第2幕 二人


 ここまで赤い糸が少ない場所に来たのは、生まれて始めてだ。ここの病院の最上階には、今見た限り四、五本しか糸は浮いていない。病状によって階ごとに別けられたりもするのだろう。

廊下の端にドアがあり、屋上へと続いているようだった。きっとそこからの景色はきれいだろう。私には格別に。

左には下へ行くための階段があった。

「こっち。」

 鈴木は一番端の病室を指差した。

「元気か?」

「お邪魔します」

「何だよそれ。」

 鈴木と私が入って早々つまらないやり取りをしてしまった。

「ごめん、イヤホンしてた。何か言った?」

 田宮はテレビの電源を消して、楽しそうに言った。

「いや、いい。そうだ。羽嶋もばったり会ったから誘った。」

 鈴木は私を紹介した。と同時に田宮の動きが止まった。たしかにいきなり過ぎたのかもしれない。

 田宮は私を見て驚きながらも悲しそうな顔をした。

 目が大きくて化粧のいらないくっきりとした女性のような整った顔をしている。

 身体と左手もベッドの中に入っているが、見たところによると、田宮には赤い糸がないようだった。

「みんな部活でさ、こいつしか暇人いなかった。」

 鈴木が言うと、

「別に来なくてもいいよ。いや、来てくれてうれしい。羽嶋、ありがとう。」

 田宮が照れ臭そうに言ってくれた。

その後は意外なことに会話を普通に楽しむことができた。

 私が先生への愚痴を言って、鈴木が武勇伝やら笑い話を言った。

 田宮は基本的に聞き手に回り、一番大きく笑っていた。しかしどうしてもふいにシュンとしょげたような顔をすることもあった。

 私はそれが変なことだとは思わなかった。

 病室は集中治療室。寂しくて、つまないだろう。

 鈴木と一緒ならまた来てもいい。そう考えたのは、不思議と私と田宮は馬が合ったからだった。どこがどのようにということではないが、何となくそう感じた。

 田宮は私と鈴木に何か関係があるのかもしれないと思ったのか、私と鈴木が話しをしている時は気をつかっているようだった。

「田宮、クロスオーバーキック知ってる? 逆立ちで回りながら、脚を交差した状態から一気に開く。ユーチューブで見れるよ! 周りの仲間に当たってぶっ飛ばしちゃってるやつ!」

 鈴木が唾をはき散らしながら言った。

「また蹴りの話?」

 私は呆れてきた。

「んじゃ女子って普通どんな話すんだよ?」

 鈴木にきかれて、私は男子たちの意見も聞いてみたいと思い、あれを話すことにとした。

「別れ屋っていう奴の話しとかするよ。知ってる?」

「赤い糸を切るって奴だろ。なんか妹が言ってたな。」

 鈴木が答えた。

 田宮の方は、目線を落とし、眉間にシワまで寄せて考え込んでいるようだった。

「私、絶対許せない。結ばれた人達を引き離すなんて。」

 田宮が私の言葉にビクッと体を反応させた。

「俺、赤い糸は切れてもまた繋がると思う。それが運命なら。運命にならそうすることができる。」

 田宮は変なことを静かに言った。

「本当? やった!」

 私はつい声を上げてしまった。

 田宮は私の反応に対してなぜかショックを受けたようだ。糸を知っているかのような反応だ。いや、まさか。それはありえない。

 鈴木は話しが耳に入ってないようで、田宮の顔色だけを気にしていた。

「田宮、大丈夫か?」

「あぁ。ちょっと寝るかな。今日はありがとう。適当に帰って。」

 私には田宮のその『適当』が『今すぐ』に聞こえた。

「オッケー。帰るか。また今度来るよ。」

「バイバイ田宮」と私は手を振った。

 帰りも鈴木と二人きり、私は軽いスキップ混じりに鈴木の歩くスピードに合わせて歩いていた。

「次の火曜、また見舞いに行こうと思うんだけど、来る?」

 鈴木は答えを知ってるかのようにきいた。

「行く。」

 聞くと鈴木と私の家は駅一つ分しか離れていないようだった。

 私は電車の中で、必要以上に鈴木に近づいて鈴木と私の赤い糸の切れ目をくっつけ、元に戻そうとした。

 うまくいかない。

 いっそ、不意をついて鈴木にキスでもすれば。そうすれば、確実に赤い糸は繋がってくれる気がする。

『焦る必要はないか。』

 私は頭の中でささやいた。

 時間はたっぷりある。

 電車が鈴木の停車駅で止まった。

「じゃあ、羽嶋バイバイ」

 もっと話しておきたいことがある。携帯のアドレスやら番号やら聞きたい。でも呼び止めなかった。時間はたっぷりあるのだから。私と鈴木の二人には。

 月曜の朝に、月が残っているといいことありそうと考えてしまう。今ならどんな状況でもそんなふうに強引に幸運を感じられる。

 私は昨日だけで、三百羽の鶴を作った。開く部分は残して。

 赤い糸は、糸巻きに巻いたまま鞄に入れて持ち歩くことにした。

「あった、いいこと。おはよ、鈴木。」

 電車の中で鈴木に会った。

 鈴木は寝癖をつけ、わざとらしいほど大きな欠伸をした。

「おはよ。三十羽が限界だった。そっちは?」

「三百。」

 鈴木は目を見開いて、私が期待した通りに喜んでくれた。

 学校までは私の駅から上り線を二駅行ったところ。その駅を出ればすでに見えている。

 しかし、すっかり忘れてたモノも見て、嫌なこと思い出した。

 全部で五体。

「増えてる。」

 空へと縦一直線に伸びた赤い糸。

今この街に鬼顔が五人も居るのだろうか。

「なんか言った?」

「なんでもない。」

 鈴木にはこの恐怖がわからない。糸巻きを見られたら? 私の赤い糸は不自然にも程がある。

 三本はそれぞれの等間隔に離れ三角形をつくるようにあって、後は私から何百メートルか離れて、二本とも同じ場所に居る。

 組織的に何かしているのかもしれない。赤い糸に関わる何かをしているとしたら。別れ屋か。

 この街に別れ屋のターゲットが居る。私たちの赤い糸は切れたことは偶然? 私がターゲット?

 私が赤い糸を見ることができると知られたのだろうか。

 私はこのままここにいて大丈夫なのか。もしかしたら無理矢理仲間にされるかもしれない。

 私と鈴木を引き離した連中がすぐそこに居る。何だかの形で復讐できるかもしれない。

 そう思ったが私は鈴木の顔を見て力を抜いた。わざわざ危険に飛び込むなんて馬鹿だ。

 赤い糸がまた繋がってくれる。自分に言い聞かせた。


 それらの糸とは接触する事なく、学校に着き、午前の授業が終わった。

 赤い糸はある程度、ほどいて教室に置いたまま学校を動けるようにした。

「クミ、別れ屋がここらへんに居るってことありえる?」

 私は久美子にきいた。

「ありえなくもないかもね。でも、そんなことより私たちに報告することがあるんじゃない?」

 久美子は人差し指で私の頬を押した。一緒に居る女子仲間がニヤついている。

 私は別れ屋に夢中で何のことかわからず、首を傾げた。

「鈴木のこーとっ。」

 一緒に学校に来ただけで噂になっていた。

「付き合ってるの?いつから、いつから好きだったの?どこが好きなの?どっちが告白したの?」

 聞いてきたの武内奈々だった。見た目は清楚でかわいらしいのに中身がよくいるようなお喋り好きの声のでかい中年のおばさんみたいな子だった。

「たまたま、話があったから一緒に来たんだよ。」

「話って?」

 そこでいい事を思い出した。

「田宮くんの千羽鶴のことだよ。みんなはちゃんと作ってきたんだよね?」

これで話を終えることができそうだ。みんな、私の言葉に顔をそむけた。

 放課後、鈴木がみんなから折り鶴回収していった。全部で三百四十羽。

 ほぼ誰も作ってきてくれていない。鈴木は明日渡すつもりだったからガッカリしていた。でも責めたりすることはなく、むしろ感謝しているようだった。

「みんなできればこの後、残って作って」

 鈴木はひかえめに、もごもごと言った。

「わりぃ、部活。」

「私、バイト入っちゃった。ごめん」

 みんながそそくさと教室を出て行く。私は鈴木と二人で教室に残された。

「羽嶋、ありがとな。ホントは帰りたいよなおまえも……」

 鈴木が折り紙を一枚取り出して言った。

「今から手芸部に頼んであげる。どうせ何もしてないだろうし。行こっ!」

 そうは言ったが、先に部員のみんなに今までさぼっていたことを謝らなくちゃいけない。

「お邪魔します。」

 恐る恐る被服室に入った。

「菜織ちゃん?」

 部長の藤澤由美が私以上におどおどしながら、近づいてきた。

 一年生の時に一緒のクラスだった人だ。私は由美が好きだったが、由美は私とうまく話せないようだった。

 他のみんなも似たりよったりで、私に叱れるような人は一人もいないようだ。

 部員は私を抜いて八人だけ。私はその八人に丁寧に謝った後、千羽鶴のことを頼んだ。

「ご、ごめん。私たちも珍しくやることがあって。夏の文化祭までにいろいろ作んないといけないし。家でなら少しできると思う。今全員が人生初めての刺繍をしてて、何も進んでない状態で。顧問にも分からないって言われるし。」

 作業はほとんど進んでいないようだった。

「私ちょっとだけ分かるかも。やってみようかな。」

 私は言った。適当だった。由美は幽霊部員がいきなり来て自分たちの仕事を取っていったのを見ても、自分より早く作業が終わったのを見ても、気を悪くはしてないようだった

「すごい。これが刺繍か。」

 由美は、他の部員に私の作った五百円玉くらいの大きさをしたローリングストーンズのロゴの刺繍を見せて回った。

 みんなの尊敬の眼差しを受け、私は少しうかれた気分になった。

 私は由美たちが用意した本を参考にしただけだった。鈴木は端で一人黙々と折り鶴を作っている。

 由美と私は今日の分のノルマが終わったので、折り鶴を作りながら他の部員の手伝いもした。

 私は独りっ子だけど、年下の子と接するのは好きだった。みんなやっとのことで本に書いてあることを理解して実践しようとする段階にまで成長した。

 ダメ元だったのか、まさか本当に刺繍ができると思っていなかったようで、みんなワーワー騒いで喜び合っている。

「これなら文化祭まで余裕で間に合うので、今日はもう折り鶴作りに移ろっか。」

 由美は部員に折り紙の方に移るように言った。その後まる一時間かけて、二百四十羽も作ることができた。

 計五百八十羽だ。全然足りない。

「由美、ありがとう。みんなもありがとね。今日はこのくらいでいいよ。時間取ってごめんね。」

「これなら来週までにできそうだ。本当にありがとう。」

 私と鈴木が御礼を言いながら折り鶴と残った紙を回収していった。

 被服室を出た時、由美が「明日も来て」と言った。

 私は鈴木を見た。

「明日さ、終わったらすぐ行くからお見舞い先に行っててくれる? 明日も折り紙手伝ってくれるよう頼んであげるから。」

 鈴木は「おう。」とだけ言った。信頼し合った男同士がするような返事だった。


 家へ帰った後、私は上機嫌で久しぶりに、というより生まれて初めてお母さんの料理の手伝いをした。

「あら、菜緒。そんなに包丁上手だったっけ?」

 お母さんは不自然に顔を向けて言った。

 お母さんは左目だけずっと閉じたままなのだ。失明ではなく目を開けないだけ。生れつきだと言ってるけど本当のところはどうなのかわからない。

「何でもできるよ私。あっ。もうすぐお父さん帰ってくる。」

「なんでわかるの?」

 家の前にぐにゃぐにゃな道がある。二人の赤い糸は最短。道に合わせてお母さん側の赤い糸も動くのだ。

「父のオーラ?」

 私はとぼけた風に言い返した。

「ふーん。まぁなんでもいいけど、お父さんにそのこと言わないほうがいいわ。絶対調子に乗るから。」

「そうだね。」

 こんな風に二人で会話したのも久しぶりだった。私は赤い糸が見えてから、少し自分の殻に閉じこもるようになっていたのかもしれない。

「ただいま。今さっきくしゃみしたんだけど。もしかして俺の噂してた?」

 お父さんだ。

「してない!」

 私はお母さんと顔を見合わせて笑った。

 平凡で普通な生活がなんだかとても懐かしい気がする。


 次の日の午後。

「菜緒でいいよ。私も由美って呼んでんだし。あとメアドもおしえてよ。」

「うん!」

 由美は左利きだった。携帯を使っている時にかわいらしい赤い糸が小刻みに震えていた。持ち主そっくりに。

「ねぇ、由美って好きな人いる?」

「えっ。いや、私なんて誰も相手にしてくれないと思う。」

 答えになっていなかった。

「立派な赤い糸が見えます。もう少し積極的すればいいでしょう。」

 私はふざけて、占い師のように言った。本来自分自身に言うべきことだった。

「ありがとう。」

 由美は微笑んだ。きれいな子だと思った。久美子がその日の昼休みに言っていたけど、由美は以外にモテるらしい。

「じゃあ、この辺で私はお見舞いに行こうかね。みんなまたね!」

 今日のノルマはとっくに終わらせていた。

「お疲れ様です。」

 みんな、まだ私に居てほしそうな顔をしていた。


 病院に着く。この日はまだ、別れ屋の赤い糸を見ていなかった。私は昨日漂わせていた分も回収してまた不自然な形で手元に持ってきていたからほっとした。

 エレベーターは、私一人だった。今頃、鈴木と田宮で私の話しでもしているのだろうか。

「俺以外と好きだな。羽嶋みたいな奴。嘘? やっぱりそうか、鈴木と羽嶋って。ちげぇーよ! まぁそうなってもいいけど。」

 私が鈴木と田宮の真似をすると本当に気持ちが悪かった。でも、想像を膨らませれば膨らませれるほど嬉しくてたまらない。私はその場で鈴木のように一回転してみた。鞄が遠心力で外に振られ、私はバランスを崩してエレベーターのボタンにぶつかった。

 最上階の一つ下の階のボタンが押され、ちょうどその階に着きドアが開いた。私は閉じるのを待っていたけれど、病院用のだからか閉じるのが遅い。私は焦ったくなってエレベーターを出て左の端にある階段を上った。

 誰かが最上階で大声を出している。

「いや、せっかく来てやったのにそれはないだろ!」

 鈴木だ。私は二人の会話が聞き取れるようにゆっくりと近づいていった。

「お前みたいな偽善者、見てるだけでムカついてくるんだ。二度と来ないでくれ。」

「なんでだよ。お前が一人でいると思ったから。他の奴らも全然来ないし。」

「うるさい! オレが一人で寂しがってると言いたいんだろ?」

 ここで初めて田宮の方も取り乱した。

「だってそうだろ。お前は一人だ……いや、ごめん。」

 鈴木は少し間を置いてから田宮に謝った。

「帰ってくれ。それと、お前とお前の妹は結ばれない。」

 田宮はおかしなことを言った。

「何っ。」

 鈴木の声はどこか追い詰められたようだ。

「鈴木、お前がどんなに愛しても、お前の妹とお前はもう前のようにはいかない。それがお前の運命だ。」

 鈴木が病室からとび出てきた。そして少しエレベーターのある方へと行き、すぐに背中から壁に寄り掛かって泣き出した。

 田宮の最後に言ったことがどうにも鈴木にはたえられなかったらしい。

 鈴木は自分の妹を愛している。それは恋をしているということなのだろうか。

 私はここに居てはいけなかった。鈴木が私の存在に気づき逃げるように走り出した。そしてさっき私を乗せていたエレベーターに乗っていった。

 私はその後、自分が何をすべきなのかすでに知っていた。

 田宮の病室に入り、怒鳴ってやろうと背もたれができているベッドに居た田宮を睨みつけた。

 でも声が出なかった。

 田宮も鈴木に負けないくらい泣いていた。私が入ってきたのに気付いて、涙を必死になって拭った。

「どうして?」

 私は本当に何もかもがわからなくなって答えを求めた。

「あんなに田宮を思ってくれてたんだよ! 鈴木は田宮を励ましたくて、元気になってほしくて。」

「黒い糸。」

 田宮がつぶやいた。

「えっ?」

「知らないんだな? よかった。ならオレが死ぬってことは?」

 黒い糸? 私が黙っていると、

「鈴木にオレが死ぬことを伝えたのは、オレ自身だ。後一年も持たない。」

 死ぬなら鈴木を傷つけたっていいってことのように聞こえる。

「だからって。」

「羽嶋が思っているより複雑なんだ。それに羽嶋にとっても大切な話しがある。いいか、よく聞いてくれ。赤い糸が全てを狂わせてるんだよ。赤い糸を見ることができるのは羽嶋、君だけじゃない。オレにも見える。触れる。切れる。鈴木の赤い糸を切ったのもこのオレだ。」

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