第三話
「丞浪は意外とタラシなんだな」
「は?」
相手がクリスティン卿であることも意に介さない、不体裁な声が出た。不敬であっただろうに、クリスティン卿はおかしそうな笑いを滲ませて大袈裟に肩を竦める。嫌味にも見えるポーズもさまになるものだ。
「まぁ、いいさ。ピュイ、案内してくれ」
不本意に切り上げられてしまったが、追及しても望まぬ返事が返ってきそうだったし、聞きたくもなかった。タラシについてなぞ、講釈されてはたらまない。
俺は黙って、テンションの高いクリスティン卿を導くピュイの後を、キクと二人で追った。
「世俗に塗れるものじゃな」
言わんとしていることに、苦笑が零れる。前方の二人は、どこからどう見ても観光にはしゃぐ大学生とJKのコンビにしか見えない。
吸血鬼。異世界人はそれを高潔な種族と認識している。そんな彼らが人間の暮らしに馴染んでいるのは、世俗に塗れたと言っても過言ではないだろう。
かくいうキクは、どれだけ地球に興味関心を抱いても、魔法使いのスタイルを崩していない。白いシャツにハーフパンツ姿はそう人間と変わりないが、魔法使いの証しである黒いマントはいつだってその背で揺れていた。
場所が場所だけにコスプレに見えなくもなく間が悪いが、世俗に塗れているとは言わないだろう。……コスプレと評すれば、よっぽど日本文化に侵されている見えるが。
店舗に入って本棚を進むピュイの足取りには、露些かの迷いもなかった。そりゃ、通い慣れた場所の目的地くらい覚えているものだ。それくらい身に覚えがある。
しかし、今日は吸血鬼の物語という縛りがあったはずだ。にもかかわらず、立ち止まる気配はおろか、書棚を一瞥することもなく進む。まさかすべてを掌握しているのではあるまいな、と頬が引き攣りそうだ。
ピュイが休みのたびに日本に渡っているのは知っていたが、ここまで徹底しているとは知らなかった。知りたくなかった、というのが本音だ。一角に辿り着くと、ピュイは足を止めた。
「こちらです」
指し示したのは、異世界特集のコーナーだった。隣には、異世界種族コーナーも並んでいる。なるほど。こういうディスプレイがあるのか、とリアル書店の工夫に感心する。確かに需要はあるだろう。
そして、ピュイが把握していたのはこのコーナーだったのだと分かり、心が和らぐ。どっちにしても詳しいことに変わりはないが、網羅よりはいくらか気楽だ。
クリスティン卿は、ほう。と唸りながら本を手に取る。
異世界ものの覇権は、ライトノベルだ。コミックの中にもラノベ原作のコミカライズが多い。近年はジャンルも幅広くなっており、エッセイや旅本でも取り上げられるようにはなっている。しかし、根強い物語としてはラノベが君臨していた。
クリスティン卿はそれを手にして、ぱらぱらとページを捲り始める。
「読めるのか」
独白のような呟きに
「長生きを馬鹿にしてはならん」
とキクが不遜に笑った。
そして、自分も読めるとばかりに本を手に取る。キクが日本語を読めることはもう知っているし、何のアピールにもなっていない。すぐに内容に意識を取られた様子を見るにつけ、物語が気になっただけだろう。
異世界他種族が並んでラノベを捲っている。とっちらかってるな、という印象だ。そうして、もう一人。熱心に本を物色しているものがいる。仕事は終わったとばかりに長閑なピュイだ。
「おい」
低く声をかけると、ピュイの視線が一瞬だけ持ち上がる。しかし、それはすぐに伏せられて、華麗な無視を決められた。中途半端に反応するのが腹立たしい。無視を無視して忠告した。
「同人誌を物色すんじゃねぇよ」
しかも、思いっきりR指定の文字が躍っている。セーラー服の外面だけ見ると、お前はNGだからな。高校生は買えないからな、と叫んでやりたかった。
ピュイの向こう側に積み重なっている膨大な量の同人誌には、眩暈がしそうだ。それをウキウキと物色しているピュイには呆れ返りそうだが。
「偏見?」
「仕事中だ」
「クリスティン卿の興味がありそうなものを探している」
「ねぇだろ!?」
「うるさい。吸血鬼なのだから、えげつない性癖があるかもしれない」
「えげつない性癖はお前だろうが。卿に勝手なイメージをつけんな」
「私にそんな妙な性癖はない。せいぜいハーレムプレイ」
「妙齢の女がそういうことをTPO憚らずに暴露するな。それも男に向かって」
「男に向かっては関係ある?」
「……いらぬ想像を働かせられても知らねぇからな」
ピュイの赤い瞳が侮蔑に揺らぐ。
「してない」
即答すると、それが怪しいとばかりに目を眇められた。誰が想像などするか。白眼を向けても、疑いの鋭さは消えない。
「エロフなんて言うくらいだし、そういう知識も豊富。丞班のほうがえげつない」
「それとこれは繋がらないだろ」
「だって、エロフは大体エロ同人誌の産物」
そう言って、薄い本をこちらに見せつけてくる。ご丁寧にエルフもので、めくるめく色事が濃厚に映し出された際どい表紙だった。
二次元のイラストでえげつなさに引くほど初心じゃないが、それにしてもやめてほしい。うちには本物のエルフがいて、その身体的特徴もリアリティを持って実感しているのだ。あまり考えたいものではない。
「正当な物語のエルフはエロフじゃないし、そもそも本当のエルフもエロフじゃない」
「分かってるよ、そんなことは」
「エミリーだけ特別?」
鼻頭に皺が寄る。
エミリーをエルフ代表と認識しているという意味では、間違っていない。しかし、どうにも特別という響きはいけ好かなかった。そんなもんじゃないと、わけもなく否定したくなる。
「男癖をからかってんだよ」
「今日は出てない」
「……負けるらしいからな」
忘れていたわけじゃないが、とみに蘇った言葉を落とした。ピュイも不審な顔になる。
「エミリーがそう言ったの?」
「吸血鬼に手は出せないってさ」
ピュイはそれだけの情報で謎が解けたようだ。今度はこちらが不審を浮かべる。こちらが解決していないものを一瞬で看破されたことに納得がいかなかった。
「遺伝子的に負けるということ」
まるでこちらの不可解さなどお見通しとばかりに、淡々と明かされる。しかし、明かされてもなお、支離滅裂だった。それは本能的に恋愛対象にならないだとか、そういう意味なのか。余計にこんがらがる。
ピュイは小さくため息を零した。
「こんな説明を女子にさせないでほしいけど」
唐突な前振りに、慌ててしがみつく。女子という括りに若干の引っかかりはあったが、謎の解決を希求する気持ちのほうが上回った。
「子どもが吸血鬼になるってこと。エルフにはならない」
一瞬、頭が真っ白になる。それから、じわじわと意味が浮かび上がってきた。
「……は?」
過当な間を置いても、出てきたのはたったのそれだけだ。
ピュイは呆れたような困惑したような半端な顔で、赤いロングヘアの毛先を弄る。マニキュアまで赤いピュイは、その赤い唇を開いて決定的な文句を寄越した。
「エミリーは子作りがしたいんだよ」
真っ白になるより上があるものか。それほどまでにインパクトがあった。
性交渉がしたい、ではない。そうであれば、遊びたいと同義でいくらか気は楽だったかもしれない。
だが、子作りだ。あけすけさも相俟って、脳がバグった。
同時に、ちぐはぐさが腑に落ちる。誰でもいいような適当さと、どこか切羽詰まったような深刻さ。その両方を持っていた原因のように思えた。だが、それですべてが納得いくわけではない。
何より
「なんで、そんな」
子どもが欲しいと思う人はいるだろう。学生だろうと何だろうと思うことはある。
しかし、それが子作りとして目標を掲げられると、そう簡単な話でもない。これが結婚……婚活に頭が回るならまだ分かるが、エミリーの手段はざっくばらんだ。
「……エルフは森の民だもの」
「またそれか」
思わず出た感想に首を傾げられたが、首を振ってなんでもないことにした。ピュイは気にしないことにしたのだろう。元々、細かいことにこだわらない性質だ。
「住み処を追われたってこと」
それはキクにも示唆されて、納得している。首肯すると、ピュイはもう一歩を踏み込んだ。
「普通は一緒に逃げる。生き残りがいれば合流する。エルフの一族は、仲間意識がとても強い。けど、エミリーは一人。つまり、生き残りってこと。子をなさないと一族が滅びる」
呆気に取られる。
それはピュイの憶測なのか。エミリーがそう言ったのか。首根っこを捕まえて問い質したい感情に揺さぶられた。
しかし、どこかで釈然ともしている。切実さの表れはそういうことだろうと。無条件に納得させられていた。キクの説明では、丸め込まれたと思っていた部分。男漁りへの繋がりが筋立ってしまった。確かめたわけでもないのに、頭が勝手に辻褄を合わせる。
「日本人には分からない」
それは別段、責めたわけではないのだろう。純然たる事実としてピュイは楽々と口にした。
しかし、それは俺の心にずしりと重石を乗せる。口うるさく諌めてきたことが、途端に後ろめたくなった。いや、何にしても仕事中だろうと正常な意志で持ちこたえても、すべての罪悪感が押しやれるわけではない。
一族の存続をかけて望む旅行者との語らい。それを、ただ堅苦しく断罪しただけではという思いが拭えない。
ツアーコンダクターと客が恋に落ちるなんてよくある話だ。エミリーを例外的に遠ざける必要はなかったのかもしれないという気持ちが、むくむく育ってきた。かといって、たちどころに忖度するのも違う気がする。
異世界人にとってはエルフのことを理解していれば、初手で察するものであるようだ。キクとピュイの雰囲気からして、恐らくはそうなのだろう。それを今更気がついたかのように妥協を示すなど体裁が悪い。
それが正解だと、エミリーに回答をもらったわけでもないのだ。……得心がいくことは多くあるけれど。
何より、エミリーは決して男慣れしていない。
アピールが成功したためしがないことを除外したとしても、手慣れているとは思えなかった。ツボの突き方も下手くそだ。落ちるとは思えないやり方だし、手際も悪い。遊びたいだけなら、もっと効率的で手っ取り早い方法がある。
エミリーにその素養は見当たらなかった。そのくせ遊び人のような動きをするから、ちぐはぐ感があったのだ。その謎が解決して、納得してしまっている。それゆえに、心苦しくなっているわけだが。
もっと早く気がつくべきだったのだろう。言ったところで詮方ないとはいえ、悔悟はあった。
異世界に触れるたび、価値観の崩壊は頻繁にある。とはいえ、どこか他人事……世界の中で起こることであって。班員が持ち得る決定打はなかった。俺の知らぬ過去には何かがあったのかもしれないが、個人のそれを今もって察することはできていない。
がしがしと髪の毛を掻き乱す。そんなことをしても問題が振り切れるわけではないことは分かりきっていた。
ピュイは、とっくの昔にクリスティン卿への案内へ戻っている。そうして放られたことで、考える時間を与えられてしまうがゆえに泥沼だ。普段なら放置もありがたいくらいだが、爆弾だけ寄越して後処理をしないことには当たり散らしてしまいそうだった。
「なんじゃ、その顔は」
ピュイとクリスティン卿の話についていけなくなったのか。キクがこちらに触れてくる。自分がどんな顔をしているのか。あまり考えたくはなかった。
「ちょっとトイレに行ってくる」
返事を聞かずに、踵を返す。班長、そしてクリスティン卿と相性のいいピュイの二人がいるのだ。心配はあるまい。
俺は一直線にトイレに向かって、ひとけがないことを確認してから顔を洗った。それで脳内の雑事が洗い流されるわけじゃない。それでも多少は気持ちが洗われた。深呼吸をして、意識を切り替える。
少なくとも今は、エミリーのことに拘泥している場合ではなかった。クリスティン卿の案内に集中しなくてはならない。
俺は最後に髪と息を整えて、一行の元へ戻った。
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