第五話
村に戻る前から、森が煌々と燃えていた。私は火事だと思い、自然災害に対応すべく慌てて村へと戻ったのだ。
けれど、戻った集落では悪魔が……あいつらがかがり火片手に闊歩していた。あちこちに放火して回って、家から追い出して。ゴブリンどもが、金品から食料まで何もかもを奪って暴れていた。
殴り殺されている仲間たち。友達はゴブリンに性的に食われて苗床になっている。燃え盛る赤い空と雄叫びに悲鳴。崩落した集落。地獄絵図を見た。
私はすぐに村のエルフ。カルツに見つかって、逃げろと叫ばれた。
見捨てるなんて、そんなことできるわけがない。けれど、私一人の力で敵襲を退けるなんてことは不可能だと分かっていた。身体が震えて止まらない。
せめてカルツだけでも、と伸ばした手は当人によって弾かれた。よく見れば、カルツの足首から先が切断されている。カルツは地面を這いながら、私に逃げろと繰り返した。死んでも逃げろ、と血反吐を吐かれて、私は覚悟を決めたのだ。
必死で山を下った。後方で、肉が殴られる音がしても振り返らなかった。騒ぎの気配を嗅ぎ取ったのか。フォルビーの群れが村に向かっているのを見ても、振り返らなかった。
いつまでもいつまでも。山を下りて人間の町に辿り着くまで、絶対に振り返らなかった。
振り返れば、足が止まると分かっていたから。助かるのか分からないのならみんなと一緒に、という思考に足を絡め取られると分かっていたから。
いつまでもいつまでも、悲鳴が耳に残っていた。
ゴブリンたちの下劣な声と、フォルビーの羽音。景色が瞼の裏に焼きついて離れなかった。肉の焼ける焦げ臭さが、鼻腔にこびりついたようだった。カルツに弾かれた指先が痺れていた。喉が渇いて口内がカラカラで、息が上手くできなかった。
いつまでも、いつまでも。それは今でも続いている。
ふとした瞬間に、あの日のことが思い出された。悪夢にうなされるなんて慣れっこで、もう驚くこともない。焼き増しの映像は、何度繰り返されても決して色褪せることはなかった。
鮮明に。鮮烈に。激烈に。
そうして私は森を下り、人間界に身を落とした。けれど、それも上手くはいかない。エルフと人との生活圏による知識の差。職については教えてくれても、その差まで逐一教えてくれる現場はなかった。最低限のことだけを最小限に伝えてくれるのみ。
当たり前だろう。商売をしている。無駄な労力を割きたくないのが本音だ。わざわざ一から人の常識を叩き込まなければならないエルフを雇うよりも、同じ種族の人間を雇ったほうがずっと早い。
私は何軒もの職場をたらい回しにされて、ようやくAWに辿り着いた。AWは異生物に優しい。
なぜなら、違いがあることを前提に職が成り立っているからだ。私たちの世界と地球という異世界。その差を研修という形で学ぶことが許された。それは、改めて自分たちの世界の常識を知る機会でもあったのだ。そして、エルフの知識が異世界の情報として役に立つ。
この上なく都合のいい職場だった。他の職場に比べれば、安全性も保証されている。キャンピングカーで森の中を移動できるなんて、私には願ってもいない好条件だった。だから、ここを選んだ。
研修は人より少し時間がかかったけれど、私の事情を鑑みた上層部は猶予を設けてくれた。他にこんなできた職場はない。
ありがたくてありがたくて、そして、怖くなった。また、失う日が来るのではないかという恐怖に胸が竦んだ。
だから、私は一刻も早く独りでなくなるようにしたかった。生き残った一族が他にもいるなんて、甘い夢は見ていない。私が生きなきゃならない。私が一族を守っていかなきゃならなかった。
職が手に入ったのだから、次は家族を求める。何が間違っているというのか。私はそうするしかなかったのだ。もう、ひとりぼっちは嫌だった。人間には分からない。長生きしたってたったの百年ぽっちしか生きない人間に、分かるわけがない。
自分がこの先、何千年もひとりぼっちで故郷も友人もなく生きていくかもしれないなんて、想像もできないでしょ。私には、想像できない年数ではなかった。その恐怖は隣人のようにそばにいる。
そうなるくらいなら、相手は誰だって構わなかった。構ってなんていられない。遊び人だからどうだとか、そんな御託はいらない。丞さんの知っているものが好ましくないからなんて、そんなことはどうだってよかった。遊び人に、私の窮迫感が分かるわけがないのだ。
独りでいられなくなるなら、それで構わない。
「どうだっていいの! なんだって、誰だって構わない! 私がどうだなんてそんなのどうだっていいの!!」
長い長い自分語りの末に飛び出したのは自暴自棄だった。
でも、もうずっとそう思っている。この不安でままならない日々を延々に続けるのならば、あの日仲間を助けてともに苦痛に落ちればよかったとさえ。
逃げるしかなかったと分かっている。けれど、逃げた先でも私は休まらない。いつまでも、いつまでも。まだ、何かから逃げ続けている。それから解放されるのであれば、なんだってよかった。
私にあるのは、一族のために生きること。唯一の血のためだ。自白すれば、もう自分のことなんてどうでもよかった。ただ、血統だけは。それは、エルフが紡いできたもの。たったひとつ、まだ繋がっていられるもの。これだけは失えない。
だから、私はそれに縋って生きているだけ。どうでもいい。どうだってよかった。
黙って聞いていた丞さんが、私の手首を取る。力強さに、痛みが走った。自然に落ちていた視線を持ち上げる。丞さんは、苛烈な瞳で私を射抜いていた。
怒っている? 何に? 悲惨で身勝手な告白なんて聞きたくなかった? ごめんなさい。でも、止められなかったし、嘘はなかった。私はなんだか空気に耐えきれなくなって、へらりと笑ってしまう。
瞬間、手首を掴む力が強まった。
「丞さん……」
人間だけれど……人間だからこそ、この上司はきちんと鍛えている。向こうでハプニングに巻き込まれたときに対応できるように、トレーニングを欠かしていなかった。暇さえあれば筋トレしているのを、キャンピングカーの中でも目撃している。
その握力が痛い。腰の引けた私を見ても、丞さんはまったく力を緩めなかった。そうして、腹の底に響くような声で唸る。
「誰でもいいんだな」
意図は分からなかったが、その通りだった。顎を引く。それを見た丞さんは、私の腕をそのまま引いて歩き始めた。突然のことに、身体が引きずられる。
「ちょっと! なんですか!」
腰を落として踏ん張っても、丞さんの足元は少しも揺らがない。ずんずんと進んでいく。
「離してください。どこ行くんですか!」
手荒く腕を振り払おうとしても解けない。この上司は、こんなに強かったのか。
エルフはか弱い一族ではない。確かに、敵対生物への対抗手段は弱いかもしれなかった。けれど、森の中で暮らしていける逞しさは持っている。そう非力ではないのだ。
しかし、今の丞さんには敵わなかった。こちらを振り向かない丞さんは、またぞろ低く唸る。
「誰でもいいなら、俺でもいいだろ」
ぎょっとして、力が抜けた。丞さんが引く手に身を任せてしまうことになる。
進んでいく先には、ネオンが輝く派手な建物が並んでいた。絡み合うように歩く男女が多い道へと入り込む。丞さんは建物に向かって、いつにも増して迷いのない足取りで進んだ。
地球の文字は、勉強している。ツアーコンダクターとして、宿泊施設の表記は頭に入れていた。昨日、吸血鬼を送っていった先とは異なるタイプの建物。
けれどもそれがホテルだということだけは、読めた。
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