第10幕 門出
「ジマなんていいよ、ほっとこっ! もっと悠斗の望みを叶えるべきだよ。」
「オレは菜緒のためだけに生きてるのに?」
ジマには勝てない。だから悠斗を奪ってほしくない。
悠斗は負ける。
でも結果は何をしても同じこと、悠斗は何をしても死んでしまう。
ある一つの手段を除いては……
「悠斗、生きててほしいよ……」
私は鼻声になりながら必死に言った。
「オレはならない。」
悠斗に言われ、私は唸りながら床に崩れ落ちた。
悠斗は『死にぞこない』にはなりたくない……わかってる。でも一人にしないで。悠斗が居なきゃ、生き抜く自信がない。
悠斗は私をベットに座らせた。
「約束しないか?」
悠斗は私が泣き止むのを待って、それから話しかけてきた。
「どんな?」
「オレの曾ばあちゃんな。神を信じてた。だからオレも天国くらいあるって信じてる。」
嘘ばっかり……
「赤い糸が実際にあったんだ。天国の一つや二つ、あっても不思議じゃないだろ?」
悠斗は私の顔を読み見て、天国論を語り出した。
「それで悠斗。約束は何?」
「あぁ、そうだ。オレは天国でも菜緒を見続け、守ってやる。だから、菜緒はオレが死んでも泣かないって約束してくれ。あと無茶はしないし、紅からは避けてくれ。あっ、あと美大もあきらめるなよ。あと、幸せになれ。」
「不平等だよ! せめて死ぬまで毎日キスとデート……」
「じゃあ週一回は映画見に行くからな。」
「ケーキ食べ放題。」
「寿司も……」
こんな時間も、もうすぐ終わってしまう。私は本当に、一人ぼっちに……
「悠斗!」
私は馬鹿力で悠斗に抱きついた。
「約束しろ! 菜緒、泣かないって、約束しろってば!」
「わかった! 仕方ないから約束してあげる。」
何もかも、あと少しで終わる。
「菜緒、だったらさっさと泣き止んでくれるかなぁ?」
逝ってしまう……私とさだめ糸の戦いを残して。
今、将来のことはできるだけ考えたくない。私はまだ進路を決められないでいる。ともかく大学に行くことにはしていた。家から一番近い美大にするつもりだ。
三日経って、セーターが編み終わった。今日学校も再開される。
学校に着くとみんな、興奮状態のままお互いに事件について語り合っていた。
みんなどれだけ平凡な人生を送ってきたのか私は何となくわかってしまった。鈴木と由美だけは大人しくなっている。
「みんな! 田宮のために撮るやつのことなんだけど、今日でいい? 善は急げ!」
鈴木が言った。みんなも賛成した。
「セリフ配るよ!」
ジマは心神ショックとやらで当分学校に来ないらしい。噂では辞めたとも聞いた。他の先生たちも前よりも落ち着いていた。なぜかというと、国が金を出し、学校が雇った警備員が大勢校内を見回るようになったからだ
撮影終了。放課後、三田が編集を30分で終わらせて私はクラス代表として悠斗に渡しにいった。
クラスで悠斗が死ぬって知ってるのは私と鈴木だけ。
みんなお見舞いに来るほど善良な人間ではない。でも、昔の私と同じだ。みんな悠斗を好きになれる、愛せるはず……だった。
「悠斗、今日ジマ来なかったよ。」
悠斗は寝たきりになっていた。鼻に酸素を送るチューブを突っ込まれている。悠斗はベットについている上半身を起こすためのボタンを押して、座った私と視線を合わせた。
「さっき注射打たれてさ。馬鹿太いの。だから今日一日こんな感じ。」
悠斗は恥ずかしそうにして、少し赤くなっていた。
「じゃ、試着は明日になっちゃうね。」
私は悠斗に真っ白なセーターを見せた。我ながら上出来だった。あげるのがもったいないくらい。
「ありがとう。」
悠斗が手を伸ばした。
「誰がタダであげるって言った?」
「金ならいくらでも。」
「『愛してる』って言ってよ。」
結ばれた二人になりたかったのだ。
「明日にしよ。今のオレ、カッコ悪いから……」
「約束だよ!」
「あぁ、わかったから渡してくれよ。」
悠斗は私からセーターを受けとると、子供のように微笑んだ。
「続きまして!」
「えっ? まだあんの?」
「クラスのみんなからビデオレターが届いております!」
私はDVDをセットして悠斗にプレイヤーのリモコンを握らせた。私はテレビカードを入れて電源を入れ、悠斗は再生をする。
『クラスの授業風景! カッコ、何気ないひとこま。』
鈴木の声だ。
『ヤベー!ヤベーよ!ホント、ガチヤベー』
三田は普段こんなことは言わない。
『何がヤベーの?』
奈々だ。
『田宮が学校に居ないとつまんなくてヤベーんだよ!』
と三田。片言だった。
『そうだ!』
『そうよ!』
みんなが言う。
『そうだ、みんなで、雨乞いの歌を歌いましょうよ!』
私のセリフ。
『雨乞いの歌……古くから全世界で広く流通されている儀式。おもに日本ではカッパなどが行うモノだと聞いているが……でもなぜ今それを? いや、問題は雨が降るか降らないかにある。みんな、やるなら本格的に行おう!』
鈴木がいきなりカメラの前に出てきてそう言った。
『オー!』
みんなが机の上に立って視点も先生の机に上がった。ここはアドリブだ。みんな適当に手を叩いたり、頭を振ったり、叫んだり、呟いたり、なんでもあり。
ちなみに私は隠れて、ある作業をしといた。
『雨は降ったか?』
カメラが窓を映した。いい天気だ。
みんなが絶望する。
『なんで? なんで?』
奈々のアドリブ。
『あれを見ろ! 羽嶋が、羽嶋が!』
またセリフに戻る。カメラが私にズームをして……
『せーっの!』
『泣いてる!』
私以外の人が言った。私はさっき目薬で涙を作っていたのだ。
『嘘っ、目から雨が出ちゃったみたい。』
私が言った。カメラの前にはまた鈴木が現れていた。
『なるほど、つまり、結果的には雨乞いの儀式を成功することができたってはわけだ。ちなみにアリを何匹か潰すと雨が降るというのは……』
『オラおまえら! 自習だからって騒ぐんじゃねぇ!』
他クラスの担任の先生が来た。
『わぁー』
先生のは演技じゃないけど、鈴木の考えたオチより良かった。
「くだらねぇ。第一意味が分からない。」
悠斗は笑いながら言った。
「メッセージ性があったでしょ?」
「菜緒が考えたんだろ今の?」
「鈴木。」
バチン、テレビの電源が切れた。
「あっ、菜緒、買ってきてよ。ゆっくりでいいからさ……」
テレビカードならまだ引き出しにたくさんあるはずだった。
「わかった。」
私は病室から出た。悠斗は咳込んでいる。鼻のチューブが涙を逆流させているのか。ただむせたのか。とにかくゆっくり買いに行こう。
その夜、連日セーター作りで徹夜していたこともあり、死んだように眠った。でも起きる少し前に、夢を見た。
『菜緒、最後は自分で決断しなさい。』
私がもう一人、目の前に居る。あっ違う。
「お姉ちゃん?」
私は私にきいた。
『愛と命は本来、共になくてはいけないもの。比べては決していけない。しかし菜緒、このままだとあなたはどちらかを失う。比べるのではなく、残して、明日へと繋げるのです。何を残すか、最後は自分で決断しなさい……菜緒。』
そこで目が覚めた。私はなぜか目に涙が溜まっていた。
朝、さっきの夢に負けないくらいの変なチラシが届いていた。
私は寝ぼけたままチラシを読み始めた。
『さぁ、集まろう! 迷える赤と黒と紅と。みんな同じ仲間だよ! 我々はさだめからの開放を約束します。あさって午後1時、場所は東京レッドタワー。 ホムペも見てね! WWW……』
開いた口が塞がらない。
絶対に黒渦だ! 東京レッドタワー? 東京タワーのことなのかな。
なんとこのチラシはテレビでニュースにまでなっていた。
『このチラシ、松谷アナはどう思います?』
『いやー、私は怖くて関わりたくないですね。それにしても全国に配るなんて相当資金がかかったと思いますよ。』
私は遅刻寸前にもかかわらずネットで調べてみた。すごい混雑ぶりだ。
開くのに何分もかかった。フリーズしないのだろうか?
ホームページはおしゃれだった。これが変なサイトだとは誰も思わない。ただチラシと同じようなことがのっていた。でも凡人じゃ意味までは理解できない。
『黒き世に』
ホームページの題名だ。私はこの題名が頭からはなれなくなってしまった。
完全に遅刻だ。私は家を出て走りだした。でもすぐに止まった。前に誰か居る。
「悠斗!」
悠斗は制服を着て、突っ立ている。
「なんで?」
私は嬉しくて遅刻しそうなのを忘れていた。
「いや、赤い糸を頼りに来た。」
「じゃなくて、なんでここに居るの?」
「余命を宣告してもらった。仮退院したんだよ。」
「菜緒、愛してる。」
悠斗は言った。
「私も愛してる。」
これで最短になると思ったら、赤い糸には何の変化もなかった。
「オレが死ぬからだ。ごめんな。」
「いいよ……だって、私たち愛し合っているんだから。学校行こうよ。遅刻しちゃう。」
私は明るく言った。
「タクシー呼ぶよ。携帯貸して。」
悠斗は携帯を持っていなかった。
大分時間に余裕ができたので途中で輪サミを取りに寄ってもらった。
「チラシ見た?」
悠斗にきく。
「あぁ。」
タクシーの中で今朝のチラシの話を始めた。
「革命でも起こすか。黒渦のような奴や、オレたちのような考えの奴らもみんな、集まるとオレは思う。」
悠斗は制服を着苦しそうにしながら言った。ずっと、パジャマだったからか。
「じゃあ私たちも?」
「いや、絶対行かない方がいい。もし黒渦が企画した集会なら、オレたちのような奴らを消すか、仲間にするはずだ。逆に黒渦の反抗者が企画したとしても必ず黒渦は来る。だから……」
悠斗は視線を見えてきた学校に向けた。
「だから?」
私は最後の言葉が気になった。
「オレ一人で行く。」
遅刻せず、二人でそろって登校できたのに、私は怒っていた。
「生きて帰ってくるからさ!」
「私は1秒でも長く悠斗と居たいの!」
「だから来た。」
悠斗の言うことの方が正しいのかも。でもそう簡単には認めたくない。
「足りない!」
廊下でも言い合いは続いた。教室に着いた時には本気で怒鳴り合いをしていた。ただし他の人には聞こえないよう配慮はした。
「なら私も行く!」
「無理だ! 君は、まだまだ生きるべきなんだ。オレの分まで。」
「またそれ! 悠斗には決められないはずよ。私の運命は私が決める!」
「死を選ぶのか?」
悠斗は落ち着きを取り戻して言った。
夢の続きみたいだ。『命と愛を比べてはいけない』だったけ?
お姉ちゃんは何がいいたかったのだろう。今の私にはまだわかんない……
5分くらい私は固まっていた。
「死にたくない……」
私は消えるような声で短く答えて、人前を気にしないで悠斗にキスした。
暖かい。
なぜ? 悠斗はなんでこんなに元気なの? 悠斗は昼休み、教室でバクテンして見せた。みんなとも打ち解け、授業もまともに受けて、どこに余命を宣告させるほどの病が?
明日もこんな日になるといいなと思った。悠斗は家に帰りたがらなかった。私は夕飯に悠斗を誘って家にあがらせた。
悠斗は私の部屋を見て鼻で笑い、私は悠斗の肩を殴った。
「ジマ倒したら電話で教えるよ。」
「ダメ! 言ったでしょジマは手を切り落とさないと赤い糸まで輪サミが入んないって。」
「日本刀でも買うよ。」
悠斗は全部本気で言っている。
「ご飯できました!」
お母さんが言った。両親は複雑な心境なのだろう。悠斗とあまり話そうとしなかった。
夕食後、悠斗はまたタクシーを呼んだ。そして、それに乗り込む前になぜか私の手を握った。すごく暖かい。
悠斗は昨日何の注射を打ったんだろう……
「約束、守ってよ。」
悠斗はそう言い残して、行ってしまった。
食器洗いを手伝っていた時、お母さんは何か思い詰めような顔をしていた。
「悠斗くん。なんか焦ってなかった?」
お母さんは心配そうに言った。
「そう?」
「何であんなに早く帰ったのかなって思っちゃった。」
次の日、悠斗は学校に来なかった。
私は先生に頼んで悠斗の叔父さんの家に電話してもらったけど留守電だった。私は屋上に来て赤い糸の行き先を見た。
「あっちは東京?」
なるほど。悠斗のやつ、もう行ってしまったのだ。
私は? どうする?
「お姉ちゃん……」
『菜緒』
声は聞こえない。ここには私一人しかいない。私が決断しないと。
「待つしかない。」
悠斗を。
幸せだったあの日が戻ってくるのを。
私は、先生の目を盗んでは赤い糸を伸ばし続けていた。ここにきて癖がピークになったようだ。
「このように仮定を……」
先生の声。授業は続く。みんなも死者先生も、前と変わらない。昨日と変わりない。
それなのに、もう私の近くに悠斗はいない。
「あぁ!」
私は叫んだ。そして、机にもたれて泣き始めた。変わらない。いや悪くなってる。そして元通りにならない。運命は変わらない。今までどうして気付かなかったのだろう。私は何一つ良い方向に運命を変えていない。ただただ悪くしていた。元通りにならないようにしていただけだ。
ゴホッと私は咳をした。ビチャっと別の音が鳴る。
「嫌っ……」
机が真っ赤になった。血を吐いたのだ。私は自分の血を見て気を失ってしまった。
また夢だ。お姉ちゃんは泣いている。
『全ては運命。自ら作り出した雨で、もがいてはいけない。菜緒、あなたは一生分の涙を流した。一生分の悲しみを味わったはずです。もう起きなさい。そして、必ず何かを残すのですよ。全てを失う前に。』
お姉ちゃんは割れた。私だったのか。夢の中、私の目の前で私に話しかけていたのは、鏡に映った私。お姉ちゃんは、きっと私の中に居たんだ。
起きよう。
「羽嶋さん。もう大丈夫ですよ。」
警部を連れてきたあの看護師だ。
「少し貧血気味ですけど、自分のご意志で退院なされて結構です」
私は悠斗の居た病院に来ていた。
「ここは悠斗の病室なんですか?」
私は何となくきいた。
「いいえ。それに、悠斗くんは戻ってきませんよ。」
看護師はニッコリとしながら言った。
「仮退院じゃ……」
「いえ、悠斗くんは、退院したんです。病気を治されて。」
私はその後もよく看護師の言ったことを考えたけど、理解できなかった。
結局なんの病気だったのだろう?
お母さんにはまた心配をかけてしまった。
「お母さん。」
私は家の駐車場に着いた車の中でお母さんに話しかけた。
「ん?」
お母さんは少しうるさいエンジンをきった。
「私、お姉ちゃんの夢を見た……」
「ご、ごめなさい。」
お母さんは化学反応を起こしたように泣き出した。
「お母さん! 私の中に居るみたい。ううん絶対、お姉ちゃんは私の中に居るよ。私たち二人ともお母さんのこともお父さんのことも愛してる……」
お父さんもいつもより早く帰ってきたので夕食は三人そろって食べることができた。私は昼も抜いたから腹ぺこだ。三人で笑って、馬鹿にし合って、家族の愛を確かめ合った。
悠斗はこれを目の前で失ったんだね。私はそんなことを考えたけど、もう泣くことはなかった。
「明日、一人で、バスにでも乗って東京見物してきていい?」
私は決断した。悠斗に会いに行くと。
お父さんが電話で観光バスの会社に予約を取ってくれた。出発地点はここからそう離れていない。そこからバスで高速道路に乗って東京を目指す。
お父さんとお母さんは完全にチラシのことを忘れているようだ。私の小さな門出だと言って、観光料金とは別に五万円もくれた。
真夜中、私はふと目を覚まし、お母さんとお父さん部屋に行った。お父さんがやかましいいびきをかいているのに二人ともよく眠っていた。
私はお母さんの布団に潜り込んで再び夢の中へと落ちていった。
わかっていたけど、お姉ちゃんの夢は見なかった。
鈴木と由美と三田が三角関係になる夢を見てしまった。
土曜の朝が来た。お父さんは仕事へ、お母さんは台所に行っていた。朝ご飯を食べ、荷物を整えた。
準備完了。
「行ってきます!」
お母さんの笑顔は私を勇気づけ、少しプレッシャーも与えた。
バスに乗っているのは中高年ばかりだ。私はキャラメルを食べながら自分の赤い糸を伸ばしていた。
バスの向かい側に座ってる人だけ、若くて、とてもきれいだ。でもよだれを出し、あられもない姿で眠っていた。
「ハハハ……」
私は一人で小さく笑った。
不思議と私の中の不安が無くなってきている気がする。
「間もなくサービスエリアに到着します。」
運転手の声がスピーカーから聞こえた。
バスはサービスエリアの駐車場で停まったけど私は何も用がなかったので座っていた。
私とさっきのよだれ女が残って、運転手は外で一服していた。するといきなりあのよだれ女がトレードマークのよだれを拭って私の隣の席に来た。
狸寝入りだったのか。
「それやめな。」
よだれなし女は私の赤い糸を指さした。
「怖い顔しないで。敵味方の区別くらい自分できないの?」
よだれなし女は完全無防備だ。それなら敵ではない?
「あなたはどうして私が敵じゃないって?」
私はきいた。
「赤い糸だけを見ているとわかった。そんな奴、黒渦には珍しい。それに、あんたかわいいし。」
よだれなし女は腕時計を見て、首の骨を鳴らして、欠伸をして、とにかく忙しなく動き続けていた。
「東京レッドタワーに行くんでしょ? あっ、とりあえず名前を教えてあげないとね。作野香澄。あんたは?」
香澄さんとやらは、いきなりバスの中でストレッチを始めた。
「羽嶋菜緒……」
信じていいのかなぁ? この不思議なお姉さん。
「何してんの?」
私と香澄さんが同時に同じことをきいた。
「体操。菜緒、行くんならそんなとこ座ってられないよ。」
「何で?」
「ほれ……」
香澄さんは窓の外を指さした。私はその光景が信じられず、バスの外に出て見直すことにした。
すごい量だ。南の方に紅の糸が、勝手な見立てだが一万くらいあった。
遠くだけど、あまりにもたくさん集まっているもんだから、クッキリと見える。そう、まさに赤い塔。レッドタワーだ。
「コラッ、そんなに見てたら怪しまれる。」
香澄さんは私の頭を軽く叩いた。
「ありゃ千葉だね。」
香澄さんが言った。
「東京タワーじゃなかったんだ……」
「ディズニーランドと同じようなもんだろ? なぁ? 菜緒、あんたは何しに行くんだい?」
香澄さんはその場で足を高く蹴り上げながらきいてきた。
「愛を求めて……」
私が答えると香澄さんはバランスを崩して地面に倒れ、そのまま笑い転げた。
「本気だよ!」
私は怒った。
「いや、悪いね。あまりにキザなことを言うもんだから。よし、あたしが手伝ってやるよ! あたしも人の愛を信じてるんだ。」
そういって最短の赤い糸を見せてきた。でも指輪はない。結婚はしていないようだ。
「手伝うって何を?」
「まぁ、待ってろ。運転手さん! 荷物、取りたいんですけど。」
香澄はバスにある荷物を取って、「あたしら二人、ここでツアー抜けます。」と伝えた。
「ええ、まあいいですけど……」
運転手は困っているようだった。
「大丈夫。なっ菜緒! この子とは姉妹のような仲でして。責任を持って世話をするんで……」
香澄さんは私に肩を回しながら言った。
「私が姉になります。香澄、言うことをきくんですよ。」
私も負けじと言った。
「あっそ。つきましては運転手さん、この子だけでいいんでツアーしたということにして下さい。」
サービスエリアの一角にあるテーブルで、香澄さんは何か考え事をしていた。ただの旅行にしては荷物の量が多い。
自分の身体と同じくらいの体積があるキャリーバック一つとまた同じくらいの大きさのリュック二つ。香澄さんはそれらに囲まれて異様な姿になっていた。
「香澄さんって何歳?」
「二十八! ちょっと今考えてるから話しかけないで!」
「……ねぇ、タクシー呼ぼうか?」
私はきいた。まだ10時過ぎだったがこんなところで油を売ってはいられない。
「運転手を巻き添えにしたくはない。」
香澄さんは言った。なかなか優しい人なのか、と思ったら……
電流を流されたようにバッと立ち上がり、すぐそこに来たサイドカー付きの大型バイクに近づいていき、「このバイクくれ。」と怖そうなライダーに向かって言った。
「香澄さんの馬鹿……」
私は自分のおでこを叩いて言った。
ライダーはヘルメットを取り、バイクの鍵を外して睨んできた。
あれ? 思ったほど怖くない。慣れてしまったのか。私は鬼顔に感謝した。
「何を抜かしとんじゃコラッ!」
香澄さんは動じない。サイドカーには誰も居ない。私は気楽になった。
「じゃあ裏で話つけましょうや、あんさん。えっ?」
香澄さんの方がよっぽど怖い。あんさんの胸倉掴んでトイレの裏側に連れていった。
数秒後、香澄がバイクの鍵を持って帰ってきた。
「正当防衛だよな?」
香澄さんはとぼけた。
「そうかも。」
私は笑って答えた。
サイドカーにもう一つヘルメットがあったので私は先にそっちをつけた。
「あっ、くそ!」
香澄さんも狙っていたらしく、悪態づいた。
「そういえば香澄さん、免許あるの?」
パカッとヘルメットを開いてきいた。
「なめんなよ。ちょっといじくるかね。さぁ、準備いい?」
私はヘルメットを戻してサイドカーに乗り込んだ。膝の上にはキャリーバックを乗せられた。香澄はバイクに何かカチャカチャと音を立ててやっていた。
「いいよ。」
私は言った。
バーンッ! 爆音と共にバイクは進み出した。
スピード違反だった。高速道路を出口ではさきほどのあんちゃんの入場券で精算した。私が五千円も払わされることになった。
田舎道を最大スピードで駆け抜けていた。横を見ると、まるでワープしているようだ。景色を見ることすらできない。しかしバイクは着実に紅の糸でできたレッドタワーに向かって進んでいた。
尻が殴られているように痛い。今のこれよりもっとひどい目に遭うとは到底思えなかった。
いよいよ近づいてきた。いろんな意味で息苦しい。香澄さんは少しレッドタワーから外れた山道を進んでいた。もうあと三キロくらいの場所だと思う。
「見えてきたぞ!」
タワーは今来たほうとは反対の、山のふもとにあるようだった。香澄さんは山頂辺りからまず、様子見をすると言った。
タワーの方は崖っぷちになっていて、木々がなく、邪魔されずに見下ろすことができた。
「見てみろ、あそこにスタジアムみたいのができている。」
香澄さんは私にハイテクな双眼鏡を渡した。まぁ、そんなの使わなくてもわかる。スタジアムというよりどこかの国にある古代のコロシアムのようだ。屋根がなく、ただ周りを円形に囲んでいるだけ。いや、反対部分は正直見えていないが、恐らく円形である。
……円?
「か、香澄さん? あの中入ったら、死者は……」
そうだ、間違いない。奴らはあそこから出れない。
「自分の糸を切れない奴はね。伸びている部分を切るなら、輪に害はない。切ってまた伸びる前に円から出れば問題ないでしょ?」
あっそうか。
「残念……」
私は自分の考えの甘さに恥ずかしくなった。
「それより菜緒、やっかいなことになったよ……」
「何?」
「肝心な中が紅の糸で何も見えない!」
「それは、そうだね……」
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