第三章

第一話

 芯から種族差別をしたことはない。少なくとも、目に見えて不興を買うような甚大な一手を打った過去はなかった。

 とはいえ、異世界にはビビる種族がいる。言葉の通じないモンスターの類とは別に、魔族と呼ばれるものがこちらにはいるのだ。

 主には、人に仇なすもの。及び、共存が難しいものがそれにあたる。厳密な定義がないところが味噌だった。

 眼前の吸血鬼も魔族に含まれる。俺はめっきりへっぴり腰だ。これは差別ではないだろう。違うと言って欲しい。生命の危機と隣り合わせであるのだから、危機管理能力云々の問題のはずだ。

 エミリーでさえも警戒心が働いたのか。食いついたりはしていなかった。

 白磁の肌を持ち、紫苑の瞳を深くきらめかせる。深緑の髪をなびかせるイケメンだと言うのに、声をかけない。その平穏さに違和感を抱くのだから、俺も大概毒されていた。苦々しく思いながら、ハンドルを切る。


「丞浪、お主はあちらの世界の人間なのだろう?」

「そうですね」

「地球の人間というのはみな、お主のように器用なのか?」

「俺のように、ですか?」

「このような鉄の塊を運転できるものがたくさんいるのかと聞いている」

「ああ、そうですね。比較的、多くいると思いますよ」

「比較的、思う? はっきりしないな」


 これはこの吸血鬼の特性だろうか。それとも、魔族と呼ばれるものがみなそうした考えの基にいるのだろうか。曖昧性を嫌い、きっぱりと感情を口に出す。自分とまるで違う性質の生物に出会うと、率直に怖じ気づいた。


「免許がいるんですよ。取るための年齢制限もあります」

「ほう。あちらは体系づいているのだな」

「そうなりますね」


 賢いのか。達観しているのか。読めない相手だという認識が、どうにも言葉を曲解してしまいそうになる。そんなつもりはないのだろうが、探りを入れられている気分だ。


「ここの連中はニホンに行き慣れているのか?」

「エミリーは初めてですけど、他はそれなりに」

「エミリー? ああ、エルフのことだったな」

「はい」


 普段なら、ここでアピールが入る。相手が後部座席にいようとも関係がなかった。山方のときも振り返って相手をしていたのだから、今日とてやればできるはずだ。けれど、エミリーはおとなしく前を向いて相槌を打っただけだった。

 それを指摘するわけにもいかない。俺にとっては都合がいいことであるし、本来掘り返さなくていいことのはずだ。しかし、異常性はすわりが悪い。運転席でなければ、何度も座り直していただろう。


「それでは俺と一緒だな。エミリー、楽しもう」

「お仕事ですので、それなりに。クリスティン卿をご存分に楽しませるほうに尽力致します」


 あからさまに、しゃちこばっている。双子と一緒になってはしゃいでいたのだから、尽力などていのいい断り文句にしか聞こえない。クリスティン卿はそんなことを知り得ないだろうが、知っているこちらはまったくもって気持ちが悪かった。


「なんだ。お堅いんだな、君は。ともに楽しむものもいると聞いているが?」

「もちろん。お付き合いしますよ」

「安心せよ。オレたちは腰が軽いほうじゃ」

「それはいいな。そちらの魔法使いさんは楽しんでくれるわけだ。そちらのお嬢さんは?」


 吸血鬼は、俺たちに案内というよりは同行者としての姿勢を求めているようだった。日本を観光したいという魔族は、そういった要望を口にすることが多い。求められる以上は応えるしかなかった。仕事は仕事だ。


「ニホンについては任せてください」


 ただの人間であるはずのピュイだが、吸血鬼に気を呑まれないらしい。

 俺よりもずっと魔族について熟知しているだろうに。もう少し、警戒心があってもおかしくはない。それとも、知っているからこそ、これほど気楽な態度でいるのだろうか。

 だとすれば、魔物という存在は案外付き合いやすい相手なのか。たった四年ぽっちの歳月では分からないままだ。未詳な生物であることだけは確かだった。


「それは頼もしいことだ」

「けれど、大丈夫なんですか?」

「なんだ? 危惧するようなことがあるのか?」

「ニホンは今、夏に入ろうとしているところですよ。日差しも強いですし、吸血鬼にとっては天敵では?」

「ああ。そんなことか。俺はこれでもかなり強い種族だからな」


 その声には、誇りが過分に含まれている。

 これは魔法使いにしても、エルフにしてもそうだが、こちらの住人は人間を見下す風潮があった。異世界では魔力や魔法の力が幅を利かせている。その能力をもったく持たない人間は、脆弱な生き物扱いだった。

 脆弱なのは間違いないし、異世界の価値観を覆そうと奮起するつもりもない。ただ、これに慣れきっているのも虚しい話だとは思う。

 しかし、ピュイは少しも気に留めなかった。虚しいなぞ余計なお世話だとでも言わんばかりに。それどころか、見下されていることなど知ったことかとばかりに。切れ味のいい滑舌を、留まることなく滑らせる。


「地球を舐めていると痛い目を見ますよ。こちらとは熱波の勢いが違います。異次元です。毎年、暑さで幾人もの死亡者が出るんですから」


 事実だが、こう聞くと何やらとんでもない地に住んでいるように聞こえる。

 クリスティン卿は、整った眉を顰めた。禍々しさが感じ取れる。霊感など皆無だったが、殺気や敵意をスルーしていられるほど無防備ではなかった。ましてや、危機的状況と隣り合わせの業種だ。幾ばくかは、センサーが鋭くなっている。


「君は俺がそんなものに敗北するとでも?」

「勝ち負けの問題ではありません。安全な旅を案内するための重大な問題です」


 涼しい顔は心臓が強いんだか、鈍感なんだか。

 だが、去年ピュイが入社してきてから、魔族の相手が格段にやりやすくなったのは間違いない。こういう場面でのこいつは、大層頼もしかった。

 魔法使いでは、ときに正面衝突する。これは、なまじ長生きをしているもの同士のプライドの問題だろう。その衝突に、小童になる俺では介入が難しく、手こずっていた。それがピュイのおかげで解決している。ありがたいばかりだ。


「じゃあ、どうしろって?」

「帽子はいかがですか?」

「それだけで済むのか?」

「お強いクリスティン卿であれば、多少の防護で安全は図れると思います。案内先を涼しい屋内にすることも可能です」

「そうか。では、そのように頼む」

「かしこまりました。丞班、向こうでまずは洋服店に寄って」

「了解。エミリー、左か?」

「右ですよ。次が左です」

「サンキュ」


 異世界人を日本へと案内する際は、迎えに行ってから門への輸送をすることも多い。その道筋は、一筋縄とはいかなかった。一人ならただの迷子で済むが、お客様を乗せている以上計画に問題が生じる。エミリーの存在も、今や欠かせないものとなっていた。

 だから、気になるのだ。おとなしく仕事だけに集中しているエミリーは、やっぱり変だった。

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