第3幕 死相

 鈴木は前に田宮とあの木の下に来たことがあるって言ってた。田宮はその時に鈴木の赤い糸を切ったんだ。もしかしたら、私と鈴木の赤い糸が繋がっていることを田宮は知っていたのかしれない。だから、私が鈴木と二人で見舞いに来たのを見てショックを受けていたんだ。

 運命がそうするなら、赤い糸は元に戻る。

 田宮が鈴木が妹を好きだと言ったのは、無理にでもそう思わせるためだ。そうすれば、鈴木が変に気をそらし私との赤い糸がうまく元に戻らないようにできるんだ。そうだ、間違いない。

「自分に赤い糸がないからって!」

 私は一番思っていたことを言ってやった。

 田宮は辛そうな顔をして窓を見た。

「オレは死ぬからもうないけど。万が一運命が変われば赤い糸を繋ぐ相手も変わるって知ってたか? 鈴木と羽嶋ならきっと繋がるよ。でも、これだけはわかってくれ。初めに鈴木と赤い糸で繋がっていたのは鈴木の妹なんだ。赤い糸が、繋がれた二人が結ばれると短くなることは知ってるな? 鈴木が妹を連れて見舞いに来てくれた時、オレは見たんだ。二人の赤い糸は短く繋がっていた。」

「嘘だ!」

「……オレはこの景色が嫌いでね。あっ。」

 田宮は何かに驚いた様子だったが、私にとってはもう田宮が何を思おうが知ったことではない。田宮は赤い糸の漂う世界を見るが嫌いなんだ。もう我慢できない。

 鈴木を追いかけよう。私は何も言わずに病室を出た。

「ま、待て行くな!」

 田宮がなぜか怯えたように言った。私は無視した。

 ガッシャン! 何かが床に倒れる音がした。

「いる! 病院の前に。『死にぞこない』が、すぐあそこに!」

 私が病室に戻ってみると田宮が点滴の器具と一緒に床に倒れてた。田宮は点滴をほったらかして私に近づき、左手で私の腕を掴んだ。私は田宮の左手小指を見て、目を細めた。爪がめくれている。

「その姿で奴にあったら確実に殺される。頼む! オレの言うことを信じてくれ。ほら、見えるだろ?」

 田宮はそう言うと窓の先を右手で指差した。地面と垂直に伸びる赤い糸があった。

「羽嶋、君だけには生きていてほしいんだ。君だけには。」

 田宮は床に膝をついて泣きながら言った。

 何が悲しくてそんなに泣いているの? 鈴木も田宮も。

 全部本当だからか。田宮は嘘なんかついてない。

 鈴木も友達から指摘されて、妹との関係を元に戻そうとしないだろう。

 赤い糸は二度と鈴木と妹の二人の間には繋がらなくなる。

「わかった。どこにも行かない。」

 私は田宮をベッドに座らせた。

「しにぞこないってどういうこと?」

 私は点滴の器具を立てながらきいた。

 田宮はなぜか話すのをためらっているようで涙を拭った後も、少し考え込んでいた。

「黒い糸。」

 田宮は散々悩んだあげく、またさっきと同じことを言った。でも今度はきちんと説明をするらしい。

「羽嶋、左手を貸してくれ。」

 私が左手を差し出す。田宮は自分の右手で私の左手を握った。田宮の手は、ひょろひょろの鈴木の手とは比べ物にならないくらいしっかりしている。というより、田宮自体がほっそりとはしているが、現役の野球部員のような鍛えられた体格をしていた。

「オレが話し終わるまでこうしておく。念のためだ。赤い糸は愛を結ぶ。赤い糸自体に直接害はない。なぜ人は赤い糸の話しをし始めたのに、もう片方の話しは今まで誰もしてないのか。なぜあの窓の外の赤い糸は空へと一直線に伸びているのか。この世には死の運命を決める『黒い糸』があるんだ。」


 私は田宮の手が怯え震えていることに気づいた。

「オレには見えてる。だからこそ、死ぬ。黒い糸は赤い糸と同じ方法で見ることができるようになる。でも見た瞬間に運命が上書きされたように変わる。触った人間は寿命が縮んでいくんだ。黒い糸は右手小指のところに何重のも輪をつくっている。オレはもう数十周くらいしかない、それで一年持つか持たないかということがわかった。いや、今はオレことなんて問題じゃない。その黒い糸の輪は、中に浮いていて小指には触れていない。小指が切断されたとしても問題はない。なぜなら、赤い糸にはできるけど、黒い糸は傷をつけることすらできないからだ。小指が無くなった場合は、黒い糸は小指が本来ある辺りに浮いている。これはなぜなのかは知らないけど黒い糸は人の手の輪、それも左手でつくった輪にしか触れない。いくら輪っかのモノでも人の左手以外の輪からは透けることができる。黒い糸は生きている人なら誰にでも付いている。というより、黒い糸の輪が無くなれば死んでしまう。人の命、生き死には完全に黒い糸が握っている。赤い糸のような動きはしないが、人が上下する事に影響を受けないように調節はしている。基本はその人の残り時間を示しているだけの存在で、時が経つ毎に、寿命が減っていくほどに黒い糸は空へと上り、輪がほどけていく。つまり、赤い糸とは違って漂ったりはしない。つねに一直線に上を向いているんだ。何度も言うが、輪が全部ほどければ、それは死を意味する。そのほどけるスピードを操っているのもまた黒い糸自身なんだ。ただ、羽嶋の黒い糸は、さっきと変わりない。話を聞いただけなら、黒い糸も羽嶋の運命を変えようとはしない。でも君が黒い糸に触り、見た瞬間……」

 田宮はここで口をとめた。私は、なぜ田宮が私の左手を握っているのかやっとわかった。黒い糸も赤い糸同様に輪をつくらなければ触れないのだとすれば、右手の黒い糸を触るために要る左手を抑えておけばいいからだ。

「なぁ、羽嶋にききたいんだけど、なぜ赤い糸は持ち主が死ぬと空に上がっていくんだと思う?」

「わかんない。」

 考えたことがなかった。

 それが当たり前だと思ったからだ。

「そうか。僕が思うに赤い糸は空の上で黒い糸に変化しているんじゃないかな。ここに居てわかったんだけど、黒い糸はその人が生まれた瞬間、空から下りてきて輪を作るんだ。何もないところから糸が現れるとは思えない。でもこれが万が一本当だとしたら、結ばれたほうが糸が短くなるのは生産性が低い、非合理的な気がするね。いや、こんなことはどうでもいい話なんだ。ほんとに伝えたいのは『死にぞこない』のことだ。オレは奴らを実際に見たことがある。赤い糸が右手の小指で何重にも輪をつくっていた。そして黒い糸はどこにもなかった。赤い糸が黒い糸の代わりをしていたんだ。」

 鬼の顔が頭によぎった、めまいがする。黒い糸の話だけでも混乱していたのに。赤い糸が代わりに? 私にはもうできないけど、赤い糸は無限に作り出すことができる。その『死にぞこない』たちがそれを知っていたとしたら。奴らの寿命は永遠になっているかもしれない。

 私が恐ろしい妄想をしていると田宮が少し手を強く握ってきた。

「何を考えているかは分かるよ。重要だからよく聞いて。『死にぞこない』または死者と呼んでいるんだけど、その死者は全員、赤い糸と黒い糸の両方を触り見ている。だからというか、すでに寿命が尽きた連中ばかりなんだ。死者たちは黒い糸の終わりに赤い糸を結べば、赤い糸が命を繋ぎとめてくれることを知っている。死者は他人でもお構いなしに赤い糸を狩り、それを自分の黒い糸の代わりにしている。黒い糸の代わりとなった赤い糸が全部ほどけて無くなる時にも、また別の赤い糸と結べば終わりなく命を繋ぐことができる。しかも、黒い糸の代わりとなった赤い糸のほどけるスピードは通常に戻り、黒い糸に触ってない人と同じくらいの早さで空に上がっていくようになってる。黒い糸にわざと逆らって運命にない死に方をすると黒い糸の輪はそれに合わせてほどけるスピードがどこまでも速くなるが赤い糸の方は違う。これも仮説に過ぎないんだけど、黒い糸の代わりとなっている赤い糸の輪が長い場合、瞬間的には死なないし、死ねないと思う。速さのほうに限度があるからだ。何が言いたいかと言うことを言ってみれば『死にぞこない』や死者とはなっているけど実際奴らのほとんどが不死身なんだ。しかも愛を知らない連中ばかりだ。でも一つだけ死者に弱点がある。黒い糸は傷つかない。ただ赤い糸は違ったよな。切れるんだ。死者の黒い糸の代わりになっている赤い糸をねこそぎ切ってしまえば、奴らは死ぬ。絶対に。だから死者はこの世界に赤い糸のことも、黒い糸のことも言わない。言えないんだ。そして、オレや羽嶋のように知ってる人を見つければ、放ってはおかない。無理矢理黒い糸を見えるようにして、仲間にするか、黒い糸を代わりの赤い糸にさせてから根こそぎ切られて運命によって死なさせるか、それか、手っ取り早く直接殺しに来るだろう。だから君にはオレの言うことに信じ、最善の注意を払って、生きていてほしい。」

 田宮は手を離し、窓の先、一直線の赤い糸の居場所を確認するために向きをかえた。

「それじゃ、あの鬼顔は『死にぞこない』だったんだ。」

 私の言葉に田宮はほとんど叫び声のようなものを上げた。

「嘘だ! まさか、見たのか? 奴らを。」

「どうしたの?」

「見られたか? 不可解なそぶりを見せなかったよな?」

 田宮の問いかけに私は冷や汗が出た。正直に鬼顔の死者に会った時のことを話すと、田宮は床を見つめ固まってしまった。

「まだ気付かれたと決まったわけじゃない。でも気付かれたとしたら羽嶋、君だけでなく周りの人も被害に遭うかもしれない。何か思い当たることはないか?」

 田宮は枯れた声できいた。

「会ってないけど、昨日五人も死者たちが居た。赤い糸が、あった。」

「それは、仲間をつくったかもしれない。しかも君の周りの人間の中から。一直線の赤い糸に気をつけろ。普通の奴らにもだ。最近、噂になっている別れ屋も死者だ。他の死者たちと関係を持っているのかもわからないが、一応人前で赤い糸が見えているそぶりは取らないほうがいい。それと羽嶋の赤い糸を見せてくれ。」

 私は鞄から赤い糸を取り出した。

 田宮は落ち着きを取り戻していた。私の赤い糸がどうなっているか見る前から気付いていたようだ。

「何かに巻き取ったんだな? でもそれは死にぞこないのことを抜いてもまだ危険性がある。赤い糸は輪っかのモノには外からなら透けることができるけど、中から透けることは不可能。だからえっと、空中でフラフープを身体の周りで素早く一回転させたらどうなる?」

 空中で輪っかのフラフープだから、どこかで必ず赤い糸と触れ合ってしまう。

「赤い糸はフラフープから透けることができなくなっちゃう。」

「そうだ。羽嶋はかなり自分の赤い糸を大事にしているようだが、わかりやすく説明するために、ちょっと切らせてもらってもいいか? 無理なら、口で説明するけど。」

「……いいよ。ミリなら。」

 田宮はベッドの下からバックを取り出して、中から小さな手の平ほどの袋を出した。

「ステンレスだ。錆びない、頑丈……」

 田宮は別にどうでもいいようなことまで、袋から取り出したモノの説明をし出した。ハサミだ。でも同じ所は取っ手の部分だけ、ハサミの先は細かい構造でどこにも出し入れ口のない円形の刃物が付いていて、田宮が人差し指中指を入れた取っ手と親指を入れた取っ手を閉じていくと、ハサミの先はきれいな円形のまま閉じていくのだった。

「やっぱりあったんだ。輪サミ。」

 私が言った。

「誰が作ったのかはわからないけど、そいつは確実に死者側の人間だ。」

 なんで? 私はなぜかそのことについてきくのはやめておいた。どうして持っているのか聞くのが怖かったから。

「逃げると思う。」

 私は自分の赤い糸の先端部分を渡した。

「切る者は必ず、どこでもいいからその赤い糸に触れておく。そうすれば逃げない。じゃあいくよ。」

 田宮は左手で輪サミを持ち、右手で作った輪で赤い糸の先端から数センチほどの所をつかんだ。そして輪サミの輪を、右手を置いたすぐ左の所に透けさせた。

 赤い糸は輪サミから逃げられなくなった。そして切った。簡単過ぎる。

 こんなに簡単に切れてしまうなんて。私は鬼顔の死者の心情が少しわかった気がした。

 田宮は輪サミを布団の上に置き、置いたその手で鞄からピンポン玉を取り出した。

「球体も円と同じ。つまり、この中に今取った赤い糸の切れ端を入れると……」

 田宮はそう言って、逃げようとする赤い糸を無理矢理ピンポン玉に入れた。

「このピンポン玉から逃げられなくなる。」

「うん。」

「赤い糸は、多分オレたちが赤い糸を見えるということを理解している。この病室にオレたち以外の者が居たらしないだろうけど。もし、問題なければ」

 田宮はピンポン玉を部屋の隅に投げた。ピンポン玉は私たちの見える所で止まり、何やら、今まさにかえろうとしている卵のように動き始め、パンッ! と大きな声を立てて破裂した。

 そして赤い糸の切れ端は何事もなかったかのように天井を透けて、空に上がっていった。

「仮に誰かに見られたとしても、ピンポン玉内の空気が膨張して爆発したようにしか見えない。つまり赤い糸には、黒い糸もそうだけど、何としても空に上る義務があり、オレらのような人間に邪魔されない限り何をしてでも輪っかから逃げ出すことが出来るんだ。フラフープの耐久性が悪いとすれば、それは赤い糸のせいだ。」


「とりあえずその赤い糸をもとに戻せ。」

 田宮は、六つの赤い糸で出来た球体を指差して言った。

 その後、私と田宮は糸巻きから赤い糸をほどくのに必死になっていた。

「万が一君が、死にぞこないに出くわした時、それで、逃げ切れなかった時は、切れ。」

 田宮が今言っていることはよくわかる。それでも私は「えっ?」と言ってしまった。

「だから、ハサミじゃなかった、輪サミね。輪サミを羽嶋にあげるから、死にぞこないに殺られそうになったら死にぞこないの黒い糸の代わりになっている赤い糸の輪を切れ。」

「殺せって言うの?」

「輪を一周分だけ残すんだ。黒い糸も黒い糸の代わりとなった赤い糸の輪も最後の一周は早い。二分から三十秒程度。輪をねこそぎ切れば、切った瞬間死ぬ。でも輪の一周分を残せばすぐには死なない。大抵が自殺する。運命がそうさせる。オレの場合は、衰弱死になると思う。今は原因不明の全身苦痛で入院中だ。」

 田宮は正しい、でも残酷さがある。死ぬとか、自殺とか、軽々しく口にする。死を受け入れたからこその残酷さだと思った。

「こ、殺すのと変わらないでしょ?」

「羽嶋、わかってよ。はっきり言えば、自分のことを知られてしまったとしたら、こっちからやりに行ったほうのがいいのかもしれない。相手の運命を変えに。」

「嫌っ!」

「奴らはもうすでに死んでいる! 死にぞこないだって言ってるだろ?」

 田宮は最後の巻き尺を壁に投げた飛ばした。私は涙目になって、田宮を見た。田宮は私のためを思って言ってくれている。だから、余計に辛い。

「ごめん。でも受け取ってくれ。」

 田宮が私に輪サミの入った袋を渡した。

「奴が行ったようだ。帰った方がいい。病院の外まで送る。」

 一直線の赤い糸は大分遠くの方へ行っていた。赤い糸は、先端を病院に置いておくことにした。田宮いわく漂わせとくのが一番らしい。でも、死者に切られてしまう危険があった。それを言うと。

「両想いの相手の左手小指と自分の左手小指を合わせて、キスしろ。それ以外にもあるけどそれが一番早い。そうすれば切られてどんなに短くなっても、キスした相手が運命の相手になるのであれば赤い糸は繋がる。」

 目をあまり合わせないで言った。

 田宮はいい話しを最後に取っといてくれた、私はそんな気がした。病院の門を出る時にもう一度、田宮と目を合わせた。

「また来てもいい? まだたくさん聞きたいこともあるし。」

「……わかった。気をつけろよ。」

 どこか、ためらっているようだ。

「うん。」

 私は駅に向かって歩き始めた。

「鈴木はいい奴だ!」

 田宮は私が数百メートル行った所で大声を出して言った。

「田宮もね!」

 私は振り向いてそう言うと恥ずかしくなって駅の方へ走り出した。きっと何もかもうまくいく。私は走りながらそんな気がしていた。


「菜緒!」

 由美の声がした。駅の前に居る。

「お見舞い、あそこの病院だったんですね。私の家もすぐ近くなんです。あれ、菜緒? どうしたの?」

 由美が私を心配している。でも本当に心配しているのは私だ。由美の赤い糸が数メートルで切れている。

「由美、変なことなかった?」

 私は動揺が表情に出ないよう必死に抑えながらきいた。

「変なこと? ないと思うけど。どうして?」

「ううん。何でもない。」

「そう。変なの。ねぇ、明日も部活来てね。お願い!」

 由美は何をされたかもちろん分かっていない。何も知らず、いつも通り微笑んでいた。


 許せない。田宮は正しい。私は輪サミを取り出して月の光に当てた。

 由美の赤い糸を切るなんて。あんないい子なのに。由美はシャイだから、キスどころか、自分の気持ちを伝えることすらできないかもしれない。

 相手がもう出会っていて由美に好意を寄せていればどうにかなるかもしれない。でももしまだ出会っていなければどうなる? 会うことすらないかもしれない。お互いを好きになることもないかもしれない。もう二度と由美の赤い糸は誰とも繋がらないかもしれない。

 あの病室から見えていた赤い糸の持ち主がやったのだと確信していた。

 あの一直線の赤い糸の輪を切っていれば。切ればよかったのに。

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