
奥から出てきた彼女が男の向かいの椅子に座った。
「さて占いかい、それとも相談事かい?」
男はここに来た理由をかいつまんで説明した。それを聞いた彼女は、悪夢を見るようになった時期や思い当たる節がないか訊ねた。
男には思い当たる節が一つあった。悪夢に悩まされる一か月ほど前に、職場の連中と登った山で怪現象にあっていた。休憩しようと腰かけた岩がその瞬間真っ二つに割れたのだ。その時は単なる偶然と気にも留めなかったが、今になってみると悪夢の原因はそれではないかと考えるようになっていた。
「それで毎晩見る悪夢とやらはどんな内容なんだい?」
男は彼女に悪夢の内容を語った。
「私が、座っている男に静かに忍び寄っているんだ。私はとても恐ろしくて逃げ出そうとするんだが、何故かできない。ついに真後ろまで近づいたところで、そいつが突然振り返る。驚くことにそいつは私自身なんだ。そしてそいつの顔がまるでズームアップされるように次第に大きくなってゆき、その目に私の姿が写り込んでいる。いつもそこで目が覚める。私が何をしようとしているのかは分からない。結末が気になるのだが、どうしても思い出せないんだ」
苦悩の表情を浮かべた男の額に大粒の汗が浮かんでいる。
彼女は男の話を聞くと、何も言わずに席を立ち、奥から木製の小箱を持ってきた。
「悪夢の原因は、おそらく割れた岩だろうね。それがあんたに悪夢を見させているのだろう」
男はすがるような目で彼女を見た。
「私は霊能力者でも祈祷師でもないから、何もできはしないけど、何とか手助けはできるかもしれない」
そう言って彼女は箱から何やら取り出してテーブルの上に置いた。それはネズミのようなウサギのような不気味な動物の置物だった。彼女によると、それは夢を喰う『獏』という神獣の皮で作られたもので、これを枕元に置いて寝ると悪夢を見なくなるのだという。
「効果は保障する。信じるか信じないかはあんた次第だけどね。さあどうするね」
男はそれを買うことにした。
彼女はそれを男に渡す際に、こう念を押した。
「これだけは守っておくれ。三日空けて悪夢を見なくなったら、すぐにこれを粉々にして海に捨てるんだ、いいね。そうしないと悪夢が現実になってしまうと伝わっている。」
男は家に帰ると、その日からベッドわきにそれを置いた。効果はすぐに現れた。悪夢を見る回数が減ってきたのだ。しかも悪夢の途中で目が覚めるようにもなった。そして三日続けて悪夢を見なくなった。
男はついに悪夢を克服したのだ。だが男は確信が持てなかった。これで本当に悪夢から解放されたのか、明日また悪夢を見るのではないかと。その不安から占い師の言葉を実行することをためらった。そしてしばらく様子を見ることにした。
そして次の日の夜、眠りに就いた男は夢を見た。
その夢で男はソファーに座り雑誌を読んでいた。それは正に就寝する前の自分だった。これは夢だという感覚があったのだが、それにしては妙に生々しいものだった。ふと気が付くと何者かが背後にいる気配がする。恐る恐る振り返ってみると、子牛ほどの大きさになった置物がいた。それはさらに膨らむと皮を破って中から血にまみれた何かが飛び出してきた。
男は絶叫した。それは男の姿をしていた。
男は悪夢の結末をはっきり思い出した。自分が自分に食い殺されるという悪夢の結末を。
(了)
The nightmare いちはじめ @sub707inblue
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます