第五話

 森ではあったが、町から遠い場所ではない。車であればひと思いに移動できる距離だ。

 王都の結界は、辺境の町よりもずっと高位だ。頼りない支柱を基点にするのではなく、外壁によって阻まれている。無事にその中へと逃げ切った俺たちは、ようやく一息をついた。


「大丈夫か?」


 ミラーで見える範囲では、問題は起こっていないように見える。シートベルトがされていないのは問題であるが、こっちには道路交通法などないのでお目こぼしをしてもらうしかない。


「大丈夫」

「栄斗さんとキクウェテさんは、平気ですか?」

「はい」


 さくりと返した俺とは違い、キクは何やら不貞腐れている。キクウェテさん? と亜美が様子を窺う声を出した。一人一人の確認を怠らない部分は見所がある。雑だったこちらの肩身が狭くなるくらいだ。


「平気じゃないわい」


 唇を尖らせるキクに眉を顰めて、身体中を眺め回す。エミリーだったら即座にセクハラ認定されただろうが、キクは歯牙にもかけなかった。それよりも、平気じゃないと語るほどの物事で頭がいっぱいらしい。


「パフェを全部置きっぱなしじゃ」


 こちらは肩透かしを食らったが、後ろは気がついて意気消沈したようだった。


「せっかく作ったのに残念ですね」

「初めての映えじゃったのに」

「フォルビーは仕方がないだろ」

「ちゃんと画像に残っていますから」

「そうかもしれんが、せっかくなら食べたかったではないか。亜美が生クリームをやってくれたというのに」


 キクの憎めないところは、こういう部分だろうと思う。

 なんだかんだ言っても、年上だ。それも何百単位の年齢差がある。言葉遣いを含め、態度などは強気なことも多い。上から目線も否めないくらいだ。

 しかし、こうして人の好意を見逃さなかった。人など魔法使いに劣る存在だと豪語するくせに。切り捨ててはいない。この距離感、というよりもこの性質は割と卑怯なギャップだ。

 実際、亜美も胸にきたようで、いいんですよ! と熱を入れて励まし始めた。そのままキクを励ます会が開催され、アットホームな雰囲気が漂う。テンションの変遷に酔いそうだ。

 その中で、俺はそっとエミリーの調子を窺った。

 今はもう、いつも通りにキクを励ます会に参戦している。おかしなところは見当たらない。けれど、フォルビーにあったときの喪失具合は尋常ではなかった。そのときも浮かんだ疑問が再び上昇してくる。

 トラウマでもあるのだろうか、と。

 聞いていいものか。一方的に事情に繋がるような話を聞いたことも後ろ暗い。そして、それもキクの予測でしかない噂話のようなものだ。本当にトラウマと化している場合、俺は取り扱えるのかという不安が拭えない。

 ……エミリーを傷つける危惧、などと格好をつけるべきではないだろう。自分が慌てる不安や尻込みが肥大しているだけだ。前髪を掻き乱して、静かに息を吐き出す。

 聞くんじゃなかったな、というのは我が儘だろうか。

 こちらの懊悩など知らぬ女性陣は、キクを慰めにデザートでも食べに行こうという話になだれ込んでいた。それは励ましとは別に単純な欲求だろう、と突っ込んでは負けなのだろう。勝負事ではないけれど。


「行くぞ」


 と最終的に出かけるために俺を呼びつけたのはキクだ。

 もう立ち直ってんじゃねぇか。などと詮無きことを言うつもりはない。多数決なのは明らかだ。俺は従順な家来のように、女性陣の指示に従った。

 今度ばかりは、ピュイも食べ物に釣られているようだ。やっぱり、それぞれがデザートを食べたいだけになっているだけのような気がする。

 ブラックも食い意地を発揮して、威勢よく先を進んでいた。犬ではあるが、異世界の生物であることに変わりはない。デザートだろうとどんな加工食品だろうと、なんでも食べる雑食を意のままにしている。

 ピュイの餌付けのせいか。近頃はみるみる雑食になっていた。おかげさまで体重が増えたような気がする。寝床に侵入される率一位としては、自重してほしいところだ。

 ぼんやりと後を追っていた。女子会に巻き込まれた不運な気弱男子の様相だ。

 ハーレムだと思えれば、もっと幸福な気持ちになれるのだろうか。どちらかと言えば、面倒事に巻き込まれている気しかしなかった。こんな七面倒そうなハーレムあってたまるかとさえ思ってしまう。男役はブラックに任せよう。実際そんな構図なのだから、俺は傍観者でいい。

 しかし、俺の前を歩いていた亜美が歩調を緩めてこちらに並んできた。どうやらパワーを温存した案内には、限界があったようだ。サボれるという邪さが、よろしくなかったのかもしれない。


「怪我でも見つかりましたか?」

「いえ?」


 どういう問いかけか分からずに、語尾が上がる。俺はさきほど平気だと答えたはずだ。再確認されるようなことがあっただろうか。


「なんだか考え込んでいるみたいだったので……もしかして、やっぱり動いてみたら痛かったとか、そういうことがあったのかなぁと思いまして」

「ああ。大丈夫ですよ。ただ、女性のパワーに圧倒されているだけです」


 何を食べるか。それだけで大盛り上がりする前方の輪に苦笑が零れる。

 しかし、エミリーのことで考え込んでいたことは事実だ。どこか言い訳めいて聞こえたかもしれない。

 亜美はその差を感じ取ったのか。それとも、元より勘づいていたのか。すらりと一点を突いてきた。


「エミリーさんのことでも考えてましたか?」


 思わず、前方を眺めていた視線が亜美へと落ちた。こちらを窺う瞳は直線的で、何かを邪推している様子もない。


「どうして?」

「助けたばかりだから、気になるんじゃないかと思ったんですけど」


 意味深長でないことに、一安心した。同時に、亜美のことを勘ぐって警戒していた自分に気がつく。

 特定の女のことを考えているなんて、窺われたいものじゃない。そこに特別な意味を見出しそうになる俺は、エミリーの恋愛脳をどうこう言えたもんじゃないのだろう。


「平気そうだからよかったなとは思ってますけど」

「でも、エミリーさん調子悪そうでしたね」

「まぁ……色々あるんでしょう」


 濁したのは、慮ったわけではない。真実を知らないだけだ。しかし、亜美には俺がエミリーの秘密を擁護したように見えたらしい。


「大切にされてるんですね」

「は?」


 予想外の感想に、随分低い声が出た。亜美はきょとんと首を傾げている。そうしたいのはこちらだった。


「……班員ですので」


 どうにか絞り出した答えに、亜美は二・三度目を瞬いてから丸くした。そうして、頬に朱を乗せた亜美は、そこを両手のひらで覆う。


「ごめんなさい。私、早合点を……!」


 なんて初々しい反応だろうか。こんな新鮮な反応は久しぶりに見た気がする。やけに擦れたうちの連中からは、こんな可愛らしい仕草など出てきやしないだろう。


「謝る必要はないですけど……そう見えますか?」

「お姫様抱っこに躊躇がなかったですから」

「危機的状況でしたしね」

「栄斗さん、とっても素敵でした。王子様みたいな」


 なかなか過大な言葉の登場に頬が引き攣りそうになった。

 こちらを見上げる亜美の憧憬混じりの瞳を、つい最近も見た記憶が疼く。思い出の中の山方と違って、きらめきが過多であるような気がしてしまうのは自意識過剰か。それは俺という存在ではなく、王子様というものへの憧れだろうと切り離した。


「騙されないように気をつけてくださいね、亜美さん」

「どういう意味ですか?」

「チョロいってことですよ」


 亜美はぷっくりと頬を膨らます。


「馬鹿にしてますか?」

「いえ、危ういなぁと思いまして。こっちだとあれくらいのことやるやつはいくらでもいるので、気をつけたほうがいいですよ」

「少なからず知っている人だから思っただけですよ」


 つまり、俺だから。面映ゆくはあるが、それほどのアドバンテージをどこで手に入れたのか分からなくて苦笑になる。


「エミリーさんとのバランスもよかったので」

「気のせいですよ」


 そこだけは断言できた。美少女のエミリーと並んでさまになっているなんてことは到底ない。


「お似合いですよ、お二人とも」

「エミリーには言わないでくださいよ」

「え?」


 あいつは俺なんてまっぴらごめんだろう。猛抗議されるのが目に見えていた。亜美は不思議そうな顔になる。


「仲が悪いんですか?」

「いいえ。普通です」

「奥歯にものが挟まったような言い方ですね」

「そんなに大事なことですか?」

「王子様の想い人は気になるものじゃありませんか?」

「残念ながらそんな座にはついていないので」


 肩を竦めると、亜美も真似するかのように肩を竦めた。


「本当に残念ですね」


 どこか本気っぽい言いざまに、失笑が零れる。それは特に意味もなく、学校の人気者の動向を気にしてしまうような心情だろうか。予測できない感情は手に負えない。


「お店、決まったみたいですね」


 ちょうどよく進展したらしい前方の様子を伝えることで、逃げを打った。前方を見据えた亜美は、そうですね。と笑って前と合流する。俺は素知らぬ顔で後方を歩き続けた。

 俺とエミリーがお似合いだなんて戯れ言に、後ろ髪を掻く。それはどうにも苦くなるばかりだった。



 

 旅の最終日にできることはほとんどない。移動日としていることが多く、今回もそれに倣っていた。

 昨晩、キクは双子の部屋に遊びに行って語り明かしたらしい。現場に居合わせていたわけではないから内容は知らないけれど。どうやら、地球と異世界の食べ物談義に花を咲かせたようだった。

 それほど仲を深めた別れには、哀愁がふんだんに盛り込まれる。キクにまとわりつく双子。仲のよい姉妹のようで微笑ましく眺めていると、三人揃ってこちらに視線を寄越した。突然のことに、背が反る。


「スマホを出せ」

「なんだよ、急に」


 強盗のようなことを言い始めたキクに眉を顰めた。


「ID交換したいそうです」

「私たちからもお願いします」

「……人を連絡手段の中継地点に使うなよ」

「しょうがなかろう。連絡手段がないんじゃから」


 依然として、門を介さない交流方法は確立していない。交流を続けようと思えば、手紙という手法しかなかった。挙句、その手間をかけて繋がるのも難しい。異世界の運送にも不具合がある。安全確保が不安定だった。

 俺のスマホだって、異世界にいるうちは役に立たない。ID交換したところで、頻繁に連絡を取れるわけではなかった。しかし、それを言ったところで、この勢いが収まるとは思えない。キクは一度言い出したら、ほとんど決定事項としているところがある。

 大息を吐いて、スマホを取り出した。キクに渡したところで操作が覚束ないのは分かっている。壊されてはたまらない。俺は双子に向き直って、連絡先を交換した。


「ありがとうございます! 栄斗さん」


 晴れ渡るように笑う亜美に目尻が引き攣る。昨日の王子様発言が引っかかっていた。連絡先を渡したのが軽はずみのような気がしてくるのだから、やはり自意識過剰かもしれない。


「どういたしまして。キクに用事があるときはお気軽にどうぞ。ただ、即レスは期待しないでください」

「はい」

「キクさん、また映えを発見したら連絡しますね!」

「こっちもじゃ。美味しいものを見つけたら送ってやろう」


 きゃっきゃっとさざめく種族を超えた友情に感じ入るには、他人事過ぎた。こっちはそこまで思い入れもない。そんな雑な感情しかない相手の連絡先が増えることは、バツが悪かった。

 一度整理したはずの電話帳は、いつの間にかまた数を増やしつつある。キクが言いつけるものや、山方のように渡されたものを律儀に追加しているのが問題か。そう思いながらも、破棄するのも面倒くさい。

 ため息ひとつでスマホをしまった。


「連絡先をゲットしておいてため息なんて色男ですね」

「茶化すなよ」


 エミリーの目敏さに、またぞろため息が零れそうになる。


「そうじゃなきゃ、冷たい人ですけど」

「そっちでいいよ」


 変に人に優しいなんて印象がつくよりも、そっちのほうがマシだ。捻くれているのは重々承知だが、それでいい。エミリーは怪訝な顔になった。


「丞さんって、少し変ですよね」

「今頃気づいたのか?」

「……変ですよ」


 繰り返し、しみじみと零されて肩を竦める。ムキになる気力もない俺に、エミリーは不貞腐れているようだった。俺の無気力さにエミリーが感情を動かす意味が分からない。


「自分のことに興味がないんですか?」

「エミリーのこと?」

「その自分じゃないですよ」

「ほっとけ」


 白を切ることが失敗に終わった俺は、適当に話を切り上げる。まだ食い下がろうというのか。エミリーがこちらを見上げているのが分かって、ぐいっと頭を押して物理的に視線を引き剥がした。


「双子と別れ話をしなくていいのか」


 エミリーは文句ありげな瞳を寄越す。しかし、無駄と悟ったのだろう。何も言わずに離れていった。

 離れた位置から惜別を見やる。

 変なことなんて今更言われるまでもないが、突かれると面倒な図星ではあった。気づいているのはエミリーだけじゃないだろうが、直截に絡んでくるのは厄介だ。

 女性関係においてもそうだが、俺のことなんて放っておいてくれればいい。恐らくは、俺が男漁りにしつこく言い含めることへのやり返しで、深い意味はないのだろうけれど。

 キクと双子の微笑ましい別れは数十分。そうして、俺のスマホには、シェアされる映え写真に圧迫される日々が待っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る