第4幕 死者

 次の日、それはあまりにも早く訪れた。駅か街中で会うと思ったのに。

 そこは学校の中だった。

 明らかに一本、他の赤い糸とは違うモノがあった。

 それは校舎を突き抜け 雲の中へと消えいてた。

 誰だろう? 私は心臓が破裂しそうになりながら自分の教室に行った。

 まずはへたに動かない方がいいと思った。

「おはよう。」

 私は相手を決めず教室に入ったと同時に適当に挨拶した。そして、身体中がぶるっと、一回だけだが強く震えた。

 久美子だ。

 久美子の左手小指の赤い糸もあるのに、さらに右手小指に赤い糸がぐるぐると輪をつくっていたのだ。

「おはよー菜緒。」

 久美子の声は沈んでいる。

『死にぞこない』にされてしまった。奴らの仲間だ。

「昨日部活の後、菜緒探しに行ったんだよ。かわいそうだから。そしたら、帰る途中で藤澤が後輩と菜緒の話しをしてたから聞いたの。先行ったって。」

「うん。心配かけてごめんね。」

 私は必要以上に気持ちを込めて謝った。

「いいよ別に。一緒に帰ろうとは言ってなかったし。」

 低く小さな声が怖い。いつものような元気が感じられない。私はそのことを聞いても大丈夫だと思った。

「クミ、どうしたの? 元気ないじゃん。」

 久美子はビクッと飛び上がった。完全に取り乱しているようだった。

「えっ? 関係ないでしょ?」

 言わなくちゃ、久美子に私も関係していると。それを知っていると。

「あの藤澤由美って子、見た目だけだね。モテないよ。一生。」

 久美子が半笑いで言った。久美子が他人を厳しく批判することはある。でも今回は変だ。久美子は由美の見た目を褒めていたはずだ。

 そうか。由美の赤い糸を切ったのか。

「きっと一生、結婚できないよ。えへへ、」

 やめて。心の中で何度も言った。

 どうすればいい? 久美子の赤い糸の輪は二十周くらいしかない。

「ねぇ、菜緒? このクラスで誰が結婚できないと思う? あっ、三田は無し。論外だからね。」

 久美子はまた、他人の赤い糸を切るつもりだ。なぜなら、三田は赤い糸のないブス男くんなのだから。つまり、論外。その通り。

 久美子は次のターゲットを私に決めさせようとしている。

「みんな結婚する。」

 私はつぶやいた。

「嘘よ!」

 久美子の声で、みんながこっちを見た。その中に鈴木も居る。

「どうしたの?」

 奈々がきいた。

「菜緒、居るでしょ?一人くらい、結婚できない人、結ばれない人が。」

「いない、みんな、幸せになる。」

「うるさい! うるさい! わかった、次は奈々だ!」

 久美子はそう言うと次の瞬間には鞄を持って廊下に出ていった。それと同時に右手で輪つくり奈々の赤い糸もふんつかんで引っ張っていく。

 奈々に引っ張られている感覚はない。でも私には見える。それを阻止できる。

「クミ! 待って。」

 久美子を見つけるには奈々の無理矢理に引っ張られた赤い糸を追えばいい。奈々の赤い糸は屋上に向かっていた。

 私が屋上のドアを開くと、久美子は赤い糸をできるだけ引っ張り伸ばしていた。

「クミ、やめて!」

 私の声に久美子は首を傾げた。

「知ってたんだ? 黙って、私を試してたんま?」

 久美子の激しい怒りを感じる。

「紅じゃないじゃん! 菜緒のさだめ糸は黒いままじゃないか!」

 クレナイ? 黒い糸の代わりの赤い糸のことだろうか。

「赤い糸だけ見える。クミ、だから。」

「だから何?私の身にもなってよ。 私、昨日、最後の一人になってもテニスの練習をしてたの。そしたらジマって奴に襲われて。襲われて、私は。」

 私はよく考えてみた。昨日襲われた……

「昨日なら黒い糸は残っているはずじゃないの?」

 私は久美子に聞こえるように言った。

「ジマに両方の糸を見えるようにされ、黒い糸の終わりとジマが持ってきた赤い糸を結ぶように脅された。その赤い糸は結び終わると勝手に輪になってったわ。その瞬間、黒い糸は一気にほどけていった。」

 久美子は、私同様、誰かに話したくてたまらなかったようだ。少し落ち着きを取り戻してきたように見えた。

「でもジマの持ってきた赤い糸は短くて、私は。私は。」

 久美子は頭を手で押さえて倒れ込んだ。

 私が近づこうとすると久美子は感じ取ったようにこっちを睨んだ。

「来ないで!」

 自分を取り戻したようなのに、久美子はなぜか私を避けた。

「私、死ぬわ。」

「ダメだよ、クミ! 私の赤い糸あげるよ。切れちゃったの。だからもういらない。ねっ、今すぐ、手繰り寄せるから……」

 私は両手で、自分の赤い糸を手繰り寄せていった。すると、久美子は泣き出した。もしかしたら、死者たちのほとんどが久美子のような立場に立たされているのかもしれない。生きるために仕方なくて。

 ジマという人物を止めなきゃ何も変わらない。

「クミ、ジマっていう人は、鬼みたいな顔だった?」

「うん。鬼だよ。あいつは鬼だった。私らを『さだめ糸の戦い』に巻き込んだの。菜緒、もういいよ……ありがとう。どんな時も愛してる。いつまでも友達だよ。それと、ずっと気付いてたんだ。菜緒が鈴木のことを好きだってこと。じゃあ、またね。」

 久美子はそう言い切ると、今度は地面に対して完全に倒れてしまった。奈々の赤い糸が邪魔で久美子が何をしているのか最初はわからなかった。でも、確実にそれをしていた。

 久美子は自分の輪サミで黒い糸の代わりの、紅の糸の輪を切っていたのだ。

「クミ!」

 久美子の紅の糸の輪はバラバラに散らばり、空に上がっていった。それが意味することはたった一つしかない。

 久美子が死んだのだ。


 久美子は今まで大きな病気一つ患ったことがないのに、アレルギー性のショック死という形で逝ってしまった。

 久美子の母親に病院で会ってその時の話をした。気持ちが悪そうでムカムカしていたように見えたと私は嘘をついた。

 久美子の母親は放心状態で、「変なもの食べさせなきゃよかった。」と小声で言っていた。

 田宮に会いたい。私の気持ちを話せる唯一の人。今その病院にいる。

 私が田宮の病室に行くと、「大丈夫?」と田宮はすぐさまきいてきた。

 自分でもなぜかわからないけど、私は田宮の顔を見た瞬間大声で叫び、泣き出していた。

「クミが! 助けられなかった! 私は。何も。」

「いいよ。無理に話さないで、泣き終わるまで待つから。」

 田宮は立ち上がって椅子に私を座らせた。

「自分を責めるなよ。」

 ジマだ。ジマのせいた。悔しい。憎い。

 でも、一番憎いのは、この私自身なんだ。私は右腕で目を押さえて、左手はスカートを強く握りしめてた。

 田宮は迷いながら私の前で膝立ちをして、私の左手の上に片手を置いた。

 私は右手を下ろして、田宮の左手の上にのせ重ねた。そして、スカートを握っていた方の左手もひっくり返して田宮の左手を握った。

 田宮の手は、血が通っていないと勘違いしそうなほど冷たかった。

 田宮は死ぬ。私はやっとその実感がわいてきた。私なんかより、もっと辛い思いをしてるはずなのに。

 田宮は一人で苦しみにたえている。いつもいつも、私の何百倍も。

 それなのに私はこんなにも弱い。誰かに哀れんでもらわないと気が済まない。田宮は右手を伸ばして引き出しから真っ白なタオルを取った。私はそれを受け取って顔全体に当てた。

 少しして、私はタオルを膝に置き、田宮を見た。田宮は、目はまだ悲しそうだけど優しく見つめてくれた。

「もう平気か?」

「うん。ありがとう。」


 田宮に起こったこと全て話した。もう泣くことはなかった。

「ジマ、知らないな。学校にまで来て、糸について話してしまいそうな子を仲間に入れるなんて。運命が他の死因を選んでいれば、警察が動いてくれたかもしれないが。仕方ない。君は学校を休んだり目立った行動を取ってはいけない。ジマが君を狙っている可能性は、久美子さんを利用しなかったことからすると低い。でも久美子さんが君の親友だったことはもしかしたらジマに気付かれてしまったかもしれない。それだけでも危険だ。相談に乗って、糸のことを聞いていると思われるかもしれないからね。久美子さんが言っていた『さだめ糸』は、赤と黒の糸のこと。『さだめ糸の戦い』は単に今の現状、つまり人の赤い糸を奪わなければいけないという現実を改まって言っているだけだろう。何にせよ、この前言ったことは間違いだ。もし気づかれたとしても奴らに近づいては絶対にいけない。」

 私ももうこんな思いはしたくない。紅の糸には近づきたくない。

 でも自分の友達、家族だったらどうしよう。私に救えることがあるかもしれないのに。

「警察には言えないの? 赤い糸を見せれば絶対に信じてくれるよ。」

 私はどんな方法でもいいから早くこの地獄を終わらせたかった。

「ダメだ。危険すぎる。奴らも存在を知られないよう同じ場所に長くはいれないはず、過ぎ去るのを待つしかない。」

「わかった。由美の、赤い糸はまた繋がるかな?」

「元々の人とは……いや、大丈夫、また繋がる。命かけてもいいよ。導くことだってできるはず。」

「うん。わかった。ねぇ、田宮はなんかしたいことないの?」

 私は田宮のために何かしてあげたかった。

「映画館で映画が見たいな。字幕でも、モノクロでも何でもいい。CGは嫌いだ。いや映画館のなら我慢する。でも何にせよ今は病院から出れない。映像や写真なら、赤い糸も黒い糸も映らないって知ってた?」

 田宮が少し期待するような目で私を見た。私にはそれが何なのかわからなかった。

 たしかにテレビなんかには映らない。

「いつもあればっか見てる。他にすることないし。見ながら身体は鍛えてるけど。」

 田宮は棚の上にあるテレビを指差した。テレビにはDVDプレイヤーが付いているが、多分田宮が付けたものだろう。重ねられたDVDには『せむし男』と『バスケット』という字が見えた。

 田宮は、鈴木と違って物静かだ。話し方も一定の音程で聞きやすい。鈴木が聞き取りにくいだけかもしれないが。とにかく田宮という人間はとても大人びて見える。


 帰り際、私は田宮に言い、久美子の輪サミの方を持ち歩くことにして、田宮に前の輪サミを返した。

 田宮はまた病院の門の所まで私を送ってくれた。

「またね。」

 私は病院を出る時に言った。

「うん、じゃあね」

 田宮は優しく笑って返した。


 通夜では、みんなが私を疑ったような目で見てきた。

 いくら死因が私と関係なくても、人生の最後にしたことが友達との言い争いなんて。私を責める人の気持ちは痛いほどわかる。

 私が内心清々しているではないかと思っているのか、私のことを睨む人達も居た。

 何より悲しいのは、通夜に来た人の中で私だけが全てを知ってるということだ。そして、誰にも話すことができないということだ!

『ジマです! ジマが、クミを殺しました!』

 私は心の中で何度も同じことを叫んでいた。

 次の日、学校の全校集会で、校長が久美子の死を報告する。私の周りのほとんどの人が、泣いていた。

「久美子さんは大変真面目で、つねに周りのことを考えれる人でした。」

 校長がそれらしい言うしかないことは知っている。でも私はわかった気になっている大人が憎らしくてたまらなかった。

 久美子のことを知らない生徒たちの中には、半笑いの奴や周りにちょっかいをかけ始めた奴、居眠りしだした奴も居るのを先生の注意する声から感じる。

 私は砕けそうなくらい歯をくいしばり、じっと怒りを抑えていた。

 クラスでも私は、みんなから一枚壁をつくられてしまった。奈々や鈴木までもが、私を避けているようで私は教室の隅で気付かれないように涙を流した。

 その日の放課後、手芸部に行った。由美の赤い糸は切られたままだ。

 由美は前と変わらず優しく私と接してくれた。手芸部の他の部員もそうだ。久美子のことを知らなくて悲しんでいる様子はなくても、私のことを気遣ってくれていた。しかしそれはそれで辛くてたまらない。


 家に帰るとお母さんが私を必要以上に意識して、私はそれが嫌で自分の部屋に閉じこもった。

 一人になって考えてみるとやっぱり、誰かと一緒に居ようと一人で居ようとほとんどかわらないと思った。自分の全てを周りに話すことができないというのは、自ら孤独を選んでいるのと同じだ。そうだとしてもこの世は私の生きにくいようにできている。なぜもっと赤い糸を知っている人達がいないのだろうか。

 なぜ私ばかり。こうなる運命だったのだろうか。

 今の私にとって一番の理解者であり、心の支えをしてくれているのは田宮だけだ。

 でもその田宮も来年にはいなくなる。それもまた運命。

 私はその運命によって本当に一人になってしまう。


 一週間たった今も私の不安とやるせなさはかわらない。

「仲間はいないの? 私達のような人はもっといるはずだよ!」

 私は知らぬ間に自分の苛立ちを田宮にぶつけていた。

「いるかもしれない。でも関わらない方がいい。その人達が仲間になってくれるとは限らないし、一度接触しただけで自分を相手に差し出しているのと同じだ。赤い糸が君の居場所に導いてしまう。ジマがこの先君の存在に気付く危険性もまだ消えていない。仲間ができたとしても迷惑をかけるだけかもしれない。ジマの仕事を増やすだけかもしれない。」

「どうして私達は何も太刀打ちできないの?」

 こんなこと聞いたって仕方がないのに。

「……オレの母親がそうした。紅の糸だっけ。オレが最後に見た母は何百って数の紅の糸に向かっていくところだった。そして、殺された。いや、厳密には母が自分で死んでいった。つまり、母の黒い糸もその時、紅の糸になっていたってこと。」

 田宮は今日最初からその話しをしようと思っていたかのように、自分の家族が崩れていくさまを落ち着き払って話しだした。

 私はこれ以上辛い話なんて聞きたくなかった。だけど田宮もやっと話す相手を見つけられたのだ。私も田宮のために聞かなければいけないと覚悟を決めた。

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