第四話

 初めてのタピオカは、不可思議な食感だった。もちゃもちゃする。いつ飲み込んでいいのか分からなくて困惑した。タピオカティーのティー部分がとっても美味しくて、タピオカが美味しいのか何なのかよく分からない。もちゃもちゃを堪能した。

 チーズハットグというのは、ほとんどチーズの塊だ。好悪としては平気だったが、チーズの量が重くて薫さんに半分を食べてもらった。丞さんは、隣でアメリカンドッグにかぶりついている。よく分からずに一口求めたら、肉だと言って取り上げられた。

 しょうがない。

 森に住んでいたころは、食生活について深くは考えていなかった。エルフしかいない森の中。植物や木の実を主食にするのは当然の理で、そこに疑問を抱いたことはない。

 エルフにだって弓矢部隊という戦力型のエルフもいる。けれど、それは主に外敵から身を守るためで、狩りをするための部隊ではなかった。肉食は好まれない。

 だから、動物食に慣れていなかった。決して、食べられないわけではない。しかし、種族の生活習慣として、抵抗があった。もう私の住んでいた森には戻れないし、集落もないけれど。それでも習慣が変わることはない。

 丞さんは軽い食べ歩きのつもりだったのだろうが、薫さんは私をお店に案内してくれた。ふっかふかのパンケーキは力なくナイフが入る。蜂蜜と生クリームに、口の中が甘くコーティングされた。

 こちらのデザートは、あちらに比べるとずっと甘くて美味しい。丞さんが、日本人は食べ物に貪欲だとよく言っている。これがその成果なのかはよく分からないけれど、断然に美味しくてやみつきになりそうだった。

 ほっぺたが落ちそう。

 そんな言い回しがあるらしい。確かに、思わず両の頬を押さえて足踏みをしたくなるくらい美味しかった。

 私があまりにも頬張っていたからだろうか。薫さんはパスタを分けてくれて、丞さんもハンバーグのつけあわせだった野菜を分けてくれた。たらふく食べたら、また散策をする。どこを見ても面白くてくるくる見回していると、薫さんが手を引いてくれた。

 しなやかで柔らかい手のひらだ。地球人は手まで小奇麗だった。しっとりとしていて気持ちがいい。

 そうして歩く私と薫さんを、丞さんは一瞥するだけに留めた。本当は、いつものように忠告したいのかもしれない。けれど、今はプライベートだ。ケチをつけられる覚えはないし、薫さんが主体的に動いていることを止める気はないようだった。

 もしかすると、遊び人とバラされた後ろ暗さのような遠慮があるのかもしれない。私にとっては好都合だった。

 そうして遊び回ってから数時間。私としてはまだまだ物足りないが、丞さんはもうすっかりお払い箱って顔をしていた。薫さんは付き合ってくれそうだったが、しかしその時間は着信によって阻まれる。

 電話に出た薫さんは、しばらく相手と諍っていた。内容は分からないけれど、どうやら本来は電話の相手と約束があったようだ。破られたのか。用事が入ったのか。何にせよ、薫さんはすっぽかされた側らしい。そのことに文句をつけていた。

 さっぱりとした快い人だったので、少しだけ意外な心地でそれを聞くともなしに捉える。グループとして固まっているものだから、あえて聞こうとしなくても耳に入ってしまう距離にいた。

 じきに、口論は終わったらしい。この後会うらしき約束をして電話を切った薫さんは、片笑みをこちらに向けた。


「ごめんね。変な話、聞かせちゃって」

「いえ、そんなことはありません」

「重ね重ね悪いんだけど、もう行かなくちゃならないから」

「さっさと行け」


 丞さんが、しっしっと犬を追い払うように手のひらで空気を払う。

 この上司は、近しい人ほど扱いを雑にする癖でもあるようだ。思えば、キクさんやピュイさんにも、同じような調子だった。一方でお客さんには愛想がいいし、品がいい。

 それを思い返せば、自分はまだ生半可な位置にいるみたいだ。適当に流されつつも、時々女性扱いを受ける。疎外感がよぎった。


「つれないんだから」

「彼氏を待たせてるんだろうが」

「失礼だな! 向こうが元々ダメって言い出したんだよ」

「いいから。今はもう待ってるんだろ。さっさと行ってやれ」

「うん。じゃあね、エミリーちゃん」

「え、あ、はい」


 目を白黒させていた私は、ろくな挨拶もできぬまま手を振り返しただけだった。その間にも、薫さんは晴れやかな歩調でぐんぐん去って行く。

 パンツルックの長い足が動く後ろ姿は凜々しい。……彼氏? 聞き間違いか。それとも、同性愛者かと脳内が混線した。


「……薫は女だよ」


 悪びれずに寄越された真相に、丞さんを見上げる。やっぱり気づいていなかったか、と答え合わせをするような。そんな顔をしていた。


「どうして言ってくれなかったんですか! せっかくいい感じだと思ったのに」


 むっとして言いつけると、丞さんは苦い顔をする。


「俺の友人にまで手を出そうとするなよ……」

「出会いは大切なんですよ!」


 鼻息荒く言うと、丞さんは顔を歪めた。それはいっそ痛々しく、怪訝を抱く。今までそんな反応をされたことがない。休日だということで、かなりプライベートな表情を見せてくれているのだろうか。

 訝しく思っていると


「というか、」


 と零しながら、丞さんが歩みを再開させた。声を聞き取るためにも、その後を追う。どこに向かっているのかは分からなかった。


「遊びじゃないならやめとけ」


 ああ、と察する。

 この上司は、ようやく気がついたのだと。私がところ構わず男に声をかけている理由に辿り着いたのだ。

 もしかすると、今日忠告が飛んでこなかったのも、自分の過去だけではなく、そこに対する遠慮なんてものもあったのかもしれない。下手に首を突っ込んでフォローしてようなんてしないところはいいけれど、つめが甘くて笑いそうになってしまった。

 当人は、今までと同じ小言のつもりなのだろう。けれど、こういうものは分かるものだ。特に心当たりが山積している身からすれば、ついにバレたかとおのずと思った。


「遊びじゃなきゃいいんですよね」

「遊びじゃないなら、もっとマシなやり方をしろ」

「なんですか、それ」


 マシなやり方なんて知らない。ひたすら交流を広げなきゃ、チャンスなんて訪れやしない。マシな、なんて選択肢を考えている余裕なんてない。私は独りなのだ。私が事故や事件に巻き込まれてしまえば、それで一族が途絶えるのだから。


「適当に引っかけた男なんざ、ろくなもんじゃねぇよ」

「丞さんがそれを言うんですか」


 気持ちが尖った。

 だって、そうだろう。これは私の問題だ。我がエルフ一族の存続の話だ。よその種族に、ましてや異世界人に口出しされる謂れはない。

 それも、遊び人だった人に。


「だからこそだよ」


 そう笑った丞さんは、艶と憂いがある。ぞわりと鳥肌が立った。


「どうせ責任なんて取らない。そういうもんだよ」


 投げやりな文句はまるで体験談のようで、様子を窺う。


「……責任、取らなかったんですか?」

「取りたくないからヘマはしない」

「ヘマ?」

「……そっちは避妊具なんかないんだっけ」

「なんですか、それ」


 少なくとも、エルフ族には伝えられていない道具の名に首を傾ぐ。丞さんは苦虫を噛み潰した顔になった。


「妊娠できないようにするんだよ」

「……できるんですか?」

「一〇〇%じゃない。でも、遊び慣れてるやつほど、ちゃんとしてるもんだよ。まぁ、大体、遊び慣れてなそうな女には手を出さないけどな」

「それってつまり私じゃ相手にならないとかそういう話になってますか?」

「なってねぇよ、噛みつくな。冒険はするけど、無理無茶無謀はやんないってこと。自分の中にルールがあんの。エルフに手を出すやつはそういないだろうし、かといって誰でもいいような手の出し方で相手に本気になられても、エミリーが困るだけだろ」

「どうして困らなきゃならないんですか」

「……結婚する覚悟はあんのかよ」


 鋭く斬りつけられた痛みが走る。

 一族を絶やさないことだけを考えていた。そのためには子をなすしかない。だって、私と結婚したからって、相手がエルフになるわけじゃないのだ。

 だから、誰でもよかった。吸血鬼のように、遺伝子が負けるような大物でなければ、それでよかった。もちろん、他の種族にだって必ずしも勝てるわけじゃない。そうでなければ、ハーフエルフなんて種族はいないだろう。

 けれど、確率的にはエルフになりそうな相手。それであればよかった。それこそ魔力遺伝子をまったく持たない地球人は、ちょうどよかった。だから、結婚なんてそんな覚悟はできていない。

 稚拙な計画だと串刺しにされた気がした。


「別にいいじゃないですか」


 異世界の結婚事情を、丞さんは詳しく知らないはずだ。ましてや、エルフの結婚観なんて知る由もない。だから、しらばっくれる。元々、そうした価値観であるのだと。

 本当は、そんなことはない。

 エルフは一族や家族を大切にするし、他種族であっても結婚相手は大切にする。ちゃんと恋愛をする種族だ。ゴブリンなどの低俗な生命体とは、血の繋げ方が違う。

 私だって、恋愛に憧れがないわけじゃない。けれど、今は手段を選んでいる場合ではなかった。


「そう思ってるようには見えない」


 その瞬間、煮えたぎったものは怒りだっただろうか。分からない。どうにもならない激情だった。


「知った振りをしないでっ」


 私の行動理由をずっと気がついてもいなかったくせに。気がついた途端に、私のことを知っているかのような顔をしないで。そうした爆発と同時に、どうしてちゃんと見ているとでもいうようなことを悠然と言うのだというやっかみも生まれていた。

 どうして、私のことを知っていると言えるの。見ているとばかりに言えるの。軽率だ。何を知っているというのか。何も知らないだろう。

 そうだ。この人は何も知らない。地球人には想像しえない。たとえ気取ったとしたって、具体的な状況は想像できていないはずだ。じゃなきゃ、軽率にらしくないなんて。似合わないなんて。そんな主旨の発言ができるわけがない。

 道端に仁王立ちした私を、丞さんが腕を引いて路地裏に引きずり込んだ。軽々しく触れる。そして、周囲を気にする冷静さがあるのが気に食わない。


「何がそんなふうに見えないって言うんですか」

「何がって……」

「誰でもいいって思っているのが変なんですか」

「そういうやつだっているだろうけど」

「けど?」

「エミリーはなんか違うだろ」

「なんかって何ですか? エルフだからってこと!?」


 ヒートアップしてしまう。気持ちが焦った。ヒステリックと言われても、文句は言えなかっただろう。


「そういう意味じゃない。そんな差別をしたことないだろ」

「じゃあ、なんで私のことなんか分かるんですか!」

「寝食をともにすればそれなりには分かるだろ」


 三ヶ月と少し。短期間だ。けれど、キャンピングカーでの暮らしは、二四時間一緒に暮らしているのと変わりない。丞さんの言い草は間違っていなかった。

 けれど、そんなもので分かった気になってほしくなんかない。私がどんな気持ちで人間と過ごしているのか。分かるわけなんてないのだ。

 本当は、静かな森の中でゆっくりとした時間を過ごしていたかった。この仕事がなのか。人間の時間がなのか。分からないけれど、とにかく目まぐるしい。エルフとは時間の捉え方が違った。

 新しいことだって、嫌いじゃない。けれど、休みたいと胸に迫るときはある。そんなときに、帰る場所はもうないのだ。

 異世界に身を置く丞さんにも、食い違いに手こずってそんなふうに思ったこともあっただろう。苦労をしたかもしれない。

 でも、この人にはここがある。友人のいる故郷があるのだ。そんな人間に、分かった気になられてはたまらなかった。


「分かるわけないじゃないですか! 私がどんな目に遭ったか。どんな気持ちでいるか! 丞さんに分かるわけがない!!」


 丞さんは、何も言わなかった。言えなかったのだろう。私自身、狡猾だと分かっていた。

 だって、私の経験なんて私以外に分かるわけがない。それを盾にとって主張すれば、丞さんの言葉を刈り取ることは簡単だ。

 そして、もしここで丞さんが分からないけど想像くらいはできるなんてステレオタイプなことを言い出していたら、私はもっと憤慨していただろう。想像だけで分かった気になるわけがないと叫び散らしたはずだ。

 だから、丞さんの反応は正しかった。

 いや、違う。正誤ではない。そうするより他になかったのだ。私がすべての手札を潰し、何が返ってきたって叩き潰すつもりでいただけだった。

 そして、一度決壊した感情は一気に溢れ出す。止まらない。あの日の出来事は、つい今しがたのことのように鮮明に思い出せた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る