第9幕 生死
学校は思ったほどの変化はなかった。全部で八本。来る途中ですでにわかった。死者か、それとも『死にぞこない』か、多分もう生きた屍は来ないと思うけど。私はスカートの右にスタンガン、左に輪サミを入れてきた。スタンガンはケースから取り出すと本当に小さくて、ポケットもさほど膨らまなかった。
まだ私に目標を定めたわけではないはず。私は普段通りに過ごすしかなかった。せめて赤い糸を伸ばせたらいいのにと思った。
全員先生のようだ。久美子みたいに自滅されては困るからなのだろうか。私は少なからず、ほっとした。
「羽嶋? あのさ……」
鈴木と三田と奈々と、その他数名のクラスメイトが私の所にきた。
「ビデオ、録らない?また、田宮のために」
鈴木が提案してきた。クラス全員で決めたようだった。
「うん! あっでも、野口先生のことが終わってからにしよ。」
「そうだね。」
でも何を録るのだろう。
紅にされた先生たちはどうやら死者のようだ。顔に紅の糸になりましたと書いてある。
今日、一部の男子がちょっと騒いだり、身だしなみが悪いだけで死者の先生は呼び出しをした。私がそこから帰って来た三田に詳しく聞くとどうやら持ち物検査をされたらしい。
死者先生のすることは地味だ。たまに、出来てないけど赤い糸を握り潰したりして私たちの反応を見るのだ。
これはたとえ赤い糸が見えてたとしても首を傾げるだけだ。
死者先生は、輪サミを多分もらっていない。ただ、それなりに紅の糸をもらっているようだった。
その日の学校は何もトラブルに巻き込まれないで終わり、私はそのまま、悠斗に会いに行った。
「思った以上に慎重な戦略をしてきたな。」
悠斗の感想からは、余裕が見られた。
「やっぱり、さだめ糸を世間に知られるのが恐いからなのかな?」
私も昨日の波瀾を乗り越えて、大分強気になっていた。
「多分な。インターネットで流せば一発で全世界に知れ渡るのに。いや、ネットパトロールみたいのが居るのかもね。誰かが運命の糸のことを出したら、素早く消していく奴ら。」
「そいつら弱そう。でも私、いつか誰か言っちゃうと思うな。死者も狂った奴らばっかりだし。あっ悠斗、はい、リストバンズ!」
私は作ったのを全部あげた。
「ズって。まぁ、ありがとさん。そういえば野口の通夜は?」
「行かないよ。死者先生来るし……これからどうしようかな。戦ったら状況は悪くなるだろうしね。」
もう辺りは暗くなっていた。私は帰る前に悠斗にキスをした。
「何とか気持ちが死者先生に伝わればねー。」
私は弱々しく言った。
「それだ!」
悠斗が喜んだように言った。
「伝えればいい。」
悠斗はこちらの名をあかさずに死者先生たちに手紙や電話をしたらいいと言った。
「じゃあまた明日、内容を考えよう。」
家に着くとネットでセーターの編み方を調べた。今だと、首の下の所を少し大きく開いているのだとか。そんなの適当でいいよね。
次の日はずっと、私は死者先生に伝える内容を考えていた。悠斗とある程度同じ考えだといいだけどな。
死者先生は八人のままだ。私は今日やっと全員の姿を見た。それもよく考えてみたら、男ばっかの体育教師や指導担当の先生たちが死者に選ばれたようだ。
その死者先生らは、いつにも増して生徒たちに突っ掛かってくる。私は学校全体がねじれ始めているのを感じていた。朝、死者先生の一人にシバかれた一年生が気分が悪くなり病院へ行くことになったと聞いた。
手加減ができなくなっているのだ。私が何かしなくとも、ほっとけば教育委員会が死者先生をクビにしてくれるかもしれないな。でも、死者先生は教師という立場が唯一、人としての先生らを繋ぎとめているのでは? それならやはり。死者先生らの決着は、学校で終わらせないといけない。
「羽嶋、田宮の話なんだけど……」
悠斗のためのビデオ撮影は何やら鈴木が、脚本、監督をしたいらしい。
私も賛成した。三田は前回同様、編集の役割になった。これには大賛成だった。あとは全員演者だ。あれ? 物語でも撮るのだろうか?
いつの間にか、三年生は部活動が自由参加になっていた。私はセーターのための毛糸をタダでもらいたくて部活に行った。
「菜緒!」
由美も来ていた。何やらセーターは、思った以上に簡単で、毎日1時間やれば、一ヶ月で仕上がると由美が言った。
私は由美に先生たちの機嫌が悪いからあまり近づかない方がいいと助言した。クラスや部活のみんなに言うと不自然になるから言えなかった。
私はノックもしないで悠斗の病室に入るようになっていた。今日もあまり長くは居られない。日ごとにどんどん暗くなるのが早くなっているし、寒い。それに暗いと紅の糸が近づいていても気付かないかもしれない。
「手紙書いた。オレの字なら男だと思うだろ?」
「なるほど。」
私は手袋をして読むことにした。
悠斗の死者先生らに書いた文の内容は、『我、赤いさだめを見つめし者、鬼である。生きた屍を切ったのは私だ。さらに死にぞこないども八人全員を今すぐにでも切り去ってやっても構わない。しかし、僕は八人の敵ではない。俺の書く通りに動けば八人を助けてやってもよい。まずは、この手紙の内容を黒渦にあやまっても漏らしたりしないこと。そんなことは私側のスパイが居るからすぐにわかる。次にもう仲間を増やさないこと。仲間を増やしたりしても、すぐにわかる。そして質問に答えろ。答えは全て椅子の裏に質問番号も一緒に小さく油性で書くこと。学校の全ての椅子にだ。一、集会を開いた輩の中で一番上に居る奴の名前を念のため確認したいから書け。それでそいつの居場所はどこだ? 書け。わからないのは、質問番号とNを書け。二、学校には、八人以外に仲間は居るか? 三、八人は僕をわざわざ探しているのか? 四、次の集会がいつどこで行われる? 五、最終目的はあるのか? 六、ウンコとジマを合わせると? 質問はこれだけ、なお、四問以上、答えないまたはNだった場合、または俺の満足いくモノでなかった場合には、切る。期限は明日まで。我、無数の鬼なり。』
悪くない。でも死者先生たちは間違いなくキレてしまう気がする。
「手袋もしたから指紋も取られてない。奴らはきっと、オレたちが一人だと思って油断している。だけど紅の糸の弱さを主張したその手紙なら奴らもビビるはず。さらに馬鹿にするくらい余裕を見せるのもいいと思った。実際には余裕もなければスパイなんかもいやしない。でもその八人が、輪サミを持っていないとしたら黒渦ともそれほど深くは関わっていないはずだ。そしてどことなくこっちにも団体があるように考えさせよう。そうすれば奴らはオレたちの思うがままだ。オレたちにとってこれは、重要な情報を手に入れるチャンスだ。この手紙での反応によるんだけど、次の手紙で、学校を去るように脅迫する。」
一人でここまで考えていたなんて……
「でもどうやってあいつらだけに読ませる? 生徒指導室とかに置いとけばいいかな?」
私はきいた。
「それも考えた。学校中の椅子に書くなら一人でも多く仲間を集めるはず、つまり八人全員この手紙を読むことになる。それと菜緒のアリバイも一応つくっておいた方がいい。君が八人のどいつかの授業を受けている時、オレがここから八人の内余った奴に手紙を見つけるよう電話する。つまり手紙はどこへ置いたっていいんだ。こんな感じでうまくいくと思うけど。どうする?」
「やる……」
不安だ。もっと悪くなったらどうしよう。最悪、学校を閉鎖させることも考えておいた方がいいな。どうやるから知らないけど。
私もあと四ヶ月ほどで卒業なのに。それまで無事でいられるだろうか……
私には一つ、絶対に守らなきゃいけないことがある。それは悠斗より先に死んではいけないということだ。
悠斗を見送ることができるのはもう私しかいない。そうだ。だからまだ、死ぬわけにはいかない。絶対に。
手紙を奴らの一人に見つけさせ、その次の日になった。
私は学校に着き、今すぐ椅子の裏を見たかったけど、悠斗に言われたとおり掃除の時間まで待った。
自分の椅子を教室の後ろに寄せるために机の上に逆さにして置いた時、私は死者先生の書いた文字を読み始めた。
『一、Tilar、居→N、二、N、三、Yes、四、すぐ、東京タワー、五、存在を隠す、六、ウンコ島、助けてくれ』
ものすごい小さい字で書かれている。これを学校中の椅子に書いたのか。死者先生はやはり被害者なのか。
悠斗は怖い顔で私から、死者先生たちのメッセージをきいていた。
「質問と当てはめると黒渦のボスはテイラーで、居所不明。多分あの学校を任されているのは八人だけだとみていい。八人は黒渦から野口をやったやつを探すように頼まれた。次の集会はすぐに東京タワー。最終目的のことだけど多分、世間にさだめ糸の情報を流そうとしている人を消すってことだろうか、それとも単に死者先生らが黒渦から逃げたいということを言っているのか。なんにせよ、うまくいったみたいだ。奴ら、オレたちに助けを求めてる。」
悠斗は作戦が成功したのにまだ何か気にくわないようだった。
「助けられないよね? 私たちじゃ。」
「あぁ、でもどうすれば安全に奴らを追い払えるんだろ。奴らの命はまだまだありそうだし、やっぱり次の手紙で学校から出ていってもらうしかないかな。その後、黒渦が何をしてくるか……」
どうすれば戦いは終わる?
世間にさだめ糸を漏らしてはいけない。黒渦の仲間になってはいけない。鬼顔に次は見つかってはいけない。黒い糸を見てはいけない。紅の糸を生み出してはいけない。悠斗の前に死んではいけない。どんどん増えてる。問題が、増えて、膨らんで、私に押し迫ってきている。
「悠斗、やっぱり何してもダメだよ。
どうやっても逃げれない。私も悠斗も。死者先生が他の場所で誰かの赤い糸を切るかもしれない。黒渦が新しい糸を与えるかもしれない。そんなの絶対、許せない。」
やっぱり同じことの繰り返しだ。
「菜緒、殺すのか? まだ奴らは何もしてないかもしれないのに。」
「わからない。」
何かを変えないといけない。
「次の手紙、まだ出すの待ってくれる?」
私はたいした考えもなく悠斗に言った。
「いいよ。出すのは君だから。今日はこのくらいにしよ……なんかおもしろい話とかない?」
「文化祭の話、そういえば、まだしてなかったよね?」
次の日、また一つ、紅の糸が学校から伸びていた。他の八本は固まって、その一本を避けているようだ。
「野口先生の代わりの人だって。」
奈々が言った。じゃあ私のクラスの担任の人か。
鬼顔には劣るが、怖表のガッチリした死者男が来た。変な言い方かもしれないけど、見た目より年をとっているようだ。多分、寿命の延長をしているのだろう。右手の紅の糸の輪は、ドーナッツを縦に五個並べたぐらいに大きく膨れ上がっていた。間違いなく輪サミ一回で切れる量ではない。いや、まずは手を切り落とさないと無理そうだ。紅の糸が手の平にまで入り込んでいる。
「嶋小八だ。私、いや僕は、校長の頼みで短い期間、このクラスの仮担任をする。」
私はまた思わず声を上げるところだった。
「子供は嫌いです。あなたらが見た目より大人だと信じて頑張ります。」
ジマは私に気付いていないようだ。
「先生何歳?」
奈々がきいた。
「二百十歳。」
みんな固まった。
ジマは現代文の授業を受け持った。授業が始まったと同時に、チョークを黒板に走らせた。書いていることは野口先生とかわりない。
「ノートに写せ。」
ジマはほんの数十秒で黒板を字でうめた。5分後、ジマは適当にクラスの何人かを指命して黒板の字を消させた。私はほとんど写せていなかった。久美子のことを考えるとすぐシャーペンの芯が折れてしまう。それになんとか私から滲み出ている殺気を消すのに必死だった。
ジマはまた黒板を達筆過ぎて読みにくい字でうめた。
「写せ、終わった休み時間にしてよい。」
ジマはそう言うと探るように私たちを見渡した。
「お前、僕に何か用でもあるのか?」
ジマが私に言った。
「どいてもらえます? 先生が邪魔で黒板が見えないんです。」
私は自分の度胸に心の中で拍手した。
「あっそ……そういえば、今日は当校の欠席者が零だそうだ。つまりは早退したら、僕が許さんからな。」
ジマが意味深に言った。不安だ。ここで早退なんかしたら野口先生殺しとして疑って下さいと言っているようなものだ。
今日の全授業終了し掃除の後にジマのスピーチがあるから体育館で緊急集会があると聞かされ、私の不安は最高潮に達していた。
掃除の始まる前、私は何かないかと椅子の裏を見た。変化なしだ。
「羽嶋さん、先にプリント配って。」
「あっごめん。」
私は周りより少し早く椅子を上げていた。私は連絡用紙を後ろの席の人に渡し、自分の分に目を通した。
「あれ?」
上部分の右端に何か小さく書いてある。
『終』とだけ。意味わかんない。
バサバサ、いきなり窓のすき間から強い風が入り込んできて紙を揺らした。私は瞬間的に窓を見て視線をその字に戻したが、また窓の方を見た。
真っ赤だ。
学校中を紅の糸が囲んでいる。
私は軽い放心状態のまま掃除区域の職員室前の廊下に行った。
どうしよう……殺される。今度こそ確実に殺される。
「悠斗……」
表には出さなかったが完全にパニックだった。考える時間もなく、その時が近づき、私は列に並び、体育館に向かって進んでいった。
「なんで……」
先生一人残らず死者になっている。
外には先生以外にも数百人の死者がいる。いよいよ追い詰められた。絶体絶命……
悠斗ならどう考える?
逃げて、隠れて、警察を呼ぶ。よし! そうしよう。
「悠斗、ごめん。」
私は人込みの中で自分の赤い糸を小指の近くで切った。無論、誰にも見られてはいない。キスの口実ができたので、良しとしよう。
私は体育館内にあるトイレに入った。それもまた、誰にも見られないように。そして、私は個室に入り壁に耳をつけた。体育館の広間とは薄い壁一枚だからよく聞こえる。
この上は柔道場の物置だったはずだから、黒い糸も問題ない。体育館から離れれば、私の黒い糸で見つかってしまうかもしれないが、体育館内の位置関係まで遠くからは判断しずらいと思う。いや、そうだと信じるしかない。
「はじめまして。」
ジマの声がスピーカーを伝って、聞こえてきた。なんかさっきより声が明るい気がする。
「本校の教師になれましたことを深く! 感激しています!」
演技だ。でもジマはなぜそんなことをする必要があるの?
パリーンッ! ガラスが次々に割れる音がした。学校を囲んでいた紅の糸の持ち主たちが体育館広間に入って来た音なのだろう。
生徒たちが悲鳴を上げた。
「な、何だね君達は? ここは学校だぞ!」
この事件の主催者であるはずのジマがなぜか怒鳴っている。ジマは被害者になるつもりなのか。何のために?
「よし今だ。」
私は胸ポケットから携帯を取り出して警察に電話をしたが、繋がらない。
「妨害電波……」
「騒ぐな! 舞台に上がってるモン、下りてガキをまとめろ!」
見知らぬ声、ジマの部下だろう。
悲鳴が近所の人に聞かれて通報されないだろうか……いや普段からうるさいから気にもされないだろう。
妨害電波から抜けて警察を呼ぶしかない。
私はゆっくりとトイレから出て周りを見た。近くには居ない。すぐ横にある塀まではいけそうだ。でも学校の周りには、だいたい二百メートル間隔で紅の糸が連なってる。最低一人と接触しないといけないだろうな。
黒い糸を見られていると思い、私はとにかく急いだ。塀は3メートルほどの高さだ。その下には自転車置き場の屋根がある。
私は屋根を支えている柱の骨組みに足をかけて屋根の上によじ登った。
そして、そこからまた手を塀のてっぺんへ、音を立てないように飛び乗った。
真下に一人居る。真っ黒い軍人姿だ。右手をポケットに入れていて、寿命も見れない。
反対の手には、銃だ……拳銃を持っている。
まさか体育館に居る奴らも全員?
私は右手でスタンガンを取り出して、一度深く呼吸をすると、息を止め塀から跳び降りた。そして地面につく前にスタンガンで真下にいた死者の首筋に電気を流した。
死者は気絶して静かに倒れた。
左右の奴らに見られたらマズい。
私は死者の紅の糸の輪を根こそぎ切ってやりたかっけどやめた。こいつら全員十年以上務所で暮らして、紅の糸も補充出来ず、生きて帰っては来れないはずだ。五百メートルほど、全速力で走り続け、もういいだろと携帯を取り出して警察に電話をかけた。
「もしもし!」
パンッ! 電話が繋がると同時に銃声が聞こえた。
私は警察署にいた。輪サミはそこらへんの公園の茂みに隠した。
待合室に一人、警察官は待ってなさいとだけ言った。警察署に着いて30分ほど経つと死者たちが降参したという知らせがきた。
「拳銃二百。凄いね。」
誰かが電話相手に言っていた。
「目的は? 奴らは何を? おい! どうした? 死んだ? 犯人たちが全員?」
死者たちはジマの言うとおりに行動しているだけ。ジマ本人は捕まってないだろう。
死者たちの紅の糸が長くないのなら、次々死んでいくのも当然だ。
ジマは私を、死者たちは赤い糸を狩りに来たに違いない。失敗に終わったけど。スタンガンのことはあの夫婦の怪事件依頼、護身用に持ち歩くことにしていたと警察に言ったら納得してくれた。
警察は完全に私を英雄だと思っている。
「事件前、急にお腹が痛くなって……」
私の言うこと全てを信じてくれた。
警察からの聴取が終わり、私は学校へもどこへも自分の名前を出さないでほしいと頼み、それから学校がどうなるかきいてみた。
「四日ほど閉鎖されると思う。」
四日か。ジマはどう出る?
「嶋先生のことを調査してもらえませんか?」
私は思い切って言ってみた。
「嶋先生? 一応先生方には全員、話を聞こうと思ってるけど、でもなぜ?」
警察官の人が答えた。
「あの先生、今日来たばっかりでした。しかも何と言うか……事件が起きるって知っていたような気がしたんです。」
「犯人たちの仲間だったってこと?」
「調べてみた方がいいと思います、きっと。」
いや、絶対に。
「いや、それはないと思うな。あの先生、舞台の上から犯人たちに説得していたら撃たれたんだって。軽傷だったけど。」
別の人が言った。
「あっ! みんなは無事なんですよね?」
当たり前だと思って忘れていた。
「はい。生徒は皆さん無事で。ホント、不幸中の幸いでした。それにしても、犯人たちはなぜ……」
「その話はなしだ。」
黙っていた年配の警察官が恐らく自分の部下を叱った。
私に聞けば全部わかることなのに。話すつもりはないけど。
「親御さんが迎えにくるからね。」
すっかり真っ暗だ。今日は悠斗に会えないだろうな。心配していたらどうしよう。でも無事だということはわかるはずだ。
「菜緒!」
お母さんだ。また泣いている。
「どうしてあなたばっかりこんなことに……」
「お母さん、菜緒さんのおかげで全生徒の命が救われたんです。立派な娘さんですね。」
婦人警官が私を褒めてくれた。でも違う。救ったのではない。この私が全生徒の命を危険にさらしたのだ。私はやっとことの重大さに気づき、震えた。
次の日、私はお母さんに悠斗の病院まで車で送ってもらった。
「菜緒、すぐ迎えにくるから、絶対電話するんですよ。」
「へいへい。」
まだ朝の10時だ。
病院内にレストランとかあるかな?
「ない。」
悠斗は怒らないで私を受け止めてくれた。もう無事なら説教はよそうと思ってくれたのかもしれない。
「あっそ。でっ? 外出はできないの?」
「菜緒、どのみち今日は外をうろちょろしない方がいいよ。」
悠斗は疲れているようだ。それでも私が来ると体を起こした。
点滴をしている。
レストランという以前に悠斗は何も食べれないようだった。
ジマのことを話すと悠斗は目を回した。
「二百十歳ってのは多分、いや絶対本当のことだな。」
「鉄砲はどうやって手に入れたと思う?」
私はヤクザやマフィアより厄介な奴らがこの世に居るとは思ってもみなかった。
「やっぱり別れ屋も黒渦の奴らなんだろ。武器を買うための金をそこから集めたんじゃないかなぁ?」
それなら芸能人のような金持ちを狙う理由も説明がつく。
「はぁ、昨日も抜け出そうとしたんだ。そしたら痛くなって。気付いたらまたここに戻されてた。もうそろそろ病名も聞かされる。そしたら、余命を宣告してもらえて。出れる。」
誰にも何もできない病……せめて私は……
「悠斗、赤い糸、切ったの。だから……」
私は窓辺に立つ悠斗に近づいていった。
「悠斗、今私の体に黒い糸突き抜けてる?」
私の問いかけに悠斗は頷いた。
私は悠斗に触れることができるぐらいにまで近づいた。
「まだ邪魔してる?」
悠斗はまた頷いた。
私はできるだけ体を悠斗と密着させて、鼻が触れ合うちょっと手前で顔を止めた。
「まだ?」
私はささやくようにきいた。
「いや、菜緒しかいない。」
冷たい……唇からも悠斗の死が近づいているのを感じてしまった。
私は暖めるように前より長くキスをして、それをやめると、悠斗の方から抱きしめてくれた。点滴が邪魔だ。赤い糸は元通りになった。
コンコン、ドアを叩く音がして、焦りはしないけど、一応、悠斗と私は離れた。
「羽嶋菜緒さん、警察署の方がお会いしたいと……」
看護師が言った。その後ろにも人影が見える。
「どうぞ。」
入ってきたその人は自分を「警部の新美です。」と名乗った。30代後半くらいだろうか、とても若く見えた。
「二人の時間を裂いてしまって悪いね。でも最近、不可解なことばかり起こる。僕のような固い頭じゃどうにも解決できそうにないんだよ。今回の事件は。」
「犯人は?」
悠斗がきいた。
「捕まえた人は全員亡くなった。どうすることもできなかった。」
「何か言わなかったんですか? 死ぬ前に。」
悠斗は質問を続けていった。
「どうすれば!」
警部がいきなり大声で叫んだ。
「っと言っている奴がいたよ。」
「銃以外で変わった物を所持してませんでしたか?」
悠斗は奈々のようになっていた。
「いや、特には。」
「どんな風に降参してきたんですか?」
「ただ、こちらが指示したとおりに……」
「ジマ先生は?」
「おぉ! やっときいてくれたね。」
警部はジマの話をしに来たようだ。
「あの人、不思議なことに都内の大学を四十年前に卒業しているんだよ。そんな歳には見えん。それに他の大学も入ってはやめ、入ってはやめて。書類偽装できるものじゃないし……今一体いくつなのか、親族も全くいない。まるで透明人間のようなんだよ。それに……嶋先生を調べようとすると、どこかしらか妨害か、ストップが……いや、君たちにこんなことを言っても仕方ないか。ハハ……」
警部は一人で笑った。
「ジマ先生と今回の事件、何かあります。警部さん。オレはジマ先生の家宅捜査をした方がいい。」
「勝手なこと言うね。無責任だよ。」
警部は笑いながらキレていた。悠斗は私を見てやっぱりという顔をした。
「命の一つでも賭けないと、一人の命も救えない。警部さん。あなたじゃ誰も救うことはできない。出てって下さい。面会謝絶です。」
悠斗の言葉で警部は病室から出ていった。
「ちょっと言い過ぎたかな?」
悠斗も少し反省しているようだった。少しだけ。
「ちょうどいいくらいだと思う。」
私は優しく言った。
「ジマか。心残りだな……」
悠斗がじっと自分の右手小指を見て言った。
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