第四話

 ピュイが腰を上げて、キクが周囲を見渡す。一瞬の間に、ざわざわとした怪音が森に木霊した。

 現在いるのは、森の中の野原だ。ピクニック気分だったのか。あるいは、魔法を使う算段があったからだろうか。今朝方、こちらに移動してきたのだ。それが仇になったらしい。

 モンスターと呼ばれる生物は、魔法を感知できる。それに応じる策は、モンスターそれぞれによる。今は最悪にも、撃退の道を取られたようだ。

 音の正体はすぐに判明した。

 蜂だ。正式名称はフォルビー。まさしく蜂であるが、その体長は四十センチから八十センチの間にある。体長の半分が針で、毒云々というよりはショック死や失血死のほうがよっぽどありえる蜂だった。

 それが凶悪な羽音を鳴らしながら、数十匹の群集でこちらへ向かってくる。圧巻にもほどがあり、双子の顔から色が消えていた。俺はタラップを降りて、後ろから二人の腕を引く。


「入って」


 短く告げて、車に押し込む。二人は半ば倒れるようにどたどたと車内へと引っ込んだ。


「戻れ!」


 二人以外にも声をかける。

 フォルビーはどんなに大きくても虫だ。その身体は柔らかく御しやすい。ブラックなら、食い散らすこともできるだろう。しかし、それを行うには毒が邪魔をする。ここは引くしかない。以前に遭遇したときも、逃げの一手で振り切った。

 とはいえ、以前はキャンピングカー越しの遭遇だ。なので、肉眼。隔たりなく目にするのは初めてだった。怯みそうになる心を奮い立てながら、運転席へと回る。

 それぞれ動いているだろうと信じていた。しかし、エミリーが助手席に乗ってこない。バックミラーで後ろにも乗っていないことを確認する。ついでに、ブラックとピュイが乗車済みなのも目視した。キクもまだか、と身体を乗り出して、外の状況を確認する。

 視界に飛び込んできたのは、飛び回る火の粉だった。虫が火に弱いのは、ゲーム内知識と大差ないらしい。迎え撃っているのはキクで、そこに奇妙さはなかった。

 だが、問題はエミリーだ。キクが背にして庇っているエミリーは、へたり込んで動かない。ただでさえ白い肌が、青白く陰っている。目の焦点が合っていない。

 何があった、と巡らす思考は放り出した。森を追いやられた事情にフォルビーが関わっているのでは、と掠めたのは、それが真新しい情報だったからだろう。

 俺は運転席を飛び出して、エミリーの元へ駆け出した。フォルビーたちにとっては、飛んで火に入る夏の虫だっただろう。しかし、俺は一切の注意を払わなかった。キクが何も言わずに、こちらへ応じてくれている。

 別世界の住民である魔法使いと人間が、互いのことを知り尽くすなんぞ不可能だ。けれど、腐っても四年の付き合いになる。寝食をともにする四年は、通常の四年よりも濃い。これくらいは言葉なくして通じ合える程度には、信用していた。

 スライディングでエミリーの前に滑り込む。ぐっと肩を掴みかかったが、エミリーは虚ろなままだった。


「エミリー」


 揺さぶって声をかける。視線はこちらに流れてきたが、虚ろなのは変わらない。棚上げにした何があったのかという疑問が、恐怖になって再び湧き上がってくる。それを捻じ伏せるように、もう一度肩を揺さぶった。


「エロフ!」


 瞬間、ハイライトが戻る。場違いな呼びかけなのは分かっていたが、手段を選んでいる場合ではない。


「立てるか?」


 焦点の合った瞳に問うも、頼りなくくしゃりと歪んだだけだった。

 それを馬鹿にするつもりもなければ、責めるつもりもない。苦手なものに迫られて心が立ち止まるのを、呑気に指摘などできるものか。他人の恐怖を推し量るなど図々しく、そして不可能だ。想像するならまだしも、これくらいなどと軽んじられるわけがない。

 エミリーを追及するつもりはなかった。


「分かった」


 即断して、折り込まれた膝に手を差し込む。


「ちょ……っ」


 正気に戻ったらしいエミリーの驚愕が耳元に響いたが、無視した。そのままお姫様抱っこと呼ばれる形で抱き上げる。軽過ぎるやら不安定やらで慄いたが、逡巡している暇はない。

 思えば、こんなことをしたのは初めてだった。


「掴まれ。落ちるぞ」


 一方的に言いつけて、抱き寄せた。この間セクハラで拒否されたことも忘れて、車体へと駆け寄る。エミリーも落とされてはたまらないと思ったのだろう。そんな場合でもないと。慎ましやかに抱かれていた。

 車のドアは開いている。キクはエミリーと同時に、扉も死守していたようだ。俺はそこに滑り込んで、ピュイにエミリーを押し付けた。二人とも体格は同じくらいなのでギリギリだっただろうが、すぐに双子の手が助けに入ったようだ。俺は踵を返して扉を閉める。


「キク、いいぞ」


 叫びながら助手席を開いて、今度こそ発進するために運転席へ回った。ひときわ大きな火球が地面に打ちつけられる。同時に、キクが助手席に転がり込んできた。ときを移さずに、アクセルを踏み込む。

 急発進に文句はでなかったが、各々慌てる気配はあった。何よりも外のフォルビーを引きちぎるのが第一だ。一顧だにせずハンドルを切った。

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