黒い糸
@kasukana
第1幕 視界
「先生! 先生の赤い糸が邪魔で黒板が見えません。」
なんて、口が裂けても言えない。それは私が知っている限り、赤い糸が見えるのは私だけだから。
知らない人のために説明すると、赤い糸は運命で結ばれる二人の左手小指を繋ぐ一本の細く弱々しい線のことだ。もし赤い糸が見えることを言ったら確実に私はヤバい奴に分類されてしまう。
それにしても野口先生の赤い糸は絡まりすぎだ。私は現代文の授業中、それに耐えなくてはいけなかった。いや、いつどんな時でも空中を漂う赤い糸が私の視界を邪魔していた。
羽嶋菜緒が私の名前。私のことを例えると、心は海。顔は花。身体は風。自分勝手で素直じゃない。そんなにいい人間ではない。でも涙もろい。学力が低い。そんな十八歳。
赤い糸は五年前、十三歳の時に見たのが始まり。赤い糸を世間に公表すれば、ノーベル賞の一つや二つ、簡単に取れてしまうだろう。
でも今まで誰にも教えたことはない。悪用されるのが怖いから。赤い糸を出現させるには、まず、右の手の平を左手首に密着させて、左手小指の付け根に移動する。そこで右手の指を輪にして左手小指に通す。左右の手が離れた所で右手の輪をすき間ができないように握る。
そうすれば赤い糸に触ることができ、見えるようにもなる。同時に自分のだけじゃなく他人の赤い糸も見えるようになるけど、輪っかを作らないと触れることはできない。
赤い糸は普段ありとあらゆるモノから透けている。
さらにできるだけ接触を避け、自由自在に動き回っている。
自分のを含め赤い糸同士は、透け合うようにもできている。
それと赤い糸は、左手小指の爪の間から伸びていて引っ張ればどれだけでも出てくる。
私は自分のを引っ張るのが日課だ。でも、いくら伸びてもさほど変わらないと思う。遠くに住むおばあちゃんに会いに行った時にも、途中で限界を迎えるなんてことはもちろんなかった。学校に何度も往復しても赤い糸で繋がれた相手との距離は一定なので赤い糸の長さは変わらない。
たどっていく事はできるけど会うのが怖いから私のが誰と繋がっているのか、確かめる気にはなれない。それに道のり途方もなく長いかもしれない。
短くなること、一直線上に最短になることもあるがそれはすでに結ばれた人達だけだ。お父さんとお母さんがいい例で、喧嘩してばかりだか、やはり運命には逆らえなかった。見たらきちんと最短距離で繋がっていた。
私のクラスの人を悪い例にすると、自称ブス男くんには赤い糸がなかった。
でもまだ相手の人が生まれていないということもある。つまり、ブス男くんは、十八歳以上年下の人と結ばれるのかもしれないのだ。
もう一つ、ずっと前に亡くなった曾おばあちゃんの赤い糸は、曾おじいちゃんもいないため、曾おばあちゃんの小指から外れ、空へと上がっていった。赤い糸は持ち主が生きているなら切れても変化は多分ない。いや、二人が結ばれなくなるのは事実としてあると思うけど。
曾おじいちゃんはとても遠い場所で亡くなっていたので、曾おばあちゃんから放たれた赤い糸はすさまじい長さだったのを今も覚えている。
雲一つない冬の空に真っ赤な糸が上がっていく。
異様な光景だが私は何となく感動していた。
赤い糸のことをのぞけば私は普通だ。友達は多くないが、恋もしている。
私の斜め前の席で、ブス男くんの左の席でもあるが、とにかくその席に座っている、鈴木京平が好きだ。伝えるつもりはない。だって鈴木はダサい。ルックスはよしとして性格がダサい。
お人よしというか、オネエっぽいというか、話しているとむかついてくる。まぁ、こっちから話しかけたことはないけど。お喋りは得意だ。ただ試す気になれない。
鈴木には男女問わず友達がたくさんいた。以外にも女子から人気があるのがむかつくところだ。
でも、周りから避けられがちなブス男くんらにも仲良くするところが、私は好きだった。何となくだが。
鈴木には、もちろん赤い糸があった。私はそれが私と繋がっていてくれてもいいと思った。鈴木が私の運命の相手なるということだ。
年収が六百万を越えてくれたらの話だが。タバコも吸わないでほしい。飲酒も少なめ。
『おぉ鈴木。お前は私の願いに応えることができるのか?』と、授業中、黒板が見えない時はそんなことを思いながら赤い糸を引っ張るのだ。
左手小指に引っ張られている感覚はない。触っている感触もほぼない。でも私にはフワフワであったかい気がする。
昼休みが来て私は、仲の良い女子たちと弁当を食べ始めた。
「ねぇ、やっぱりあれ本当みたいよ。
だって、この前狙われた芸能人夫婦も離婚したってさ。」
石井久美子が言った。別れ屋というものについての話だ。去年の今頃から流行りだした噂で、その別れ屋は新婚ホヤホヤでも仲たがいさせることができるとか。
「でもそれって、夫婦のどちらかが雇ったんじゃないの?」
私が玉子焼きを口の前まで持ってきたところで箸を止めて、久美子にきいた。
「金さえ出せば誰でも別れさせるよきっと。別れ屋のこといろいろ調べててさ。サイトで見たんだけど、別れ屋は宗教団体みたいのを創っていて、その人達の中で選ばれた上級者には他人の赤い糸が見えるとか。しかも、赤い糸をハサミで切っちゃったりできるんだって!」
「うっ。」
今まさに口に入れた玉子焼きが喉に詰まった。
「あぁもう、菜緒―」
「それって本当なの?」
私は急いで口の中の残りを飲み込むと久美子にきいた。
もし本当なら、その人は決して許されないことをしている。死刑か、終身刑に値するくらい。
「どうだろね。でもその別れ屋に頼めば、百パー別れられるよ。」
久美子の言葉には自信があるようだった。
でも、赤い糸が切れたら仲が悪くなるというのは変だ。実際、赤い糸がない人が結婚しているのを見たことがある。うまくいったかどうかは知らないが。
私が考えを巡らせていると急に久美子が笑い出した。
「でも菜緒はまず、別れる前に彼氏が要るでしょ?」
周りの人達も笑ったので、私もつられて笑ってしまった。こういうことはよく言われるけど、その度に鈴木の方を見てしまう。
鈴木はブス男くんに逆ジェットパンチを食らわしている真っ最中だった。逆ジェットパンチは、寸止めに近い、ブレーキの効いたパンチで、最初は本気だが相手に当たる前には減速している。まさに、コブシの先からジェットが出て力を抑えているように見えるという話だった。
反対に普通のジェットパンチは相手を吹っ飛ばすまで止まらないパンチのことを言う、らしい。
男子にとって別れ屋のことより、昇竜拳だの、空中三段蹴りの方が断然興味があるのだろう。
私はお弁当を持って、窓辺に行った。校舎の窓からは私のも含めてざっと三百本くらいの赤い糸が外へと伸びている。そのまま街に続いているモノやまた校舎に戻っているモノもある。街には、何万もの赤い糸がベールをつくりあげている。
漂い、さ迷って、繋がる。
赤い糸が邪魔で、私には街の元の姿が見えない。でも、私はこの景色が好きだった。
「別れ屋か」
どうしよう。誰かに相談したいけど赤い糸のことは言えない。
でもまだ別れ屋が赤い糸を見ることができると決まったわけではないんだ。今は様子を見るしかない。
赤い糸が切れる?
運命はそんな簡単に変えられてしまっていいのだろうか。変わってしまうモノなのだろうか……
「菜緒、何たそがれてんの? かわいいよ!」
「なんでだろ?」
赤い糸は私だけが知っているモノで、私にしか理解できないと勝手に思い込んでいたからか、別れ屋の話はショックだった。
でも今日嫌な思いをするのは、その時だけではなかった。
あれは一体何だろう。
駅に向かう途中、一本だけ赤い糸が地面と垂直に空へと伸びているのを見た。飛行機やなんかで赤い糸が上に向かっているのは見たことあるけど、それはぐにゃぐにゃと曲がっているのが普通だし、それか赤い糸で結ばれた二人が、遥か上空とその真下に居る可能性なんていうのも絶対にありえない。
「一直線。」
その赤い糸は駅に向かっている私に近づいてきた。赤い糸はその間も地面と垂直のままだ。
大通り、残り二つ大きな信号を渡れば駅にたどり着く。その時、目の前までその赤い糸が来た。
私は気付かれないくらい自然にその赤い糸の持ち主を見た。
その男は地味で目立たない格好をしているが自分の中にある邪気のようなモノを隠し切れないでいた。
眉間にシワを寄せているのに目は見開き、短い髪は全部跳ねていてまさに逆立った状態。
口というより唇だけは半開きで、中に強く噛み締められた歯が見えた。
おばあちゃん家にあった鬼のお面そっくり、いやそれ以上に怖い。でも一番驚いたのは、縦一直線の赤い糸がその人の右手の方から出ていたことだ。
私にはその理由が全くわからないが、その人が赤い糸を知っているのは紛れもない事実だと分かった。なぜならその人は右手を自分の心臓の前に置き、完全に赤い糸を守るようにしていたのだから。
「ひっ……」
私はその人と目が合って声を漏らした。そしてすぐさま目を逸らし下を向いて、足早にその人を通り過ぎた。
その数秒後、足元に私の赤い糸が漂ってきたのを不自然に跨いだ。踏もうとしても逃げるか透けるとわかっていたが、どうしても跨がずにはいられなかったのだ。
それを今の鬼顔に見られてしまったかもしれないというのに。
私は電車に乗ったところで辺りを見渡した。追って来てはいないようだ。
あの鬼顔の男は私に気づいただろうか?
私にも赤い糸が見えると悟ってしまったのだろうか?
わからない……あの人が私にとって危険な存在だということを除いては。
でも対処できる。なぜなら空へと一直線に伸びた赤い糸に近づかなければいいのだから。私は自分に言い聞かせて落ち着いた。
夕日が沈んでいく。
家に着いた私は携帯を何するでもなく取り出した。見ると、久美子からクラスのメンバーに一斉送信されたメールが届いていた。
明日、明後日の休みを使って、担任も合わせクラス全員が、各自で折り紙の鶴を作ってきてほしいと鈴木に言われたそうだ。
いつかわからないけど最終的に一人二十五羽も作るとか。
私には最初その意味がわからなかったが、間もなく彼を思い出した。
田宮悠斗だ。
担任を合わせれば全員で四十人になるから、一人二十五羽。田宮とは高校三年目で初めて同じクラスになったが一度も姿を見ていない。
たしか重い病気で入院しているらしい。
私はお見舞いに行くほど善良な人間ではない。しかし鈴木が言うのであれば折り紙くらい、と思った。
私は手先が器用だった。自分の部屋の棚の奥にはたくさん折り紙があるし、多めに作っていったら鈴木が喜ぶかもしれない。
「羽嶋、お前こんなに鶴を? 一人で? 俺なんかの頼みなのに? そうか。そんなに俺のことを。わかった! 俺もうブス男と連れションとかボディーペーパー使い回しとかキモいことはやめるよ。そうだやめろ鈴木!」
私は一人二役をした。
我に返ると恥ずかしくなり右手で輪を作って赤い糸を引っ張った。それが私の唯一の癖でもある。一生直らない、切りのない、たった一つの癖だと思っていた。
この時。きっと何十年たってもこの時のことを思い出すだろう……なぜって……
ふいに、くっという感触があり、赤い糸が小指から出なくなった。
私はその後やけになって何とか引っ張り出そうとしたが無駄だった。
私の赤い糸に限りができた。
「嘘、そんな……」
ありえない。
確かに伸ばしすぎたかもしれない。
でも日本から出られるぐらいにもまだ伸ばしていないはず。
私が海外旅行に行って運命の相手が日本に居たらどうする。
赤い糸で繋がっている以上、運命の相手も中を浮くことになるのだろうか。
「わかった。」
切れたのだ。
私の赤い糸は今さっき切れてしまったのだ。赤い糸に目立った変化はなく、いつも通りフワフワ浮いている。
運命の相手に何かあったのかもしれない。
私はどうにか前向きに考えを巡らせた。
相手がヤクザだったんだ。だから左手小指くらい簡単に頭か、なんかに差し出せたんだ。よかった切れて。いや、確か小指がなくても赤い糸は手や腕、肩から……
「違う! そんなことどうでもいい。いやよくない! 私の赤い糸は、鈴木に繋がってたんだから。私の運命の相手は鈴木だったんだから!」
涙が出る。パニックにならないよう、気持ちを落ち着かせ、決心をした。希望、未来を取り戻す決心。
「赤い糸を手繰ろう。切れた場所まで。」
そうだ。きっと鈴木の所にたどり着く。多分、二つの三日月のような半円からなる円形のハサミで知らず謝って切ってしまったんだ。そんなハサミがあれば。
土曜、私は手芸部に入っているが行ったことがなく、朝早くに起きる必要もなかったけど早起きした。
赤い糸を手繰っていくにあたって、私は糸をミシンの糸巻きに巻いていった。
ミシンの糸巻きは、真ん中に穴が開いているタイプのものだ。赤い糸はその穴に入ったら糸巻きを透けることができない。
つまりそれまでは透けるのだから、赤い糸を穴まで透けさせればいいのだ。
何度も言うが本来であれば、赤い糸はそういったモノを避けるようになっていて、
指輪やブレスレットなんかをつける時には、赤い糸の方が逃げて、赤い糸の持ち主の身体の中や、地面に透けて輪を回避してしまう。
ここで、赤い糸に触れることができる者が必ずしも必要となる。
私は逃げる赤い糸を右手で輪をつくり捕まえて無理矢理糸巻きの穴まで誘導した。
「やった!」
赤い糸は糸巻きを中に浮かせている。
知らぬ人から見れば、ミシンの糸巻きがひとりでに浮いたと思ってしまうだろう。
計六個。同じことを繰り返した。
学校以外でスカートは着ない。私は一般的なチノパン、ジーパンより、ダボダボしたポケットのいっぱいあるズボンをよく履く。だからポケットいっぱいに、ミシンの糸巻き六個も持っていても見た目は変じゃない。
一個目の糸巻きは駅のところまでが限界だった。赤い糸同士は透けるのでその言葉は適切ではないかもしれないが限界ということにしておいた。それはもう、赤い球体にまでなっている。でもズボンは糸巻きだけに触れるから、ポケットの膨らみに変わりはなかった。
上り方面が学校。私は赤い糸の先を見ると下り方面に向かって伸びていた。下りには鈴木の家がある。
各駅止まりの電車に乗ると赤い糸は、探るように電車を透けてドアガラスのところで透けた状態で静止した。
赤い糸の動きはすこぶる遅く、動かない時は全く動かないから、きっと今頃線路の上でUの字になっている。一駅ずつ降りて糸のたわみが出来るだけなくなるまで巻き取る作業をした。四つ目の駅で赤い糸は線路の外に出ていた。
「ここだ。」
赤い糸は、私の運命の相手の通った道筋からほとんど動いていないようだ。
もしかしたら本当に相手に会えるかもしれない。
四個目の糸巻きを真っ赤な球体にした。糸の続きは駅の外、まだ先に伸びている。
まだ下り方面だ。その後、緩やかに曲がり始めて郊外に抜け、大きな病院にたどり着いた。
私は病院に対して暗くて怖いという偏見を抱いていたが、この病院を見て印象が変わった。
広い庭園があって、噴水や、テレビコマーシャルで見るような大木、たくさんの花もある。
建物の方はモダンで、何の工夫もない真っ白なモノだ。でもどこか丸みがあって軟かい感じがした。
「ここなら入院してもいいかもしれない。」
私は顎に手を置いて変なことを言った。
「うぁっ!」
顎に置いた手が頭部へと移動した。
私の赤い糸の繋がっていた相手が病院に居たとしたら、もうこの世にはいないのかもしれない。
私は赤い糸の続きを見た。
建物ではなく庭園へと伸びている。
鈴木が芝刈りのバイトでもしてくれてるといいんだけど。
私のこういった願いが叶ったことは今までに一度もない。
それでも、いや、だからこそ今回ばかりは私の自分勝手なカンを信じたいのだが。
私の赤い糸は庭園で一番大きな木に向かっていた。
その木の前のベンチに終わりがあった。
私の赤い糸は斜めに切れ込みが入って、バッサリと切れていた。
そこには鈴木どころか誰もいない。私一人だけだ。
昼過ぎ、大きな木の下、ベンチに座って泣いていた。泣きながら最後の糸巻きに赤い糸を巻き終わりポケットに入れた。
本当に切れているとは思っていなかった。何かの勘違いで、私の自分勝手な思い過ごしで終わると、終わってくれると思ったのに。
今、私は世界中の男子からフラれた気分だった。
赤い糸が切れた。耐えられなかった。
周りの人達は赤い糸に導かれた通りに結ばれていく。
私は死ぬまでそれを見つめ、嫉妬し、悪態づき、苦しんで悲しむ。私は運命の相手にプロポーズされた時、「ありがとう。私にはわかっていたわ。」と言うのが夢であり、願いであった。
どうして私の願いはこんなにも叶わないのだろう。
どうしてこんなに早い時期に夢を失わなければならないのだろう。どうして。私ばっか。
「見なければ、触らなければ、知らなければよかったのに。」
赤い糸は私の日課であり、癖であり、夢そのものだった。
十三歳の時なぜあの方法を思いついたのか、今はもうはっきりと覚えていない。ただ、嘘や幻から生まれたモノだと知りつつも、赤い糸の存在が何となく好きだったからなんだろう。何となく。
私は涙を拭って顔を上げた。
ここにはあんまり赤い糸がない。
でも、数少ない中で一つ一つの糸が色鮮やかに生き生きとしていて、噴水の周りを漂い一つのオブジェのようになっているモノや、パンジーみたいな花やタンポポでできている花の道の上を蝶たちと一緒に飛び回っているモノや、病院の高い階から下りてくる途中で青い空に反発しているものもいる。
見えなきゃよかったなんて思わない。この景色、赤い糸を。私はこの先も見ていたい。
自然と顔がニヤついてしまう。
「えっ? 泣いてんの? 笑ってんの?」
私は、誰が話しかけてきたのかすぐにわかった。
私の横に座る。こんなに近づいたのは私の落としたペンを拾ってくれた時以来だ。その時は返事ができなかった。でも今なら……
「だまれ鈴木。消えろ。」
嫌な言い方だっただろうか?
私は赤くなった、と思った。
「やだよ。俺もよくここに来るんだ。妹と、ばあちゃんの見舞いに来た時とか。昨日も。あっ。今から羽嶋って暇? 暇だよな。暇そうな顔してる。ついて来て。見舞い、田宮の。」
鈴木も赤くなって、私を誘った。田宮はこの病院にいるらしい。
「なんで私?」
ほとんど誰も話題にしない。田宮と仲良くできる気がしない。
「なんでって。あぁもう! 頼むから来てよ。」
鈴木が私の右手を強く握って、強引に私を立たせた。
「あっ!」
私はあることで声を上げてしまった。
「えっ? あって何? あ、痛かった?」
違う。私を握った鈴木の左手小指から少しだけ赤い糸が出てはいたが、私の方と同じように切れていたのだ。
「なんでもない。早く行こっ!」
切れてしまったのに、嬉しい。確実に私と鈴木は運命の赤い糸で繋がっていたんだ。
私は鈴木の左手を軽く握り返した。
病院の混雑の中で私は鈴木と一瞬はぐれて手を放した。でもその時、鈴木が私の名前を呼んでくれたので、よしとした。
エレベーターで最上階へと上る。四角い箱に鈴木と二人きりだ。
「みんなきっと作ってきてくれないよな。田宮の千羽鶴。」
鈴木がいい話題を持ち出した。私にとって。
「私、いいよ。あさって放課後残って。持って来なかった人の分も折ってあげても。」
そう言って鈴木の方をチラッと見ると鈴木は喜んでいた。
「ホントに? ありがと! 俺も手伝うからさ。羽嶋っていい奴だな。あぁホントに助かる。」
鈴木は右足を軸にして一回転した。喜びを体で表現したのだろうが、ダサい。
ただ今の私はもう少しでつられて回りそうなほど高揚していた。
「田宮と仲いいの?」
私はきいた。
「少なくとも俺はそう思ってる。それに、俺さ、聞いたんだ。正直、田宮もう長くないらしい。」
エレベーターは遅く、まだ目的の階につかないようだ。私は何も言い出せずに鈴木の悲しそうな顔を見ていた。
「今のことも、千羽鶴のことも内緒な。喜ばせたい。いい奴なんだよほんとに。どうにか奇跡でも起きて治ってほしいなって。」
ここでやっと鈴木の優しさは、私が一人じめできるようなモノではないことに気付いた。
私はこの人が好き……
エレベーターは私たちをこれから始まる新しい人生へ導くように二人の前ゆっくりとその扉を開いた。
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