第20話『何も考えずに走れ!』

「あれ?今日は部長とメガネ居ないの?」

部室に入ってきた新入りが言った。

「ん?今日はほら、あれだろ、競馬があるから見に行ってるんじゃないか?」

ストレロクが読んでいた本から顔を上げて言った。

「へぇ」

「お前も見に行くか?」

「うん。行ってみたいな」

「PP!お前も見に行くか?」

「行くよ~、ここだけ締めたら終わりだからちょっと待って~」

BMPの中から返事がした。


──農学部棟 レースコース 観客席

観客席には大勢の生徒や近くに住む住民が溢れていた。

ちょうど出走馬と騎手たちがパドックに入ってきたところで、

観客は大盛りあがりだった。

「すごい人・・・」

新入りは人並みに目を丸くしている。

「部長たちはどこだ?」

「あ、居た、部長とメガネだ」

PPが指をさす。


「新垣!てめぇ情けねぇ走りするんじゃねぇぞ!」

「3番!勝て勝て勝て!あんたに賭けてんだからね!」

部長とメガネが馬券を握りしめて大声を上げている。

「なにやってんだあいつら」

「見なかったことにしたい」


パドックを歩く馬と騎手には、観客席から歓声や野次が飛ぶ。

騎手たちもラフな格好から、しっかりと乗馬服を着込んだ者まで居れば、

それを背に乗せる馬たちもまた、

荷馬・農耕馬から風紀委員の騎馬部隊が使う軍馬まで様々だった。

厳格なルールもなく、乗馬を楽しむ者たちが楽しむのが目的で、

基本的に賭けの対象になるのは馬術部の競走馬か風紀委員の軍馬だった。

…もちろん大穴狙いで荷馬や農耕馬などに賭ける者もいるのだが。


馬番6番キアノールの騎手、新垣美貴子は、

スラリとした乗馬服を身にまとい、

ファンからの声援(や野次など)を受けつつ馬を歩かせていた。

程度の低い観客たちには内心軽蔑を抱いているが、

せっかくのレースの機会をフイにするつもりもなかった。


「新垣は今日も人気だねぇ」

背の低い農耕馬に乗った乗馬部の生徒が話しかけてきた。

「人の見た目で選んでるやつか、金目当てのやつばっかりよ」

「ははは、しょうがないよ。新垣は美人だし、キアノールは速いからね」

新垣はなんと答えるか迷うのだった。

「じゃあ、私は勝てないだろうけど、一緒に頑張ろうね」

迷っている間に乗馬部の生徒は行ってしまった。


観客席のスピーカーが鳴った。

「さて、実況は放送部がお送りいたします。人気上位の馬を見ていきましょう。

三番人気、馬番6番、馬術部のキアノール。騎手は馬術部の新垣です」

「レース常連、十分優勝が期待できます」

「新垣さん頑張ってー!」「こっち向いてー!」

「新垣ー!6万賭けてんだぞー!」

「部長…」


「二番人気、馬番3番、こちらも馬術部、ケンタッキー。騎手は馬術部、西崎」

「今日もウェスタン風でキメていますね」

「クソカウボーイ気取りが!さっさと西校に行きやがれ!」

「西崎ー!私のお金だからねー!」


「一番人気、馬番13番、風紀委員の雷鳴。騎手は風紀委員の騎馬隊長、鳴瀬」

「堂々の風格です。スタミナ勝負なら負けませんよ」

「クソ風紀委員が!転倒しちまえ!」「風紀はすっこんでろ!」

「私の罰金勝って返せー!」

「風紀嫌われてんなぁ」

「まぁわかるけどね…」


いよいよ出走馬たちがゲートに入っていく。

「さぁ各馬無事にゲートに入りました」

「今スタートです!各馬一斉に走り出しました!

3番ケンタッキーが早くも先頭に立った!」


3番ケンタッキーに率いられるように、

有力馬たちが一塊になってコースを疾走する。


「先頭集団が第一コーナーを回りました。

先頭集団と後方集団の差はすでに大きく空いています」

「展開としてはいつも通りですね、

後方集団はほとんどレース向きの馬ではありませんから」


後方ではまばらに荷馬や農耕馬が走っていたり歩いていたりと、

牧歌的な光景が展開されていた。

レーストラックの草を食んでいる馬まで居た。


「先頭は3番ケンタッキー、その後ろ13番雷鳴、その後ろに8番ベリファ、

14番リボー、6番キアノールと続きます。

その他の馬は10馬身以上離れて点々と続いていますが、

省略でいいですよね…?」

「まぁ先頭でアクシデントがなければ勝ち目はないですからね…」


──キアノール、今はまだ脚を溜めておけ…

最後の直線で全て解放しろ…。

他のことは考えるな。

そうだ、歓声も、罵声も、何も関係ない。

ただ最後の瞬間に全てを…。

新垣は自分とキアノールに言い聞かせるように、心の中で語りかける。


「スタミナ溜めてんだろうな!?このまま終わりやがったら許さねぇぞ!」

部長が大声で叫んでいる。

「ケンタッキー!逃げ切れーっ!」

メガネも馬券を握りしめて声援を送る。


「最終コーナーを曲がりました!

3番ケンタッキー、ここで力尽きたか!?馬群に沈んでいきます!

先頭は13番、雷鳴に変わった!」

「ま、まだ大丈夫…まだ大丈夫…!ここから差し返して…!」

メガネが目を見開いて呟いている。

「新垣さっさと上がれー!もう直線だぞー!」

部長が叫ぶ。



──最後の直線…。ただ馬と、私の呼吸だけが響く…

他には何も聞こえない。

ここだ、キアノール!走れ!


「6番キアノールに鞭が入る!グングンと加速していく!」

加速したキアノールは前を走る馬を追い抜き、先頭に追いすがる。

「キアノール強い!先頭の雷鳴は目前だ!」

雷鳴も加速するが間に合わない、キアノールが雷鳴を追い越した。

「キアノール今ゴールイン!続いて二着は13番雷鳴、三着は14番リボー」


「いいぞ新垣!よくやった!」

部長は拳を何度も突き上げて歓喜している。

「あぁー!私のお金がぁー!」

3番ケンタッキーに賭けていたメガネはヘナヘナと観客席の手すりにもたれかかる。

「クソ風紀委員が負けてんじゃねーぞ!」

「新垣さん最高ー!」

「馬刺しにするぞバカ馬ァ!」


「…うるさい…」

自分の時間から現実に引き戻された新垣が呟いた。

「はは…相変わらず品のない観客だねー…」

遅れてゴールした乗馬部の生徒が新垣に話しかける。

「本当、毎回これがなければ最高なのにね」

新垣は答えた。


「こんな状況でよく競馬なんかやる気になるね、あいつらも」

ついさっき観客席で買ったビールを開けながらストレロクが言った。

「ほんと同情するわ…」

ハズレ馬券が宙を舞い、歓声と怒声が響く中、

ストレロクとPPは呆れた様子で話している。

新入りは素直にレースに見入っていたようだ。

部長はまだガッツポーズをしている。

メガネはすっかり放心状態だった…。

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