第8幕 真実
今の悠斗からは迷いが感じられない。悠斗は前に『本当のことを言いたくていつも自分を抑えてる。』って言っていた。きっとこのことだったんだ。
「うれしかった。ずっと好きだったから。もちろん今も。オレは、菜緒のことが好き。」
悠斗は私を放して見つめ合った。
やっと地上に戻ってきたような気持ちがした。
「うれしい。」
私はずっと考えないようにしていた。私は赤い糸が鈴木と繋がってると思ってたが鈴木は妹とだった。
それなら私は誰と?
私は自分でその問をどこかに消し去ってしまっていた。だって悠斗が好きになっていたし、それなのに悠斗には赤い糸がない。
「小指の表面の肉も少し切り取った。これで爪が生えれば元からないように見える。オレは菜緒にも赤い糸が見えると知って、嬉しくて、いや、悲しくて、あぁ、一番に焦っていた。君が初めて見舞いにきてくれた時はまだ少し残ってたから。あの時は、鈴木と繋がってくれればいいと思った。でも今は違う。安全に暮らせる場所なんてもうどこにもない。だから君を遠ざけたりはしない。絶対に守り抜く。オレは、菜緒の運命の相手だ。オレたちの赤い糸は、必ずまた繋がる。だから今は切ろう。」
私は悠斗の言うこと全てに頷いた。本当に、死ぬわけにはいかない。
「悠斗、ありがと。」
「逃げ切れたら、映画でも見に行こう。」
「おごってね。」
「うん。切るよ。」
悠斗は今まで見た中で一番華麗に素早く、赤い糸を切った。
悠斗と私は古いアパートの階段を上がり始めた。
「むやみに逃げたら、黒い糸が不自然に見えてしまう。」
悠斗がそう説明した。
最上階の五階まで上がると悠斗が、人の家のドアに向かってジャンプした。そしてドアノブに片足を乗せるとさらにそこから跳び上がった。
悠斗は空中で片足をさらに高く蹴り上げて、天井の一部分をへこませた。バタンと悠斗が落ちて次にガチャガッチャンと折りたたみ階段が下りてきた。
悠斗はすぐにその階段を上がり屋上から私に手を差しのべた。それから私を素早く上らせると階段を引き上げた。
「こっち。ここに寝そべって。下の人との黒い糸で、ごまかせる。」
そうか、これなら絶対わからないはず。
「居た。」
悠斗が寝そべりながら指差した。数十メートル離れた、さっき赤い糸を切った場所で鬼顔が辺りを見渡していた。
「ふせて!」
悠斗は私の背中を軽く叩いた。そして自分は仰向けになると手鏡を取り出して鬼顔の方を見た。
「マズい。やっぱりダメだったか。」
悠斗が言った。私も悠斗の手鏡を見ると鬼顔がまっすぐこっちに向かってやってきていた。
「なんで?」
「ごめん、オレだ。オレの黒い糸が周りのより早くほどけているから。」
「そんなのわかるの? 一直線なのに?」
「視力さえよければまぁね……こうなったら警察行こう。めんどうなことになるけどな。」
悠斗はふいに立ち上がった。
「おう、止まれ! 警察呼んだからな。」
鬼顔は止まらない。
私も立ち上がった。
「お前じゃここまで来れないだろ? ざまーみろ!」
私は怒鳴った。
「携帯持ってる?」
悠斗がきいた。
「ない。悠斗は?」
「ない。」
鬼顔はアパートの真下まで迫ってきている。
「ねぇ、キスして。」
私は考え中の悠斗に言った。
「今?」
今しかないと思った。私は頷いた。
「わかった。」
私と悠斗は左手の小指と小指をつけ合って、私が先に目を閉じた。悠斗と唇が触れ合う瞬間、大粒の涙が流れた。悠斗が離れてすぐ、私は小指を見た。
「よかった。繋がってくれた……」
悠斗の小指からも赤い糸が出て私の切れた所とくっつき、全部元通りになった。
でも結ばれてない。赤い糸は最短ではなかった。
「時間がない。菜緒、行こう。」
悠斗は何を決心したのか、仕掛け階段のある方とは逆のアパートの裏へと行った。
バンッ! 屋上の床に何か当たる音がした。
「こっちに!」
悠斗は屋上の端で、私を呼び、自分にしがみつくように言った。
「せーのっで飛ぶよ。大丈夫。いくよ。せーのっ!」
私は悠斗に言われるまま、屋上から飛び下りた。地面までまだ二十メートルほどある。いや、真下には車が停めてある。そこなら大丈夫かもしれないが……
衝突すると思った瞬間、何かに引っ掛かったように私と悠斗は空中で止まった。悠斗の左手は空に向かって高く上がり、握りしめた拳の中から真っ赤な血が噴き出してきた。
「黒い糸だ……」
悠斗は苦しそうに言って、私をしっかりとつかんだまま、少しずつ握りしめた手を緩め、地面へ下りていった。
黒い糸をつたって下っている……
悠斗は真下の車の中に居る人のをつかんでいるのだ。
赤い糸にそんなことは出来ない。でもつねに一直線で、人の命を思うがままにできるような黒い糸なら、つかんでもびくともしないのかも。
ずっとつかんでいれたとしたら、一体どこまで行くのだろう……空中だと自分のをつかんだとしたら?
いや、そんなことは出来ない。こんなことをして黒い糸が、ほっとくはずがない。
寿命がまた減るだけだ。
あと車まで三メートルほどになった時、
「私、もう大丈夫。放して、ケガもしないから、、」
悠斗も限界だったみたいだ。何も答えず私を放した。
ドカッ! 私は車のボンネットにきれいに着地した。車の中で寝ていた男の人がとび起きて何事だと私を睨んだ。
バンッ! その人のちょうど上の所に悠斗も落ちてきて何もなかったように私と合流した。
「おいおい、何やってだよ!」
車に乗っていた男が言った。
「おい! 待てって!」
ドゴッ! その男の上からまた人が降ってきた。男は下敷きになってそのまま気を失ってしまったようだ。
鬼顔は黒い糸ではなく雨樋をつたって下りてきたみたいだ。
ここまでか……戦うしかない。
私は輪サミを取り出した。
「めちゃくちゃしやがって!」
鬼顔が言った。
「めちゃくちゃでいい! 何が何でも守るって決めたんだ!」
悠斗も自分の輪サミを取り出した。
「ジマ! よくもクミを……」
私は顔に残っていた涙を拭った。
「俺じゃない。それに俺は最初からお前らを殺すつもりなどない。」
「えっ?」
「ならなぜ菜緒を追いかけた?」
悠斗がきいた。
「殺すつもりなら、とっくにやれた。俺の役目を果たすまでお前がいなくては困る。」
私は悠斗と顔を見合わせ首を傾げた。話が見えてこない。
「死者たちの集会を開いたのは『黒渦』という団体だ。その中の幹部にお前らの好きなジマもいる。」
鬼顔は私を指差してきた。
「お前を拉致してやろうと思ったがやめた。次の集会がいつかわからないからな。」
「あんた何者?」
悠斗がいらつきながらきいた。
「どう見える?」
鬼顔は自分のことをきいた。
「鬼!」
私と悠斗は同時に答えた。
「それでいい。説明する義理もない……さだめ糸の戦いはもうすでに始まっている。このままいくと黒渦にこの世を変えられてしまう。その黒渦にお前らの学校は目をつけられた。もし、少しでも気を抜いてみろ。お前らは死ぬ。そうでなくても、次にお前らに会うのは恐らく次の集会が近づいた時で、その時は間違いなくお前たちを殺すことになるはずだ。だがそれまでは死に物狂いで逃げ続けていればいい。」
鬼顔はそう言い残して路地へ消えた。跡を追ってももう姿はない。
私と悠斗もできるだけ人の多い場所に来た。悠斗は歩道にあるベンチに座った。
「ハハハ、今回は本当にダメかと思った。」
悠斗は生きてる心地がしないという様子だった。私は大分慣れていたから、もう冷静に物事を考えられるようになっていた。
「黒渦って黒い糸の輪を言っているんなら、おかしいよね? 死者は紅なんだから」
私は悠斗にだけ聞こえるように言った。
「何だっていいよ。ともかく、これからどんどん悪くなるな。まぁ、いいや。菜緒! 映画行こうよ」
悠斗は開き直ったように言った。
「わかった。でもモノクロは嫌だからね。」
「お母さん……私、同じクラスに好きな人がいてね。その人、入院中だから病院に遊びに行きたいの。それで学校、サボっていい?」
私は公衆電話からお母さんの携帯電話にかけていた。
『はい。わかりましたよ。じゃあ、風邪ひいたことにするから。最近変だったのはそれもあったのね……帰ったらお母さんに教えてね。その人のこと。』
お母さんもわかってくれた。
「いいって!」
私は電話ボックスを出て少し離れた所に居る悠斗に言った。
「やった。」
悠斗は近くの薬局でいろんな物を買って左手の治療をして、今ちょうど包帯を巻き終わるところだった。
「ばーば、早く早く!」
すぐ近くで三歳くらいの子どもが杖なしじゃ歩けなようなお婆ちゃんを力いっぱい引っ張っている。二人とも軽く転んだ。でも、子どもとお婆ちゃんにとっては大惨事だ。
「痛いー!」
悠斗がその二人をそばのベンチまで連れていき、残りの治療道具で手当した。悠斗が子どもの擦りむいた足に消毒をつけている時、痛みに暴れる子どもをお婆ちゃんが黙って抑えた。
子どもがお婆ちゃんを本気で叩き始めた時には、悠斗の治療は終わっていた。
私は子どもの乱暴を止めようかと思ったが悠斗に任せてみた。悠斗は子どもの頭に手を置いた。
「お婆ちゃんを傷つけて一番悲しむのは君自身だと思うけど……」
ちびっ子の動きはピタリと止まった。
悠斗は近くのごみ箱に行き、「使い切れた。」と言って今さっき買った物のごみを捨てた。
「あんな暴君。悲しむと思うの?」
私は言った。
「もうすぐあのお婆さん死ぬよ。」
悠斗は静かに言った。
「そっか……わかる、のか。そういえば、紅の糸で寿命がすごい延びた人って年はどうとるの?」
私の質問に悠斗は今考えているようだ。
「たぶん、八十後半から九十歳程度で、衰弱になるのが普通だから……延ばした分だけ年をとるのも遅くなる。でも心はヨボヨボ。」
「それなら相手にならないね。あっ、そうだ。」
私はほぼパジャマの悠斗にコートを貸した。悠斗は拒否したが、私が暑いから持っててと言うと着た。
「刑事っぽい!」
「オレ、小さい頃、刑事になりたいって思ってんだ……」
悠斗はどこかさびしそうに言った。
「医者かと思った。」
私は思っていた。
「外勤のがいいや。そうだ。映画、刑事ものがいいな!」
「いいよ!」
悠斗は自由を満喫しているようだった。
私たちは映画館の一番前に座ろうとしたけど、さすが平日だったのでほぼ貸し切りだったのでちょうど真ん中に座われた。
「邪魔してないよね? 何にも。」
私は黒い糸のことを言った。
「あぁ。完璧だ。」
悠斗のキラキラした顔は少し幼く見えた。
映画が終わってエンディングが流れた時、悠斗は椅子の上に立って歓声を上げながら拍手した。映画はアクションばっかで微妙だったので、悠斗の行動の方がおもしろかった。
悠斗も大爆笑をしている。
「何が楽しいかって? オレ、外出許可もらってないんだ。もうもらえなかったからな。」
悠斗もずいぶん投げやりにことを進めたなと私は思った。まぁどれもこれも私のためか……
次はご馳走すると言って私は寿司屋に連れてかれた。店員は悠斗を知っているのか、入店すると黙って一礼し、私たちを個室に案内した。それから何も注文していないのに料理が次から次へと出てきた。どれも美味しいはずなのに、あまり味わうことができない。箸もずっと震えている。
「何で私があそこに居るってわかったの?」
私が悠斗にきいた。
「野口が紅になったのを知ってた。双眼鏡で見てたんだけど、野口の糸が切れた時に、黒い糸以外に少し遠くにもう一本紅の糸が見えたけど他にはなかったから恐らく菜緒がいるんだと思った。……実は病院を出る時も、さっきと同じ方法で地面まで下りたんだ。」
悠斗は武勇伝を語るように自分の寿命を減らしたことを話した。
「寿命は後どのくらい?」
「わかんないけど、つかんでる時は確かにほどけるのが早くなってたな。今はいつもと同じで、多分……年明けか今年度かってところかな。」
私のせいだ。
「楽しめたからオレはいいよ。」
悠斗はまた病院に戻らなくてはいけない。そして私は気の抜けない学校生活へ。
「今度、セーターでも編んであげるよ。」
私は唐突に言った。
「できるの?」
「うん。何色がいい?レインボー?」
セーターなんて本当は編んだことない。
「白がいい。」
わかる気がする。
「失礼します。」
会計はせず、なぜか店員が百万円くらいの札束を悠斗に渡した。私はそのことについてきくのはやめようと思った。
寿司屋を出ると次は怪しいものばかり売っている店にきた。
「スタンガン買うのに書類要りますか?」
悠斗が店員と話をしている。
「要りません。あれは防犯ブザーのような物ですから。あっでも、対人使用をした場合には、警察に連絡を。」
「わかりました。それじゃあ、一番小型なのを二つください。」
悠斗はカウンターにドバッと札束を置いた。
悠斗はケースに入ったスタンガンを取り出して、試しにスイッチを押してみた。
ジーっと青っぽい電気が先端部分から出た。悠斗はそれケースにしまうと私に渡した。携帯電話三個分くらいでポケットに入るし、そこまで重くない。
「悠斗、まず明日、リストバンド作ってきてあげる。」
悠斗は私を見て、「ありがとう。」とだけ言った。
私たちは二台のタクシーを待っていた。
「あっ、悠斗、言うの忘れてた。私、悠斗のこと好きだよ。」
「どこが?」
「分かんない。何となくだから。」
「オレだって何となくだ。じゃあお先ー!」
悠斗はコートを私に渡して、先にきたタクシーに乗った。私もその後すぐに次のタクシーに乗って、まず駅に行ってもらい、ロッカーに入れた鞄を取ってきた。
家に帰るとさっそくリストバンドを作ってみた。とても簡単だ。二個目を作っていた時に、お母さんが帰ってきた。
「ニュース見て。」
お母さんは暗い顔をして言った。私がテレビをつけるとちょうどニュースで、野口先生のことがやっていた。先生以外に死者や怪我人はいなかったようだけど、ニュースでやる程のものすごい大事故になっていたようだ。
「野口先生が交通事故にあったって……」
お母さんは魂の向けたような喋り方をした。
「そうみたいだね。」
「そうみたいだねじゃないでしょ! 担任の先生が死んだのよ?」
「だから何? 見ればわかるよ。ちゃんと両目もついているんだから!」
言っちゃいけないことを言ってしまった。
「菜緒、あなたやっぱり変よ。お母さん、菜緒がわからない。」
「わかってくれたことなんてないじゃん!」
私が怒鳴るとお母さんは「そうね。」と言って自分の寝室へ行ってしまった。
その後、お父さんが帰ってきて異変に気づきお母ちゃんのところに行くと、頭をかきながら私のいるリビングへ戻ってきて、怒ってはいなかったけど、ずっと私の近くに居座った。
「この前、授業中に教室出ていったっていう日……」
お父さんが言った。野口先生に怒鳴られた時のことだろうか。
「屋上に行ったとか……」
「お父さん、私が自殺するとでも思ったの?」
「菜緒の命がお母さんにとってどれだけ大切なのか。菜緒が無事に生まれてきてくれたことが……」
「それが何なの?」
お母さんは私を産んでくれた。でも今の私を守れるわけではない。
「いいか、途中で遮らずに聞いてくれ。お母さんが左目が開かない本当の理由を話させてくれ……辛い経験があって、お母さんは左目を閉ざしてしまったんだ。」
お父さんがこんなに真面目になっているのを見るのは初めてだ。
「実は菜緒が一番目の子じゃないんだ。一人目の子は、妊娠三ヶ月ほどで、流産してしまった。お母さんはそのことで毎日泣き続けたんだ。そしたらある日、左目を開けなくなった。愛が強過ぎるのかもしれない。過去を引きずり過ぎなのかも。でも間違いなく菜緒の選択や行動がお母さんに大きな影響を与える。菜緒の悩みはお母さんの悩みだ。菜緒、何かあるのか? お父さんじゃ力になれないのか?」
「なれない……」
そうか、私だって、こんなに心配されてるんだ。いや、そんなことは前から知っていた。
「お母さんとこ行こ。」
私は落ち込んでいるお父さんを連れて寝室に行った。
私は悠斗のことを話すことにしたのだ。悠斗は死ぬ。それでも私は悠斗を好き。何もわかってくれないよりはまだいい。
「菜緒には菜緒のちゃんと生きなきゃいけない人生が……」
お父さんが言ったがお母さんが途中で止めて、それ以上、二人は何も言わず私の手を優しく握っていた。
明日はお母さんのためにも学校に行こうと思った。
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