第二話
「どうした?」
ブラックを店舗に入れるわけにはいかない。ここからの移動は徒歩になるようなので、車内においておくこともできない。外に連れ出したブラックを見張る役目として、エミリーと二人で残っていた。
ブラックなら、一人で残しておいても他人を襲うことはない。だが、それを分かっているのは自分たちだけだ。対外的にはペットを野放しにすることになるので、歓迎されることではない。
クリスティン卿は、ピュイとキクに任せている。
吸血鬼相手にキクだけでは衝突の不安も残るが、ピュイがついていれば大丈夫だろう。信用において、勤続年数的に逆転現象が起こっていることには言及しないようにしておく。口に出せば、キクが喚き散らす想像は容易い。
エミリーはこちらを見ると、気怠げに首を傾げた。ハーフアップのブロンドが、陽光に輝いている。
「いい男だろ?」
「吸血鬼に手を出すほど怖いもの知らずじゃありませんよ」
「見境なかったくせに」
「魔物に手を出したことはありません」
「それ以外はそのつもりだったんじゃねぇか」
エミリーは唇を尖らせて、顔を背ける。何ひとつ誤魔化しになっていない。
「吸血鬼は面倒なのか」
「だって、負けてしまいますから」
「は?」
勝負事になった話の流れが分からなかった。
恋愛事もある種の勝負事に分類したとして、この場合の黒星は何を示すのかが分からない。フラれるということなら、山方にだってフラれたようなものだ。その失敗を恐れるエミリーではないだろう。恐
恐れないというよりは、何も考えていないのではと思われるが。何にしても、負けるの意味が掴み取れないことに変わりはなかった。
怪訝に埋もれる俺に、エミリーは答えを寄越さない。追及しようとしたところで、店のウィンドウが開いた。現れたのはクリスティン卿で、個人的な会話を続けることは難しくなる。それも、クリスティン卿を肴にしていたのだ。陰口ではないが、陰で話していたことには違いないので、切り上げる他なかった。
クリスティン卿は、すっかり地球用に誂えられていた。黒ずくめのスーツのような姿は消え去っている。深緑の髪色だけは異世界人らしかったが、それ以外は地球人だ。
Tシャツにジーンズ。キャップを被って、サンダル。サングラスと薄手のパーカーは、吸血鬼であることへの配慮だろう。それを選んだのがピュイであることは明白だった。
「どうだ?」
「お似合いですよ」
浮かれたバカンス野郎にしか見えなかったが、不都合があるわけではない。自動返答装置でももう少しマシなことを言ったのではないかというほど、当たり障りなく答えた。
しかし、クリスティン卿はそれで満足したらしい。言っちゃ悪いが、魔族連中は人間が刃向かうことを考慮していない。嘘をつかれるとは思ってもいないのだ。嘘をついているつもりもないが、額面通りに受け取ってくれるのはありがたい限りだった。
「どちらに行かれるか決まりましたか」
「秋葉原とやらに連れて行ってくれ」
「え」
オタクの聖地というには、いくらか落ち着いたかもしれない。近年は池袋などに分散しているところがある。しかしながら、やはりマニアックな点で言えば抜きん出ているだろう。そのセレクトに、ピュイが噛んでいることは明らかだった。
日本フリークが拗れたピュイは、やたらとサブカルに強い。下手すると俺よりも詳しくて、秋葉原を自分の庭のように思っているところがあった。
趣味なのだから文句はない。しかし、吸血鬼のクリスティン卿が秋葉原で楽しめるのかについては甚だ疑問だ。日本文化に詳しいということもなさそうなのに。どんな案内をして導いたのか。
ピュイに視線を送ってみるも、泰然とシカトされた。副班長の班部分を呼称に使うくせに、敬う気は更々ないらしい。
「ピュイに案内してもらうことにしたからよろしく頼む、丞浪。吸血鬼の物語に触れたいのだ」
「……かしこまりました」
承諾以外に道はない。
とはいえ、脳内にピックアップされた吸血鬼話はろくなものではなかった。少なくとも、自分の強さを誇る本物の吸血鬼が読んで愉快になる話なのか分からない。
悲恋したり、力を失ったり、人間とハートフルな関係を築いたり、人間が吸血鬼になる苦悩を描いたり。クリスティン卿がそういうものを求めているようには見えないが、それでもいいのか。専門的なことはピュイに任せよう。
俺は案内に徹する。こちらではエミリーの道案内が頼りにならない。初めての地だ。
もしかすると、エミリーの様子がおかしいのは魔族が云々ということではなく、見知らぬ土地への身構えだろうか。そちらのほうが、いくらか事態が難しくなくていいような気がした。
しかし、負けるといった以上、やはり吸血鬼にも思うところはあるのだろう。住み処を追いやられた事情を含めて、聞けないことが積もり始めていた。
「あーきはばーらー」
異世界人にとって、地球の文化はおよそ最新のトレンドだ。扉が開いたのが四十年前と行っても、交流が頻繁になったのはここ十年ほどの話である。そのため、こちらで何年、何十年も前の話であろうとも、あちらにとっては最新だった。
ピュイは天に腕を広げて声を上げる。他人の振りをしたくてたまらない。クリスティン卿が真似するものだから、注目を浴びて居たたまれなかった。頼むから、妙な文化を覚えて帰らないでほしいものだ。
「ひとまず歩きましょうか。気になるところがあったら言ってください」
「ああ。ピュイのオススメがあったら教えてくれ」
「もちろんです」
すっかり打ち解けているらしい。先行する二人を追う。
「ところで、獣人はその格好でいいのか?」
しばらく歩いたところ。不意にクリスティン卿に突っ込まれて、ブラックの耳がピンと持ち上がった。地球人にはどこからどう見てもただの犬だが、異世界人には獣人だとバレるものらしい。毎回のことながら、すぐに指摘された。
「獣の形態に適性があるみたいなので」
「人型のほうが都合がよいのではないか?」
「異世界なら許されるかもしれませんけど、日本だとマナーが怪しいんですよ」
「厳しいと聞いているがそれほどのものなのか?」
「この場合は、ブラックに適応力がないだけです」
ワン、と吠えられて苦笑する。どうやら不満らしい。
しかし、事実だ。獣人であるブラックを、人型の状態で日本で自由にさせるのは恐ろしい。それならば、犬。ペットとして連れ歩いたほうが、よっぽど安全である。そして、安全は守らなければならない。業務であるからには、それは可能な限り絶対だ。
「君は賢いのだな」
文句を言いながらも身勝手に変身したりしないブラックは、クリスティン卿に褒められてしっぽを振っている。チョロいやつだ。野生を失っているのではないか。
そこからは、クリスティン卿の興味の赴くままに歩く。ピュイの少し偏った解説には苦笑ものだ。横やりを入れるほどこちらも詳しいわけではないが、偏っていることだけは明確に分かる。クリスティン卿はそれを楽しんでいるようだった。
「それじゃあ、物語でも見に行きましょうか」
漫画専門の書店に向かうピュイに、クリスティン卿は意気揚々だ。
ここで、エミリーとブラックは別行動を申し立ててきた。本来なら職務放棄にあたるが、場所が場所だけに仕方がない。ブラックの入店に気を回した発言であろうし、俺はいくらかエミリーに資金を渡した。
「ありがとうございます」
「ブラックを甘やかすなよ」
「最近、太ってきましたからね……」
「それから、逆ナンとか怖いことはするなよ」
「何ですか、その忠告は」
不機嫌にむくれる。そのあからさまな態度は、いつもの説教における一連だ。いつも通りであることに、少しだけ胸を撫で下ろした。
「本気で危ないって話だ。ブラック、エミリーをちゃんと見ててくれよ」
「ばう!」
「よし。頼んだ」
ぐりっとブラックの頭を撫でて任せる。ついでに膨れるエミリーの頭も撫でた。
「気をつけろよ」
「分かってますよ!」
俺の手から逃げるように、エミリーがブラックと去って行く。
日本には浮いた存在だ。美少女という点でも浮いているので、本格的に乖離している。もっと陽気な連中のたまり場に放り出したら、速攻でナンパされそうだ。とはいえ、今はいざとなったらブラックがいるとその背を見送った。
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