第五話
その後の旅は、つつがなく進んだ。いくつかの町と自然を経由して、二人はそれを楽しげにカメラに収めている。
山方にも大きな怪我はなく、エミリーの怪我もキクによってしっかり治癒されていた。過保護な態度に出たことは、未だにチクチク言われるが。だが、あの言い争いのおかげで、キクがすぐにやってきてくれたのだから、その余波ぐらいはよしとしておこう。
そして、エミリーと山方は仲睦まじく過ごしていた。恋愛的な発展なのか。ただの友人としての親睦なのかは、判然としない。
だが、旅行が順調に進むのであれば、それはそれで構わなかった。露骨に恋を掲げられれば文句のひとつも呈すが、判然としないものに噛みつくのも面倒くさい。見守るなんて優しい気持ちもないが、見て見ぬ振りをしていた。
多嶋のほうはキクとピュイに任せてある。俺が気を配るのはプランだけでよかった。
グレイベアストに襲われたときは、波乱に思ったものだ。それも、振り返ってみればあっさりしたものだった。過去には旅行中、モンスターに警戒するばかりになったこともある。そうならなかったことに、安堵した。
安定した旅行は、見送りまで穏やかだ。無事に門を越えて、日本の窓口に二人を送り届ける。ここまでが俺たちの仕事だ。
過剰に別れを惜しむほどじゃない。しかし、数日間をともにした名残惜しさくらいはある。お客様によっては、それを隠さずに思い出話を残していくものもいた。
山方もそういうタイプだったのだろう。こちらへ寄ってくるのを確認して、俺は摺り足で数歩下がろうとした。こちらへの用は、俺ではなくエミリーだろうと思ったのだ。
しかし、やってきた山方は、
「丞浪さん!」
と俺の手を握り込んできた。
「は……?」
右手を両手で握り込まれる熱烈具合に間が抜ける。隣でエミリーが目を丸くしていた。一驚したいのはこちらだ。
これはどういう意図だろうか、と脳が高速回転する。代わりといってはなんだか、身体を動かす回路は切断されたらしい。山方を見下ろすことしかできなかった。
「楽しい旅をありがとうございました」
「は、はぁ」
お礼を言われることはよくあるが、これほど情熱的なものはそうない。面食らう俺をよそに、山方は気炎を上げる。
「助けていただいて……感謝してもしたりません!」
「いや、それは」
職務だからというのは、味気なかろうか。しかしながら、第一義はそこにある。無論、目の前で他人がどうこうなるのを見ていられるほど勇敢ではないので、それを避けたかった感情もあるが。
ただ、こうして感謝を伝える場を持つのであれば、それを渡す相手はエミリーではなかろうか。
ちらりとエミリーを見やると、山方も意図を察したのか。顔がエミリーのほうを向いた。しかし、握られた手が離されない。顔が引き攣りそうになった。
「エミリーさんも、ありがとうございました。エミリーさんがいなかったら、きっとあのときやられていたと思います」
「どういたしまして」
ふわりと微笑んで答える姿は一見美しい。しかし、よくよく見ると頬が微妙に痙攣しているようにも見えた。見間違いであって欲しい。
「丞浪さんも、本当にありがとうございます。俺、実はプランナーになりたいんです」
「……はぁ」
「なので、丞浪さんはすごくかっこよくて、尊敬しました。鍛えて、ちゃんと案内できるように努力していこうと思います」
「あ、はい。頑張ってください」
ろくなことを言えないのは情けない。しかし、突撃に引いてしまっていた。
「エミリーさんを助けたところ、めちゃくちゃかっこよかったです!」
「ははは」
それこそ、空笑いしか出てこない。
助けた、とはとても言えないだろう。エミリーはほぼ自力であったし、俺は遁走していただけだ。グレイベアストを倒したのは他の三人で、俺は何もしていない。
「これ連絡先なので、よかったらもらってください。お幸せに。それでは」
「……は?」
笑いがぴたっと止まった。
連絡先に突っ込む間もなく、山方は俺の手に紙を手渡して去って行く。気持ちのいい笑顔を残してくれたが、こちらは引っかかりしかなくて気持ちが悪い。
お幸せに?
お幸せ??
「どうしてこうなるんでしょうか?」
エミリーは首を傾げながら、冷ややかな視線をこちらに寄越した。元の造形が整っているので、迫力がある。
「私のほうがずっと仲良くなったのに、丞さんばっかりいいとこ取りでズルいですよ」
「俺のせいじゃないだろ」
「そうですけど。陸也くん、丞さんのことを英雄みたいだとも言ってたんですよ」
「えらい色眼鏡だな」
「色眼鏡?」
「……都合のいい偏見だなって」
「嫌なんですか?」
「そうは言わないけど、そんな大層なもんじゃないだろ」
「私を見捨てなかったことは事実ですけど」
「グレイベアストを薙ぎ払ったならまだしも、だろ。英雄ってのは、あんなもんじゃないだろ」
「そう聞いてますね」
英雄伝説というのは、異世界でも有名な話らしい。イメージにもあまり差異がないようだった。俺がそんな英雄とほど遠い存在であることにも、同意見のようである。
「それに、お幸せにってなんですかね?」
「……そういうことだろ」
肺から滑り落ちる吐息を留めることはしなかった。
俺が英雄に見えていると言うのなら、エミリーの立ち位置も分かってくるというものだ。英雄が助けるのであれば、それはお姫様か想い人だろう。
エミリーもその発想に至ったらしい。一瞬で渋面になった。
「どうしてそうなるんでしょうか?」
「山方に確認してみればいいんじゃないか?」
渡された紙片を見せると、エミリーの顔はますます渋くなる。そうなりたいのはこちらだ。
「あの機械を持ってないですし、こっちじゃ使えないって分かって言ってるでしょう?」
「それだけ手に余るって話だよ」
「連絡してあげたらいいじゃないですか」
「お客様だぞ」
「それを私に言っちゃうんですか?」
「だからいつも止めてるだろ」
「お堅いんですよ」
冷笑が零れ落ちる。
俺を相手にお堅いだなんて、まるでらしくない評価だ。エミリーは至極真っ当にそう思っているようで、それが笑いに輪をかけた。
「何ですか?」
「いや? 俺をそんなふうに言うのはエミリーくらいなもんだろうと思っただけだよ」
「厳しくするのがいけないのでは?」
「お目こぼしを得ようとするな」
「ちぇ」
言葉通りにいじけた顔をするエミリーにため息を落とした。
紙の行方は決まらないまま、思考放棄でポケットにしまいこむ。大学生の熱なんざ、そのうち消えるだろう。俺の緩やかに過ぎる活躍など、もって数日がいいところのはずだ。俺はその期間を寝かせてしまうことにした。
山方には悪いが、それ以外にはどうしようもないことだったのだ。
山方が俺のことを忘れないと、このときの俺が知る由はない。それを知るのは、およそ一年後。それまでに山方と多嶋の動画によって、俺の姿が世間に広まることになる。
ツアーコンダクターとして指名を受ける日が待っていることもまた、このときの俺が知る由もなかった。
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