第7幕 一人
私たちは病院に運ばれた。救急車では鈴木だけが担架で私と由美はその横で座っていた。連れてかれた病院は、悠斗の居る所ではなかった。
私は鈴木の病室で由美と身体を寄せ合って座り静かに泣いた。鈴木はもう意識が戻っている。でもボーっとして何も感じていないだろう。由美はまだ死の恐怖を感じている。二人は私に対して明らかに違和感を感じている様子だったが、それについて話してきたりはしなかった。
私が今感じているのは、罪悪感だ。二人も殺した。
死者女の最後に見せた顔、死者男の最後に見せた顔、どちらも悪い人には見えなかった。ただどこまでも悲しそうでしかなかった。
私は悪いことをしたのか、でもいいことだったはずなのに。
ただ、これで終わりだとは到底思えなかったのだ。
これから、何度でも、死にそうな目に合い、友達を失いかけ、自分の大切なモノを次々壊されて、逃げて追いかけて、殺していくのか。一人で。孤独に。
お母さんが迎えにきてくれた。私は辺り構わず叫び声を上げてしまった。
お母さんはあの時の奈々と同じ、私が叫ぶ本当の理由を知らずに私を抱きしめた。
「なんで!」
お母さんの赤い糸がすぐ近くの所で切れてしまっている。
「お父さん今日帰ってくる?」
私はきいた。
「すぐ帰ってくる。」
私はお母さんに今回の事件をできるだけ、報道させないでほしいと警察に頼んでもらうことにした。
「学校名と名前は取り敢えずふせてくれるって。」
お母さんは携帯を閉じて言った。
「取り調べはあるのかな?」
私は嘘をつけるか不安だった。
「少し話すだけじゃないかな。あの人、発作が起きたんだって。もう一人は逃亡中だけど、大丈夫、すぐに捕まるわ。あと、いえ、明日にしましょ。」
お母さんは何か隠しているようだった。
今は、午後8時過ぎだ。悠斗に会いたい。でもこれ以上お母さんに心配かけたくない。お母さんを一人にしたくなかった。病院だから電話もできない。
「菜緒!」
お父さんが息を切らして帰ってきた。
「ちょっと! お客さん!」
玄関の方から声が聞こえる。
「大丈夫か?」
「大丈夫。」
「本当か?」
「本当。」
お父さんは急に恥ずかしくなったようだった。
「タクシーに、金払ってくる。」
お父さんが引き返して行った時、赤い糸の切れた先が見えた。
私に何ができる? 命を奪うこと以外に、私のような人間にできること。
その後、私はお父さんとお母さんを向かい合わせに立たせた。
「お願い、キスして。後ろ向いてるから。」
私は後ろを向いて言った。
「えっ?」
お母さんが息を飲むように言った。
「今?」
お父さんもためらっている。
「今すぐ、お願い! 私、もう何も失いたくないの! だから……」
馬鹿げているだろうが私は本気だ。
「しましょ。簡単じゃない。」
「そうだな。軽く。」
3秒ほど沈黙が続いた。
「カァー熱い! 菜緒、しましたよ。」
「なんか、変だけどさっきより気分がスッキリしたな。」
私は二人を見た。
よかった。ちゃんと繋がった。
元に戻った。お母さんとお父さんの赤い糸は最短に繋がっていた。
私はまた泣き出した。そして、二人を一緒に抱きしめた。
「これから毎日一回はキスしてよね! 絶対だからね。」
「お父さんはいいぞ。菜緒のためだ。」
「はいはい。お母さんも約束します。」
どうかお願いだから、私の家族を奪わないで。私は運命に頼んだ。運命は何を言われようと変わらないだろう。
やっぱり、私が変えるしかない。
次の日、お母さんが隠していることが新聞紙を見てわかった。あの死者男は見つからなかった。もっと悪いことに、あの死者男を追いかけていった人たちが、二人とも交通事故で死んでいたのだ。
いいことがあったとすれば、あの頭から血を出して倒れた女の子は、もうすっかりよくなり傷も残らないそうだ。その子はなんと鈴木の妹だった。
警察の取り調べは学校の近くの警察署でやった。由美と鈴木と私の三人同時にだ。警察の人はなぜあの場に居たのかとか、答えづらいことは聞いてこなかった。
警察は学校側にも、この事件と私たちの関連性を黙っといてくれると言った。
死者男は完全に消息不明らしいのだが、私は気にしていなかった。
授業は普通に受けるはめになった。
帰りは由美と鈴木も一緒だ。
私は自分の家に着くと服を着替えて唯一残った悠斗へのプレゼントを持って出かけた。
教科書は学校の余りモノをもらった。今日、紅の糸は一つもない。
悠斗は新聞紙を読んで私のことだと気づいただろうか。会ってみればわかるか。早く話を聞いてほしい。早く悠斗に会いたい。
「よし。」
気合い入れた。今日、悠斗に気持ちを伝えよう。
私は悠斗の病室の前で一度深呼吸してそれから入った。
「悠斗、私、二人『死にぞこない』を……」
悠斗は立って窓を見ていたが、私に気づくと急いで近づいてきた。私は抱きしめてくれると思った。
バチッ! という音が響く。ビンタをされてしまった。
ケーキの入った袋が、床に落ちる。
「菜緒から仕掛けたんだな?」
私は頷いた。
「何やってんだ! 死ぬところだった! 黒い糸を見せられならどうするんだ! 見る限りではかわりないが……君だけのことじゃない。周りの人達がまた『死にぞこない』にされたかもしれない。なのに君は、奴らの集まりがあった日に……知ってるさ。ここら辺からも向かっているのが見えた。そんな日にあんなことをして。何もかも、家族も友達も全部、破滅させられるところだった!」
悠斗は病人とは思えないほどの大声を出して私を責めた。
「なんで来た? 今朝奴らの集会があったってのに一人でなにしてるんだ! 今タクシー呼ぶから、今すぐ帰れ!」
「待って。誕生日を……」
「オレは一人だ! いいか、赤い糸が見えて人生ただ済むと思うな。常にいつも、孤独と悲しみを感じながら生きていかないといけない。それがお前の運命だ。」
「『死にぞこない』が全部悪いんでしょ?」
『死にぞこない』さえいなくなれば問題ないはずでしょ?
「『死にぞこない』は死そのものだ! 君は死に勝てない。」
悠斗は言い切ると病室を一人で出ていった。そして、エレベーターの近くにある公衆電話でタクシー会社に連絡した。
私はケーキを拾って、突っ立っていた。
「すぐ来るからもう行くんだ。家にいろ! そうだ。そうするしかない……安全な場所はそこしか、そこしかない……」
私はエレベーターに押し込まれた。
悠斗は一階のボタンを押して、私の何も持っていない左手に札束を持たせた。
「……二度と来るな。」
悠斗は閉まるボタンを押すと言った。
私はドアが閉まる前にケーキの入った袋を悠斗に投げつけた。
悠斗はびくともしなかったし、悲しそうな顔もしなかった。
伝えたいことも何一つ言えず、プレゼントも結局全部壊れた。
でも一番辛いのは、今度こそ一人になってしまったことだ。
その夜、見ている時は強く印象に残ったが、朝にはもう忘れるような夢を見た。私の目の前に別の自分が居る夢だ。
その私は何かを私に訴えていたが聞き取れなかった。警告してるようにも見える。嘆いているようにも。とにかく言いたいことは良いことではないらしい。
忘れているだけか私はそれを初めて見た気がしなかった。
それから何日か、何週間が過ぎていって、私は生きた心地がしなくなっていた。
学校では、ろくに授業も受けれなくなり、一度応募した美大の推薦もやめると野口先生に言った。大学に行く気すらなくなっていたのだ。
何よりまず、私に将来があるのだろうか。将来じゃない、明日や今が。
今、もうすでに、誰かに命を狙われている気がする。
『死にぞこない』はあれ以来見ていない。でも確実に数の増減をしている。新聞を読めば、見ず知らずの人だが、おかしな死に方ばかり目立つようになった。
今日一人、私の周りでも『死にぞこない』になった人がいる。野口先生だ。前々から様子はおかしかったが、まさか先生がなるとは思ってもみなかった。
赤い糸は左手から無くなって代わりに右手に移動している。多分、その糸の輪は平均寿命を軽く超えられるほどあると思う。
私は当分、無視を決め込んでいた。
野口先生は神経質になっているように見えたが、他には目立った変わりはなし。自らなったのではなく、被害者なのだろう。
なぜ野口先生は遠くに逃げない? 私の疑問はすぐに解かれた。
悠斗も同じことを考えていたにちがいない。学校は他の場所に比べればまだマシだということを。
紅の糸がある限り、死者たちは逃げも隠れもできない。
だから野口先生はどこに居ようとさほどかわりないということだ。できだけ人が大勢居て、できるだけ他の糸を見つけやすいように高い場所が望ましい。
学校の三階はなかなか条件に満たしている。悠斗はこの学校に紅の糸がいないでほしいと思うだろう。
でも私は、ここで野口先生を殺すことの方が不自然だと考えた。もうすでに、久美子のことや、逃げた死者男に制服を見られたことでこの学校には目をつけられているかもしれない。
もしかして野口先生が確かめるためのおとりなのかもしれない。だから、すぐすぐ変な死に方をされたら困るのは私だ。
ただし交通事故なら……
「終わりにしたい。」
久美子の時のようにはさせない。私は何が本当に正しいのかわからないまま、行動に出た。
野口先生の家は、悠斗の入院している病院のすぐ近くにあった。私は野口先生の跡をつけて先生の出発時間を調べ、朝の6時に家から出るという情報をつかんだ。
あとはどう切るか。
私は前の日に、お弁当は要らないとお母さんに言っておいた。朝早く起こすわけにはいかなかった。食欲もない。
私はお父さんの使ってないロングコートを黙って借りて、朝の5時頃、家を出た。コートはなんか制服をまるごと隠すことができた。
鞄は最寄の駅のロッカーに置いて、輪サミだけを持ち下り電車を待った。
この時間なら野球部の人達だっていない。それでも私はできるだけ下を向いて人目を避けた。
電車に揺られ、朝日を浴びた街を窓越しに見ていたら涙が出てきた。ほんの少し前までは、あの駅に着くのが楽しみだったのに。あの頃と共通点があるとすればどちらも今一秒が永遠に感じられたことだ。
駅に着くと緊張で押し潰されそうになっていた。私は大きめのマスクをつけて歩き出した。
商店街を越えて、二つ、大きな交差点を過ぎ、住宅街に入ってしばらく進んだところに野口先生の家が見えた。野口先生の紅の糸も確かにあった。
そこからは悠斗の病院も見える。
私は頭を振った後、全神経を研ぎ澄ませて、集中した。
野口先生は大通りに出るために必ず通る交差点が二つあって、それぞれの距離は短く、意図的か自然になっているのかは不明だが、一方が青だと、他方は同じ方向の信号が赤なる、互い違いに切り替わっているようだった。私はそこで狙うことにしていた。
野口先生は必ず二個目の信号で止まる。私はその信号の近くの塀に寄り掛かって先生を待った。
やっと紅の糸が家から出てきた。
車のエンジンがかかる音も聞こえる。
「行くよ。」
自分に言い聞かせる。
野口先生の乗った車はやかましい音を出しながらこっちに来て、一つ目の信号は青で止まることなく、次の信号に差しかかった。
片手で運転、右手は全開にした窓から外に出している。
私は静かに近づいていった。
私は野口先生の紅の糸の輪を一周分だけ残して輪サミで切った。
「えっ! 何っ?」
野口先生が私に気付いて言った。
私が無言で青に変わった信号を指差すと、野口先生は逃げるように車を大通りへと走らせていった。
バーンッ! 衝突音が私の全身を震わせた。うまくいった。
私はマスクをコートのポケットにしまって、別の道から駅に向かおうと来た方とは逆を進み始めた。
「あっ。」
やっと終わったと思ったのに。私の前にはまた紅の糸が現れた。
「もう逃げられない。」
私の前に鬼顔がいた。
「逃げない……死にぞこない! お前さえいなければ!」
私は少し投げやりになっていた。
「分かってないやつだな。俺は死者だ。死にぞこないってのはあいつのように無理矢理紅にさせられた奴のことを言う。いや、野口は、何も知らなかった。さだめ糸を見ていなかった奴だ。あぁ、そうだ。そういうのを生きた屍って言うんだったな。俺は集会に行ってないからよくわからん。」
イメージと違う。鬼顔はもっと敵意を剥き出して今にも襲い掛かってくるような感じがしてたのにそうではないようだ。どっちかと言えば、やる気満々なのは私のほうだった。私のほうが、変なのかもしれない。
野口先生は、全く何も知らなかった。
私は残酷なことをしたのに何も感じない。
そしてまた……
「あんたを殺す。」
そう言って、私は輪サミを取り出した。
鬼顔は平然と笑った。
「俺とやり合う覚悟はできているのか?」
そう言うと鬼顔は、背中の方から小さな刃物を取り出した。
「卑怯もの!」
私の言葉に鬼顔はぴくりと反応した。
「ぐあぁ!」
鬼顔は白目を向いて、化け物みたく吠えた。
今は逃げるしかない。私の身体は自然とそう判断し、走りだした。
でもあと5秒もしないで、鬼顔に捕まるだろう。死ぬ前にもう一度だけ悠斗に会いたかった。好きって気持ちを伝えておきたかった。
悠斗のことを考えると死にたくないって本気でそう思った。
せめて……こいつを巻き添いにしてやろうか。
その時、私は角を曲がってきた誰かとすれ違った。その誰かの名前を私は自分に言ってみたけど心の中の私は信じてくれない。
もう一度見るしかない。振り向いて確かめるのだ。
やっぱり。今、私が通りすぎたのは、悠斗だった。
悠斗が鬼顔に斜め向きにタックルを入れているところだった。鬼顔は自分の走る方向がズレて塀にぶち当たり地面に崩れ落ちた。
「早く!」
素早く体制を立て直した悠斗が、私の左手をつかんで一緒に駅の方へと走り出した。
私はもう一度だけ、鬼顔の方を見ると、鬼顔はクラつきながらもすでに立ち上がろうとしていた。
私たちは急いで大通りに出た。悠斗は、なぜかこのタイミングで私を抱きしめた。
「菜緒、ごめん。」
「うん。」
「このままじゃ逃げ切れない。」
「……悠斗、おとりになるとかなしだよ! 一緒に逃げるの!」
悠斗はそんなことしないよね? 私のためにそうはしないで……
「菜緒の赤い糸をここで切る。」
悠斗は言いにくそうに言った。
「いや! ずっと切られずに。私の赤い糸はずっと私のそばに居てくれたんだよ。」
死者に狩られたなら、あきらめがつく。でも悠斗にだけは切ってほしくなかった。
「よく聞いて、菜緒の赤い糸を始めに切ったのもオレだ。オレも。赤い糸を持っていた、繋がっていた。入院する前に一度、誰と繋がっているのか知りたくて、調べた。そして、たどり着いたのは菜緒、君だった。」
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