第三話
「栄斗さん、私やりますよ」
生クリームを泡立てていた俺の元に、亜美がやってきた。ロングヘアを邪魔にならないように結んだポニーテールが揺れている。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。あんまりやったことないですけど、疲れますよね? どうせならやってみたいですし」
「じゃあ、任せますね」
泡立て器を使うくらいの電力は積んである。だが、肝心の電動泡立て器を常備なんてしていない。抜き打ちのような調理には間に合わなかった。キクは魔法でやり過ごすつもりでいたのだろう。それを奪ったのは俺だから、疲れたなんて言うつもりはなかった。
だが、せっかくと言うのだから任せる。異世界にまで旅行に来たがる人間は、体験を求める人間が多かった。
亜美は楽しそうに手を動かしている。手持ち無沙汰になった俺は、なんともなしに様子を見守った。そうしていると、手つきが目につくものだ。それが不器用となると、どうしたって無視はしていられなくなる。
「亜美さん、もう少し奥から手前に叩くようにしたほうがいいですよ」
「たたく……?」
亜美が手を止めて、首を傾げる。合わせて傾いたポニーテールの毛束が揺れた。
「腕をこう……失礼します」
亜美の後ろに回り込み、手を添える。泡立て器をともに掴むと、実践した。
「うわ、疲れますね。これ」
「変わりますか?」
「いえ、やりますよ!」
意気込んだ亜美が元気に答える。腕の中でそうする彼女は微笑ましくて、口元が緩んでしまった。
「それじゃあ、このまま角が立つまで頑張ってください」
笑みが不自然にならないように声をかけて、身を離す。ここまでくれば、お役御免だろうと作業スペースから離れて、座席のソファに腰を下ろした。瞬間、テーブルを片していたエミリーと目が合う。
「やっぱりデレデレしてるじゃないですか」
「してないだろ」
「タラシですよね」
「恐れ多い」
「褒めてないですよ」
「タラシってのはこんなもんじゃねぇの」
「ある程度は自覚あるんじゃないですか」
「そうは言ってない」
エミリーは不審な目を残しながらも、話を切り上げて調理中の輪に戻っていった。
女性陣は、キャンピングカー内のキッチンに団子のように集まっている。キャンピングカーの扉を開いて場所を拡張しているが、広がる気はないようだ。ブラックが我先に外に出て、ピュイがその相手をしている。
四人はわちゃわちゃしていた。キクが見様見真似で用意したらしいガラスの容器に、それぞれが盛り付けをしている。
そうこうしているうちに、一番先に完成させたらしいキクが輪を抜けて、テーブルへとやってきた。俺の前に座って、他が終わるのを待つようだ。エミリーがフルーツの先生となっているらしい。適任だ。
「……ああしていれば、いい子なんだけどな」
「エミリーのほうが年上じゃろうが。いい子なんぞ言えた義理か」
「見た目は双子と変わらないんだから、しょうがないだろ」
それに、年上と言っても三歳ほどの差しかない。いい女などと傲慢な言い方をしなかっただけマシだろう。
「まぁ、年齢のほうはそれでもいいじゃろうがな……ああしていれば、は余計じゃろう」
「客に手を出されるのは迷惑なんだよ」
「そうだとしてもじゃ」
含みを持たされて、目を細めた。俺にしてみれば、年齢差よりもずっと切実な部分だ。キクは呆れたような顔つきで、やむなしとばかりに続ける。
「エルフは普通、人間社会には馴染めん」
「……だから、働くことに不真面目なのを許せって?」
自分が並外れて勤勉だとは思っちゃいない。それでも険のあるトーンになった俺に、キクは思いきり白けた目を向けた。
「いくらオレでもそこまで甘いことは言わんわ。自分で人里に降りてきた以上、馴染まんわけにはいくまい。そちらでいうところの、郷に入っては郷に従えというやつじゃ」
「じゃあ、何を鑑みれって?」
「エルフは森の民じゃ」
「はぁ……?」
話がループしている。それも瞬時にだ。眉を歪めた。
落ちた沈黙に、双子とエミリーの長閑な笑い声が通り抜けていく。キクの口調は、どっしりとした……少女の見た目と不釣り合いなほどに老練されたものだった。
「人里に降りてくるには、それなりの事情があろう」
「事情……」
「住み処を捨てて生きていかねばならんものじゃろ」
ありふれたように零された厳しい現実に言葉を失くす。
日本に住んでいれば、そんなものは特殊事情だ。
そりゃ、日本にだってDVやら虐待やらで家を離れることを余儀なくされる場合はある。ニュースで見るたびに痛ましい気持ちになるし、なくなることを願わずにはいられない。しかし、だからといって自分の周囲にあるものとして誰もが実感を持っているかと言われると、それは怪しい。少なくとも、俺には身近なものではなかった。
地球でそういった家庭事情を聞かされても、俺は言葉を失くすだろう。そこに異世界の事情とやらを加味すると、とてもじゃないがみだりに口を開くことはできなかった。
森に住む住民が住み処を追われる。
最悪を思い巡らせば、集落ごと壊滅的な状況に陥り、命からがらということすら考えられた。それほどの危機的状況がごく自然に転がる世界のことに、平和な世界の住民が何かを言えるものじゃない。
今までエミリーの事情を鑑みたことなどないことに、僅かばかりの後ろめたさが芽生えた。しかし、徐々に思い至る。それと男癖の悪さに、何の因果関係があるというのか。
重い雰囲気で思考を促され、キクは今もまだ深刻さを漂わせている。なまじ深刻であることは事実なだけに、俺はうっかり空気に飲み込まれるところだった。上手く丸め込まれているだけでは、と疑いの眼差しを向ける。キクは神妙な調子を崩さない。
ついに口を開こうとしたところで、盛り付けをしていた三人がこちらへやってきた。
「できましたよ!」
「キクさん、やりましょう!」
「おお。山盛りじゃの」
双子の勢いに歯を見せて笑ったキクが、座席から立ち上がる。そのまま、制作したパフェを片手に外へと出て行った。一体何をするつもりなのか。ぞろぞろと全員が出て行き、取り残されると状況が気になるものだ。
タラップに立って、傍観する。輪の平穏を取り壊してまで、キクとの話を蒸し返すつもりもない。
キクが車から簡易的なテーブルを持ち出して、野原にセッティングする。四人はそこにパフェを並べた。
生クリームが飾りとなっているのは現代風だ。だが、乗っているフルーツは異世界産のものが多く、鮮やかさに欠ける。ウエハースなどのトッピングもゼロだ。結果的にシンプルなフルーツパフェになっているそれは、四つ並べてもあまり豪勢には見えない。
それを並べ終えると、キクを除いた三人がテーブルから離れた。意図があるような動きに、ピュイとブラックも目を向けている。
「何するんだ?」
独り言のように零した俺を、亜美が仰ぎ見た。
「キクウェテさんが、映えにしてくれるらしいです」
「映えに、する?」
映えに動詞がつく怪しさに眉間に皺が寄った。亜美は、はい! と快活に微笑む。楽しくって仕方がないって顔だ。水を差すのは野暮だろう。しかし、悪い予兆がした。妙なところだけ冴え渡る勘が叫んでいる。
それをどうこうしようとする暇は与えられなかった。
読解不能。聞き取り不能。外国語にしてみても、不可解極まりない呪文が詠唱される。学べば聞き取ることもできるのだろうが、魔法の呪文を学ぶ機会はない。いくらプランナーとして両世界の知識を得るにしても、魔法の呪文の把握までは求められはしなかった。
キクいわく、一応秘匿の呪文もあるらしい。魔法使い以外のものに教えられるものでもないと言う。なので、今までもこれからも、さっぱり理解不能な言語による呪文だ。
その呪文により、キクの杖先に魔力の光が集まっていく。
淡い金色の光は、ただの光源にしか見えない。だが、この塊がエネルギー体であるらしく、魔法の根源が詰まっているらしい。こればっかりはどんなに見ていても体感できないので、口伝にならざるを得なかった。
そうして、集まった光が放電するかのように周囲に広がる。呪文も大詰めなのだろう。
ぱっと散り散りになった光が、青く整った氷の結晶や水晶を形取り、辺り一面に咲き誇った。はらはらと舞う粒子までもが青い。キクの髪色も青いままなので、色の妖精のようだった。少女の見た目が、妖精の持つ無垢さを連想させる。
その幻想的な世界の中に、現実的なカメラのシャッター音が響き渡った。
陶然としている亜美の隣で、真美が写真を撮っている。様々な角度から収められるそれにはキクも含まれていて、料理の映えとは違う気がしてならない。もちろん、映えにも種類があるのは知っているが、これではパフェは添え物でしかないだろう。
キクとしては、パフェを着飾ったつもりのようだ。それで見栄えアップ。感動の演出。間違ってはいない。
しかし、映えるパフェを作った感動というよりは、キク……異世界の魔法使いと触れ合った思い出なのではあるまいか。腕を組みながら、その光景を眺める。
「どうじゃ? 撮れたか?」
わくわくが抑えきれていない。太陽のような笑みを携えたキクが、双子に様子を問う。カメラを構えていた真美が、写真を確認して表情を光らせた。それだけで、答えには足りただろう。
しかし、キクは自分の目でも確認したいらしい。とことこと真美の元へと駆け寄って、腕に縋りつく。まるで妹が姉に甘えるかのような行動だ。実年齢は真逆だが。
そういえば、真美と亜美はどちらが姉なのだろうか。二人は互いを名前で呼び合うので、判断ができない。知ったところで相槌を打つ程度の反応しかできやしないだろうが。
しかし、思考はとんとんと石畳を飛ぶかのように移動するものだ。くだらないことをぽやぽや考えていると、ブラックの唸り声が空気をつんざいた。
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